表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

第6話 ヒロイン・アリスの登場

皇太子殿下の執務室での「お茶会(という名の猫セラピー)」が日課になりつつあったある日。

私は城の廊下で、運命の天敵と遭遇した。


「……っ」


回廊の向こうから、光り輝くような集団が歩いてくる。

中心にいるのは、桃色のふわふわした髪に、新緑のような瞳を持つ小柄な少女。

アリス・スプリング男爵令嬢。

この乙女ゲームの正ヒロインにして、最強の光魔法を持つ「聖女」だ。


彼女の周りには、取り巻きの令嬢や護衛たちが群がっている。

「アリス様、お荷物を」「アリス様、今日の髪型も素敵ですわ」「聖女様、どうか私に祝福を」

黄色い声援の中心で、アリス嬢はどこか引きつった曖昧な笑みを浮かべていた。


「(来たわ……)」


私は柱の陰で息を潜めた。

本来のシナリオ通りなら、彼女は殿下と恋に落ち、悪役の私は彼女をいじめ抜いた末に断罪される。

今は殿下に気に入られて(?)しまっているが、彼女が現れた以上、世界は修正力を発揮するはずだ。


「(今がチャンスかもしれない)」


私の心臓が早鐘を打つ。

ここで私が悪役らしく振る舞い、彼女に嫌がらせをすればどうなるか。

殿下は「やはりリリアナは性格が悪い」と幻滅し、アリス嬢を守るために私を追放するだろう。

そうすれば、私は田舎で平穏無事な「もふもふライフ」を送れる!


「やるわよ、リリアナ。心を鬼にするの」


私は震える手で、ドレスのポケットを探った。

そこには、今朝召喚したばかりの「使い魔」が眠っている。


『キー?』


ポケットから顔を出したのは、黒いコウモリだ。

ただし、吸血鬼が使うようなリアルなものではない。

テニスボールのような真ん丸い体に、小さな翼と大きな耳がついているだけの、空飛ぶ毛玉だ。名前は「マリモ」とつけた。


「ごめんね、マリモ。あの子をちょっとだけ驚かせてきて」


私は小声で謝りながら、マリモを放った。

マリモはパタパタと不器用に飛び立ち、アリス嬢の頭上へ向かう。

黒い物体がいきなり飛んできたら、深窓の令嬢なら悲鳴を上げるはずだ。


私はタイミングを見計らって、悪役令嬢らしく高笑いしながら登場する手筈を整えた。

「おーっほっほ! 聖女気取りなんて目障りよ!」と言う練習を喉の中で繰り返す。


マリモがアリス嬢の目の前に降下した。


「きゃっ!?」


アリス嬢が足を止める。

周囲の取り巻きたちが色めき立った。

「なんだあれは!」「黒い……魔物か!?」

「リリアナ様の使い魔だわ! なんて野蛮な!」


よし、反応は上々だ。

さあ、アリス嬢よ、泣き叫んで私を軽蔑しなさい。


私は柱の陰から飛び出そうとした。

しかし、その足は止まった。


アリス嬢が、逃げなかったからだ。

それどころか、彼女は空中に浮かぶマリモを、両手でそっと包み込んだのだ。


「……え?」


アリス嬢の動きが止まる。

彼女は手の中の黒い毛玉を凝視し、それから信じられないものを見るような目で、ゆっくりと瞬きをした。


「……静かだわ」


彼女の唇が動いた。

か細い、今にも泣き出しそうな声だった。


「アリス様! 汚らわしい! すぐに離して!」

取り巻きの一人がマリモを叩き落とそうと手を伸ばす。


「駄目っ!」


アリス嬢が叫んだ。

普段の大人しい彼女からは想像もつかない鋭い声に、周囲が静まり返る。

彼女はマリモを胸に抱きしめ、うずくまるようにして守った。


「……お願い、静かにして。……この子からは、何も聞こえないの」


アリス嬢の肩が震えている。

私はその様子を見て、ゲームの設定資料集の記述を思い出した。

『聖女の力』の副作用。

強力すぎる光の魔力は、周囲の人間の感情――特に「期待」や「欲望」を、不快なノイズとして受信してしまう聴覚過敏を引き起こす。


彼女はずっと、周囲の「聖女様、何かしてくれ」という大合唱に晒され続けていたのだ。

そこに現れたのが、私のマリモ。

私の召喚獣は、複雑な思考を持たない。あるのは「ふわふわしたい」「ご飯ほしい」という単純で無害な本能だけ。

それは彼女にとって、砂嵐の中に現れた唯一の「無音地帯」だったのかもしれない。


「(……私、なんてことを)」


いじめるつもりが、追い詰めてしまったのか。

私は罪悪感に耐えきれず、柱の陰から駆け寄った。


「も、申し訳ありません! 私の使い魔が粗相を……すぐに回収しますから!」


私はアリス嬢の前に膝をつき、マリモを取り返そうとした。

アリス嬢が顔を上げる。

その新緑の瞳には、涙がいっぱいに溜まっていた。


「……貴女の、ですか?」


「は、はい。リリアナ・ベルローズと申します。どうかお許しを……」


嫌われた。間違いなく嫌われた。

こんな得体の知れないものを投げつけられて、泣かせてしまったのだ。


しかし、アリス嬢は私の手をガシッと掴んだ。

華奢な見た目に反して、ものすごい握力だ。


「お姉様……!」


「へ?」


「この子、凄いです! 触っていると、頭の中のガンガンするのが消えるんです! お姉様が作ったんですか!?」


アリス嬢の顔が、至近距離まで迫ってくる。

涙で濡れた瞳が、キラキラと輝いている。

嫌悪感ではない。これは……崇拝?


「あ、あの、それは闇魔法で召喚したもので……」


「闇! 素晴らしいです! 光って眩しくてうるさくて嫌いだったんですけど、闇ってこんなに静かで落ち着くんですね!」


アリス嬢はマリモに頬擦りをした。

マリモも満更ではない様子で『キュウ』と鳴き、彼女の頬を甘噛みしている。

周囲の取り巻きたちは、ポカンと口を開けてその光景を見守っていた。


「アリス様……?」


「お姉様、お願いです!」


アリス嬢が私の手を両手で包み込み、懇願するように見上げてきた。


「私、お友達がいなくて……いえ、周りの人はみんな『何か』を求めてくる人ばかりで……。でも、貴女からは、何も嫌な音がしません。貴女と、この子たちと一緒にいさせてください!」


「え、ええと……」


私は困惑した。

断罪されるはずのヒロインに、友達になってくれと頼まれている。

しかも理由は「私の召喚獣が静かだから(=中身がないから)」。

喜んでいいのか分からないが、彼女の切迫した表情を見ていると、無下に振り払うことはできなかった。


「……時々でよければ、お貸ししますけど」


「本当ですか! ありがとうございます、お姉様!」


アリス嬢は花が咲いたような笑顔を見せた。

その笑顔があまりに可愛らしくて、私は思わず「うっ」と胸を押さえた。

これは、モテる。殿下が落ちるのも納得だ。


……あれ?

でも、彼女が私と仲良くなったら、断罪イベントはどうなるの?

むしろ「悪役令嬢とヒロインが結託」という、もっと恐ろしいバグが発生していないだろうか。


マリモを抱いて幸せそうに笑うアリス嬢と、遠巻きにヒソヒソと話す周囲の人々。

私はその中心で、またしても自分の計画が斜め上の方向へ爆走し始めたことを悟り、天を仰いだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