57 ネットワークビジネスの話
ねえねえ、ちょっとイイ話があるんだけど……
「ねーねー、雪ちゃん」
「なんですか?? お姉ちゃん」
「この洗剤なんだけどさ。どう思う?? 」
「何ですか、この洗剤。見た事ないブランドですね」
ある日の夕方。僕ら兄妹だけで留守番をしていると、洗剤の小箱を手にした春奈が、雪奈にネタ振りをしていた。洗剤を部屋に保管していたとか、何やら謎の行動だ。机を拭く消毒液とか、そういうのだろうか。
「こないだ友達といっしょに、友達の、叔母さん?? の家に遊びに行ったんだけど」
「それは、お姉ちゃんが全然知らない人の家、という事ですかね?? 」
「うん」
「少し危なっかしい話ですねぇ……。で、そこでコレを?? 」
「うん。この商品いいモノだから、お母さんに使ってもらって、みたいな」
「ほう」
「あと、気に入ったら買ってね。連絡はウチに。みたいな事を言ってたよね」
「販売会社の人ですか??……社員価格で、でしょうか。お安いのですか?? 」
「それは知らないなあ」
雪奈が、アゴに手を当てて、何やら難しい顔をしている。何となくだけど、少しだけ重い空気を感じるような気が。その雰囲気を感じたのか、春奈も口をつぐむ。
「……お姉ちゃん」
「うん」
「そのおばさん、『 会員がどうの 』とか言ってませんでしたか」
「言ってた。なんか『 会員を紹介するとお金がもらえる 』みたいな事を言ってたような気がするけど……」
「アウトぉぉぉ――――――――!!!! 」
雪奈が大声を出していた。いきなりの大声に、春奈もビックリ、僕もビックリして、少し体を硬直させてしまったくらいだ。
「え?! アウト?! 」
「アウトどころか反則で一発退場レベルですよ!! そいつは悪けりゃ『 ネズミ講 』で、良くてもマルチ……いや、最近の言葉で言うところの『 ネットワークビジネス 』とか言われてる、トラブルや破滅が待ち受ける、絶対に手を出しちゃいけないヤツです!! その人とは今後一切の縁を切らなきゃいけません!! 友達にも忠告しておくべきです!! 早急に!! 」
「「ええぇぇ――――!! 」」
雪奈がかなり真剣に、慌てた様子で言うので。春奈が友達に電話をして話を聞いてみると、春奈の友達のお母さんが、会員になるのを検討している、みたいな事を言っていたという事が分かった。
「ほぎゃ――!! ヤバいです!! 話はできませんか?! 」
「ちょっと聞いてみる」
春奈が電話で聞いてみると、友達のお母さんは家に居たので、友達のお母さんと雪奈が電話で直接、話をする事になった。
「……お電話かわりました。ワタシ、お子さんの友人の、山村 春奈の妹の、雪奈と申します。……はい、はい。その雪奈で間違いありません。日頃から娘さんには姉がお世話になっております。それで、ですね。ウチの姉から話を聞いたのですが、何でも会員紹介と販売量によってボーナスのある、副業を始められる事を検討されていると聞いたのですが……ええ、ええ。……ははあ、なるほど。……やはり」
雪奈が電話する様子を近くで見ている、僕と春奈。
「……こういう時、ホントに雪ちゃんって大人だなー、って思うよね」
「電話の時の言葉遣いとかね。大人の人と、あいさつする時もそうだけど」
会話を始めた時とか、電話の向こうの人に向かって頭を下げる様子とか。ああいうの、雪奈の他には見た事ないんだけど。大人になると、ああいう感じになるんだろうか。僕らがそんな会話をしている間にも、雪奈は春奈の友達のお母さんと話をしている。
「……つまりですね、それは『 人間関係を切り売りする 』という商売でして…… 」
何やら危ないワードが飛び出している気がした。
「つまり事実上の販売ノルマで、それをクリアできない場合、どんどん会員に借金が増えるシステムなのですよ」
えぇー。借金。もうダメなヤツじゃん。
「利益を出す事は、理屈では可能です。ですが、とても『 副業で 』『 簡単に 』行える、そんな商売ではなく、血を吐くほどに必死になる必要がある、そんな商売です。基本的には、【 配下の破滅した会員の人数が利益になる 】というシステムなのですよ。言い換えれば、【 自分の良心と友人関係を切り売りする 】という事なのです」
わー。もうダメだー!! どんな危ない話だったんだ!!
