きみのはなし1
うすぼんやりとした白いもやのようなものだったかもしれない。
でもその時、僕には髪の長い女の人が佇んでいたように思えたんだ。
哀しそうに。やり場のない腹立たしさを抱えて。
「どうしたの。」
彼女の哀しみは、当時小学校に行き始めたばかりの僕にも伝播して息苦しくて。
息をしなくちゃ、と思うのと同時に、思わず声をかけていた。
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「お前は悪霊の宝庫だな。一体何体憑いてるんだ。」
俺が朝食のコーヒーを淹れている間、短髪のいかにもスポーツマンらしい男が呆れ顔で俺に話しかけた。
深沢将護。俺より3つ下の21歳だそうだ。
知り合って1週間程だが、年上を年上と思わず遠慮なく嫌味を言ってくる。
「数えてないんだよね。でも、基本は先入れ先出しを心がけてるよ。」
へらりと笑って答えながら心の中で溜息をついた。
そう、俺、高山恵思にはいわゆる悪霊と呼ばれるものが憑いている。
あまりに数が多くて気力の弱い人間は俺に近寄ることもできない。・・・らしい。
けれど皆普段は大人しくしてくれてるし、周りに害を及ぼすようなことは無いはずだ。
大体、俺は悪霊ではないと思っている。
皆心残りを抱えた者達で、俺はその心残りを解消してやっているだけだ。
最初は一人ずつ話を聞いて、自分にできることをしてあげていただけだった。
心残りが解消されると、いつのまにか彼らは俺の前から居なくなるのだ。
しかしそんな俺のウワサが彼らの間で広がったのか、同じような者たちが俺に集まるようになった。
俺が悪霊の宝庫なんて言われる所以である。
そして噂は生きている人間の間にも広がってしまった。
悪霊を集めて世間の安全を脅かす危険人物として、そのスジの人達から目をつけられてしまったのだ。
平凡なサラリーマンとして働き始めて2年目、今から遡ること1週間前。
定時退社で会社を出たところを呼び止められた。
『警察庁附属機関から派遣されました深沢将護です。本日より高山恵思殿の護衛にあたらせて頂きます。』
俺がうっかり死んでしまったら、俺に憑いてる悪霊が一気に解放されるから『護衛』するんだそうだ。
が、俺が良からぬことを考えてないか調査・監視するのが本当の目的らしい。
公的機関の名前を出されたら、疑うことを知らない平凡で愚かな俺は、爽やかな挨拶に加えて、素直にウラの目的を話す深沢をすっかり
信用してしまった。
実際、これまで生きてきて危ないかなと思ったことはあったし。
心強い味方ができるなら大歓迎と思ったのだが。
しかし1週間も経たないうちに後悔することになった。大体、附属機関っていうのがまず怪しかったよな。
「おい、朝飯を食ったら風の丘公園に行くぞ。」
何がターニングポイントになったのか、最初の礼儀正しさや爽やかさはすっかり消えて、生意気で態度のでかい深沢になって事あるごと
に俺の行動を指図する。
護衛のためとはいえ、行き先を教えろとか、広い道を通れとか、何時までに帰宅しろとか、飯は何時に食えとか、とか。
俺は嫁入り前の娘か。
「お前とピクニックデートはしないよ。」
素直に速やかに拒否すると、怒号が飛んだ。
「バカか!仕事だ!」
こいつにはとことんユーモアが無い。
俺は、寝癖のついた頭をかきながら今度は隠さず溜息をついた。
******
風の丘公園は、マンション群に程近い小高い丘の上にある。
地形からいつも風が吹いていて、ブランコや木々を揺らしているため夜はかなり不気味だ。
しかし今は付近に住む母子連れで賑わっていた。
ここに大の男二人連れはかなり違和感だ。
「まったくー。休日に仕事って、俺ダブルワークじゃん。あ、給料でないからボランティアか。」
