09 妹とゾウさんの話
読んだことがあります
「今どきは、こんなものがあるんですねえ」
雪奈が何か感慨深げな事を言いながら、タブレットでネットを見ていた。
何を見ているのかと思ったら、夏休みを前にした我が家でのトレンドワードの一つ、『小学生の読書感想文』の『低学年の子供に作文を書かせる方法』というものだった。
「ワークシートですよ、ワークシート。ほとんどテストの虫くい問題です。こんなの誰でも同じようなのが書けるんじゃないですか?いいんですかね、こういうの」
「うーん。作文の書き方、みたいなのが分からない子には、いいんじゃないの?」
雪奈が見ているページには、空白部分に自分が思った事を書き込んでいって、書いた部分を後で合成するというタイプのワークシートが表示されていた。印刷して使えるようになっているみたいだ。
「こういうのを使わせるから、だれもかれもが同じきかくしょを出すようながくせいが世の中にふえていくんじゃないですか?あまり楽をさせてはいけませんよ」
「そりゃちょっと小学生の低学年には厳しくない?まだ小さいんだし」
「お兄ちゃんは甘いですねえ。まあ、やさしいのはいい事だとおもいます」
「とりあえず褒めてくれてありがとう」
ちょっとだけディスられてる気もしなくないんだけど。
「まあ、こんな事はわりとどうでもいいのですが」
「そうなんだ」
「もんだいは、ここら辺ですよ!!」
そう言って雪奈が表示させたページは、『読書感想文コンクール』の一覧のページだった。
「見てください、このコンクールの、かずかずを!!」
「いっぱいあるね。主に新聞社のやつかな」
「もんだいは、そのしょうさいです。今はこんなに、副賞がじゅうじつしているのです!!お兄ちゃん、ひとつ狙ってみませんか?!」
「ええ――――?!」
「ほら、これ見てくださいよ!!この新聞社しゅさいのコンクールなんか、図書カードが3万円ぶんももらえるのです!!新聞きじをだいざいにすれば、個人おうぼできます!!どうにかして新聞をてにいれれば、おいしいおもいができるかも!!」
「全然関係ない地方の新聞コンクールとか、ダメじゃないかなあ……」
「ぇぇー」
残念そうな、猫の鳴き声みたいな声を上げる雪奈。
いや、普通はそういうもんじゃないかな。地方発行してる新聞の新聞記事コンクールなんだったら、その新聞を取ってる地域が対象なんじゃないだろうか。例えば沖縄の新聞社の新聞記事コンクールに、北海道の住人が応募したら選考外になったりしない?
「でも、たとえばですよ?おきなわの『サンゴ問題』とかの記事を、たまたま旅行に行っていたほっかいどうの子どもが現地で買った新聞を読んでしった……というストーリーなら、大人ウケする内容とあいまって、ワンチャンあるんじゃないですかね?むしろ、遠くの土地の人にもせんでんするこうかをきたいして、ゆうりにはたらきませんか??」
「雪奈のプレゼン能力の高さは分かったよ。説得力がある」
しかしそうそう都合のいい話もないんじゃないか、とも思うよ。あと何気に僕の心を読んだような発言をしてるよね。思考を読まれてるのかな。
でも読書感想文コンクールで上位入賞を狙うのなら、そういう計算高さが必要なのかもしれない……と、なんだか考えさせられてしまう。僕の中で、読書感想文コンクールというものが、全国の群雄ひしめく戦いの舞台というか、スポーツの全国大会のようなものに思えてきた。いや、むしろ本当に、そういうものなのかも……??僕の今までの認識が間違っていたのかな??
