表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/12

第1話 悪役令嬢は闇を呼ぶ

高熱に浮かされた三日間の闇から抜け出したとき、私の頭に残っていたのは、ここが「乙女ゲームの中」であるという残酷な事実だけだった。


豪奢な天蓋付きのベッド。

窓から差し込む朝日は、処刑台の輝きのように白々しい。


私は震える手で、枕元の冷たい水をあおった。

コップを持つ指先が、カチカチとふちを叩く。


公爵令嬢、リリアナ・ベルローズ。

それが私の名前。

そして、一年後の卒業パーティーで皇太子殿下に婚約破棄され、国外追放のち非業の死を遂げる「悪役令嬢」の名前だ。


「……死にたく、ない」


声に出すと、喉の奥が引きつった。

シナリオ通りなら、私は嫉妬に狂ってヒロインをいじめ抜き、最後は禁忌の「闇魔法」に手を染めて自滅する。


なら、先手を打てばいい。

ヒロインが現れる前に、皇太子殿下に嫌われて婚約破棄されれば、処刑まではされないはずだ。

そのためには――


私はベッドから這い出し、等身大の鏡の前に立った。

フラフラする足に力を込め、顎を上げる。


「私は、稀代の悪女よ」


鏡の中の少女は、色素の薄い銀髪を乱し、青白い顔で睨み返してきた。

必死に口角を釣り上げる。

頬の筋肉がピクピクと痙攣した。


違う。これじゃない。

もっと冷酷に。もっと傲慢に。

誰が見ても「関わりたくない」と思わせるような、禍々しいオーラが必要なのだ。


そうだ、闇魔法だ。

ゲームの設定資料集には、リリアナは生まれつき闇の魔力を持っていたと書かれていた。

この国で闇魔法は忌避される。

もし私が、とてつもなく恐ろしい魔物を召喚して使役していれば、殿下だって気味悪がって逃げ出すに違いない。


「……やってやる」


私は部屋のカーテンを閉め切った。

薄暗くなった部屋の空気が、重く沈殿する。


心臓が早鐘を打っていた。

魔力を練るのは初めての経験だ。

けれど、体の中にある「黒い澱」のような感覚には覚えがあった。血管の中を、冷たい何かが這いずり回る感覚。


イメージしろ。

地獄の底から這い出る、血に飢えた魔獣を。

鋭い牙。赤い目。見る者すべてを戦慄させる、絶望の具現化を。


「深淵より来れ、汝は災厄、汝は恐怖……」


中二病じみた詠唱が、静寂な部屋に響く。

恥ずかしさで顔から火が出そうだが、それどころではない。

命がかかっているのだ。


指先に全神経を集中させる。

体中の血液が指先から噴き出すような、強烈な脱力感が襲った。


バチッ、と黒い火花が散る。

床の絨毯が焦げ、空間が歪んだ。

成功だ。

黒い霧が渦を巻き、私の目の前で凝縮していく。


「出でよ! 我が眷属!」


私は叫び、最後の魔力を振り絞った。

霧が晴れる。

そこには、私の想像した通りの「漆黒の闇」が鎮座していた。


「……きゅ?」


思わず、呼吸が止まった。


床にちょこんと座っていたのは、私の拳ふたつ分ほどの黒い塊だった。

長く垂れた耳。

つぶらな瞳。

鼻先がヒクヒクと動き、辺りの匂いを嗅いでいる。


「……う、さぎ?」


しかも、ただのウサギではない。

光を一切反射しない、吸い込まれるような漆黒の毛並み。

禍々しい魔力のかけらも感じさせない、圧倒的な「丸み」。


その黒い塊は、私の足元までトテトテと歩み寄ると、素足の親指に頬をすり寄せた。

ふわ、とした温かい感触が、足先から脳天まで駆け上がる。


「ひっ」


私は後ずさった。

違う。こんなはずじゃない。

私が呼びたかったのは、ケルベロスとか、ドラゴンとか、そういう凶悪なものだ。

こんな、守ってあげたくなるような可愛い生き物ではない。


「なんで……私は悪役なのに」


そのとき、扉の外で足音が止まった。


「お嬢様? 何か叫び声が聞こえましたが……」


専属メイドのアンナだ。

まずい。見られたら終わりだ。いや、逆か?

これを見せて「どうだ怖いだろう!」と脅すべきなのか?


迷っている間に、扉が開いた。


「失礼します!」


アンナが飛び込んでくる。

私は反射的に、足元の「黒ウサギ」を背中に隠そうとした。

しかし間に合わない。

ウサギは私の足の間から顔を出し、アンナの方へ向かって二本足で立ち上がった。


アンナの視線が、私の足元に釘付けになる。

沈黙。

張り詰めた空気が、私の肌を刺す。


恐怖してくれるだろうか。

悲鳴を上げて逃げ出してくれれば、私の「悪役計画」は第一歩を踏み出せる。


「……お嬢様」


アンナの声は震えていた。

私はごくりと喉を鳴らす。


「そちらの……真っ黒な、埃の塊のようなものは、何でしょうか?」


「えっ」


埃。

確かに黒いが、埃はないだろう。


「あ、あら、よく見たら耳がありますね。……まあ」


アンナは困惑したように眉を下げ、それからふっと肩の力を抜いた。


「また、変わったぬいぐるみを出して。熱でおかしくなられたのかと思いましたよ」


「ぬ、ぬいぐるみじゃないわ! これは魔獣よ! 闇の眷属なのよ!」


私は必死に主張した。

証明するために、ウサギを持ち上げる。

ずしりと重い。確かな生命の重みがある。

ほら、このつぶらな瞳を見なさい。この世のものとは思えないほど……可愛いだろう?


「はいはい。お片付けしておきますから、もう休んでください」


アンナは全く取り合ってくれなかった。

むしろ、哀れむような目で私を見て、テキパキとベッドを整え始めた。


私は立ち尽くした。

手の中の黒ウサギが、私の指をぺろりと舐める。

ざらりとした舌の感触。

それは間違いなく本物の生き物だったが、凶暴性のかけらも感じられない。


「……失敗、だわ」


アンナが出て行ったあと、私はその場にへたり込んだ。

魔力を使い果たした倦怠感が、鉛のように体にのしかかる。


こんなことで、本当に断罪を回避できるのだろうか。

人を怖がらせる才能すらないなんて。


視界が滲む。

涙をこぼすまいと下を向くと、膝の上に温かい重みが乗ってきた。

黒ウサギが、よじ登ってきたのだ。


「きゅう」


慰めるように、小さな頭を私の腹部に押し付けてくる。

私は諦めて、その背中を撫でた。


指が埋まるほど柔らかい。

恐ろしいはずの闇魔法は、日向干しした毛布のような匂いがした。


「……今日だけよ」


私は誰に言うでもなく呟き、その温かい塊を抱きしめた。

孤独な悪役令嬢の部屋に、ひとつだけ増えた小さな命。

その心拍数だけが、私の震えを止めてくれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