「……はい、はい。これだけは確認しておいた方がいいでしょう。【 在庫は絶対に持ちたくないので、商品を何も買わなくても、会員を紹介しなくても、会員にならなくても参加できるか 】とね。もしも、いずれかの義務が発生するのであれば、それは間違いなく、破滅へのお誘いです。その方との付き合いを止められないのなら、会員にならず、害の無い商品を少しだけ購入するだけ、それだけにしておく事をオススメします」
危ないワードがバンバン入って来ていた。雪奈が焦っていたのは、そういう理由があっての事だったらしい。相当に危ない勧誘だったのだろうか。
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「いやー、焦りましたよ。お友達の親御さんの知り合いの話で、まだ良かったです」
「そんな危ない話だったんだ……」
「やっぱり、アレなの?? 詐欺とか、そういうの?? 」
牛乳を飲んで一息つく雪奈と僕たち。雪奈はずいぶんと長く電話をしていたし、ノドが疲れてしまった感じだった。
「商品の卸元を調べてみないと分かりませんが、いまどきだと、たぶん合法ですね。ただ、『 ものすごく努力しないと成功しない話 』を、『 さも簡単に儲かる話 』として説明する辺りは、一種の詐欺だと思います。でも会員規約をよく読まずに会員になったりすれば、自己責任を問われるだけですからね。ちなみに、会員に売上の一部などを上納金として納めさせる『 ネズミ講 』は完全に違法で、発覚した時点で逮捕されても文句が言えません。今回のヤツは、マルチ商法……いまどきの言葉で『 ネットワークビジネス 』というヤツでしょうけど」
「うわぁ―― 」
「ネズミ講って?? 」
知らない言葉だなぁ。聞いた事がない。
「別名『 無限連鎖講 』と呼ばれるヤツですね」
「なんか名前がカッコいい!!」
「でも犯罪なんでしょ」
そうですね。と、雪奈は言ってから、話を続ける雪奈。ところで返事をしたのは春奈の方だろうか。それとも僕の方だろうか。あるいは両方なのだろうか。
「ネズミ算、と言われるモノがありましてね。親が子を生み、子が孫を、孫がひ孫を、という具合に、倍々計算で無限に数が増えていくヤツを大体そう呼びます。そしてネズミ講というのはネズミ算式に下部組織が増えていくシステムで、会員が会員を勧誘し、子会員が孫会員を勧誘し、孫会員がひ孫会員を勧誘するんですけど、入会する時の入会金とか、商品の売り上げの一部を上位会員がピンハネ……自分の懐に入れる事が出来るんですよ。これに参加したら前科がつきます。誘われても絶対に手を出しちゃダメです」
「「おお―― 」」
「そして、マルチ…… じゃない、『 ネットワークビジネス 』ですが、これは下部会員から上前をはねる事ができるんじゃなくて、下部会員を紹介したり、下部会員が売り上げを出した時、それに応じたボーナスが親会社から支払われるというシステムです。そのため、自分の下部会員…… つまり『 自分のネットワークによる売り上げ 』が増えれば増えるほど、自分が個人的に販売する商品の売り上げとは別にボーナスが入って来て、理論上は自分が仕事をしなくても収入が入って来て生活できる、という事になります」
「「 おお――!! 」」
「ですが、会員は親会社から『 月間の商品仕入れノルマ 』を課されますので、自分の子会員や孫会員が増えないと、仕入れた商品を販売するためのセールスに忙殺される事になります。自分の子会員や孫会員が居ない場合、結局はセールス業をしなきゃなりません。しかも商材のサンプルを持って行って契約を取り付ける、普通のセールスマンではなく、『 親会社からの仕入れを義務付けられた自営業者 』ですので、商品販売がうまくいかなきゃ、どんどん首が回らなくなります。軽い気持ちでマルチを始めた人は、たいてい実家に『 販売予定の無い商品の大量在庫 』を抱えて、途方に暮れる事になるでしょうね。だから必死になって子会員を増やそうとしますし、上位会員も『 勧誘マニュアル 』だとか『 勧誘セミナー 』とかを使って会員を増やそうとするんですが、これって【 自分の代わりに地獄に落ちる犠牲者を捕まえようとしている 】だけの事なのです。人の人生や貯金を食い物にしているだけなのですよ。人の心を捨てなくては出来ない仕事です。コンビニ店舗営業も近い事をしていると言えばそうなんですけど、あっちは店を構えて不特定多数の客を親会社のブランドや商品で引き寄せるという、親会社の威光や商品を頼るメリットがありますが、こっちの方は商品販売はすべて会員の努力、自分の人脈と労力頼みです。親会社の商品にブランド価値が無ければ、商品だってロクに売れませんよ。借金が増えるばかりです」
「「 ……………… 」」
これは、ひどい。
「ワタシはこれで札風呂に入れるようになりました!! みたいな感じで、ハダカの美人のおねーちゃんと一緒に札風呂に入ってたりする【 成功者の写真 】とかを見せられて勧誘されたとしても、絶対に信じちゃいけませんよ、お兄ちゃん」
「僕がピンポイントで注意されてる?! 」
