08 妹はゴーストライター
お任せください、依頼主様。
「ところでおねえちゃん、読む本は、きまりましたか?かだいとしょですか、それとも自由としょですか?」
「どうしよっかなー」
ある日の夕方、夕食後の時間。春奈がゴーストライター・ユキナからの催促を受けていた。
課題図書はすでに発表されていたと思う。うちの学校の場合、課題図書はクラス毎で先生が1冊に決めてしまうのが毎年の事だ。これは採点する先生の手間を減らすという理由もあると思う。でも自由図書の場合は、範囲内の図書から生徒が自由に選んでいい事になっている。そして自由図書の場合、『先生に本の内容を説明する』という手段で、あらすじを書いて文字数を稼ぐ、という技術も普通に使いやすい。
しかし今年の春奈は一味違う。ゴーストライターが控えているのだから。発注と清書だけすれば良いのだから、『感想文を書きやすい本』を選ぶ必要すら無いので、自分の興味のある本を選ぶだけでいいのだ。
いちおう、春奈は読書をする事になっている。まったく本を読まなくていい、という事にはなっていない。もともと春奈は読書そのものが嫌いなのではなく、感想文を書くのが嫌いなだけなので、ここは問題が無い。
読みたい本を選んで、あとはゴーストライター・ユキナに発注するだけだ。本を読み終わる頃には原稿ができていて、清書する時のアレンジもできるようになっているだろう。
なお、この『最低限のライン』に関しては、事情を知った母さんとの、お説教込みの交渉の末に決まった事だった。さすがに本を読まずに感想文を妹任せにするというのは、許されなかった。当然だと思う。
「課題図書にしよっかな。確か、『いぬと女王さま』だったなあ」
「なかなかいみしんなタイトルですね」
ほほう、と言いながら、可愛らしくアゴに手を当てる雪奈。意味深なのかな。
「まだ読んでないんだけど、火事でお城に住めなくなった女王様が、女王様の事が好きな犬といっしょに街中で暮らす話だったと思う。最初は身の回りの事が何ひとつ出来ない女王様だったけど、犬の助けもあって、いろいろ出来るようになっていくんだって。あらすじだけ聞いた」
「あらすじだけきくと、いみのわからない話ですね」
雪奈の感覚ではそういう事らしかった。
そして雪奈はノートPC(雪奈PC)を立ち上げると、タカタカとキーを鳴らし始めた。最初に『犬』って、本物の犬ですか、それとも人間ですか、とだけ聞いて確認した後(犬が人間である可能性とは何だろう)、黙々とキーを鳴らす雪奈。そして15分ほどキーを鳴らし続けた雪奈は、ノートPCをくるりと回して、画面を僕らの方に見せる。
「だいたいこんな感じです」
「読んでないのに書けるの?!」
「あらすじだけで、あるていどは書けるものですよ」
「へぇー。どれどれ」
感心する春奈が、ゴーストライター・ユキナの原稿を読み始める。父さん母さん、そして僕も覗き込んで、いっしょに読み始めた。
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私がこの本を読んで最初に思った事。それは、『この国はおかしいのではないか』という事です。たとえ立憲君主制であろうと、仮に女王様の失火によって城が焼けてしまったのだとしても、国家の代表である女王様を、人間の家臣も部下もつけず、ほとんど身一つで街中に住まわせるなど、狂気の沙汰としか思えません。
作中の雰囲気からして、この国はとても平和で、女王様の身の安全に関して、治安的な問題はクリアしているのかもしれません。しかし身の回りの事がロクにできない女王様を、ただ女王様が好きなだけで実務能力的には人間の部下に遠く及ばないであろう『犬』だけつけて暮らさせるなど、これは拷問以外の何物でもないと思います。
ですが、それが『そうするのが当たり前の事』であるとした場合、この国は経済状況からして破綻していると考えざるをえません。あるいは、倫理観そのものが理解不能な世界なのかもしれません。この国の女王様とは、私達が抱いているイメージの国家元首ではなく、『女王という理解不能な役職の何か』なのかもしれません。
そう考えると、私はこの作中世界が、とても恐ろしく感じました。
――ですが、これが『刑罰の一環』だとすれば、これは物凄い温情判決という事かもしれません。小さなお城であろうとも、再建するとなれば女王様が存在する君主制国家である以上、貧相な作りの建物など作れません。安く見積もっても10億円単位での費用がかかると思います。歴史的な作りの建造物を再建するのであれば、その費用はさらに跳ね上がります。もちろんこれは建設費用だけで、ガレキの撤去作業を含めれば、もっと費用は増える事でしょう。
話は少し戻りますが、この火事が女王様の深く関わる、女王様のミスによって起きた失火だとしたら……?お城の火事で、ケガをした人、火傷を負った人、消火活動に従事した人への補償、心の被害や作業負担を考えれば、お金の問題だけでは済みません。ひいては国家イメージの一環を担うであろう、女王様の城を失火によって全焼させてしまった事による、国内インフラへの信頼失墜という、形にならない将来への負債も抱えた事になります。
