第3話 冷徹皇太子の視察
運命の日は、快晴だった。
私の心模様とは裏腹に、窓の外では小鳥がさえずっている。
「……終わった」
私は部屋の中央で立ち尽くしていた。
足元には黒ウサギのウーちゃん。
膝の上には三つ首のポメラニアン、ケルベロス(通称ベルちゃん)。
さらに、昨日の夜にストレスで無意識に召喚してしまった「空飛ぶ毛玉(コウモリの一種らしい)」が、私の頭の上にとまっている。
もはや、部屋のどこを見ても「黒いもふもふ」しかいない。
公爵令嬢の部屋としては、終わっている。
不敬罪、あるいは精神異常と判断されても文句は言えない惨状だ。
「リリアナ様、アレクシス殿下が到着されました」
廊下から響く執事の声が、死刑執行の合図のように聞こえた。
私はごくりと唾を飲み込む。
大丈夫。これが狙いなのだ。
冷徹で潔癖と噂される殿下が、この「魔物の巣窟」を見たらどう思うか。
間違いなく顔をしかめ、私を罵倒し、婚約破棄を突きつけるはずだ。
そうすれば、私は処刑されずに済む。田舎の修道院で、この子たちとひっそり暮らす未来が待っている。
「……お通しして」
声が裏返った。
重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。
現れたのは、氷の彫像のように美しい青年だった。
プラチナブロンドの髪。
感情の一切を排除した、凍てつくようなアイスブルーの瞳。
アレクシス・フォン・ドラグーン皇太子殿下。
彼は部屋に入った瞬間、ぴたりと足を止めた。
「…………」
無言。
圧倒的な、無言。
室内の温度が五度は下がった気がした。
私は震える膝をドレスの中に隠し、必死に虚勢を張った。
「よ、ようこそお越しくださいました、殿下。ご覧の通り、私はこのような……恐ろしい闇の眷属を使役する、呪われた女で――」
「動くな」
低く、地を這うような声が私の言葉を遮った。
ひっ、と喉が鳴る。
殿下の鋭い視線が、私の足元から膝、そして頭上へと、ゆっくりと移動していく。
まるで獲物を品定めするような、鋭利な眼光。
怒っている。
絶対に怒っている。
あまりの汚らわしさに、言葉も出ないのだ。
「(ごめんなさい、ごめんなさい、命だけはお助けを……!)」
心の中で土下座を繰り返す。
その時だった。
私の膝に乗っていたベルちゃん(真ん中の頭)が、空気を読まずに「きゃん!」と鳴いた。
あろうことか、殿下に向かって尻尾を振り始めたのだ。
やめて!
その人は餌をくれる優しいお兄さんじゃないの!
国の最高権力者で、私を断罪する処刑人なのよ!
殿下が、一歩踏み出した。
軍靴の音が、コツンと響く。
彼は私の目の前まで来ると、長い指をゆっくりと伸ばしてきた。
狙いは、私の頭の上。
(殺される……!)
私はギュッと目を瞑り、首をすくめた。
首をへし折られる。あるいは、頭に乗っているコウモリごと握りつぶされる。
しかし。
予想していた痛みは来なかった。
代わりに、頭の上に微かな重みが乗った。
恐る恐る目を開ける。
殿下の大きな手が、私の頭の上のコウモリを……いえ、私の頭ごと、ぎこちなくポンと触れていた。
「……破壊的だ」
殿下が、うわ言のように呟いた。
「は、はい?」
破壊的。
やはり、この国を害する破壊的な存在だと認定されたのか。
私は青ざめて、必死に弁解しようと口を開いた。
「も、申し訳ございません! すぐに処分を……いえ、私が責任を持って田舎に連れて行きますので、どうかご慈悲を!」
「……なぜだ?」
「え?」
「なぜ、田舎へ行く必要がある」
殿下の眉間に、深い皺が刻まれる。
不機嫌そうだ。今にも雷が落ちそうだ。
私の胃袋は限界を迎えていた。
「だ、だって、こんな……気味が悪いでしょう? 黒いし、毛だらけだし……」
「……」
殿下は再び黙り込んだ。
そして、しゃがみ込んだ。
私の足元にいるウーちゃんと視線を合わせる高さで。
ウーちゃんが、殿下のブーツのつま先をふんふんと嗅いでいる。
殿下の手が震えているのが見えた。
怒りで震えているのだ。
汚らわしい獣が、王族の靴に触れているのだから。
「(もうだめ、不敬罪で一族郎党終わりだわ)」
私は意識が遠のくのを感じた。
暗転する視界の端で、殿下が何かを言いかけた気がしたが、聞き取る前に私の膝から力が抜けた。
***
(以下、アレクシス視点)
俺は、自分の自制心が限界を迎える音を聞いた。
なんだ、ここは。
天国か?
扉を開けた瞬間、視界を埋め尽くしたのは「黒いもふもふ」の大群だった。
足元には、ありえないほど丸いウサギ。
リリアナの膝には、つぶらな瞳が六つもある、奇跡のような生き物。
そして彼女の頭上には、まんまるい毛玉が乗っている。
そして、その中心にいるリリアナ嬢。
怯えたように瞳を潤ませ、小動物のように震える姿は、周りの幻獣たちと完全に同化していた。
「破壊的だ……」
可愛さが、破壊的すぎる。
公務と派閥争いで荒みきった俺の心に、暴力的なまでの「癒やし」が流れ込んでくる。
彼女は何か言っていた。
呪われた女? 恐ろしい眷属?
何を言っているんだ。ここは楽園だろう。
触れたい。
今すぐにそのウサギに顔を埋めたいし、三つ首の犬の肉球を確かめたい。
だが、俺は皇太子だ。
初対面の令嬢の部屋で、いきなり床に這いつくばって「わんわん」と言うわけにはいかない。
必死に表情筋を固定し、衝動を抑え込む。
手が震える。撫でたい欲求を抑えるのに、これほどの精神力を使うとは。
「……なぜだ?」
田舎に行くなどと言い出した彼女に、俺は思わず問い返した。
この楽園を、王宮から遠ざけるだと?
それは国家的な損失だ。
この空間こそが、今の俺に必要な唯一の聖域だというのに。
彼女がふらりと傾いだ。
貧血か。無理もない。これだけの数の魔物を召喚して、魔力を使っているのだ。
俺は咄嗟に彼女の体を支えた。
折れそうなほど細い肩。
間近で見ると、彼女からは日向のような甘い匂いがした。
腕の中で気を失った彼女を見下ろし、俺は決意した。
逃がさない。
この極上の癒やし空間も、その創造主である彼女も。
俺の権限のすべてを使って、城(俺の側)に確保する。
「……素晴らしい」
俺は誰にも聞こえない声で、そう溢した。
足元では、ウサギが俺のブーツを枕にして、二度寝を始めていた。




