2話 婚約紋
アリリウム王国の首都アルテミシアに存在する魔術師育成学校
アルトメギア学園は、その壮麗な佇まいから魔術の殿堂とも称される。
白く輝く大理石造りの校舎は、まるで巨大な神殿が地上に降り立ったかのようだ。
尖塔が幾重にも天を突き刺し、日の光を反射してきらめくステンドグラスは、幻想的な光を放っている。
広大な敷地のあちらこちらに、古代の賢者たちが残したとされる魔術的な紋様が刻まれ、
学園全体が厳かな魔力を帯びているのを感じる。
ここでは、魔法や魔術に関するあらゆる事柄が学べ、さらには奥深くまで探求できる環境が整っている。
門をくぐると、広大な敷地の中央には、美しく手入れされた庭園が広がり、その奥に校舎がそびえ立っている。
学園に入学して1ヶ月、見慣れた光景が目の前に広がる。
校舎の外では、既に何人かの生徒たちが魔術の練習に励んでいた。
ある生徒は、掌から紅蓮の火球を生成し、遠くに置かれた標的を次々と焼き落としている。
別の場所では、青の水流を渦巻きにし、空中に幾何学模様の陣を描いていた。
さらに奥では、翠色の風刃を放つ生徒が訓練用の魔術ダミーを切り裂き、砂煙が舞っている。
これが、アルトメギア学園の日常風景だ。
校舎の中に入ると、廊下は朝の喧騒に包まれていた。
私たちは慣れた足取りで一階の教室へと向かう。
自席に着くと、私は隣の席に座るジブリールに声をかけた。
「おはよう、ジブリール」
彼女はブロンドの髪を揺らしながら、淡々と返事をする。
「おはよう、ミシェル」
ジブリールはこの学年で主席を張るほどの優等生だ。
だが実は、貴族ではなく平民出身。
学園外では小さなカフェで働いており、偶然そこを訪れた私と出会って以来、顔を合わせるたびに会話を交わすようになった。
挨拶を交わし、席について間もなく授業開始のチャイムが鳴り響いた。
扉が静かに開き、白衣の裾を揺らしながら、小柄な女性が足を踏み入れた。
ラフミエル先生――私たちの担任であり、魔術理論の権威だ。
翡翠色の髪は艶やかに揺れ、左のこめかみに咲いた紅い薔薇のブローチが目を引く。
尖ったエルフ耳に揺れるチェーンモノクルの奥で、灰銀の瞳がこちらを射抜いてくる。
その手には、紫の魔石を茨が包む、奇妙な意匠の杖が握られていた。
黒いセーターの上から白衣を羽織り、彼女のクールな印象をさらに際立たせる。
「おはよう、本日も、授業を始めていきます。」
教室にカツンと響いた杖の音に、生徒たちの視線が自然と前方へと向かう。
ラフミエル先生は淡く微笑みながら、モノクル越しにクラスを見渡した。
「前回はどこまでやったかな?」
教科書をペラペラめくりながら先生が呟くと、隣の席のジブリールがすっと手を挙げた。
「前回は魔術の種類と発動についてです」
ジブリールの声が響くと、
「そうでしたね、ありがとうジブリール」
先生は応じ、頷いた。
「では、今日は魔術の起源について話します」
ラフミエル先生は黒板に「魔術の起源」と書き込んだ。
「魔術は、かつて異国から来訪した魔法使いが、自らの魔法を基に体系化した実践的な技術です。
魔力さえあれば、一部の例外を除き、誰もが再現することが可能なのが特徴です。
つまり、努力次第で誰もがその力を手にすることができます。」
先生は生徒たちの顔を一人ひとり見渡しながら、優しく語りかける。
「では、質問。『魔法』と《魔術》の違いを説明できる人はいますか?」
一瞬の静寂ののち、隣の席のジブリールがすっと手を挙げた。
ラフミエル先生は満足そうに頷くと、指先で彼女を指名する。
「どうぞ、ジブリール」
「はい、先生」
ジブリールはすっと立ち上がり、澄んだ声で言葉を紡ぎ始めた。
「魔法とは、生まれつき魔力をもった個人に備わる“資質”であり、魂の“形”そのものに直結する力です。
発現する魔法は人それぞれ異なり、第一階梯から第四階梯までに分類されます。
鍛錬により制御や出力を高めることは可能ですが、
他者とまったく同じ魔法を後天的に習得することはできません」
教室の空気が静まり返る中、ジブリールは一拍置いてから言葉を続けた。
彼女の声は、まるで水を流すかのように淀みなく、滑らかに響き渡る。
「よく勉強していますね。ジブリール」
ラフミエル先生はジブリールの説明に満足げに頷くと、さらに補足するように言葉を続けた。
「そうです、魔法や魔術の行使に不可欠なのが“魔力”。
魔力は体内の“魔力炉”と呼ばれる器官に蓄えられており、その性質は術者の魂と密接に結びついています」
ラフミエル先生は生徒たちに問いかけるように目を向けた。
「魔力炉の位置は性別によって異なります。
男性の場合は下腹部の“丹田”に、女性は“子宮“に存在する、非常に重要な器官にです。」
そう説明しながら、ラフミエル先生は自分のお腹をゆっくりと撫でた。
ラフミエル先生は教壇をゆっくりと歩き、生徒たちの視線を集めた。
教室全体が、彼女の言葉に耳を傾けている。
「魔力炉は魔力を蓄えるだけではなく、魂の安定や感情、果ては他者との“繋がり”とも関係しています。
だからこそ、この魔力炉は、私たちの生活に根付いていて特に貴族の婚姻制度にも深く関わっています。」
ラフミエル先生の言葉に、生徒たちは皆、息を呑んで耳を傾けている。
「正式な夫婦と認められるには、互いの魔力炉に魔力を注ぎ合い、『婚約紋』を出現させる必要があります。
婚約紋は相手の魔力に染まったときにのみ顕現し、2週間ほどで婚約紋は浮かびます。
婚約紋が出現して、初めて国家が夫婦として認定するのです。」
しん……と静まり返る教室。
その中で、ラフミエル先生は生徒たちの間をゆっくりと歩き続ける。
「話が逸れてしまいましたね。」
先生はそう言うと、右手をゆっくりと上に向けて掲げた。
すると、手のひらの上に、淡い魔力の渦が浮かび上がり怪しく光り始めた。
それは、まるで生きているかのように蠢き、教室の空気に微かな振動を与えている。
「魔力は、私たちアリリウム王国に生きる者にとって、生命そのものと言っても過言ではありません。
その魔力が、個人の価値を定め、社会の秩序を築き、そして愛を育む。
この国の根幹を成すものが、魔力なのです。」
先生は小さく笑い、再び教壇に戻った。
先生の言葉は、まるで教室の空気に染み渡るかのように、静かに、しかし力強く響いた。
「皆も、このアルトメギア学園で、己の魔力を磨き、この国の未来を担う立派な魔術師となるべく、
日々精進してください」
パチパチと斑らに拍手が起きる。
「次に……」
授業は、穏やかな空気の中で進んでいった。
生徒たちは皆、真剣な眼差しでノートを取っていた。
魔術の授業は、実践的な内容や魔術具の作成といった話も多く、
私もまた、真剣な面持ちで先生の言葉に耳を傾けていた。
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