32 雪奈さんの自由工作・完結編
書きあがりました。投稿間隔の計算とか無く投稿します。
今日の仕事も問題なく終わったと、ひと安心して家路につく。
平凡な小学校教師、青山第二小学校の2年2組担当の新人教師である大村 良子は、帰りに夕食に追加したい食材を少しだけ買い込んで帰宅した。そのまま入浴、食事をして。
夏休みの宿題の採点の残り、作文をいくつか読んで。いよいよ今日の本題、個人的なイベントに取り掛かる事にした。そう、『 山村 雪奈ちゃんの自由工作 』である、自作絵本の続きを読むのだ。おそらくは前後編の作りになっているであろう、『 ウサギとカメ 外伝 』の2巻目、『 ウサギとカメ 外伝2 ~死線の向こう~ 』を読むのである。
本来の、イソップ寓話の「ウサギとカメ」には、死線を乗り越えるような展開は無い。しかしこれは外伝である。それもおそらくは前世の記憶を持つ転生者であろう、体は子供、精神はヒネた大人な、リアルシニカル小学生の、山村 雪奈ちゃんの自作絵本。カメがやたらと大物感を出していたり、上巻??のカメのセリフの中に混ざっていた、伏線と思える部分が、おそらくこの下巻??の中で回収されるに違いない。
新人教師、大村 良子は。不安と期待にドキドキしながら、表紙をめくって読み始めた。
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前巻『 ウサギとカメ 外伝 』において、水辺のカメと徒競走の勝負をする事を決めたウサギ。カメの提案である、ハゲ山の山頂越えルートを受け入れた形の勝負である。
ハゲ山の向こう側のふもとまで、どちらが先に駈け着くか。ウサギが勝つか、カメが勝つか。運命の勝負が、今、始まる――――
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「よく考えれば、ウサギが言いがかりつけただけだよね……」
ウサギとカメが対峙する様子の挿絵を見ながら、思わず口に出してしまう大村先生。確か前巻ではカメは『勝負などに興味はない』的な事を言っていたし、そもそもカメは『この悪条件下でも勝負するのか??』みたいなニュアンスの事も言っていたはず。
おそらく、このハゲ山越えのルートには何かがある。ウサギはその危険に気づいていないだけなのだ。むしろ、カメの運命はどうにもならなくて、一方的にウサギの運命が危険で危ない状態なのではなかろうか、そう考えつつページをめくる大村先生だった。
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――勝負が始まった。
まずは山を登るルート、登攀コースだ。このハゲ山、大きな木はほとんど生えておらず、背丈の低い草があちこちに生えているほか、山の斜面には適度な凹凸と切り株、若木の苗くらいしか生えていない、大きな木は曲がりくねった木しかない、ほぼ完全なハゲ山である。おそらくは人間が樹木を伐採した後の、木材資源の再生予定地なのだろう。
それほど急斜面の山ではないが、斜面には凹凸もある。人間が樹木の運搬に使った道を走れば、より高速の移動ができる。ウサギは誰も遮るもののない道を、その自慢の俊足で走り続けた。
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「あ、この世界観、人間とかいるんだ。そういえば前巻の冒頭で、里山の話だ、とか書いてあったっけ。林業をやってる人とか、いるんだなぁ」
ウサギとカメが会話する部分はともかくとして、それ以外はわりとリアル志向、設定の話のようだった。まさかハンターが出てきてウサギが撃たれたりしないよね、と。ドキドキしつつもページをめくる。
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ウサギは順調だった。
もちろん登攀ルートである以上、ときおり休憩はしないといけない。だが、カメの歩みに比べれば天地ほどにも差のある速度。進むウサギは次第に山頂に近づき、その道程が山の中腹を越えた。
――その時。ウサギの毛が総毛立つ。
草食動物特有の、広い視界の中。その姿を認識する。
驚愕。焦り。そして、恐怖。混ざりあう感情の中で、その姿を知覚する。
ウサギの天敵。
大空のハンター、里山の食物連鎖の頂点――オオタカの姿を。
ウサギは疑問に思うべきだったのだ。
なぜ、カメが『それでもやるのか』と言ったのかを。
それは、ウサギにとってこの場所が死地だったから。
ウサギはもっと、注意すべきだったのだ。
樹木が伐採された、このハゲ山で。曲がりくねった木が、なぜ残されていたのか。
