第4話 処刑宣告だと思いました
意識を取り戻したとき、私は自室のベッドにいた。
昨日の記憶は、殿下の冷たい視線と「破壊的だ」という謎の言葉で途切れている。
「夢……だったのかしら」
淡い期待は、枕元に置かれた王家の紋章入り封筒によって粉砕された。
中に入っていたのは、流麗な筆跡で書かれた短い命令書。
『本日より毎日、正午に王城へ出仕されたし。逃亡は許さない』
文面から漂う、絶対的な権力と圧力。
「逃亡は許さない」。その一文が、私の首に冷たい鎖を巻きつけるようだった。
「……これは、事実上の軟禁ね」
私は震える手で手紙を胸に抱いた。
昨日のアレを見た殿下は、私を危険因子と判断したのだ。
毎日城に通わせて監視し、少しでもボロを出せばその場で断罪。あるいは、私の闇魔法の秘密を暴くための過酷な尋問が待っているのかもしれない。
「行かなくちゃ……」
逃げれば一族連帯責任だ。
私は死出の旅に出る覚悟で、もっとも地味な(=喪服に見えなくもない)濃紺のドレスを着込み、馬車に揺られた。
王城の威容は、昨日よりも高く、冷たく見えた。
正門をくぐり、長い長い廊下を歩く。
コツ、コツ、という自分の足音が、心臓の鼓動と重なって聞こえる。
怖い。
胃が痛い。
帰りたい。
ウーちゃん(ウサギ)とベルちゃん(ケルベロス)を置いてきたのが悔やまれる。あの子たちをもふもふできれば、この恐怖も少しは和らぐのに。
「(落ち着け、リリアナ。お前は悪役令嬢。堂々としていればいいのよ)」
自分に言い聞かせるが、体は正直だ。
緊張のあまり、体内の魔力回路が勝手に熱を帯びていくのが分かる。
指先から、プシュ、と黒い煙のようなものが漏れた。
まずい。
抑え込まなくては。
ここで魔法を暴走させたら、それこそ即処刑だ。
私は必死に両手を握りしめ、早足になった。
廊下の先には、殿下の執務室がある。
あと少し。あと少し耐えれば――。
『ピヨ』
足元で、何かが鳴いた。
幻聴だと思った。
『ピヨピヨ』
『ピッ、ピヨッ』
音が連鎖する。
一つ、二つではない。
足元から、湧き上がるような合唱。
私は恐る恐る視線を下げた。
「…………ひっ」
私のドレスの裾から、黒い絨毯が広がっていた。
いや、絨毯ではない。
動いている。
「ヒヨコ……?」
真っ黒な、生まれたての手のひらサイズのヒヨコたち。
それが一歩歩くごとに、ポコポコと影から湧き出している。
十匹、二十匹……いや、百匹はいる。
私の緊張がピークに達したせいで、魔力が「群れ」となって決壊したのだ。
「うそ、やだ、止まって!」
私が慌てて足を止めると、ヒヨコたちもピタッと止まった。
そして一斉に私を見上げ、つぶらな瞳で『ピヨ?』と首を傾げる。
黒い波が、廊下を埋め尽くしていた。
「貴様、そこで何をしている!」
前方から、雷のような怒号が飛んできた。
心臓が口から飛び出るかと思った。
現れたのは、全身鎧に身を包んだ巨漢。
近衛騎士団長のガルド様だ。
顔に大きな古傷があり、「泣く子も黙る鬼隊長」として有名な人物である。
彼の後ろには、武装した騎士たちが控えていた。
終わった。
王城の廊下を占拠し、通行を妨害した罪。
反逆罪と言われても反論できない。
「も、申し訳ございません! これは、その、私の制御不足で……!」
私は青ざめて頭を下げた。
殺される。斬り捨てられる。
覚悟を決めて、痛みが来るのを待った。
しかし。
剣の抜ける音は聞こえなかった。
「……なんだ、これは」
ガルド団長の困惑した声。
恐る恐る顔を上げると、屈強な騎士団長が、仁王立ちのまま硬直していた。
彼の一歩手前まで、黒いヒヨコの軍団が迫っていたのだ。
一匹の勇敢なヒヨコが、団長のピカピカに磨かれた鉄のブーツに、小さな嘴でツンツンと攻撃(?)を仕掛けている。
「う、動くな! 総員、待機だ!」
ガルド団長が悲鳴のような指示を出した。
「団長、どうしました! 敵襲ですか!」
「馬鹿野郎、足元を見ろ! 一歩でも動けば……踏むぞ!」
騎士たちがざわめいた。
そう、彼らは動けなかったのだ。
廊下には隙間なくヒヨコがひしめいている。
足を上げれば、下ろす場所がない。
無理に進めば、この小さくて儚い命を、鉄のブーツでプチリと潰してしまうことになる。
「ピヨピヨピヨピヨ(訳:遊んでー)」
ヒヨコたちは殺気などどこ吹く風で、騎士たちのマントに潜り込んだり、槍の柄をよじ登ったりし始めた。
「だ、団長! 私の股下に……入ってきます!」
「耐えろ! 刺激するな!」
「くっ、温かい……!」
地獄絵図、ならぬ、養鶏場絵図だった。
国一番の精鋭たちが、黒い綿毛の群れに包囲され、脂汗を流して立ち尽くしている。
私は血の気が引く音がした。
これは、ただの公務執行妨害ではない。騎士団の機能を麻痺させてしまった。
これは立派なテロ行為だ。
「リリアナ嬢……」
ガルド団長が、鬼の形相で(冷や汗を流しながら)私を睨んだ。
「この……黒い物体を、なんとかしてくれんか。我々は、一歩も動けん」
「は、はいぃぃぃ!」
怒っている。絶対に怒っている。
声が震えているのは、激怒しているからに違いない。
「踏み潰して進むぞ」と言わないだけ、温情があると思わなくては。
私は慌てて魔法の解除を試みた。
「戻れ、戻って、お願いだから!」
必死に念じると、ヒヨコたちは『チェッ』というような顔をして(見えた気がする)、シュワシュワと黒い霧になって消えていった。
廊下に静寂が戻る。
残されたのは、疲れ果てた騎士たちと、罪人(私)。
「……執務室へ行くのだろう」
ガルド団長が、深いため息をついて道を開けた。
そのブーツの上には、消え損ねた一匹のヒヨコが、ちょこんと乗ったまま残されていた。
「あ、あの、それ……」
「……連れて行く」
団長は短くそう言うと、ヒヨコをそっと掌で掬い上げ、自分の胸当ての隙間に大事そうにしまい込んだ。
「え?」
「陛下への報告がある。……通れ」
ガルド様は顔を背けた。
その耳が少し赤くなっているように見えたのは、きっと怒りで血圧が上がっているせいだ。
私は逃げるように頭を下げ、その場を去った。
背後から、「おい、今の感触……」「柔らかすぎだろ……」という騎士たちのヒソヒソ声が聞こえたが、きっと私の処刑方法を相談しているに違いない。
執務室の扉が見えてくる。
そこには、この騒ぎを聞きつけたであろう「魔王」が待っているはずだ。
私は胃を押さえながら、重い足取りを進めた。




