第5話 地獄の尋問という名のお茶会
「……報告は以上だ」
近衛騎士団長のガルドが、悔しそうに……いや、どこか恍惚とした表情で報告を終えた。
廊下での「ヒヨコ大量発生事件」。
騎士団が身動き取れず、制圧どころか武装解除に近い状態に追い込まれたという。
「柔らかかったか」
俺は書類に視線を落としたまま聞いた。
「はっ。……信じ難い弾力と温かさでした。踏み潰すことなど、人の心があれば不可能です」
ガルドの胸ポケットが、もぞりと動いた。
こいつ、一匹持ち帰ってやがる。
ペンを握る手に力が入り、ペン先が折れた。
俺は昨日、あんなに渇望したのに。
なぜ俺のところにはヒヨコが湧かない?
なぜ俺は、この無機質な執務室で、決裁書類の山と格闘しなければならないんだ。
「……下がれ。リリアナ嬢を通せ」
嫉妬でどうにかなりそうだった。
俺に必要なのは癒やしだ。
彼女が来たなら、手段は選ばない。権力を行使してでも、あの空間を再現させる。
***
重厚な扉が開く。
私は処刑台への階段を登る囚人の気分で、執務室へと足を踏み入れた。
「し、失礼いたします……」
部屋の中は、紙とインクの匂いが充満していた。
壁一面の本棚。積み上げられた書類の塔。
その奥にある巨大な執務机に、この国の次期支配者、アレクシス殿下が座っていた。
眉間に深い皺を刻み、折れたペンを無造作に捨てているところだった。
機嫌が悪い。最悪だ。
やはり、さっきのヒヨコテロの報告がいっているのだ。
「座れ」
殿下が顎で対面のソファを示した。
拒否権はない。
私はドレスの裾を握りしめ、浅く腰掛けた。
「昨日の今日で、また騒ぎを起こしたそうだな」
低い声。
心臓が縮み上がる。
「も、申し訳ございません! あれは不可抗力で……決して悪意があったわけでは……!」
「……ヒヨコだった、と聞いている」
「はい……黒い、ヒヨコです。あの、すぐに消しましたので! 騎士団の方々にも怪我はありません!」
殿下はふんと鼻を鳴らし、手元のベルを鳴らした。
すぐに侍女が入ってきて、テーブルの上に次々と皿を並べ始めた。
三段重ねのアフタヌーンティースタンド。
宝石のように輝くフルーツタルト、濃厚なチョコレートケーキ、湯気を立てる最高級の紅茶。
「……え?」
私は目を瞬かせた。
尋問ではないのか?
これは、いわゆる「最後の晩餐」というやつだろうか。食べて油断したところを、毒殺、あるいは情報を吐かされる?
「食べろ」
殿下は書類に目を戻しながら命じた。
「は、はい……いただきます」
逆らえない。
私は震える手でフォークを取り、チョコレートケーキを口に運んだ。
甘い。
とろけるような甘さと、カカオの苦味。
本来なら頬が緩む味なのに、今は砂を噛んでいるようだ。
「……それで?」
殿下が顔を上げないまま言った。
「昨日の、猫だ。あれを出せ」
「猫、ですか?」
「黒い、目が大きいやつだ。……ここに」
殿下は自分の膝を指差した。
私は耳を疑った。
証拠品の提出を求められているのだろうか。
危険な魔獣かどうか、直接触れて確認するつもりなのかもしれない。
「か、噛むかもしれませんよ?(甘噛みだけど)」
「構わん。早くしろ」
急かされ、私は慌てて魔力を練った。
イメージするのは、気まぐれで、自由な、黒猫。
ポフッ、という軽い音と共に、テーブルの上に一匹の黒猫が現れた。
「にゃあ」
黒猫は優雅に伸びをすると、当然のように殿下の膝へと飛び移った。
ひっ、と息を呑む。
不敬だ。未来の皇帝の膝に乗るなんて。
しかし、殿下は怒らなかった。
左手で書類を持ったまま、右手がおもむろに猫の背中に伸びる。
そして、無造作に――いや、計算され尽くした手つきで、首の後ろを撫で始めた。
「ごろろろろ……」
猫が喉を鳴らす。
殿下の指が、黒い毛並みに沈んでいく。
長い指がリズミカルに動き、猫の顎の下、耳の裏を攻略していく。
その光景があまりにシュールで、私はケーキを持ったまま固まってしまった。
「……殿下?」
「なんだ。食べていないじゃないか」
殿下が顔を上げた。
その顔を見て、私は再び息を呑んだ。
さっきまで眉間にあった深い皺が、消えている。
氷のように冷徹だった瞳が、心なしか潤み、穏やかな光を宿している。
目の下の隈も薄くなっているような……?
「あの、その猫……邪魔ではありませんか?」
「邪魔? なぜだ」
殿下は心底不思議そうに言った。
そして、驚くべきものを見た。
殿下の書類をめくるスピードが、倍速になっていたのだ。
シャッ、シャッ、さらさら、パタン。
シャッ、シャッ、さらさら、パタン。
右手で猫をもふりながら、左手と目だけで高速処理を行っている。
まるで、猫からエネルギーを吸い取って駆動する魔導具のようだ。
「こいつがいると、思考のノイズが消える。……魔力効率が上がるな」
殿下は独り言のように呟き、猫の尻尾を指に巻き付けた。
「(そんな効果あったの!?)」
私は自分の召喚獣の知られざる効能に驚愕した。
ただ可愛いだけだと思っていたが、まさか「激務の皇太子の精神安定剤」として機能するなんて。
「リリアナ」
不意に名前を呼ばれ、背筋が伸びる。
「毎日来いと言った意味が分かったか」
「は、はい! (魔獣の生態調査と、私の監視のためですね!)」
「分かったならいい。……明日は、あの犬を連れてこい。三つ首のやつだ」
「は……はい」
殿下は満足げに頷き、ようやく私の方を見た。
その表情は、昨日見た恐怖の対象ではなく、どこか疲れ切った迷子の子供が、ようやく安心できる場所を見つけたような――そんな弱さと優しさを孕んでいた。
「そのケーキは、我が国の最高パティシエのものだ。残さず食え。……君が痩せていると、抱き心地が(間違えた)……見ていて不安になるからな」
最後の一言はよく聞こえなかったけれど、私はようやくケーキの味を感じることができた。
甘い。
毒も、棘もない、ただ純粋に優しい甘さだった。
窓から差し込む日差しが、猫の毛並みをキラキラと照らしている。
カサカサというペンの音と、猫のゴロゴロいう音だけが響く部屋。
私はふと、肩の力が抜けるのを感じた。
ここは処刑場ではないのかもしれない。
少なくとも、猫を撫でている時の殿下は、私を殺そうとする人には見えなかった。




