54 雪奈の苦手な先生
小学生にだって、苦手な先生は……
「学校は好きです」
新学期が始まって間もなくの、ある日の夕食どき、食事を終えた雪奈が唐突に言った。
「でも、『あの先生』は、どうも苦手です。……いえ、蛇蝎のごとく嫌っている、というワケではないのです。ただ……どうも苦手というか……相手の距離感と、こちらの距離感がどうにも合わないというか、パーソナルスペースの共有とか妥協点に折り合いがつかないとか、そういう意味でですね」
「なれなれしい所がニガテだって、雪ちゃん言ってたもんねぇ」
雪奈の愚痴を、わかりやすく通訳してくれる春奈だった。
「雪奈がそんなに苦手とするような先生って、いたっけ??」
「少なくとも担任の先生には好かれてるわよね??」
父さん母さんの言う通り、雪奈は勉強ができるし礼儀正しいし、集中力が無さ過ぎて授業中に授業妨害をするような事もなければ、先生の言う事を聞かない子でもない。クラスでは相談役というか何と言うか、実質的なリーダー格のようなモノらしいし、面倒を起こすような子をたしなめる立場にあるようだし。ちょっとやんちゃな子と一時期は対立……というか、一方的に目の敵にされていた事もあったけれど、何の不都合も無く適当にあしらっていたという実績もある。学業の面でも生活の面でも特に不具合の無い、模範的……と言えるかどうかは微妙だけど、優等生の扱いだろう。
子供をいじめて楽しむような、問題のある先生の話も聞いた事は無いし、年配の先生とか、僕ら視点からして相当の年上の人とは逆に話が合うはずだ。しかし、そんな雪奈が『苦手』と言う先生、というのは、やっぱり……
「スティーブ先生は苦手です。というか、あの人は正確に言えば教師ではなくて『 ALT(Assistant Language Teacher) 』とか呼ばれる、外国語の指導助手なのですが……何がダメかって、第一印象からしてダメで、もう本当にメンドクサイのです。そりゃ付き合いは今年からが初めてというワケじゃありませんけど、いつまでたっても対応が変わらないので、こっちもあの人に対する苦手意識にも改善のしようが無いのですよ」
やっぱり。英語の授業でときどき顔を見かける、スティーブ先生の話だ。ウチの学校を担当している、外国人の先生。雪奈が言うには先生ではなくてナントカ助手、というものらしいけど。
「どういう風に苦手なんだい?? 」「第一印象からって」
少し心配した様子で、父さん達が聞いてみるけど……
「お父さん達には、まだ言ってませんでしたっけ……?? あの人、初対面の時に見かけでワタシを外国の子と判断して、いきなり英語で話しかけてきたんですよ!! 迷惑千万な振る舞いです!! 」
「えぇ――」「あぁ――」
という理由だった。これに関しては、僕や春奈は以前に聞いた事があるので知っている。雪奈は見かけからして外国の子と思われても仕方ない(瞳が青いし、金髪だし色白だし)のだけれど、スティーブ先生はやたらテンションの高い人で、あの勢いで英語で話しかけられたら雪奈でなくとも困惑する。というか、僕らも授業でハイテンションの英語トークだかスピーチだかをかまされて、少し引いた事があるのだ。
「……で、どうしたんだい?? 」
「『アイムジャパニーズ!! キャンノットスピークイングリッシュ!! 』と、完全な日本語発音で言い返してやりましたよ!! 」
「……スティーブ先生の反応は?? 」
「『HAHAHA!!』とか言って笑ってました。あのヤンキーめ!! ファッキン!! 」
「そういうの、スティーブ先生には言わないようにね……」
「反射的に、中指立ててやりたくなるのを必死にこらえました」
「よく我慢したね。今後もガマンしてね」
ウワサによると中指立てるゼスチャーは、アメリカの人だと、本気でブチ切れる人が大勢いるという話だ。いくら腹が立ったとしても、絶対にやらないで欲しいと思う。
「英語は苦手なんですよぉ」
雪奈が珍しく、勉強関係で愚痴をこぼしていた。
こう言っちゃなんだけど、見かけからすると、すごく違和感があるんだけど……日本生まれの日本育ち、完全な日本語環境で育ったら、そりゃそうか。外国の子が子供の頃から英語とか話せるのも、耳に入る言葉が全部英語だから……というだけの話だし。見かけと中身、能力は全然関係ないよなぁ。雪奈を見ていると『人を見かけで判断してはいけません』という言葉の意味が良く分かる。特に雪奈の場合は。
「モーツァルトでも聞くようにした方が、いいんでしょうか」
「なにそれ?? モーツァルトって、あの外国の、クラシックの人だよね」
「はい。日本人はヒアリング……英語の聞き取りが不得意である、というのが昔から言われてましてね、一般的な話ですと、聞き取り訓練をしないと英会話ができないらしいんですよ。これは日本語の発音が英語の発音と全然違うからでしょうが……発音が怪しくても、文法と単語が理解できていれば、聞き取りさえできれば会話はできます。文法と単語の知識だけなら、中学・高校の授業をマジメにやっていれば最低限の知識は身に着くようなんですが、聞き取りが全然ダメなので筆談しかできない、というのが一般評価でした……で、モーツァルトの曲の音は、英語発音の『 音 』に近いらしくて、聞き取り訓練の足しになる、という話を聞いた事があります。確かめた事はありませんけど」
「へぇー!! そうなんだ!! じゃあモーツァルトを聞くようにすれば、英語ペラペラになれるのかな!! 」
さすがにそこまで甘くは無いと思うよ、春奈。ちゃんと言葉を覚えないと。音が拾えても何を言ってるか全然分からないと思うよ??
