05 僕の妹と自然の掟
よくも!!
西川さんちのお爺ちゃんが、時々遊びに来るようになった頃。
まだ雪奈は継続的にカエル従業員(イモムシの殺し屋)を増やす工作をしていた。
あちこちからアマガエルを集めてきては飼育容器で飼育保管し、一定数になるとキュウリの周りに放すという攻撃的ガーデニング(?)活動を進めていた雪奈だった。
「タダではたらく、ステキなじゅうぎょういんです」
ふふふ。と、妖精のように可愛らしく、あどけない笑顔を浮かべる雪奈。ただし言っている事はブラック企業の社長そのもの。そして数日の間、アマガエルを観察しつつ時々首をかしげる、という行動を続けた末に。
『ゆるさん!!ぜったいに、ゆるさんぞ――!!!!』
などと。少年雑誌のバトル漫画に出てくるボスキャラのようなセリフで吠える、雪奈の声が聞こえてきた。まるでバトル漫画の中盤で出てくる、小物感が少し漂うボスキャラみたいなセリフだった。
なんだろう。ザコと侮っていた敵キャラに、思わぬ一撃を食らってブチ切れちゃったとか、そんな感じだろうか。ここ最近、雪奈が戦っているのはキュウリの害虫だったはずだから、簡単に駆除できると思っていた害虫が予想外の大繁殖をして、葉っぱを大量に食い荒らされたとか、これから実になる花芽を食われて逆上したとか、そんな事だろうか。
もしかしたらアブラムシが大繁殖して、キュウリが病気にでも感染したのかな。などと考えるあたり、僕もだいぶキュウリの育成に詳しくなった気がする。
「雪ちゃん、お兄ちゃんの漫画でも読んだのかな?」
「あれかな?エアバトル。イメージバトル?的なやつかな?」
春奈と父さんが、それぞれに感想を口にした。
確かに子供がよくやる、ごっこ遊び……僕もやった事はある……仮想上の強敵を相手に、漫画の主人公になったつもりで必殺技を繰り出したり、漫画のシーンを再現してバトルしてみたりするやつ。現場は見えないけれど、セリフを聞いている限りでは確かにそんな感じだ。雪奈の声は、変わらずグリーンカーテンのキュウリの方から聞こえる。
『わたしのぶかを、よくも……いっぴきのこらず、まっさつしてやる!!』
また雪奈の声が聞こえた。
「わりと部下思いのボスみたいね?」
「これは敵役にも人気が出るタイプのやつだな」
雪奈のセリフを品評する、春奈と父さん。僕もだいたい同じ感想を持った。
『しっかりしろ!!きずはあさいぞ、いまたすけてやる!!しぬな!!』
雪奈の声が聞こえる。
「あたし、ボスに同情する」
「ここは主人公が悪役になるシーンかな」
僕も含めて、雪奈が悪役のボス役(中ボス的なやつ)という前提で感想を口にしているけれど、雪奈はわりと渋めのキャラを好きになる傾向があるので、そんなに間違ってない気がする。
『おのれ……おのれ!!ゴミムシどもめ――!!みなごろしだあ!!』
慟哭の叫び、とでも表現できそうな怒りの叫びを上げる雪奈。
「きっと主人公達は、正義を振りかざせば何をしても許される、と思ってる奴らね!!」
「世の中の戦いは、正義と正義の戦いだ、という事を教える漫画なんだな。深い」
うんうん、とうなずき合う春奈と父さん。どうやら観客目線では主人公側が完全に悪役みたいな感じになっているようだった。確かに、雪奈の声はとても臨場感に満ちている。
「僕、ちょっと見てくるよ」
「ジャマしちゃダメだよ、お兄ちゃん」
「シラケさせないようにな?気配りするんだぞ」
二人の注意を背に受けながら、雪奈の様子を見に行く僕だった。
※※※※※※※※※※※※
「…………」
リビングに戻ってくる僕。
「どうだった?雪ちゃんどんな感じだった?」
「元ネタは何の漫画か分かったかい?」