「おねえちゃんの読書かんそう文がにゅうしょうしたら、図書カード5千円くらい、もらえませんかね?どうなんでしょうか」
「僕はもらった事ないからなあ。賞状はもらえそうだけど」
「ぇぇー」
「賞状はいらない?」
「そんなもので腹はふくれませんよ。『同情するなら銭をくれ』という言葉もあるじゃないですか。たとえノートいっさつでも、何か使えるものがほしいです」
やっぱり雪奈は現実的というか、何かしら実利を求めようとする所がある。読書感想文も何かの小遣い稼ぎにならないか、などと考えるあたり、本当にしっかりしている。
「なにか、子どもでもできるアルバイトとか、ないですかねえ」
「お小遣いが欲しいの?」
「はんぶん、ちがいます。がいかをかせぎたいのです。アメリカなんか、子どもが道ばたでレモネードをむきょかはんばいして、小づかいかせぎをしているそうじゃないですか。そういう感じのやつ、なんかないですか」
「野菜の無人販売とか?雪奈ファームのキュウリとか」
「かてい菜園のキュウリとか、ひんしつに保証のないしょくひんを販売するとか、そんなプライドのないマネは、わたしにはできません。あれはあくまで家族しょうひと、ごきんじょさまへ配るものだから、もんだいが無いのです。売りものにするなら、プロのぎじゅつがひつようですよ」
「そっかー」
雪奈ファームの野菜に関しては、ある意味で予想以上に意識が高かった。そして何気にアメリカの子供レモネード屋台をディスっている気がするんだけど、自覚ないのかな。
しかし小学2年生ができる、家庭外でのアルバイトなんて存在しないと思うよ、雪奈。たぶんそれを普通にやったら、雇った方が警察に捕まってしまうと思う。
「よく聞いてなかったけど、雪ちゃんは正しいと思う」
「お姉ちゃんも、さすがです」
唐突に入り込んできた春奈と、それを普通に受け入れる雪奈だった。
「雪ちゃんは読書感想文、『かえるの友情物語』だっけ」
「それなのですが……ちがうのを、けんとう中です」
違うやつ、ときたか。
確かにまだ、課題図書は借りても買ってもいないから、変更する余地はある。というか、借りるとなると予約待ちで大変な事になるだろうから、たぶん父さんが買ってくれると思う。父さんは雪奈には甘いからなあ。
「わたしのかんそう文、ですが。じゆうとしょで、『そしてドンキーはしんだ』を、けんとうしています」
「それ知らないんだけど。どんな話?」
「僕も知らないなあ」
ほんと聞いた事も無い。
「じどうとしょの、せんそう文学です。かんたんに言うと、むかし教科書にのっていた『かわいそうなゾウさん』のリメイク版みたいなものです」
「ゾウさんが、かわいそうなの?!」
「そんなの教科書に載ってたんだ……」
雪奈は可愛くアゴに手を当てて(お気に入りなのだろうか)うむ、とうなずく。
「うちのクラスの課題としょ、『キツネのきょうしつ』にたいこうしてやるのも、いっきょうです。どちらもおなじ、せんそう文学。ゾウとキツネ、どちらがつよいか、しょうぶですね」
「ゾウとキツネの勝負なの?!」
「直接対決するわけじゃないと思うんだけど」
担任の先生に、何か思うところがあるのじゃないかと心配になるよ。
「キツネぐんだんは人間に化けるのうりょくを持っていますが、ゾウ3頭……ジョニー、ゴーリー、ドンキーのうち、『あばれんぼうのジョニー』は、かこに、ちょうきょうしをサツガイした事のある『凶状もち』です。せんりょくとしては負けていません」
「ジョニーやばい」
「それ本当に、かわいそうなの?」
僕の頭の中では2本足で立つキツネの集団と、3頭のゾウが対峙する構図が浮かんでいた。そしてジョニーの目つきがヤバい感じでイメージされている。暴れん坊のジョニー。ヤツは危険だ。
