07 妹は読書感想文が嫌いだ
日記をつけるのが好きな子でも、読書感想文はキライな事があるのです。
日曜日の昼下がり。母さんが買い物に出かけていて、僕達4人だけが家に残っている時の事だった。この間『夏休みの自由研究』の話題が出た事もあって、もう目前となっている夏休み、そして夏休みの宿題についての話題が上がった。
「もんだいは、読書かんそう文、ですね」
雪奈がこう言ったのが、一連の小事件の始まりだった。
「雪ちゃん、読書感想文だけは嫌いだもんねー」
そう言う春奈も読書感想文は大嫌いなくせに。もちろん僕も好きじゃないけど。
春奈は長文が嫌いなのか、それとも『感想文』というものが苦手なのか、去年もその前もその前も、夏休みや冬休みの読書感想文はすべて、僕や父さんに手伝ってもらって、どうにかこうにか片付けていたような記憶がある。少なくとも去年は僕が手伝った気がする。文章量を稼がなくてはならないから、『何かいい文章ネタ出してよー』と、何度となく絡まれた記憶がある。自由研究といい、手間のかかる事が嫌いなんだよなぁ。
「しかし、少し意外に感じるなあ」
父さんはそう言いながら、冷蔵庫からプチエクレアを取り出した。途端に雪奈が『ワーイ』と手を上げて父さんにピッタリと寄り添う。相変わらず食べ物に弱い。
「雪奈は語彙力があるし、感想文とか得意そうに思うんだが」
「読書かんそう文は、本を読んだ『かんそう文』を書くものではありません。キライなのもそれがりゆうです」
雪奈が唇を引き結んで突き出すようにして、本当に嫌そうな気持ちを表す表情をしている。いつもニコニコ笑顔の雪奈がごくまれに見せる、本当に嫌そうな顔だった。
「感想を書くものじゃない?じゃあ何を書くんだい?」
「担当の先生への、おべっかです」
雪奈の答えは相当に辛辣なものだった。
「……どういう事かな?」
「これは、ネットで読んだ『実例』なのですが」
雪奈はそう前置きして語り出した。
「とある子どもが、夏の読書かんそう文を書くとき、きょねんのコンクールゆうしゅう賞を取ったかんそう文を読んだのです。そのかんそう文は、とうじょう人物のこうどうに対して、『じぶんなら、こうする』とか『これはおかしい』など、ひひょうをふくめ、じぶんのすなおな気持ちを表現した文でした。その文にかんめいを受けたこどもは、『じぶんもこんな感じで書こう』と、かなり自由なふんいきで、その年のかんそう文を書いて、ていしゅつしたのです」
「ふんふん」
「どうなったと思いますか?」
「……あまり、いい評価を得られなかった?」
「先生に『もっと真面目に書きなさい』と言われ、かんそう文を、つっ返されたのです」
「………………」
「こどもにとって、その年のかんそう文は、自信作でした。『かなりの名文をかけた!!』と、じこひょうかはサイコー!!なものでした。これはウケる!!と。しかし、先生からもらったひょうかはサイアクでした。もんだいがい、じゅりふか、というひょうかです」
「…………それは……」
「読書かんそう文というのは、あくまで『設問』なのです。先生が、さらにはその上の地域教育いいん会が、オモテにださないけれど用意してある『もはんかいとう』に近いものを書いてこればよし、そうでなければ『ふざけている』と断ずるシロモノなのです。つまり先生に気に入られる『解答文』を予想し、組み立てるパズル、いっしゅのクイズのようなものです。まったくもってアタマにきますよ。ふつうにテスト用紙をくばれ、と言いたくなります。げんこう用紙など、ただのかざりです。『かんそう文』ですか?ちがいますよ。『解答文』を作成する作業なのですよ」
「……うーん」
「わたしは、『作文』は好きです。でも、『かだいとしょ』を読んで書かされる『読書かんそう文』はキライです。そつろんのレポートじゃあるまいし、なんで先生の顔色をうかがわなきゃならないのですか。読む本はロクにえらべないのですから、せめて書く文くらいは好きにやらせてくれてもいいじゃないですか」
「……あー、うん」