「国営放送ラジオの、英語勉強番組でも聞くようにした方がいいんでしょうか……それはともかくとして、あのヤンキー……じゃない、スティーブ先生ですけどね。事あるごとに英語で話しかけてくるんですよ。もうワタシが日本人だと知っているはずなのに!! まったくもって腹立たしい!! 」
「英語の聞き取り訓練だと思えばいいんじゃないか?? 」
「そう簡単に会話できるようなら、苦労しませんよ!! こっちはハウアーユー?? ぐらいしか受け答えできないのに!! 何やら長文の、今どきの大学入試センター試験みたいなリスニングを強要しくさって!! こちとら生まれも育ちも日本なんですよ!! ここは日本なんだから、そっちが日本語しゃべれ!! と言いたいのです!! 」
「英語の先生として、小学校に来てる訳だしなぁ……」
「しょせんは小学生なのですから、手加減をして欲しいと思います」
「……うーん」
雪奈が一般的な小学生かどうか、という点においては大いに疑問がある。というのは僕を含めて御近所様の共通認識だから、『小学生なんだから手加減してくれ』という雪奈の物言いには、素直にうなずけない気がする。……というか、他の授業を片手間にこなせる力量があるんだったら、英語を頑張って勉強したらいいんじゃないかな、などとも思ったりするので、ますます素直にうなずけない。英語勉強しようよ、雪奈。
「第一印象が悪かったせいか、あの意味も無く陽気なテンションと顔を見ているとイラつくようになってきてしまったのです。とはいっても、英語の授業はそれほど多くはありませんし、必ずしもあのヤンキー……じゃない、スティーブ先生とエンカウントするとも限りません。ガマンして付き合っていくくらいの度量はあります。相応にうまくやっていきますとも」
「仕事上の付き合いとして、割り切っていくっていう事かな」
ときどき雪奈の、スティーブ先生に対する毒が噴き出ている気がするけれど……キライな先生にバカなアダ名をつけるのは、小学生的にはよくある事だから。これも雪奈の小学生らしいところ、というべきなのかな。
「ねえ雪ちゃん、『ヤンキー』って、不良の事じゃないの?? スティーブ先生って不良なの??」
「いえ、『ヤンキー(Yankee)』というのは、もとはアメリカ北部に住んでいる白人への悪口です。ですが現在ではアメリカ人を大雑把に指すスラングで、しかも悪口レベルは各段に低下しているので、あまり悪口として機能していないみたいですよ。プロ野球チームの名前にもなってますし、他にもいろいろあるみたいですし」
「じゃあなんで、不良の事をヤンキーって言うの?? 」
「それはよく分かりません。アメリカのヤンキーとは全然関係が無い、という話は聞いた事がありますが……とりあえずワタシは戦時中の悪意レベルを込めて、ヤンキーと呼びたいと思っています。場合によっては毛唐と呼ぶ事すら考慮しますよ」
「けっこうキライなんだね」
いえ口がすべっただけです、などと言う雪奈だったけど。スティーブ先生の事はかなり苦手にしているんだろうなぁ。とはいえ、単に向こうが馴れ馴れしいのがうっとうしい、というくらいの事だと思うけど。スティーブ先生のハイテンション授業は、面白いモノ好きの子達からはけっこう人気だとも聞くし。
先生だって生徒を選べないんだし、勉強は勉強として、雪奈には少々ガマンしてもらって、スティーブ先生の英語授業を受けて欲しいと思う。何だかんだいって、雪奈の数少ない苦手な勉強を克服できる可能性があるんだし。がんばろう、雪奈。
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「聞きましたか?! スティーブ先生がいなくなるんですって!! ひゃっほー!! ヤンキー!! ゴー・ホーム!! 」