春奈と父さんの問いに、僕はこう答える。
「イメージファイトじゃなかったよ。リアルファイトだった」
「へ?」
「リアル?」
何言ってんの、という表情を浮かべる、春奈と父さん。
「ゴミムシと戦ってた」
「へ?」
「ごみむし?」
意味がわかんないよ、という表情を浮かべる二人。そんな二人に、僕は雪奈と話した事、どのような状況だったのかを説明して聞かせた。
――オオキベリアオゴミムシ。雪奈の敵は、その幼虫だった。
オオキベリアオゴミムシは、ゴミムシ(という名前のグループ)の仲間であり、ゴミムシ類であるがゆえに肉食性の虫であり、そしてオオキベリアオゴミムシという種類のゴミムシの幼虫は、『アマガエルくらいの小型のカエルを専門に捕食する』という特性を持つ昆虫なのだそうだ。
幼虫は食らい付いたら決して離れない構造のアゴと牙を持ち、孵化した直後からカエルを捕食するハンターとして活動する。生きたカエルを待ち構えて食いつくと、その体液を吸い取って自分の栄養とし、充分に養分を吸収するまで離す事は無い。小型のカエルはその過程でたいてい死ぬ。
幼虫は1匹のカエルを完食すると(だいたいそれで充分らしい)、土に潜って脱皮をして大きくなり、またカエルを襲う。脱皮を繰り返しつつ3匹のカエルを捕食して蛹になり、成虫となるのだという。成虫は小型の虫やミミズ等を餌とするらしい。
プランターの土に、オオキベリアオゴミムシの幼虫や卵がいたわけでは無いだろう。これは雪奈が『体に虫がくっついているアマガエルを捕まえてきた』事を覚えているので間違いはないのだそうだ。捕まえてきた当初は、アマガエルの体表に虫がくっついていただけだと思っていたそうだが、くっついていた虫がいつになっても消えない、落ちないので不思議に思っていたところ、実はアマガエルの天敵、オオキベリアオゴミムシの幼虫が食い付いていた個体だった、という事を知ったのだ。
雪奈がネットで調べて気づき、幼虫を片付けるに至るまでに、10匹あまりの犠牲が(死骸の数で大雑把に把握したようだ)出てしまったのだという。
現在、雪奈は被害者(幼虫に食い付かれているアマガエル)を捕まえては幼虫を外し、それが終わるとプランターの土をほじくり返してオオキベリアオゴミムシの蛹や終齢幼虫がいないかを確認している所だった。
「そ、そんな虫が……」
「アマガエルの天敵は、鳥や小動物かと思ってたよ……」
絶句するほどに驚く春奈と父さんだった。
「その筋では、けっこう有名らしいよ。小型のカエル専門の殺し屋みたい」
「……うかつでした。むようのぎせいを、だしてしまうとは」
雪奈が少ししょんぼりして、リビングに戻ってきた。ソファーに座ると春奈から麦茶をもらって一息つく。
「それなりにながくいきてきたつもり、でしたが。オオキベリアオゴミムシのことは、ついせんじつまで、しりませんでした。まだまだしらないことが、たくさんあります」
麦茶を飲みながら、静かに言う雪奈だった。
「うん。雪ちゃんはまだ8歳になったばかりだから。仕方ないよね」
「小学2年生だからなあ」
春奈と父さんの言う通りだ。
8歳で長く生きてきた、というのなら、僕なんかどうなるのだろうか。それとも雪奈の精神的人生としての話だろうか。いったい幾つくらいのつもり、なのだろうか……と、少し興味がわいた。聞くわけにもいかないけど。
「いごは、アマガエルのけんこうかんり、そこだけに、せんねんします。もうあたらしいアマガエルをつかまえてくるのは、やめておきます。じゅうぎょういんがふえると、けんこうかんりがたいへんですから」
雪奈はそう言いつつ麦茶を飲み切り、『お代わりいる?』と聞く春奈に、『はんぶん』と言いながらコップを差し出していた。
