第一幕
1
「お願いします! マジでやらせてください!」
関岡千敦は土下座していた。
それも女生徒2人の目の前で。
場所は3年生の教室がある1階、かつあまり人気がない北側にある階段の踊り場。そこで千敦は貴重な昼休みの時間を犠牲にしてまで土下座していた。
地面に頭を擦り付けて必死にお願いすること約1分。どこか呆れたようなため息が頭の上から聞こえてくる。
千敦は恐る恐る頭を上げた。
「悪いけど考えは変わんないから」
右手を腰に当て、左手で肩まで伸びた茶髪を軽く掻きあげながら、ひどく呆れた顔をしている女子と、その傍らに立ちクールな視線を千敦に向けている背の高い女子。
「そこを何とか! マジで、本当に、もう一生のお願いですからやらせてください!!」
千敦は別にナニをしたいわけではない。それに土下座して頭を踏まれたい、などという妙な性癖もない。そもそもしなくていいのなら土下座なんて男、もとい人間のプライドが大変傷つくものなのでしたくはなかった。でもそのプライドを真っ二つにへし折ってでも、千敦には土下座をしないといけない理由があった。
その理由とは所属している部活に関係している。
大体の人が意外というのだが、千敦は演劇部に所属していた。そして夏に行われる全国高等学校演劇コンクールに向けて、3日前にようやく演目が決まり、部活内の士気も上がってきているそんな時期。今日はその配役が発表される大事な日だったのだが、朝偶然部長に会ったときに関岡はブラウンだから、とあっさり言われた。
「……ブラウンじゃなくて、ゴールド・ロバーツをやらせてください!」
ブラウンとは劇中に出てくる端役の名前で、そいつがまた本当に端役だった。台詞は全部で5つしかない。そしてゴールド・ロバーツというのは主役ではないが、要は舞台の中で美味しい役の名前だった。
「っていうか、男の役者なんて俺か鈴木先輩だけじゃないですか。もしかして……あの人にゴールドやらせる気なんですか?」
「はぁ? バーカ、あいつはピンキーさんだ」
茶髪の女生徒は左手も腰に当て、あまりない胸を張って自信満々に答える。
間。
「いやいやいやいや! ピンキーは女じゃないですか! 鈴木先輩は男ですし、そもそも女の役者はたくさんいるんですから、うこ辺りでいいじゃないですか!」
茶髪の女生徒は不満そうにバーカ。と言って鼻を鳴らす。
茶髪の女子の名は宮島愛。この都立学園高等学校の3年生で、演劇部の現部長でもある。髪は窓から侵入した光によってかなり明るく見えるが、本来はそこまで染められていない。
肩につく寸前の位置にある髪を軽く掻きあげ、勝気そうな瞳で千敦を見つめると、桜色の唇を軽く釣り上げて余裕綽々の表情を作る。すらりと伸びた肢体に細い肩、背は女子の平均よりやや高めで胸はやや小ぶり。
そして初めて会ったときから無駄に態度がでかい人だった。
ちなみにその横にいるかなり背が高く、腰まである黒髪を靡かせている綺麗系の女子は同じく3年生で、副部長の佐渡ヶ谷莉穂。莉穂は相変わらず千敦に対してクールな視線向けている。
2人は正に陰と陽といった感じだった。
「バーカ、それが面白いんだよ。全く分かってないなぁ、お前は」
愛は歯を見せて笑う。笑うと少しだけ八重歯を覗せるのが愛の特徴で、千敦は密かにその特徴を可愛いらしいと思っていた。
というか部長の愛も副部長の莉穂も、女子のレベルとしてはかなり高い。つまり普通に可愛いので、仮にどちらと付き合っても周りに自慢できるのは間違いない。
が、千敦は2人から全く相手にされていなかった。
「って話が逸れてるじゃないですか!」
「お前が逸らしたんだろうが!」
「とにかく俺の役を変更してください! 絶対に上手くやってみせます、もうマジで命賭けますから!」
千敦は再び床に額を擦りつけて必死にお願いした。
これが口先だけならただの自信家だが、千敦には立派な裏づけがあった。千敦は中学校でも演劇部で、といってもたまたま3年のときに勢いで参加しただけのだが、でもその3年のときに出た全国中学校演劇コンクールで優勝を攫った。主役だった千敦はその演技を絶賛されたという実績がある。
「それにブラウンってキャラじゃないんですよねぇ。 地味だし台詞も少ないし、あぁいう役って俺には合わないと思うんですよ」
千敦はあははと能天気に笑ったが、その笑い声はすぐに止った。
愛が千敦に鋭い眼光を向け、おまけに思い切り胸倉を掴んできたからだった。
「お前さ……役者を何だと思ってんの?」
「えっ? えっ?」
愛は胸倉から手を離すと、殴るように千敦の左胸に拳を押し付ける。
「役者が役を選ぶな! 役者は与えられた役を魂燃やして演じる。ただそれだけなんだよ、馬鹿!」
愛の言葉が人気のない踊り場に響き渡る。
沈黙。
千敦は正直その言葉の意味をあまりよく分かっていなかった。
でも確実に魂が震えた。
言葉を聞いた途端、無性に胸が熱くなって、それからひどく泣きたくなって、とにかくそれは重く鋭く熱い言葉だということだけは分かった。
ゆっくりと顔を上げると、偶然なのか愛と目が合う。真っ直ぐな目だった。気を許すと心の奥まで貫かれてしまいそうな、そんな目だと思った。
突然愛が不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……簡単に命賭けるとか言うなよ、バーカ!」
愛は千敦の額にデコピンをする。そしてその後なぜか少しだけ寂しそうに笑った。
