14話 勧誘 プリファ・レロリウ
「つぎは……」
私はプリファを誘うために、図書館へと足を向けていた。
前回の負けを認める形になるのは癪だが、彼女に渡す約束だった本の下巻を手に、私は重い足取りで歩を進めた。
図書館の重厚な扉を押し開くと、ひっそりとした静寂が、空間を満たしている。
足を踏み入れると、古い紙とインクの匂いがふわりと鼻をかすめた。
だが、窓辺の定位置に彼女の姿はなかった。陽光が柔らかく差し込む窓際、彼女の背に似合う光は、今日に限って空席のままだった。
「ここにはいない様ですわね」
私は小さく呟いた。期待が外れたことに、わずかな落胆を覚える。プリファがいない図書館は少し寂しく感じられた。図書館を後にし、私はプリファを探すために廊下を歩いていく。
すると、向こうから派手な格好をした三人の女生徒が歩いてくるのが見えた。彼女たちは大きな声で談笑しており、その声は嫌でも耳に入ってきた。
「うーん、スッキリした〜。あのメス狸、ほんっと目障りだったんだよねぇ」
赤い髪の女生徒が、満足そうに呟いた。その声には、明らかな悪意が込められている。
「今思い出しても笑えるwあれじゃ狸じゃなくて濡れネズミだよねw」
紫の髪の女生徒が、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。その言葉の節々から、彼女たちの陰湿な性格が滲み出ている。
「でも大丈夫かな……なんか噂によると、どこかの元貴族だって……」
気が弱そうな茶色の髪の女生徒が、不安そうに言った。その声には、少しばかりの戸惑いが含まれているようだった。
「は?今は平民でしょ?文句なんて言えないわよ。黙ってるのが身の程ってもんでしょ」
赤い髪の女生徒は、高らかに言い放った。
彼女たちが歩いてきた方向を見れば、トイレや洗面所の並ぶ一角。
嫌な予感が、頭から離れない。私は思わず駆け出していた。そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
「……!」
そこに、うずくまる少女の姿があった。
プリファだった。
全身が水浸しで、制服からは水が滴り落ち、床に小さな水たまりを作っている。
濡れた髪は顔に張り付き、普段はピンと立っている耳は力なく垂れ下がっていた。
彼女は俯いており、その表情は窺い知れないが、その小さな肩が震えているのが見て取れた。
「……プリファ……?」
喉が引き攣れるような感覚。四大貴族の一員として、この光景は許しがたいものだった。
先ほどの三人組を捕まえ、問い詰めてやりたい衝動に駆られるが、ぐっと堪え、顔には一切出さないように努める今は、目の前の彼女を優先させるべきだ。
「だ、大丈夫ですの?」
私は恐る恐る、声をかけた。私の声に、プリファは視線を上げ、驚いたように私を見た。
「ミシェル様ですか……どうして、こんなところに……」
その声は掠れ、弱々しく、かすかに濁っていた。
「どうしてって、あなたを探していましたのよ」
私はプリファに近づき、手を差し出した。彼女の濡れた手は冷たかったが、私は構わずその手を握りしめる。
「火よ、風よ、我が命に応えよ、暖かな息吹をその身に宿らせよ!」
私は火と風の魔術を唱えた。威力を極小にして、温かい風をプリファに送る。
すると、彼女プリファの身体から白い湯気が立ち、徐々に乾いていくのがわかる。
「……あなたをこんな目に遭わせたのは、あの三人ですわね?」
私の言葉に、プリファの身体がぴくりと反応する。それがすべての答えだった。
「どうして抵抗なさらなかったの?あなたは私にも勝っ………勝ったのに……」
私は自分の口から「負けた」という言葉を出すのが、どうしてもできなかった。
彼女の力ならば、あの程度の学生、容易く退けることができたはずだ。
「……抵抗しても、意味がありません。僕は平民ですから」
その言葉に、ミシェルは愕然とした。自然に、貴族という立場がどれほどの重みを持つのか、実感として理解できていなかった。
前世の記憶があるとはいえ、この世界の貴族と平民の間に存在する、深くて絶対的な壁を、私は初めて目の当たりにしたのだ。
