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直接謝りに行くと、仕事中の佐元は別日を指定した。二日後の日曜日。この日は徹底的に叱られるのだと思い、鬱屈とした気持ちで再会したのだが、彼は大して怒りの顔は見せなかった。
「翔真くんが噂を流したから、犯人も気になって絵を見に行ったんだろ。それが自首に繋がったんだから、まあ許す」
顔を見合わせ、何とも言えない心地になりながら、すみませんでしたと二人は改めて謝罪した。
犯人の五十嵐は、嘗て一度だけ西香織に告白したそうだ。そこで断られたことに腹を立て、無言電話などの嫌がらせを開始したらしい。彼女の近辺を調べ、別れた元彼についても知った。西香織が大学と駅の往復に、地下通路を使用するのも把握した。少しでも彼女をストーキングしやすいように駅前のコンビニエンスストアでアルバイトを始めたという徹底ぶりは、狂気に満ちている。
彼女への不満はいつしか憎しみに変わり、その晩、佐元が偶然にも店で買い物をしたことを天の采配だと解した。もうすぐ彼女が地下通路を通るはずだ。自分もじきに仕事を終える。このタイミングは神が与えてくれた唯一のチャンスなのだ。
自らの妄想に陶酔した彼は、やがてひと気のない地下通路に潜み、時間通りに現れた彼女をナイフで突き刺した。これは自分がいつその気になっても使えるよう持ち歩いていた刃物だった。殺害後は、近くの公衆トイレに隠していた鞄にナイフをしまい、持ち帰った。そして目撃者がいないことを幸いに全ての罪を佐元に着せ、知らぬ存ぜぬを貫き通していた。
後に明らかとなった全容を知り、恐ろしいのはやはり幽霊より生きた人間だなと夏紀は思った。人を殺して平然と社会に溶け込んでいるなんて、幽霊よりも恐ろしい。
駅前で待ち合わせていた日和と夕菜とも合流し、五人で地下通路の絵の前に向かった。翔真は、万引きを働いた店に改めて村井と謝罪に行ったそうだ。それでも罪悪感は忘れられないのか、店のそばを通るとき、彼は委縮して肩を縮めていた。
西香織が殺害された場所に辿り着き、佐元が代表して小さな花束を供える。それを見ていた翔真がぽつりと零した。
「あの時、僕が逃げずに西さんを見つけていたら、助かっていたかもしれない」
彼は辛そうに唇を一度噛む。
「その後も、大事な絵に手をかけないで、警察に行くべきっだった。自分のことが、一番大事だったんだ」
項垂れる彼に、夏紀はなんと声をかけてよいのかわからない。すると佐元が翔真の肩を軽く叩いた。
「香織は即死だった。君が戻っても助からなかった。それに、結局真犯人は見つかったんだ」
「……佐元さんにも、たくさん迷惑をかけました」
「いいよ、もう。気にするなよ。それに香織は、罪悪感に苛まれる君に感謝こそすれ、恨んだり憎んだりする人間じゃない」
佐元の台詞に、夕菜がうんうんと大きく首を縦に振る。
「絵にいたずらするのは良くなかったけど、それが犯人を捕まえるきっかけになったんだもん。きっと言ってくれるよ、お疲れさまって」
「こんなに皆に好かれて、香織さんは素敵な人だったんだね」
佐元と夕菜の台詞に、日和が感嘆して言う。
五人は絵に向かい、瞼を閉じて手を合わせた。どうか安らに。ただそれだけを祈る。
目を開ける翔真に腕を伸ばして些か乱暴に肩を組み、夏紀は皆を見渡した。
「せっかくだし、どっかの店で西さんの思い出話でも聞かせてくれよ。佐元さんの奢りで」
同意を求めて視線を向けると、佐元は苦笑した。
「調子がいいなあ」
四人の笑い声を浴びながら、夏紀は正面の絵に視線を向けた。
いつもと変わらない少女が、こちらを向いて幸せそうに微笑んでいた。