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5話 VS一ノ瀬楓


三日後の朝、私は学園の敷地の外縁、裏手に広がる森へと足を踏み入れていた。


王都アルテミシアの中心にそびえるこのアルトメギア学園の巨大な魔術師育成機関には、近接訓練用の森林区画が併設されている。


普段は課外演習に使われるが、早朝であれば出入りは比較的自由だ。生徒たちが自主的に修練に励む姿もある。

だからこそ、彼女がここを使っているという情報にも信憑性があった。


冷気を孕んだ朝の空気が肺の奥を満たしていく。木々の隙間から差し込む柔らかな陽光が、霧のように白く漂う湿気に反射して、森全体をぼんやりと幻想的に染め上げていた。


枝葉が風に揺れる音、鳥の羽ばたき、遠くで獣が跳ねる気配。そんな自然の音に包まれていると、学園の喧騒がずいぶんと遠くに感じられる。


「えーと、確かアスキーの報告によれば――この辺り、ですわね」


呟いた声が、森の静寂に溶ける。冷たい空気に少しだけ肩を竦めた。


学園を三日間探し回っても、一ノ瀬楓という生徒について得られた情報は乏しかった。異国からの交換留学生で、最近編入したばかり。実力は未知数。言葉数も少なく、親しい友人もほとんどいないという。


そこで私は、メイドのアスキーに情報収集を命じた。


『調べたところ、イチノセ様は東洋の“日本”という国からの交換留学生でして、端正な顔立ちは生徒間でも目を引いておられます。戦いを好む性格らしく、学園のダンジョンを一人で攻略などしているそうです。好物は“みたらし団子”というお菓子、現在は学園の寮に滞在中で、毎朝、学園裏の森で剣の稽古をされているそうです』


思い返すとどうでもいい情報まで混ざっていることに気づいて、そっとため息をついた。


それでも肝心の「森で稽古をしている」という一点だけは、私にとって最重要だった。話を聞いた限り好戦的な性格ならばやることは一つだ。

(直接このわたしが実力を確かめてあげますわ)


耳を澄ませると、どこか遠くから、空気を裂くような音が微かに聞こえた。私は木々の間を慎重に進み、その音の方角を目指した。やがて、森がわずかに開けた場所に出た。そこに、彼女はいた。


蒼く煌めく刃が、朝日に照らされて光を放っている。刃はゆっくりと弧を描き、続けざまに斬撃が放たれた。空を切る音が、低く鋭く耳を打つ。あまりにも静謐で、息を呑むほど美しかった。


思わず立ち止まり、見とれてしまう。

小柄で華奢な体つき、肩まで伸びた黒髪が風にそよいでいる。


小さな顔は整っていて、目は鋭く切れ、真横から見ると彫刻のようなラインを描いている。唇は薄く、端正に整っている。その表情には、どこか張りつめた冷たさがあった。


その手に握られているのは、蒼く光る細身の刀――相当な業物に見える、おそらく魔力伝導の施された武装だろう。


(聞いていた以上に……ビジュアルがえぐいですわね)


思わず息を飲む。噂に聞いていた以上の存在感に、私は思考の一瞬を奪われた。


(見惚れている場合じゃありませんわ)


「――あなたが、一ノ瀬楓さんですわね」


声をかけた瞬間、彼女の動きがぴたりと止まる。肩越しにこちらを向いた視線は、氷のように鋭く冷たい。


「……そうだが、お前は?」


その声は低く、しかし耳に心地よい。

私は胸に手を当て礼儀正しく名乗る。


「私の名前はミシェル・スタリウム。この国の四大貴族のひとつ、スタリウム家の嫡子ですわ」


一瞬、一ノ瀬の目がわずかに細められる。


「……スタリウム。あのエイデス・スタリウムの娘か」

「ええ。父の名を知っているとは、光栄ですわね」


緊張と高揚が胸を打つ、私は微笑み、胸を張って言葉を切り出す。 


「それで…一ノ瀬さん。突然ですが――私と、戦ってくださいませんこと?」


楓の表情に、わずかな変化が走る。


「戦う?お前は……強いのか?」


まっすぐな問いだった。私は、即答する。


「もちろん。魔力量で言えば、父よりも上ですわ」


私は胸を張り、自信満々に笑みを浮かべた。

彼女の口元がわずかに動いた。それだけで、挑戦を受けると確信する。


「……いいだろう、ルールはどうする?」


私は自信満々な表情で返答した。


「では、王国式のルールで、一撃加えたら勝ち。このくらいの距離から始めるのはどうかしら?」


私はその場に落ちていた枝を拾い、足元に線を引いた。楓との間隔は七メートル程度。

しかし彼女は、それを見下ろして鼻で笑った。


「甘いな。お前は魔術師だろう? 倍の距離をくれてやる」

「っ……ふーん。ずいぶんと自信がありますのね」


余裕を嘲るような態度に、苛立ちのような感情が、奥底からじわりと湧いてくる。


私は距離を取ると、愛用のサーベルを静かに引き抜いた。普段は魔術を主軸に戦う私だが、接近戦の訓練も欠かしてはいない。


このサーベルは、王都でも名を馳せる魔装鍛冶師に依頼して仕立てた特注品で魔術と剣術、その両方に適応する――まさに、私のための一本だ。

その刀身は魔力伝導率が高く、術式の起動速度も優れている。


息を吸い、吐く。

意識を集中させると体の奥――子宮の奥にある魔力炉が応えるように脈動し始めた。熱が生まれ、魔力が巡り、練り上げられ、魔力が体表を伝って空気を震わせる。魔力により全身が活性化し身体能力が大幅に上がる。意識が研ぎ澄まされ、準備は整った。


「準備はいいかしら、楓さん」


軽く口元に笑みを浮かべながら、挑発するように声をかけると、彼女は一瞬ぴくりと眉を動かした。


「ファーストネームで呼ぶな!」


冷え切った声とともに、目が鋭く細められた。

張り詰めた空気が、その場を包み込む。


「――いきますわよ。スリー……ツー……ワン……スタート!」


「水よ、刃となりて我が敵を……」


私が魔術詠唱に入ろうとした――その瞬間だった。


視界の端で、蒼い閃光が走る。次の瞬間には、一ノ瀬が地を蹴り、私たちを隔てていた距離を一気に詰めていた。


剣を振りかぶったかと思えば、もう目の前に立ちはだかっていた。その速さは、私の予測を遥かに超えていた

早い。速すぎる。魔術の詠唱をする暇など、微塵もない。防御魔術を展開しようにも、指一本動かすことすら間に合わない。


――まずい!


私が咄嗟に身を引こうとしたときにはもう遅く、冷たい刃の切っ先が、私の喉元すれすれで静止していた。その切っ先は、微かに私の皮膚に触れるか触れないかの距離でぴたりと止まり、まるで嘲笑うかのように静かに輝いている。


「こんなもんか」


感情のこもっていない、期待外れだと告げるような声とともに、彼女は刀を引く。ゆっくりと、鞘に収めるその動きが、やけに遠く感じられた。


その様子を見た瞬間、膝がふらついた。

どっと冷や汗が背筋を流れ、心臓が早鐘のように鳴り、指先がかすかに震えていた。


「私はまだ鍛錬がある。もういいだろ」


興味もなさげに、彼女は背を向けて森の奥へと歩き出す。

私はその場に立ち尽くしたまま、ただ拳を握りしめた。


敗北。それも、完全な力の差。詠唱すらさせてもらえなかった現実が、胸の奥をずしりと抉る。

この私が――何もできなかった。

心のどこかにヒビが入る音がした。

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