「まあ、キツネの方はげんばくとか、くうしゅうとかがメインですが。ドンキーの方は、動物園で飼われている、動物のひあいがメインの話です」
「あー、そういえば、キツネの方は長崎だっけ」
「ゾウさんは、どうして『かわいそう』なの?」
僕は『かわいそうなゾウさん』の話を知らない。なぜか知っている雪奈に、ちょっと聞いてみたいと思った。本当にネットは便利だと思う。
「ちょくせつはかんけいないのですが、外国の話で、くうばくで動物園のオリやへいがこわれて、もうじゅうが市内に逃げだすという事件が、じっさいに発生しているのです」
「そうなの?!」
「大変な事件だよね……」
街中でトラやライオンと、ばったり出会ったら死を覚悟するしかないと思う。
「そういうぜんれいもあり、くうしゅうで動物園のもうじゅうが逃げるという事態をよぼうする、というめいもくにより、『もうじゅうサツガイめいれい』が、当時のとちじから出されます」
「ふんふん」
「うーん……仕方ないような、気もするなあ。かわいそうだけど」
かわいそうだけど、猛獣に食い殺されたくもない。どっちかを選べ、と言われたら、自分が死なない方を選ばざるをえないと思う。
「ちなみに『かわいそうなゾウさん』も、リメイク版の『そしてドンキーはしんだ』でも、『軍のめいれいで殺すことになった』とか書いてありますが、もちろんウソです。めいれいを出したのは、とちじですから。そして『毎日のようにくうしゅうがあった』と書かれていますが、東京のくうしゅうが当たり前になったのは、ゾウがころされた一年後くらいの事です。それまでは1回あっただけです。この2点は、かんぜんにウソですね」
「えええ?!どうしてウソが書いてあるわけ?!」
「嘘を書く理由があるの??」
雪奈は少しイヤそうな顔をして続けた。
「……いちぶの『せんそう文学』は、『反戦』という目的のためだけにそんざいします。その『目的』のために、じじつをねじまげる、こちょう表現が採られた、というのが、おもなみかたです。ですので、教育のしりょうとしてはもんだいがある、と思われたのが、教科書から外されたりゆうなのかもしれません。ウソはいけませんよね」
「ウソはダメだよねえ」
「嘘ついて悪者を作るのはダメだと思う」
歴史を学ぶ、という意味なら、ウソはいけないよなあ。
「なんやかんやあって、ゾウはつぎつぎにしんでいきます」
「なんやかんや??」
「詳細が少し気になるんだけど」
雪奈の話のてきとう感がすごい。
「そこはじぶんで読むべきところ、ですね。このお話のメインは、『ゾウのしにざまが、あわれをさそうありさまである』というところ、なのです。ゆえに『戦争は、かなしみしか生まない』というけつろんへと、どくしゃがゆうどうされるのです」
「作者のやり方に疑問を感じるよ」
「……かわいそうな死にざま、という事なの?」
ここで大事なのは、ちょうどよく題材にされた、哀れな死に様、というやつだよな。
「サバイバルかんきょうで、水がなければ人間は3日でしにます。3頭のゾウは、水としょくりょうを絶たれ、かわきにあえいで、ひからびてしぬのですよ。かわきじにです。なお、動物園のゾウは、一日あたり、数十リットルの水をのみます。それがゼロです」
「水くれー、って言いながら、死んだわけ……」
「ひどいなぁ……」
飲み水なしでじわじわ殺されるとか、想像もつかない。
「ちなみに動物園で、サツガイされたもうじゅうのための『もうじゅういれいさい』が開かれたとき、ゴーリーとドンキーの2頭はまだ、生きていました。ですが、ゾウのオリにはくじらまくが引かれ、すでにしんだものとしてあつかわれたのです」
「……ダイジェストでも、すでに哀れすぎるんだけど」
「周りのやり方がもう、酷過ぎるんだけど」
それいったい何のための催しものなの。『慰霊祭』って言葉の意味を知ってるの、と言いたくなる状況じゃないかな!!