居心地の悪さと、休日にゆっくりできない鬱憤とをないまぜにして隣の深沢に愚痴った。
「仕事を拒否してもいいが、上に危険思想ありと報告するまでだ。そうなるとダブルワークどころか監禁生活が待ってるぞ。」
深沢は無表情に地図を見ながら答える。脅迫だ。
監禁って、俺の平凡で幸せな日常からは無縁の言葉なんですけど。
まぁ今日は天気も良いし、公園ボランティアするには丁度いいかぁ、なんて思いはじめていたら、ふと深沢が寂しそうな表情で俺に言っ
た。
「お前が死んだ途端、お前の内の悪霊が一気にでてくるんだろ?」
死ぬのは勝手だが、こういう子供の多い所ではやめてやれよ。と続ける。
いつの間にか視線は地図ではなく、公園で遊ぶ子供達に向けられていた。
自分より年下の男に子供好きな発言されるとは意外だった。しかもそんな切なそうな顔で。
もしかしてもう子供がいるんだろうか。
聞きたいのは山々だが、なんとなく触れてはいけない気がした。
「そういやお前はいつから今の仕事してんの?」
「3年になる。」
高校を出てすぐ今の仕事を始めたってことだろうか。そうか、社会人としては先輩なわけだ。
そう思えば、こいつのデカイ態度が理解できた。納得はできないが。
******
さっきから高山が文句を言っているが、強引なのは重々承知している。
本来護衛をしている身でこのような仕事が回ってくることはない。
しかし今回の仕事はどうしても俺がやりたかったのだ。
調査書では、この風が丘公園のブランコとシーソーで事故が頻発しているという。
怪我をした子供達によると、皆誰かに押されたような気がしたという。
しかし目撃証言によると、事故に遭った子供達は、皆一人でブランコやシーソーで遊んでいたそうだ。
「何か分かるか。」
隣で突っ立っている高山に話を振った。少し癖っ毛の黒髪が、風で乱れて更に鳥の巣状態だ。
どうせ風は治まらないと諦めているのか、髪を直そうともせず、手を黒コートのポケットに突っこんだまま、遊ぶ子供たちを眺めていた
。
笑った顔をしているが、まだ眠たそうな不機嫌そうな雰囲気だ。
なぜそれで笑顔をつくるんだろうか。不機嫌なら不機嫌な顔をすればいいのに。
「あー、ブランコとかさぁ、自分のリズムってのを崩されると危ないんだ。
誰かに押して貰うにしてもさ、押して貰うタイミングを感じて身体が準備するだろ?
それが予想外なタイミングで予想外な力が加わると、よっぽど反射神経が良くないと怪我しちゃうのさ。」
俺に言っているようにも、俺には見えない誰かに言っているようにも見える。
こいつはこれまでこんな風に周りと調和を保ってきたんだろうか。
見える者にも、見えない者にもどちらにも辻褄が合うように。
微妙なバランスで一線をひきながら。
それは、怒っていても笑っていてもどっちも本気とは思われないのと同じような気がする。
こいつは全てが曖昧だ。
「要するに霊が、遊んでる子供の背中を押したってことか。止めさせるにはどうしたらいいんだ。」
「皆途中で怪我しちゃうから遊び足りないんだろうなぁ。」
と、いつから居たのか目の前の子供の頭を高山がなでた。
いや、高山が頭をなでたから俺にも見えるようになっただけで、本当はずっと傍に居たのだろうか。
「ほら。今度は皆にちゃんと遊ぼうって言ってから遊ぶんだぞ。」
『うん!』
4~5歳だろうか。目の大きな男の子は、頬を紅潮させて、笑顔で子供たちの輪の中に入って行った。
「今のは・・・。」
「皆にも見えるし、遊びやすいっしょ?」
夜より、昼は見えにくいからねぇ。皆と遊ぼうとするとちょっと大変だったよねぇ。
相変わらずへらへら笑いながら言っているが、霊を実体化させるなんてことができるとは。