「だいたいなんですか『まじめに書きなさい』って。まじめにやってますよ!!むしろ自分の文を読む、読者のきょうみを引くような切り口をかんがえて書いたんじゃないですか!!それを『本の書き手がゆうどうする流れにのってないから』とか『先生のかんがえたりそうてきな、あるべきかんそう文』になってないから、みたいな理由で、つっ返すとか!!ふざけてるのはどっちなんですか!!かんそう文でしょ!!こくごのどっかいぶんしょうもんだいじゃあないんですよ!!かんそうを書くことを禁止して、なにがかんそう文ですか!!アナタは『かんそう』の意味をしっているのかと、しょうがっこう出てるのかと、そういうレベルですよ!!」
「……うん」
「ちゃんと聞いてるんですか、おとうさん!!」
「はい、聞いてます」
「こんなふざけたマネされるくらいなら、よまずにハンコ押して、いちりつに点数つけてくれた方がまだマシってものですよ!!それとも、よんでくれた事にたいして『ありがとうございます』といえと?!そもそもその年に書いたかんそう文は、前の年の全国読書かんそう文コンクールでゆうしゅう賞をもらったやつと、ノリはそんなにちがわないのに!!ものを知らないのはどっちだって話ですよ!!それともなんですか?!おれさまはもんぶ省のしんさ委員よりもがんちくがあるとでもいいたいのですか!!」
「うん、うん」
「もちろん『課題』であるいじょう、学習こうかをのぞまれるのは、とうぜんのことです。しかし!!『なにを学びとったか』は、それこそじゆうではないですか!!それをまるで『おまえはアタマがわるい』と、言わんばかりのこのやりかた!!のぞましい答えいがいは0点にするなら、さいしょっから学習テーマをしさするべきではないですか!!きいいい!!!!」
「はい、雪奈の好きなイチゴエクレアだよ」
「いただきます」
目の前にエクレアを差し出されて反射的に手に取る雪奈。
小さな口にエクレアを押し込んで、もそもそと食べる雪奈。あのてっぺんハゲヅラめ、みたいな事を、ぶつぶつ言いながらも食べ続ける。
会話の途中から急激にヒートアップしていった雪奈だったが、少しの間、よく冷えたプチエクレア(イチゴ味)を食べ終えて一息ついた頃には、いつもの雪奈に戻っていた。
「いうまでもなく、もちろんネットで読んだ、その人の、『体験だん』ですが」
「うん、分かってるよ。大変だったんだね、その人」
ホントかな。前世の記憶じゃないのかな。自分自身の。
「その子どもが読んだ、前の年のゆうしゅう賞のかんそう文は……受け取った先生や、その地域の、せんこう委員の人も、かなりユーモアセンスのある人ばかりだった、という事なのでしょうね。もちろんこれは、いっしゅのきせき、ファンタジーみたいなものです。そこらへんで見られるこうけいじゃ、ありません。きぼうをいだくだけムダですよ。ですので、しゅくだいの読書かんそう文は、とてもつまらないタダの作業です。文字数のちょうせい作業ですね。文字数をかせぐだけなら、かんたんなものです」
2年生になって原稿用紙2枚を超えても良くなりました。去年より楽ですね、でも心理的に面倒きわまります、と言う雪奈。面倒だけど文字数の増加を歓迎する、というのは、春奈や僕にとってはよく分からない心理だと思った。
「……ねぇねぇ、雪ちゃあん」
「なんですか、おねえちゃん」
春奈が雪奈にすり寄っていた。あからさまに下心のありそうな猫なで声を出している。
「わりと簡単なの?文字数を稼ぐの」
「ひょうかをむしして、でっち上げるだけなら楽なものです」
「中学年のでも?」
「げんこうようし2枚いじょう3枚いない、ですよね。たかが1000字ていど、楽なものです」
「ホントに?!」
「おちゃのこさいさいです」
やはり春奈の目論見は、自分の嫌いな読書感想文を雪奈に手伝ってもらう事だった。
しかし、小学4年生が感想文を小学2年生に手伝ってもらうとか。上級生のプライドとか姉としてのプライドとか、そういうのは無いのかな、春奈。
「でも、お父さんの協力がひつようです」
「お父さん、雪ちゃんを手伝って」
