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激怒

バタン、という鉄と石がぶつかる音でゼルクの意識は浮上した。


(・・・ここはどこだ?)


天国か地獄、というには少々無機質ではないだろうか。鉄の匂いと生ぬるいような凍えるような温度を持つ石床。どう考えても街に戻った、なんてことではないだろう。ここでは瘴気による息苦しさも感じられなく、久しぶりの澄んだ空気に思わず大きく息を吸うが、ここが森の外ではないということは分かった。


扉の外から感じられる2つの気配は、いずれも人間のものではない。獣でもないだろう。人為的かつこの冷たい、まるで古い城を監獄として使っているようなこの建物を所有する何者か。思い当たるのは一つしかない。

しかし万が一、何者かが自分の予想する相手であった場合、即刻ここから逃げ出さねばならない。


(さて・・まずはこれから外さなければな)


右腕に繋がれた鎖。匂いからしてだいぶ錆びているようなので、ゼルクの力であれば簡単に壊すこともできるだろう。しかし、その音で外の彼らは気づいてしまう。

しばし躊躇ったあと、彼らが眠る朝になってから決行することにした。


「ね、まずはそのまま飲んだほうがいいのかい?それともグラスに注いでってのも上品じゃないかなあ!」


扉の前で随分と上機嫌な声音が聞こえてくる。年端も行かないような高い声でも、ゼルクは警戒で体がこわばる。あの始末すべき敵が、扉のすぐそばに立っているのだ。恐怖と緊張から、自然と歯が食いしばられる。


「まずは首から、でしょうか。人間の血は獣とも比べ物になりませんが、とくに動脈や内臓に位置する血液は格別でございます。首なら止血も簡単ですから、手始めにはちょうどいいでしょう」

「そうかな!!ふふ、たのしみだなぁっ」


会話の内容が入ってこない程度には、ゼルクの感情は高ぶっていた。万民を殺し、かつて歴史で最も人間を殺戮した種族、吸血鬼。幼い頃の恐怖と煮えたぎるような憎悪は、ゼルクの平静を欠くには十分だ。


バン! と、大きく扉が音を立てる。そのあと、バタン、と音がして、扉が壊れたのだと知る。扉が地面に叩きつけられ、ほこりが舞っているのがわかった。


「やあやあ、お目覚めの時間だよ」


軽快な足取りでゼルクに近づいた吸血鬼は、殺意などこれっぽっちも抱えていない。久しく対峙していなかった彼らだが、今目の前で闊歩する気配に、吸血鬼はこのようなものであったか、と違和感を覚えた。

しかしそれは、耳元の言葉によって霧散する。


「起きろ」


たった一言だ。その三文字に、ゼルクは目を開かざるを得なかった。本能的な恐怖によるものだった。彼という人間に刻まれた吸血鬼への本能が、こうして彼を死という刃に晒すのだ。ゼルクは、この恐怖が大嫌いだ。


「ッ・・・吸血鬼め!!!!」

「あまり叫ばないでくれ。血圧があがってうっかり死んでくれても困るんだ。ほら、人間って脆いのだろう?」


吸血鬼は煩わしそうに嘆息すると、鎖で繋がれたままのゼルクの顔を乱暴に掴んで、首筋を吟味するように凝視した。その濁りのない紅い瞳が純粋な吸血鬼の血を引くことを意味している。その紅さに、ゼルクは驚愕する。


「うん、とってもいい!!健康かつ丈夫!やはり血が特別なのかな。すばらしい肉体に流れる血というのがいいのかな。にしても上物だ。君は騎士団、の人だよね。こんなところにいるなんてきっと損だよ。まあ、それが功をなして僕がみつけたからいいのだけど。」

「・・・・はぁ?」


なんなんだ、と思った。口を開けば脅すでも殺害予告をするでも、自尊心を踏みにじりながら拷問するわけでもなく、なんと称賛してきたのだ。吸血鬼の美的感覚ゆえにゼルクにとっては腹立たしい以外の何物でもないが、吸血鬼が人とまともに対話するなど、ありえないのだ。


多くの殺戮と戦争を繰り返してきた人類と吸血鬼は今は国境を分かち、国として休戦協定を結んでいる最中であったが、それは人間が強かったからではない。吸血鬼の傲慢が招いた結果であった。彼らはプライドが高く人間に屈するなどあり得ない、という精神性の持ち主で、自分の種族が一番であると誇っている。実際それは概ね当てはまるが、何十年という戦争の中で人類のしぶとさに辟易していたのも事実だった。そこで吸血鬼達は当時限界ながらも人類が守っていた戦線を放棄し、突如和平を申し出た。人類はわらにもすがる思いでそれを承諾。そうして長きにわたる戦いが終結したかのように思われた。

実際は、戦争が終わってからも吸血鬼側に密輸される人間達は数多くいたし、今も貿易などにおいて吸血鬼側が強い立場にあった。100年前までは、戦争の支出で経済が崩壊した人間の国境沿いの街で、吸血鬼相手に血を売っていたという記録も残っているほど、吸血鬼側が優位に立っていたのだ。

そしてそれは、終戦から200年たった今でも残っている。


「君ほどの血の持ち主ならば、吸血鬼の国に献上されてもおかしくないのになぁ。まさしく、王や貴族が食すにふさわしい血だ」


唖然とするゼルクに向かって、吸血鬼は「あれ、聞こえてる?」なんて間抜けに問いかけている。


この傲慢な吸血鬼どもに、どうして人間という存在を認められる度量があるとおもっていたのか。もちろん、本気でそんなことを期待しているのではない。人間と同じ姿を模っているがゆえに、人と同じ理性や感情を持ち合わせている部分もあるのではないか、という思いがあったのだ。下級の平民が現代の吸血鬼の知識を持ち合わせているわけでもないし、国境をまたいで人の血を吸おうとしてくる輩ばかり相手にしていたから、少々認識がブレていたのかもしれない。


所詮吸血鬼という生き物は、人間を上等な食い物にしか見えていないのだ。


「・・・・早く殺してくれ。さっさとバラしてディナーにでもするといい。騎士の体など、お世辞でも美味いとは言えないだろうがな」


ゼルクはヤケにでもなったような心持ちで吸血鬼に言い放った。死ぬまで血を抜くつもりなら舌を噛みちぎってでも死んでやるし、尋問でも拷問でも耐え抜く自信がゼルクにはあった。

だから、絶対にこいつの命だけは奪い取ってから死のうと。200年森に引きこもり、人間を見下したその奢った態度だけは、絶対に引きちぎってから死のう、と。


「ふぅん、いいじゃないか、生きの良いのは嫌いじゃないよ。でもねぇ、別に僕は君のことが嫌いじゃないし、街に返してあげてもいいんだよ?」

「はっ、そんなのは常套句だろう。お前たちが、気に入った血を手放すわけがない。」

「え~っ、でも、君に死んでほしくないのは本当なんだけどなぁ」


その言葉に、つい、ゼルクの拳は振り上げられた。

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