平凡なだらけた会社員のくせにどこが危険人物なのかと思っていたが、確かに大変な力だ。
ひとしきり遊んだ幽霊の男の子は、ありがとうと言いながら夕闇に消えていった。
「今日の子はお前の子供のことは知らないみたいだったなぁ。」
いつの間に会話したのか、いきなり核心をつかれて二の句が継げなかった。
「知ってたのか。」
「いや、あの子はお前を見たことあるって。触った時に伝わってきた。」
触ることで、霊の想いとか記憶を共有できるらしい。
「お前さ、この仕事選んだのって、自分の子供に会うためだったんじゃないの?」
高山は何人もの想いに寄り添っているせいか、こういうところが鋭い。
「俺は、洋平と・・・息子とあの公園で遊ぼうって約束してたんだ。
だけど約束の日、どうしても抜けられない仕事が入って。
金が無かったし仕事を優先してしまったけど、考えてみたらその前も、その前も約束を破ってばっかりだった。
でも洋平は、3歳になったばっかりだったのに、泣いたり怒ったりじゃなくて、いつも楽しみにしてるって笑ってくれてたんだ。
そんなことに気がついたのも、洋平が事故で死んでしまってからで。
どこかで、俺は洋平がまだこの世に残ってるんじゃないかって、未練残してるんじゃないかって、機会がある度に探しているんだ。」
洋平の笑顔と、同じ事故で亡くした妻の笑顔が思い浮かんで胸が締め付けられるような気がした。
「洋平くんと、奥さんの咲子さんね。どうやらこの辺りには居ないようだよ。」
ほっとしたような、がっかりしたような気持でいると、高山が「でも」と付けくわえた。
「でも二人はお前の周りにずっと居るんだよ。」
昼間男の子にしたように、子供の頭のあるあたりを撫でた。
そして続けて俺の肩口あたりで頭をなでる仕草をした。
すると音もなく洋平と咲子が現れた。ずっと俺を見ていたようだ。
心なしか、ぼうっと光っているように見える。
おぼろげな光のなかで、二人は柔らかく微笑んでいた。
『あなたに伝えたかったの。責任感の強いあなただから。』
『ぱぁぱ、ようちゃんね、あそぼうなっていうぱぁぱがだいすき!公園じゃないよ!ぱぁぱ、だいすき!』
ふたりが俺をやさしく包むように抱きついてきた。
洋平と咲子の感情が直接俺に流れ込んでくるようだった。
--僕のことを考えてくれてる気持ちが嬉しかったんだよ。
--いつも私たちを思ってくれているのが分かっていたわ。
--もう悩まないで。
--縛られないで。
俺を思いやる優しい感情が胸一杯に溢れる。俺は涙が流れていた。
縛られていたのは、洋平と咲子にじゃないんだ。
自分の後悔なんだ。謝りたくて。赦してほしくて。
二人はそれを分かってくれていた。そして愛してくれていた。
だからこそ、もうすでに赦してくれていて。さらに俺の心配までしてくれていた。
言いたいことはたくさんあったのに、言うべきことは何もなかった。
何も声にならなかったけど、とっくに二人に伝わっていた。
どれくらい時が経っていたのか、少し動くと体中がビシビシと骨が鳴った。
気がつくと、辺りは真っ暗で二人は綺麗に消えていた。
高山は何も言わずにずっと俺の傍についていてくれていたらしい。
相変わらず嘘くさい笑顔だ。
相変わらず黒いコートのポケットに手をつっこんだままで、俺が洋平と咲子に会う前から、いくらも時が経っていないような気がした。
俺は自分の感情をさらけ出してしまった気まずさに、なんと声をかけたら良いのか分からないでいると、いつものへらりとした声が聞こ
えた。
「夕飯、何にする~?」
俺さー、今日は3人もの人に力貸しちゃったから3人前食べてもいいかなー
あ、お前入れて4人かな。4人前OKかな。
「バカなこと言ってないで、報告書を書いて出しに行くぞ!」
不細工な明るい悲鳴が聞こえた。