「いいのかなあ、この流れ」
「母さんが居たら怒られそうな気がするよ」
しかし母さんは外出中。今は春奈の無法地帯だ。
「雪奈、父さんは何を手伝うのかな?」
「あのホコリをかぶっているノートをください」
どうやら、雪奈が必要としているのは直接の手伝いでは無いみたいだった。ここら辺が春奈とは違うところなんだよなぁ。しかし、ノートか。買い置きのノートかな。下書きにでも使うんだろうか。
――と、思っていたら。
下書きに使うのは間違ってなかったが、雪奈の要求した『ノート』は、ノートはノートでもノート違いだった。父さんの本棚の隅っこに押し込まれていた、型落ちで少し厚みのあるノートPCの事だったのだ。
「……このノートPCが欲しいのかい?雪奈の好きなネットは見られないよ?」
「通信はしません。テキストのへんしゅう作業と、プリンターへのしゅつりょくができればいいのです。文字すうのかくにん、そしてテキストのさくせいは、ワープロソフトがさいてきです。このノートは小さすぎてキーボードが使いづらい、と言って、お父さんがおくら入りにしていたものです。ですが、わたしの手のサイズにはちょうどよろしいのですよ」
久しぶりに電源が入った小さなノートPCは、きゅいーん、という音を立てながら、少し時間をかけて立ち上がる。雪奈が画面の端の方のアイコンを操作して、ワープロソフトを展開する。どうやら動作に問題は無さそうだ。
「タッチパッドもいいですが、やはりキーボードをたたくのは、よいものです」
雪奈は小さな手をホームキーの位置に広げると、タカタカと音を立てながら、文字を打ち込んでいく。『西暦199X年、地球は核の炎に包まれた』などという文章が書き出されていく。いったい何のドラマなんだろう。これもネット情報だろうか。そもそも『核の炎』って、核戦争の事だろうか。西暦2000年よりも早く核戦争が起きていたとしたら、現代の日本も平和な社会を維持できていないと思う。昔のディストピア小説の設定か何か、なのかなあ。
それよりも……というか。打鍵がかなり早いぞ。どんどん軽快に早くなっていく。
手が小さいせいか誤打が多くて修正が多いけど、かなりの速度だ。いったいどこで練習したのだろうか。どう見ても小学2年生のタイピング速度じゃないよ、雪奈。
「雪ちゃん、はやい!!」
「すごいぞ雪奈。いつの間に練習したんだ」
春奈と父さんが歓声を上げるが、その答えは返ってこない。
【 練習ソフトというものがあるのです 】
と、画面に返事が記述された。
「チャットのふんいきを、だしてみました」
むふん。と、得意げに鼻を鳴らす雪奈。
「内緒でPCのオンラインゲームとか、やってないよね?」
「やっておりません。家計をあっぱくするマネはしませんとも」
みかかは怖いですからねえ、などと相変わらず意味がよく分からない事を言う雪奈だ。
「というワケで、ノートで起こしたテキストをいんさつして、手書きでせいしょする。そういう流れでしょりします」
「素晴らしいよ!!雪ちゃん天才!!」
実質、書き写すだけで良い、と言われた春奈がここぞとばかりに雪奈をヨイショする。
「おまかせ下さい、おねえちゃん。このゴーストライター・ユキナ、じゅうぶんなはたらきをして見せましょう」
「あたしの妹が有能すぎる!!」
ホントにね。
「でも本は早くきめてくださいね。文のふんいきの打ちあわせと、おねえちゃんのせいしょには、どうしても時間がかかりますので」
「がってんだ!!」
いいのかなあ、このまま放っといて。
「父さん、これいいの?後で母さんに叱られない?」
「うーん……でも、雪奈も春奈も楽しそうだし……感想文の原稿を読むのも、読書だよ。きっと。あと、タイピングする雪奈が可愛いし」
それでいいのかなぁ。まあ、感想文の書き方の勉強には、なるかもしれないけれど。まあ、タイピングする雪奈が(なんだか得意そう)可愛いのには同意するけれど。
「雪ちゃん、キーを見なくても打てるんだね。あたしまだ出来ないなぁ」
