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二日後の放課後、学校近くの公園に夏紀たちは集合した。東屋のベンチに夏紀と翔真が並び、木のテーブルを挟んだ向かいに日和と夕菜という少女が腰掛ける。夏紀と同じ中学校に通う日和は、約束通り友人を連れてきてくれた。
「香織ちゃんとは、二年前にネットで友だちになったの」
長い黒髪を左右に結った夕菜は、犠牲となった西香織とはネット上の掲示板で仲良くなったのだと語った。
「絵を描いて投稿する掲示板で……。歳はちょっと離れてたけど」
一見大人しそうな彼女が、ネット上の知人と実際に会ったという事実に夏紀は驚いた。もし、西香織が不純な不届き者であれば、こちらも事件に発展していた恐れがある。
その思いを察したのか、夕菜は少し躊躇った後に説明した。
「私、不登校だったの。学校休んで、絵ばっかり描いてた。その絵をいつも褒めてくれたのが香織ちゃんだった」
ちらりと翔真を見ると、彼も目線をそっとこちらに向けた。夕菜の不登校の原因が何であれ、弱っている時の優しい言葉は一層心にしみる。幸いだったのは、実際の西香織がネット上と変わらぬ人物であったことだ。
「あの絵も、モデルは私なんだ」
夏紀と翔真、そして日和までが驚きを顔に表した。
「え、でも、似てない……よな」
夏紀の言葉に翔真がぎこちなく頷き、日和も目を丸くしている。
「モデルっていっても、構図だけだよ。一緒に出かけた時、広場の噴水の前に立つ私を香織ちゃんがスケッチして、出来上がったのがあの絵」
つまりモデルがあれど、殆どが西香織の頭で補完された絵なのだ。絵の少女は実際の夕菜とは輪郭も面影も異なり、背景の噴水は湖に変わった。だから誰も、夕菜が絵のモデルだとは気が付かなかったのだ。
「あの絵にいたずらするなんて、許せない……」
夕菜が悔しそうに顔を歪めて視線を伏せ、その背を日和が優しく撫でる。彼女はいたずらの犯人ではない。夏紀は確信する。隣りでは夕菜に負けないほど沈痛な面持ちで、翔真が項垂れていた。
「絵にいたずらした人、見つけてください」
夕菜が真剣なまなざしを夏紀と翔真に向けた。
「え、いや……」
「探してくれるって、日和ちゃんから聞きました」
咄嗟に視線を向けると、日和は当然だろうと言わんばかりの顔つきで大きく頷いてみせた。いたずら犯を兄貴が見つけるといって、夕菜を呼んだのだろう。タダでこいつが動くわけがないと知っていたはずなのに。一本喰わされた気分になる。
それに、夕菜の落ち込んだ表情を見てしまえば、幽霊説を口にすることも憚られる。浮かばれない西香織の無念が絵に涙を流させているなどと、彼女の前で言えるはずがない。
「まあ……」歯切れ悪く、夏紀は言葉を濁らせる。「絶対とは、言えないけど」
横を向くと、翔真が大袈裟なほどびくりと肩を震わせた。ここまできたら道連れだ。夏紀の心意を悟り、彼は黙ったまま限界まで口角を下げた。
「心当たりとかないの。その、絵にいたずらするような相手とか」
「正直に言うと、わからない。香織ちゃんは明るくて友達も多かったし、私より仲良しの人がいても、全然おかしくないし……」
けど、と夕菜は付け足す。
「だからって、香織ちゃんの絵にいたずらをするような人たちだとは、思えない」
「ふうん」
それらしく腕組みをしてみるが、夏紀によい考えなど思いつかない。
「遺族や友達じゃなかったら、彼氏とか?」
「それはないと思う」
「彼氏持ちじゃなかったってこと?」
夕菜は首を横に振った。
「一か月前に、彼氏と別れたんだって言ってた。それから新しく彼氏ができてたら別だけど。香織ちゃんモテる人だったから、よく告白とかされてるみたいだった。でも、流石に誰かと付き合い始めたら教えてくれると思う」
「元彼が犯人を恨んでってのはないかな」
それまで黙って話を聞いていた日和が口を挟んだ。確かに彼女の言う通り、恋人の縁を切ったからといって、情が完全になくなるはずはない。嘗て愛した元彼女を殺した犯人に対し、恨み憎む筋合いはありそうだ。
「一度別れたから、表立って声を出せないのかも」
なるほど、と思わず夏紀と翔真はうなった。日和の考えには一理あると思える。頭を傾ける夕菜の細い指先が、彼女の思案の具合を示すように、テーブルの木目をなぞる。
「その可能性は、なくはない、かも。別れるのに苦労したって言ってた。香織ちゃんから別れ話を切り出したんだけど、向こうがなかなか了承してくれなくて、別れるまで一ヶ月かかったって」
「男の方には未練があるってことか」
「別れた後も、無言電話とか嫌がらせがあったみたい」
夏紀は両手をパチンと打ち鳴らした。
「その元彼、絵のいたずらだけじゃなくて、事件の犯人なんじゃないか? 別れたはいいものの、元カノが忘れられなくて、よりを戻そうとしたけど上手くいかなくて、凶行に及んだんだ。そうに決まってる」
「で、でも」
翔真が初めてまともに口を開いた。全員の視線を浴び、委縮したように身を縮める。
「別れてからの嫌がらせの犯人がそうだとは決まってないし、未練があったとは限らないよ」
彼の言葉を肯定するように、夕菜が頷いた。
「誰からの嫌がらせか、わからないって言ってた。それに別れたばかりだったから、きっと警察も元彼を怪しく思ってるよ。それでも捕まらないなら、犯人じゃないと思う」
「そりゃそうだけどさ……可能性はゼロじゃないだろ」
単純な思考に恥ずかしくなりつつ、夏紀は憮然とした表情で呟いた。二人の言う通り、西香織の元彼が殺人犯だとするのは早計だろう。しかし、最も怪しい人物には変わりない。
「そいつは事件の犯人じゃなく、いたずら犯かもしれない」
振られた恨みの末殺害したか、未だ残る愛情から絵に涙を流させているか。両極端だが、どちらの犯人であっても不思議ではない。
夏紀は夕菜から元彼の情報を聞き取りにかかった。横では翔真が不安を顔いっぱいに湛え、正面では日和がいとも満足げな表情をしていた。