とある日の事。スティーブ先生が帰国のため居なくなる、という情報を入手した雪奈が、大喜びしていた。「次はきっと留学経験のある日本人講師が来ますよ!! バンザーイ!! 今日のごはんは最高においしくいただけます!! 」などと言って、カラアゲをおかずに、ご飯をお腹一杯に食べて動けなくなっていた。
そしてまた、数日後。
「なんなんですかあの新任講師!! だれが金髪巨乳の外人女なんか採用したのです!! 採用担当はきっと講師としての能力ではなくボディラインしか見ていなかったに違いありません!! セクハラです!! 採用責任者が分かったら深夜に公衆電話から無言電話をかけてやりますよ!! 」
と、新任の英語の先生を朝礼で紹介されたその日、家でキレ散らかしている雪奈だった。スティーブ先生に代わって、僕らの学校に来た新任の英語の先生……外国語の指導助手の人は、確か『ジェミー・ソマーズ』という名前の、若い白人の女の人。雪奈の言う通りのグラマーな、若くて美人のアメリカ人女性だった。そしてキレ散らかす雪奈に、春奈が質問する。
「でもスティーブ先生と違って、テンション普通だったじゃない?? 」
「スティーブと同じように、ワタシに英語で話しかけてきたんですよ!! 嫌がらせですか?! それとも自分と同じ金髪と青い目だからって勝手に親近感を持ったんですか?! ありがた迷惑なのもいいとこですよ!! 」
「……英語で話しかけられて、どう対応したの?? 」
「頭にきたので『ワッタシ、エイゴ、ワッカリマセーン』と言って、目をあさっての方向に向けて首をすくめて手のひらを上に向ける、『やれやれだぜ』のゼスチャーをしてやりました。可能な限り、ふざけた感じで」
「ジェミー先生の反応は?? 」
「一瞬ひるんだかに見えましたが、次の瞬間ゲラゲラ笑ってましたよ!! あのヤンキー女め!! 一発ギャグをやったつもりは無いんですよ!! 」
どうやら今回の外国人講師の先生も、第一印象はよろしく無かったようだ。もっとも、相手の方はそうでもない気がするんだけど。雪奈としては上手に対応するつもりだったのかも知れないけれど、裏目に出たんじゃなかろうか。今後も親し気に距離を詰められるような気がするよ……。
ちなみに、その『ふざけたリアクション』は、クラスの友達の間で少しだけ流行ったみたいだった。全方位的にギャグだと受け止められたらしい。
「将来は英語を使わなくても生きていける仕事についてやります。外国なんて絶対に行きません」
雪奈の決意じみた言葉が聞こえた。
「でも海外旅行とか、してみたくない?? ハネムーンとかで」
「海の向こう側、というのだったら沖縄でも北海道でも結構じゃないですか。ワタシは南九州オランダ村で海外旅行気分でも味わいながら、ホットワインでも飲めれば充分です。桜島の噴火を見ながら、砂蒸し風呂で昼寝してやりますとも」
治安も食事も交通の便も、日本がいちばんですよ。などと言いつつ、ところで今晩のおかずは何ですか、と。気分を切り替えている雪奈。とりあえず現在のところは、英語も自在に話せるようになるつもりは無いらしい。
ちょっと惜しいなあ、もう少し頑張ればいいのに。でもまあ、まだ小学生だし、そのうち気が変わる事もあるかな。と、そんなことを考えつつ。
今日の夕ご飯のおかずは何だろう。僕も雪奈と同様に、今現在の気になる事に意識を移すのだった。結局のところ、僕らはまだ小学生。こんなものだろう、と思う。
クラス担任ではない先生が、専門教科を見るというシステムが導入されつつある、最近の小学生事情でした。まあ最初は発音とか、カンタンな会話とか単語から『慣れてもらう』ところからスタートみたいですけどね。塾は別として。
英語の先生(便宜上、先生と呼ぶ事に)の名前に関しては、あまり気にしないでください。本作はごく普通の日常系なので、サイバーパンクでもなければSFドラマでもありません。そういう設定は無いので。ホントですよ。
ときどき日常系トラブルも発生しますけど、今後もゆるーい日常ドラマを流していきます。ゆるくお付き合いくださいませ。