何か男子への信用度が、少し低いんじゃないかなあ。もっと兄を信用しようよ。
「こういう話を、お姉ちゃんが持って来てくれて、少し安心しました」
「なんで?! 」
「お姉ちゃんが大学生くらいになって、自分のクレジットカードを持つようになって、すでに何かの会員になって、ワタシを勧誘に来ていたらと思うと、ゾッとします」
「…… うわー。その可能性、あったかも…… 」
「こういうの、身内がハマった時が、いちばん困りますからね…… 。お姉ちゃん、何かの勧誘を受けても、必ず相談するようにして下さいよ。将来、彼氏ができた時とかも要注意ですからね。友達に、何かのセミナーに誘われた時もキケンです」
「はい」
普通に春奈も心配されていた。僕も用心しておこう。
「基本的に【 成功する方法、教えます 】と言う人は【 詐欺師 】ですから、そこは押さえておいてください。投入資金が少なくても確実に儲かる方法がある、というのなら、それは必ず自分で実行します。他人を勧誘するのは、『 勧誘する事によって自分が利益を得る 』からなのです。『 自分の利益を説明しない 』連中は間違いなく詐欺師です。『 僕はもう充分に儲けました!! 次は君達に儲けて欲しい!! 』とか、欲深い大人が言うワケないんですよ。株取引の証券会社といっしょで、確実な方法を知っているのなら、他人の金を使ったりしません。不確定要素のリスクを負いたくないから、他人の金を使うのです。証券会社が犯罪者として捕まらないのは、『 これはあくまでバクチです 』と、事前に説明しているからに過ぎません。この手のマルチ商法の勧誘は、【 失敗した時のリスク説明を一切しない 】というのが特徴です。決して【 うまい話などではない 】という事です」
「こわいね」
「こわいなぁ」
雪奈はノドが乾いたのか、コップに牛乳を注いで飲んでいた。
「この手のマルチ……『 ネットワークビジネス 』ですが、『 自分のネットワーク 』を当てにする部分があるでしょう?? チームを組んで不特定の人間を投網で捕まえるようなセミナーを開く事のできない人は、家族・友人・クラス名簿のリスト等を、片っ端からターゲットにして勧誘する事になります」
「うわー。あたしの場合も、それに近い気がするー」
「イヤだなぁ…… 」
「はい、それです。お兄ちゃん。この手の勧誘に失敗すると『 あの人は危ない 』と思われて、交友関係が途絶えます。場合によっては、悪いウワサが回りまわって、自分の周囲から人が消えて村八分状態になります。人間関係を切り売りする商売、っていうのはそういう事です。勧誘の言葉を信用した結果、貯金も、友達も、地域社会の評判もすべて失って、残ったのは借金と不良在庫だけ。そんな風には、なりたくないでしょう?? 」
「勧誘ダメ!! ぜったい!! 」
「ネットワークビジネス、危ない!! 」
世の中は危険に満ちている。それを実感した僕たちだった。
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「雪ちゃん、こないだ話してた、友達の叔母さんなんだけど」
「はい」
「説得したら、会員やめたんだって。なんか色々大変だったみたい」
「マルチから開放されたのなら、それは良い事です。ひと安心ですね」
ふーやれやれ、と。お茶を飲む雪奈だった。
「おいしい話って、無いのかなぁ」
「どうやったらネットでバズれるか、そういう事を考えてた方がまだマシですよ。あ、もちろん『 このセミナーを受ければネットでバズれる 』みたいなのも詐欺ですからね。胡散臭いタイトルの本でも書店で買って、読んでた方がマシというものです」
とりあえず『ネットワークビジネスに手を出すな!! 』みたいなネタで、動画を1本作りましょうか。とか話している雪奈たちだった。人をだましたり犠牲者を作る仕事をするくらいなら、マジメに面白動画でも作りましょう。そんな感じで。
ともかく僕らの生活は平和を維持できている。将来も、変な勧誘に引っかかって平和を脅かされたりしないよう、注意して生きていこうと思う。やっぱり平和がいちばん。つくづくそう思う僕だった。
今なら確実に儲かる話があるんだ!! いっしょにやらない?? 普通は100口単位で○○○○○○円なんだけど、今なら10口○○○○○円で参加できるんだぜ!! 友達を誘って一緒にやると、5%のペイがあるんだ!! お前の友達も誘ってくれよ!! な!!
こういう人がいたら、すぐに逃げましょう。友達をやめた方がいいです。どうしても大事な友達だったら、『 オマエが辞めるというまで、僕はオマエを殴る!! 』とかいって鉄拳制裁してやりましょう。マルチだめ、ぜったい。ネズミ講だったら即座に通報しましょう。
というか、いまどきこういう手に引っかかる人は居ないだろうなー、とか思ったりするのですが、実はそうでもないらしいです。お気をつけください。
当作品は、ボケーっと流し読む感じの、子供の平凡な日常を記録したような日常系です。睡眠導入剤のようにお使い下さい。今後も、ゆっくりお付き合いくださいませ。