そんな風に笑う愛を千敦は初めて見た。
いつも笑っているか、怒っているか、睨まれているか、のどれかなのでそんな切ない顔をした愛を見たことがなかった。けれどその寂しげな表情は一瞬のことで、すぐにあの特徴的な八重歯を覗かせて笑う。
「お前は今を精一杯楽しめ!」
愛は最後に千敦の背中を思い切り叩くと、莉穂を連れ立って自分の教室へと戻って行く。
一方千敦は色んなことが頭の中に渦巻いていて、しばらくの間その場を動けなかった。
不意に予鈴のチャイムが聞こえてきてようやく我に返った。いつまでもここにいても仕方ない、ということで自分の教室へと向かった。
教室へ戻り自分の席に腰を下ろすと、すぐさま後ろから肩を叩かれた。
首だけ後ろに向けると、中学時代からの友人である須藤翔が机に頬杖をつきながら、楽しそうな顔をしてこちらを見つめている。
この男とは友達というか悪友というか親友というか、そんな感じの仲だった。
髪は金髪で、背は自分より少し高く、開けたワイシャツから色黒だが意外としっかりとした胸板が見え、首にはドクロがついているごついシルバーのネックレスをしている。
須藤は見ての通りのチャラ男だった。
でも顔が結構良いこともあってかなりモテる。
高校に入学してから約2ヶ月半、既に何人かに告白されたという話を風の噂で聞いている。
とりあえず爆発すればいいと思う。
それに比べて千敦は全くモテなかった。自分で言うのも何だが顔は中の上、または中の中だと思う。それなのに未だモテ期がきた試しがない。
でも遠い記憶を遡ると、幼稚園生の頃に突然3人の女の子から告白されたことがあった。まぁそのうち1人は幼馴染みなのだが、今にして思えばあれがモテ期だったのかもしれない。
ただその場合、3回のうちの1回を使い終えてしまったことになる。それはあまりにも勿体なさすぎる、というか実用性がなさすぎて困る。
「それで結果はどうだったんだ?」
須藤はまるで答えを知っているかのように、口元が既にニヤけている。
千敦は深い溜め息を吐き出す。
絶対に役変えさせっから! と無駄に自信満々に言い切って教室を飛び出したのに、結局役は変えられず逆にお説教を受ける始末だった。
千敦は僅かに言葉に詰まる。
「あー、その……やっぱりさ、役とか選んじゃダメだと思うんだよ。どんな役を与えられたって、それを魂燃やして演じるのが役者だから!」
完全に愛の台詞のパクリだったが、そんなこと須藤には分かりはしないだろうと思い、千敦は少し格好つけて言ってみた。
「そう部長に言われたのか?」
「うっ!」
見事に図星を突かれて千敦は完全に言葉に詰まった。
「……っうかさ、千敦は千敦らしくやれよ。俺はお前がどんな役でも舞台は見に行くぞ」
白い歯を見せて爽やかに笑う須藤。
その笑顔と素直な言葉に千敦はたまらなく嬉しくなる。そのときどうしてこいつがモテるのか少しだけ分かった気がした。
「……絶対モテるわ、お前」
千敦が深い溜め息を吐き出すと、何だよそれ。と不思議そうに須藤は小首を傾げる。
右手が疼いたが理性で何とか押さえ込んだ。
それから時は過ぎて放課後。
千敦は部室までの道のりをのんびりと歩いていた。
ちなみこの都立良衛高校は無駄にと言うと失礼だが、とにかく広い。
私立でもないのに色々と設備が充実していて、図書室は市営のものと変わらない大きさだったり、他にもプラネタリウムや温室、カフェテリアなど都立高校には絶対ないものがある。あと剣道場と柔道場などそれぞれ専用の道場があり、その他の部活の設備も異様に良いので様々な方面から人気がある学校だった。
正直そう頭が良くない千敦が入れたのは奇跡、と言っても過言ではない。
「…………やっぱり広すぎだよなぁ」
なんて独り言を呟いて苦笑する。
演劇部を含め、様々な部活の部室が固まっている部室棟は校舎から少し離れた所にある。そのため千敦の教室からは大体歩いて10分くらいかかる。
千敦はすっかり吹っ切れていた。
愛からブラウンだと言われたとき自分に相応しくない役だと思ったが、千敦は何よりも部活の皆の前でブラウンだと発表されるのが恥ずかしかった。端役だから馬鹿にされるか、冷やかされるんじゃないかと不安だった。
でも冷静に考えてみると、そういうことでからかう奴は我が演劇部にはいない。
だから今は驚くほど全く気にならなかったし、逆に早く発表してほしいくらいだった。
とにかく愛に言われた通りちゃんと役と向き合おう! と拳を無の前で構えて燃えていると、廊下を真っ直ぐ行った突き当たりの角から、微かに愛の姿が見えた。
その姿はすぐに見えなくなってしまったが、あれは間違いなく愛だった。
千敦は今の気持ちを聞いてほしくて、そしてさっきの勘違い発言を謝りたくて、早足で愛の元へと向かった。
「部長!」
千敦が角を曲がって愛に声をかけると、顔を向けた愛の瞳がなぜか大きく見開かれる。
「関岡!!」
愛は何を思ったのか千敦に向かって勢い良く駆けてくる。そして思いきり手を伸ばす。
でもその手を届かなかったし、千敦はその手を掴めなかった。
愛は突然足を止める。
ふと千敦の顔に水滴のようなものがかかる。
それは妙に生温かくて、不思議に思い頬を撫でると指に赤いものがついていた。
それが血だということに気づくのに数秒を要した。
「うわぁ!」
千敦は驚きの声を上げる。
まるでその声を合図にしたかのように、糸を切られた操り人形のごとく愛の体はその場に崩れ落ちた。