どうやら雪奈キュウリカンパニー(仮)は、従業員の健康管理はしてくれる会社のようだった。従業員が全滅されたりしたら現場の管理ができないから困る。そういう理由だろうけど、ブラック体質でも完全に真っ黒じゃない会社のようだった。
手当ては住居と飲み水。食事は寮から出て現場に出たら自力調達。天敵からは一応守ってもらえる。これが野生動物的に良好な雇用条件なのかどうか、僕には分からない。一定数の従業員が現場に残ってくれたら問題ない、という事なのだろうけど。
いずれにせよ、自然界の掟は厳しいものだった。イモムシと一括りにされる、多数の昆虫の幼虫の捕食者であるアマガエルも、肉食性の昆虫に捕食される。食う立場だった者が、一瞬後には食われる者に変化する。食うか食われるか、そんな世界はアフリカのサバンナとか、遠い世界の事だと思っていたけれど、すごく身近にあるものだと知った。
「はたけ、という、にんげんのためのせかいであっても、おもいどおりにはならない。ひとはおのれの、ごうまんさをつねに……いましめなくてはならないのですね」
残る麦茶をチビチビ飲みながら、感慨深げに言う雪奈だった。
「野菜のプランター栽培って、悟りを開くためにあったのね。知らなかった」
「殺意の後には、世界への悟りが開けてくるのか……深いな……」
そういうもの、なんだろうか。雪奈の精神年齢が高いだけのような気がするけど。
「じゅうぎょういんと、すこしだけコミュニケーションをとれるように、なりました」
雪奈いわく『アマガエルの危難音(天敵などに捕まった時に上げる鳴き声)』を覚えたのだという。そんなものがあるのかと、少し豆知識を得た僕だった。
※※※※※※※※※※※※
以後、アマガエル従業員はすべて飼育容器からプランター周辺へと放された。その結果少数を残して、どこかへ散っていってしまったのだが、おそらくは餌の絶対量の関係だろうと思う。やはり人間の(雪奈の)都合に沿って生活してはくれないみたいだった。
それでも少数はキュウリの葉っぱやプランターの下の隙間あたりに常駐しているので、少しはイモムシの殺し屋としての任務を果たしているのだろう。ボスがけっこういい加減だから、部下も気分次第で働いているんだろうけど。
「オクラも、そろそろたべられそうです」
「オクラって結構、見ごたえのある花つけるよねー」
雪奈と春奈が鉢植えのオクラを観察している。オクラもかなり大きくなってきた。
庭先の雪奈キュウリカンパニー(仮)あらため『雪奈ファーム』が地味な影響を与えたのか、付き合いのあるご近所さんでは、夏野菜を何かしら栽培するのが最近の流行りだ。雪奈は調子に乗ってファームを拡大し、今度は『十六ささげ』なる蔓豆を栽培しようとしている。なんでもタネになると、黒豆もやしにできるそうだ。熟す前なら茹でても食べられるらしい。
「いまから、なつがたのしみですねえ」
普通の小学生だったら、『夏休みが楽しみ』『何して遊ぼう』と言うところだと思うけど。雪奈にとっては、『収穫が最盛期の夏が楽しみだ』というファーム経営者視点でものを言っている気がする。もしかしたら蔓豆の成長に合わせて、カエル従業員を拡大雇用する事も考えているかもしれない。勝手に集まってくる可能性もあるけれど。
雪奈の今年の夏休みは、楽しくて忙しそうだ。まあ結構な事だと、そう思う僕だった。
このわたしを、コケにしてくれたな――!!
ボスはお怒りでした。
……そんなよくある日常の一コマ。誰も味方には優しく、敵には厳しい。
食べ物を通じて、自然の掟と世界の摂理を学んでいく、そんな感じです。
暇つぶしテキストとして、ゆるーくお付き合いくださいませ。