「はっきり言いますけどね、ゾウをすくうすべは、ありませんでした。戦争、それも本土くうばくの可能性まで出てくる、負けいくさでしたから。人間のしょくりょうすら、まんぞくにちょうたつできなくなりつつある状態で、一日100キロいじょうもエサをたべるどうぶつなど、やしなう事はふかのうだったのです。けっかとしてのしりょうですが、大型どうぶつで生きのこったのは、子どものキリンだけだったそうですよ。なぜかもうじゅうカテゴリから外されたカバも、エサ不足でがししたそうですし。あと死にくを食べるコンドルも生きのこったそうです」
「あたしには、いい方法が思いつかない」
「食料難……僕らには、想像もできないなあ……」
森に放したりとかしたら、それはそれで後でどうなるか分からないしなあ。池に放たれたワニガメとかが危険動物として問題になってるくらいだし。それが猛獣だと、どうなるか想像もつかないレベルの問題になりそうな気がする。
「とちじは『ころせ』というめいれいだけ出して、あとは投げっぱなしだったそうですが。毒殺にしっぱいしたなら、もう軍にでも泣きついて、ライフル持った、じっこうぶたいを送ってもらった方が良かったとおもいます。士魂だの士道だのと言うのが好きなじだいでしたし、『恥』を死ぬよりきらう軍ですから、『武士のなさけ』と言えば、そげきぶたいくらい、送ってくれたかもしれません。もっとも、『へいしの命が、羽毛よりもかるい』と言われたじだいです。『タマがもったいない』と、けっとばされた可能性もありますけど」
「……自分がゾウだったら、どう思うのかな」
「……どっちにしろ、納得はいかないだろうけど」
人間の勝手で殺されるんだから、納得いくわけがない。
「ひとおもいにしとめて、食べてやればよかったのに」
「ゾウって食べれるの?!」
「ゾウ肉を食べる国があるの?!」
倫理観うんぬんより、そこが気になったよ!!
「外国では、じつれいがあります。戦争でしょくりょう事情があっかした時、園のどうぶつをころして、肉にしたそうですよ。ゾウは草食です。けっこうイケたかも」
「……草食はイケるのかあ……」
「外国は割り切ってるんだなあ」
ちなみにフランスだったと思います。と雪奈。フランス人すごいな。さすが美食の国だ。
「『食ってくようする』というのは、日本でよく言うことです。そもそも『動物園』に『飼って』いるいじょう、そのくらいの『かくご』は、ひつようかと思いますけど。わたしたちは、牛も馬もブタも食べます。見せものにするために買ってきて、芸をしこんで飼っているどうぶつに、とくべつな意味をみいだすというのは、にんげんのごうまんさ、というものでしょう。どうせころすなら、ひとおもいに。そしてムダなく利用して、くようする。ごうまんな行いによって、どうぶつの運命をけっていしたのならば、さいごまで、そのごうまんさに、かくごと、せきにんを持つべきでしょう」
「……ニワトリは可愛いと思うけど、あたし唐揚げ好き」
「……僕も唐揚げ好き。トンカツも好きだし」
お肉の揚げ物は、たいてい好き。
「動物園、というしせつは、『平和というゼイタク』がそんざいしなければ、いじできないモノである、という事を教えなくてはならないのではないでしょうか。動物園で、『飼われている』動物をめでる、という、その行為そのものを、どういう事なのか教えるべきなのではないでしょうか。そのうえで、平和のありがたみを、伝えねばならないのではないかと、わたしは……おもうのです」
「平和は……あるだけで、素晴らしいものなんだね」
「平和そのものが、ぜいたくで有り難いものだって事、考えた事もなかったよ」
夏を前にして、平和というものに考えを巡らせる、僕と春奈だった。
とにかく。戦争はよくない。人間も動物も不幸になるし、見なくてもいいものを見なければいけなくなる。誰でも嫌なものは出来るだけ見たくない。だから戦争はやめよう。僕は本当にそう思った。