「タイピングゲームをやれば、すぐに身につきます。ブラインドタッチなど、3日もあれば身につきますよ。あとは、なれです。日本語キーなど覚えなくていいです。しかし、昔とったきねづかと言いますが、少しばかりなまっていますね。リハビリがひつようです」
そんな感じで春奈と雪奈が会話していた。ゾンビ殺すやつはないんですかね、とか雪奈が言っている。
ブラインド??って、タッチタイピングの事だろうか。あと、練習したのはここ最近じゃないという事だろうか。昔取った杵柄って。それとも小学2年生、8歳児の昔って、半年前とかそのくらい?それとも前世の記憶かな。だとすればブランクは相当長そうだけど。
「それにしても、いつから『リターンキー』を『エンターキー』などと言うようになったのでしょうね。アプリケーションソフトを買うのがふつうになったから、なのでしょうか」
「なにそれ。リターンキー?」
「改行するからリターンだと思ってましたけど。じょうきゅうせいは、プログラミングのじゅぎょうありますよね?打ちこみはしないんですか?」
「打ち込みって何??」
「しよう言語はBASICからではないのですか??それとも2進ほうのじゅぎょうが先ですか」
「べーしっくん、て何??あと2しんほう??」
それちがいますよ、おねえちゃん。などと、どんどん意味不明の会話が続いていた。だいたい話が通じていない事だけは分かった。あと、聞いている僕も全然分からない。
そして、しばらくすると。
「ネットでみたのです」
「ふうーん」
という感じで落ち着いていた。ネットはホントに便利だなあ。
※※※※※※※※※※※※
その後、母さんが買い物から帰ってくると、雪奈がリビングのテーブルの隅にノートPCを置き、タカタカと軽快にキーを鳴らしているのを見て、少し驚いていた。以後、リビングのテーブルの上には家族共用のタブレットと、雪奈のノートPC(正式に父さんから払い下げられた)が置かれる事になる。
バッテリーが劣化しているので近くまで電源コードが引かれ、もしものバックアップ用にフラッシュメモリが刺さりっぱなしの雪奈ノートは、以後リビングのインテリア的な扱いを受ける事になった。時々、家族会議の議事録が記録される事もあり、便利に使われている。ただし型落ちの関係で、ネットの常時接続機能は無しで使われている。
「セキュリティの面でも、スニーカーネットのPCは一台くらいあったほうがいいのです」
「スニーカーネット?」
人間が足でデータを運ぶやつですよおねえちゃん、と春奈に教える雪奈だった。
それはそうと、最近になってますます思うのだけれど、雪奈は転生者セキュリティ的なものは全然保護されていないような気がするんだけど。雪奈ファイアーウォールは、『テレビで覚えました』『ネットで見たのです』くらいしか無いけど、そこは気にしていないのだろうか。年を取るにつれて、そういうのは全然問題が無くなるんだろうけど……それとも、賢い子供という事で、すべて片付いているんだろうか。これもデータ社会の恩恵なのだろうか。もしかしたら現代は、前世の記憶を持つ転生者にとって、生きやすい環境なのかもしれない。
「ところでお父さん、このノート、おいくらでしたか?」
「買った時はまあまあしたかな。中古で3万円くらい?」
「やすい!!かたおちでも20万円しないなんて!!」
「それは新品に近い値段だよ、雪奈」
デフレが進んでますね、と渋い事を言う雪奈。
今日も雪奈はマイペースで生きている。平和なのはいい事だと、そんな感想を持つ僕だった。そして僕は自分で感想文を書くべきなんだろうな、と。そんな当たり前の事を考える。今度1回だけ、雪奈の参考文というものを見せてもらおう……そんな事も思いながら。
このお話はフィクションです。
あと現代は子供の自由な発想を重視する風潮ですので、今の小学校の先生は、子供の作文を突っ返すような事はしません。あくまでネットに投稿された過去の経験談と、個人的な偏見が含まれていたりします。
もちろんフィクションですので、さらっと読み流す感じでお願いします。
暇つぶしとして役立てて下されば幸いです。