貴族社会とは、そこまで恐ろしい格差があるのかと、改めて思い知らされた。プリファの瞳には、諦めの色が刻まれている。
「先生方には相談なさらなかったの?」
「いえ、先生方も貴族ですから、平民、一人の言葉より貴族、三人の証言の方が信じますよ」
プリファは諦めたような表情で、静かに答えた。その瞳には、深い諦観と、かすかな影の色が宿っていた。
「そんな……」
私は言葉を失った。プリファの言葉が、心に重くのしかかる。何か、何かできることはないだろうか。私の頭の中を、様々な考えが駆け巡る。そして、閃いた。
「で、では、私のパーティに入りなさい」
私は、まるで命令するかのごとく、しかし真剣な眼差しで、その提案をした。プリファは驚いて、目を丸くする。私の言葉の意味を理解しようと、瞬きを繰り返している。
「私のパーティには四大貴族が二人います。だからおいそれと手出しできないはずですわ」
私は、そのメリットを具体的に説明した。彼女にとって、これ以上の安全策はないはずだ。
「ーー! なんでそこまで……」
プリファの瞳に、再び光が灯った。
「仮にも私に勝ったのですから、みっともない姿を見たくないだけですわ」
腕を組みながら私はぶっきらぼうにそう言い放った。素直に心配していると認めるのは、どうにも照れくさかったのだ。
「そろそろ乾きましたわね」
私が魔術を止めると、濡れていた彼女の服はすっかり乾き、温かさが戻っていた。
私はポケットからハンカチを取り出し、優しく彼女の顔を拭う。
「それと、これ、約束の本ですわ」
私は持っていた本をプリファに手渡した。彼女は本を受け取ると、その目を輝かせた。
「あ、ありがとうございます……本当に、いいんですか?」
プリファは、震える手で本を抱きしめながら、私を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、感謝と、そして微かな期待が込められている。
「ええ、もちろん。それでは四日後にまた」
そう言い残し、私はプリファから離れた。
これでプリファもパーティに参加するだろう。
そして、私のパーティに入ったからには、あの三人組も迂闊にちょっかいをかけなくなるはずだ。その間に、根本的な対策を考えなければ。
これでメンバーは三人。あとは、一人。
◇◇◇◇◇◇◇
僕はゆっくりと立ち上がり、制服の裾をそっと摘んで軽く叩いた。
ミシェル様がかけてくれた魔術の温もりが、まだかすかに肌に残っていた。
ポン、ポンと手のひらで払うたびに、さっきまでの惨めな気持ちが、少しずつ遠ざかっていくような気がした。
あの”スタリウム”が………ミシェル様が、平民のためにあそこまでしてくれるなんて正直、意外だった。
いつも気高くて、自信に満ちていて、決して他人に頭を下げるような人ではないと思っていた。けれど今日の彼女は、明らかに慌てていた。僕のために、必死に言葉を探していた。
僕がいじめられていることに気づいただけでなく、自分の手を差し伸べてくれた。
そして、あの人なりの照れ隠しなのだろう。ぶっきらぼうに、でも確かな優しさを込めて、僕をパーティに誘ってくれた。
「……ふふ」
思わず、声にならない笑みが漏れた。こんな状況なのに、少しだけ嬉しいと感じている自分がいることに、気づいてしまったから。
そして、本を――約束していた本を受け取ったとき、真っ先に思い浮かべたのは、妹のことだった。 この本を読んであげられる。そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
今日の出来事は確かに辛かった。でも、それでも、こうして何かを得られたことが、ほんの少しだけ救いになっていた。
(少しだけ彼女のことを信じてみてもいいかもしれない)
小さく呟いて、僕は制服の襟を整えた。
私は、もう大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、図書館へ戻る足を踏みだした。
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