あと、僕も春奈も『そしてドンキーはしんだ』も、『かわいそうなゾウさん』も読んだ事はないけれど、なんだかもう読んだ気分になった。雪奈の臨場感のこもったダイジェスト解説のおかげだと思うけど。
そして、この感想文の一件で、僕がもう一つ思った事。
それは、『雪奈は間違いなく、大人の思考をしている』という事だった。改めてそう思った。動物を可愛がっていたとしても、野菜を手間暇かけて育てていても。『人間の都合でやっている事だ』という、ある意味で割り切った考えを持っている。あるいは、これは死というものを記憶の一部として持っている、前世の記憶を持つ転生者としての思考なのだろうか。
雪奈は大人の視点で世界を見ているのかもしれない。その事に、僕はある種の尊敬の念を抱くとともに、少しだけ寂しさを、物悲しさを感じた。そして、『雪奈が少しでも、なにも考えずに世界を楽しめるように』雪奈を守ってやりたい、そんな気持ちになった。
※※※※※※※※※※※※
そして、結局。雪奈の感想文だけれど。
「……いいたいことが……1200字で、おさまらない……」
という理由により、『そしてドンキーはしんだ』での感想文は断念した雪奈だった。小学校低学年の感想文は、基本的に400字詰め原稿用紙2枚から3枚まで。いちおう空白やタイトルは文字数に含まれないけれど、雪奈が調子に乗ってタカタカと打ち出した感想文の原稿は、優に6000字を超えていた。
確かに感想文を書く時は『400字以上』みたいな、最低限の文字数制限もあるけれど、最大文字数の制限もある。それはもしかしたら、雪奈みたいな生徒の暴走を抑えるためにあるのかも知れない。
原稿の圧縮作業の時点で雪奈は敗北を認め、今年の読書感想文は、当初の予定通りに『かえるの友情物語』の一冊に決まった。近所の本屋に予約も入れた。
「わたしのかんそう文は、てきとうに、お茶をにごしておきます。おねえちゃんの原稿に、ぜんりょくを尽くします」
「あ、うん。お手柔らかにお願いします」
「ほどほどにね。春奈のキャラがブレちゃう」
そういう事になった。
色々とツッコミどころがある結末だったけど、雪奈が本を一切読まずに書き上げた『雪奈の幻の長編感想文』は、父さん母さん、そして僕と春奈にも好評だったので、まあいいんじゃないか、と皆が思った。戦争と、動物園で飼われている動物、そして人間の傲慢さと動物を飼う責任について、考えさせられる内容だったと思う。
転生者はなまじ前世の知識があるせいで、もしかしたら文字数制限のある、宿題の読書感想文は向いていないのかもしれない。雪奈は小説とかエッセイでも書いた方がいいんじゃないか。そんな事を思った小事件だった。
ネットで読みました。
もしも空襲が当たり前の環境だったら、ダメとか言ってられなかったでしょうが、実際は「前に1回あっただけ」という事で「この先あるかどうか分からない空襲」だったから、動物園の飼育員はみんな『動物の殺処分には反対』したそうです。まあ、安全神話的なものが崩れた以上、だいじょうぶ、とは言えないので、強く反対する事もできなかったと思いますけど。
ちなみに当時の東京都知事は、『自分の不始末を部下の責任にして責任逃れをするタイプ』の、人間的にアレな感じの人だったとか。思いつきで指示を出したみたいな所もあったとか。
状況が状況だったので、ゾウの殺処分が行われなくても、コンドル以外全滅、という事になっていたのかも知れません(餌を分け合う事で草食獣が全員仲良く餓死、という事になっていたのかも)。肉食獣が飼育員を襲う事件すら起きていたかもしれませんね。
ゾウさんの話、教科書掲載の世代にとってはトラウマものの話みたいですよ。
ここまで3部構成的な感じでやってきましたが、今後はどういう感じにするかは決めていません。単発の話にするかも知れないです。そこら辺も適当に、ゆるーくやっていきたいと思います。
読者様もあまり深く考えず、ゆるーくお付き合いくださると幸いです。