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第10話 最強の盾は「もふもふ」

俺は、自分の腕の中にいる華奢な令嬢を見下ろした。

リリアナ・ベルローズ。

俺の唯一の安息地であり、そして今、俺をもっとも苛立たせている存在。


「……離してください、殿下。自分で歩けます」


「黙っていろ」


俺は彼女の抗議を無視し、執務室のソファへと乱暴に下ろした。

いや、乱暴にするつもりはなかったが、手が震えていたせいでそうなってしまったかもしれない。


彼女はきょとんとして、大きな目をぱちくりさせている。

まるで、自分が何をしたのか分かっていない子供のようだ。


「リリアナ」


俺は彼女の前に膝をつき、その両肩を掴んだ。

目線を合わせる。逃がさないように。


「なぜ、前に出た」


声が低くなるのを止められなかった。

怒りではない。恐怖だ。

あの瞬間、巨大な牙が彼女の白い喉元に迫った光景が、フラッシュバックして消えない。


「……だって、アリス様が危なかったのです」


彼女は悪びれもせず言った。


「アリス様は『聖女』です。国の宝です。もし彼女に傷がついたら、この国の未来はどうなるのですか」


正論だ。

政治的観点から見れば、公爵令嬢一人と聖女一人なら、聖女の価値の方が高いと判断されることもあるだろう。

だが、今の俺にはそんな理屈はどうでもよかった。


「では、君は?」


「え?」


「君が死んだら、誰が俺の……いや、誰がこの子たちの世話をするんだ」


俺はソファの周りに集まっていた黒い毛玉たちを指差した。

庭園から着いてきたウサギ、犬、フェレット、そしてヒヨコたち。

主人の危機を救った英雄たちは、今は心配そうにリリアナの膝に鼻先を押し付けている。


「それは……殿下が、引き取ってくだされば」


「ふざけるな」


俺は思わず声を荒らげた。

リリアナがびくりと肩を震わせる。


「君がいなければ、この子たちはただの『闇の魔力塊』に戻るか、あるいは消滅するんだぞ。……それに」


俺は言葉に詰まった。

『俺が生きていけない』と言いかけて、飲み込む。

皇太子として、特定の個人に依存していると認めるのはリスクだ。

だが、事実だった。

彼女の淹れる茶、彼女の連れてくる動物、そして彼女自身の、陽だまりのような笑顔。

それが欠けた世界など、もう考えられない。


「……申し訳ありません」


リリアナがしゅんと項垂れた。


「私、とっさに体が動いてしまって。……悪役令嬢として、せめて誰かの役に立って散れれば本望だと」


「悪役?」


またその言葉か。

彼女は時折、自分を物語の悪役だと思い込んでいるような節がある。

こんな、虫も殺せないような顔をして、魔獣にすら好かれる「愛され体質」のどこが悪役だというのか。


「……はぁ」


俺は深いため息をつき、彼女の頭に手を置いた。

くしゃ、と銀髪を撫でる。

柔らかい。温かい。生きている。


「君は役に立っている。立ちすぎているくらいだ。……だから、二度と自分を安売りするな。これは命令だ」


リリアナは不思議そうに俺を見上げ、それから小さく頷いた。

頬がほんのりと朱に染まっているのを見て、俺の胸の奥が少しだけ軽くなった。


コンコン。

扉がノックされる。


「殿下、宮廷魔導師長です。捕獲した魔獣の件で」


現れたのは、白髭を蓄えた老魔導師だった。

彼は厳しい顔つきで、俺とリリアナ、そして足元の黒い動物たちを一瞥した。


「庭園に侵入したワイルドボアですが……規定通り、即時殺処分と致します。よろしいですかな?」


「あっ!」


リリアナが弾かれたように顔を上げた。


「待ってください! 殺さないでください!」


「リリアナ嬢。あれは危険な魔獣です。一度人を襲おうとした個体を生かしておくなど、前例がありません」


魔導師長が冷淡に告げる。

それがこの国の常識だ。魔獣は害悪。見つけ次第、排除するしかない。


「でも……あの子、もう襲いません! 見てください、あんなに大人しいのに!」


リリアナが窓の外を指差した。

中庭では、鎖に繋がれた巨大なイノシシが、リリアナの召喚したケルベロス(ポメラニアンサイズ)にお腹を枕にされ、幸せそうに高いびきをかいていた。


「……ふむ」


魔導師長も、その異様な光景に絶句している。


「あの魔獣からは、もう『害意』を感じません。私の魔法が、あの子の中のトゲトゲしたものを全部食べてしまったみたいなんです」


リリアナが必死に訴える。

俺は彼女の言葉を反芻した。

食べてしまった。

つまり、浄化か。


「魔導師長。あの魔獣の魔力波形を測定したか?」


俺は聞いた。


「は、はい。先ほど簡易測定を行いましたが……信じられないことに、汚染反応が消失しておりました。まるで、生まれたての仔獣のように純粋な魔力でして……」


「ならば、処分の必要はないな」


俺は即断した。


「で、ですが殿下! 万が一ということも!」


「その『万が一』が起きたら、俺が責任を取る。……リリアナ」


俺は彼女に向き直った。


「あの魔獣、君が飼え」


「へ?」


リリアナが間の抜けた声を上げた。


「君の領地……いや、実家は遠いな。王城の離宮を使えばいい。あそこなら広い庭がある。君の『もふもふ同盟』の活動拠点にするといい」


「ええっ!? 離宮を、イノシシ小屋にするんですか!?」


「イノシシだけじゃないだろう。どうせこれからも増える」


俺は確信していた。

彼女の能力は、単なる召喚術ではない。

魔獣という「人類の脅威」を、無害な「隣人」に変えてしまう、世界を覆す力だ。

それを殺処分などという旧来のルールで縛るのは、国家的な損失だ。


何より。

そうやって城に住まわせてしまえば、彼女を合法的に俺のそばに置いておける。


「……分かりましたか、魔導師長」


俺は視線だけで老魔導師を威圧した。

彼はため息をつき、深々と頭を下げた。


「……御意。ただし、監視はつけさせていただきますぞ」


「ああ。俺が直々に監視する」


「……は?」


魔導師長とリリアナの声が重なった。


「な、何か問題があるか? 最高責任者が監視するのが一番確実だろう」


俺は早口で言い捨て、リリアナの手を取った。

その手はまだ少し冷たかったが、俺が握ることで体温が戻っていくのを感じた。


「……ありがとうございます、殿下」


リリアナが、今日一番の笑顔を見せた。

魔獣が助かったことが嬉しいらしい。

自分の命が助かったことよりも、そちらを喜ぶのが彼女らしい。


「(……本当に、勝てないな)」


俺は内心で苦笑し、その手を強く握り返した。

この最強のリリアナを守るためなら、俺はどんな権力でも行使してやる。

そう心に誓いながら。

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