再建費用にしても、女王様の個人資産で済めばいいのですが、国家財政の一部を再建費用に充てる事にでもなれば、これは国民が黙ってはいないでしょう。
つまり、犬一匹を部下として街中で一人暮らしさせる、というのは、国民感情の暴発を抑えるためのパフォーマンス、『分かりやすい、実質的には軽い刑罰』ではないでしょうか。もちろん財政圧迫という負債を国民に負わせた場合、この程度で国民が納得するかどうかは分かりません。ですが、女王様を牢屋に入れる訳にもいかないのなら、この程度でもやらないよりはマシでしょう。そこまで考えると、『なかなか計算高い行為だ』と思いなおしました。
街暮らしの女王様には警護もついてないんじゃないか、と最初思いましたが、ひょっとすると隣近所はすべて買収済みで、セキュリティサービスが一般市民のふりをして住んでいるのかもしれません。
ここまで考えてしまうと、もしかしたら最初の『お城の火事』も、何かしらのマッチポンプの可能性すら出てきました。失火の責任の一部が女王様にあるとすれば保険金詐欺の可能性は低いですが、公共事業や観光業へのテコ入れとかの目論見があったのかも知れません。この国の女王様と大臣達の深慮遠謀を思うと、最初とは別の意味での恐ろしさを感じられずには、いられませんでした。
どうやら私には、政治家や国家元首は無理のようです。ごく平凡な、分かりやすい平和を愛する一市民が似合っていると感じました。それがこの本を読んでの、私の最後の想いです。
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「これでだいたい1500字くらいです。もっとも、空白をふくめれば、もう少し長くなってしまうので、間をつめたり、けずるぶぶんを考えないといけませんね。あと300字ていど、みじかくしなければ」
そう言って少し考え込む素振りを見せる雪奈だった。
――確かにこういう内容では、先生によっては受け取り拒否をする可能性もある、かもしれない。昔の先生だったらなおさら、なのかも。いや、今どきは自由な発想を受け入れる風潮なんだし、今は問題ないのかな?
「あれぇー??本の内容を想像するに、犬と女王様の友情??的なものが、たぶんあると思うんだけど……」
「タイトルにも出てきている『犬』が、ほんのちょっとしか出てないな。というか、国家体制とか政策に対する考察だけだな。いや、父さんは面白いと思うぞ。すごく」
「面白いと思うんだけど……これ、春奈が書いた事にするのよね??」
「面白いと思うよ。春奈の評価がかなり変わると思うけど」
高校生や大学生が、小学校低学年の教科書に載ってる『かえるの友情物語』を考察するようなレポートになってる気がするんだけど。これをそのまま提出したら、春奈のキャラクターがブレちゃう気がする。あと、たぶん本の内容の大部分を無視している書き筋は、かなり評価の分かれるところじゃないだろうか。
「好きかってに作文を書くと、けっこう長くなるというのは、わかっていただけましたか」
「「「「うん、よくわかった」」」」
あらすじだけで、これだけ書けてしまうんだから。ゴーストライター・ユキナは、本文を一行も読んでいないのだ。
「文字せいげんのじょうけんを満たす、というだけでも、それなりにたいへん、なのですよ。きほんてきに、『読書かんそう文』というのは、いっしゅのレポートです。こうせいりょくのくんれん、というか、プレゼンのれんしゅうですね。たいくつな作業です。ここに先生のしそうや、しどうようこうの指示なんかが混ざってくると、もうたいへんです。さいしょっから『このテーマについて書け』と言うべきなのです。……そんなわけで、このないようで、もんだいがあるなら、書くべきポイントのしじを、おねがいしますね。おねえちゃん」
「あっうん。わかったよ雪ちゃん」
さっと読んでおかなきゃ、とつぶやく春奈。
「つまりどのポイントでまとめる事がベストか、という事を考える勉強なのか」
「指示する側の……先生側の視点かしらね。国語の勉強としては面白いわね」
父さん母さんも、ゴーストライターの存在意義を再評価したみたいだった。原稿を書いてもらう立場も、ただ楽をする、という訳ではないらしい。
「ところで雪奈は、どの本にするか決めた??」
もしかしてこのノリの文章と切り口で感想文を書くのだろうか。題材次第では、どうなってしまうか分からない。そんな事を思って、雪奈の読む本に興味を持った。
「自由としょで、『カエルのゆうじょう物語シリーズの1冊』にしようかと思います。いちばんぶなんかと、思いましたので」
「課題図書じゃないの?」
「うちのクラスの先生が、してい課題としょの中から選んだのは、よりにもよって『きつねのきょうしつ』という本です。わたしには向きません」
「……どんな、あらすじ?」
「教育ねっしんな、にんげんに化けるのうりょくをもったキツネとそのかぞく、小学校のせんせい、せいと、ちいきしゃかいの人とのこうりゅうをえがいた、そんな話らしいです」
「へぇー」
「時代せっていは、たいへいようせんそうの前後」
「……おお」
「ばしょは、ながさき。げんばく投下をはじめ、くうしゅうによって学校が焼けたりします」
「……うーん」
「きょねんの課題としょにもありましたが、ときどき『低がくねんの課題としょになぜ選んだ』と、ツッコミを入れたくなるような本が混ざっている事があるのです。大人が読むと、『子どもに読ませたい』とか言う本ではあるのですが、話のほんしつはとてもヘビーで、低がくねんでは理解するのはこんなんであり、理解できる子どもであれば、心にキズをのこしかねないテーマでもあります。まあ、カエルのゆうじょう物語の『おてがみ』も、よく考えれば、かなり深いのですが。ちなみにきょねんの課題としょでは、『ジョージとちいさな金星人』という、子どものキズつきやすい心理をえがいた、もんだいさくもありました」
「ちょっとその本に興味がわいたよ」
「わたしも、あらすじを読んだだけですが……じっさいにありそうな事件を書いたような、そんな作品でしたよ。アメリカの大学きょうじゅが書いた本みたいですが、あきらかにたいしょうねんれいが低がくねん向けではありません。少なくとも、この日本では」
「アメリカ感覚なのかなあ」
「低がくねんの文字せいげんは、800字ぜんご、1200字いか。とにかく、私がマジメにかんそう文を書けば、とても1200字以下で収まりそうなテーマではありませんし、あえて本質をはずして書けば、『ふざけるのもたいがいにしろ』と、怒られるかもしれません。ですので、自由としょの、カエルのゆうじょう物語で、お茶をにごしておこうかと」
「なるほどね」
なんとなく分かった。そして、雪奈が言っている事がウソでも誇張でもない事も、今までの状況から理解できた。文字数制限がなければ、1万字くらいのレポートを雪奈PCで打ち出して提出しかねない。もっとも、手書きでないと誰が書いたか分からないから絶対に、本人が書いたものとは認められないだろうけど。雪奈をよく知っている人間でないと小学2年生の書いたものとは認められないようなシロモノになる事は、簡単に想像できた。まったく、なぜこんな課題図書を低学年向けに混ぜたんだ。意味が分からないよ。
あと、こと読書感想文に関して言えば、雪奈は学校教師を全く信用していない事もよく分かった。
「大人はいつも、子どもを理解しそこねているのです。子どもだましにダマされる子どもはいないのに、そう思いこみ、むずかしすぎる問いにも、ウチの子なら分かるはずだ、と、かぶんなのうりょくをようきゅうしては、勝手にげんめつしたりするのです」
と、雪奈はまとめていたけれど、雪奈自身が言うと、まったく説得力が無くなるのはなぜなんだろう。子供だましに雪奈が騙されないという点だけは理解できたけどね。
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そんな会話をしていた、この時の僕らは、まだ想像すらしない事だけれど。
この年の夏、春奈の書いた(ゴーストライター・ユキナ原稿の)読書感想文は、夏の読書感想文コンクール、市の選考委員会に選ばれて県の選考委員会に送られ、県の選考会も突破して県の代表作品の一つとして、中央(全国)選考会へと送られる事になる。惜しくも中央の選考会では賞をもらう事が無かったが、県の代表作品を書いた生徒として、全校集会で賞状を渡されるという事態に発展する。
なお、県代表の作品は自動的に『全国入賞』扱いになるという事だった。僕の知る限り、うちの学校から県代表作品が選出された事は無かったので(読書感想文コンクールでの表彰なんて見た事なかった)はじめて知った。なお、県代表として中央の表彰式に招待されるという話も出たらしいが、なんとか辞退させてもらう事はできた。
雪奈いわく、『ちょっと教師ウケを……ねらいすぎましたね』との事だったが、春奈はこの話題が出るたびにガクブルしていて、『冬からは全部、自分で書く』と、何度も繰り返し言っていた。春奈はちょっと面倒くさがりなところがあるけれど、基本的に善人だし正義感も強いし、友達思いでもある。ちょっと良心に響くものがあったのだと思う。きっと今後、感想文をゴーストライター・ユキナに発注する事は無いだろう。
あと、インチキは自分のためにならない。そんな感想を、僕は抱く事になる。下手でもなんでも、感想文は自分で書くべきものだ。それが正しい事なのだ、と。
かならず教師ウケのよい文を仕上げてみせましょう――
宿題としては満点だと思うので、まあおっけーですよね。
皆様の暇つぶしになればいいと思っております。ゆるーく流し見ていってくださいませ。