それは、オオタカの営巣地として認識、保全されていたから。
ウサギは母親と、話をするべきだったのだ。
長く経験を積んだ母親に、この時期の、この山の危険を教えてもらえただろうに。
そして何より、ウサギは自覚すべきだったのだ。
おのれが、狩られる側の存在であると、いう事を――――
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「ウサギさぁ――――ん!!」
思わず大村 良子は声を上げてしまっていた。
若気の至りが、死の運命を間近にしてしまっていた。自業自得とはいえ、ただの徒競走のつもりが、自分の命を賭けた、命がけのレースへと変貌した瞬間だった。そしてその対戦相手は、鈍足のカメではなく、高速で飛来するオオタカである。
大村 良子は、ドキドキしながらページをめくった。
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【 オオタカ 】 視力★★★★★ 移動速度★★★★★ 攻撃力★★★★☆
タカ目タカ科に属する、中型の猛禽類。
食性は肉食。小型あるいは中型の鳥類、ウサギなどの小型草食獣を餌とする。
一時は個体数の減少に絶滅も危惧されたが、現在は保全活動のかいあって、個体数が増えつつある。古くから『 鷹狩り 』に使われてきた鷹であり、キジなどの野鳥、ウサギなどを狩る能力を持っている、優秀なハンター。飛行速度は水平飛行で時速80キロ前後を出す事が可能で、高空からの急降下時には時速130キロを超える事もある。
里山における食物連鎖の頂点に位置する存在であり、また、一度狙った獲物を執拗に狙う習性を持つため、狩りが長時間に及ぶ事もある。
的を狙えば外さないと言われるのが鷹である。それは鷹が、狙った獲物を仕留めるまで狙い続ける事にもよるものだ。鷹に狙われた小動物は、安全な場所に逃げ込まない限り、命の保証など無いのである。
【 ニホンノウサギ(日本野兎) 】 視力★★★☆☆ 移動速度★★★☆☆
ウサギ目ウサギ科ノウサギ属の草食獣。
本来は夜行性であり、巣穴から500メートルも離れないのが常である。成長が早く温暖地域においては年4回ほども繁殖する。農家の野菜や植林された苗木の皮などを食べる害獣としても知られている。
肉食性の猛禽類や、キツネやテンなどの野獣の餌であり、海辺ではたまにカモメに食べられる事もある。仏教文化により獣肉を食べる事が避けられていた時代にも、『アレは飛ぶように跳ねるから鳥扱いでいい。食っていい』と、四足獣を食べる事が仏教教義的に避けられていた時代にも、お構いなしに食われていた獣肉。ウサギを一羽、二羽、と数えるのはその名残りである。
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「オオタカの移動速度、星5じゃん。ウサギには攻撃力パラメータすら存在しないし。こんなの絶望しかない。そして何気にウサギさんへの悪意を感じる。雪奈ちゃん、ウサギが嫌いなのかな??家庭菜園でもやってるのかしら。それとも前世は農家だったとか??」
紹介文の中に、『 肉食獣の餌 』『 害獣 』と書かれているあたり、ウサギに対する情けが感じられない。これでは先の展開にも期待できそうにないと、大村先生は思う。
しかも『本来は夜行性である』とか書かれているあたり、これはフィクションです、と言っているようにも、コイツは馬鹿ウサギです、と言っているようにも受け取れる。ウサギの運命には絶望しか無いようにしか思えなかった。
凄惨な結末を予想しながらも、ページをめくる。
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ウサギは駆けた。もちろん頂上を目指してではない。
斜面を転がり落ちるように、いま上ってきた山を駆け降りる。命がけの逃走だ。逃走する最中でもウサギの長い耳は周囲の音を拾い続ける。わずかにオオタカの羽ばたく音が聞こえる。上昇気流に乗って上空を漂い旋回するのをやめ、方向を定めた証拠。
――見つかった。いや、鷹の目から逃れる術は無い。そしてオオタカの移動速度は、俊足を誇るウサギの脚力を優に上回る。そして相手は、障害物も何も無い、空中を一直線に飛来してくるのだ。凹凸のある地面を駆けるウサギの生死は、隠れる場所を見つけられるか否か、その一点にかかっている。
何かないか、穴は無いか。茂みは無いか。朽ちた木の残骸でもいい。何か無いか。ウサギが走りながらも必死に辺りを見回すものの、ウサギの周辺には植樹された苗木くらいしか無い。切り株の根本には穴も無く、倒木すらも無い。身を隠す場所が何一つない。わずかな地面のくぼみがあるだけ。穴を掘って隠れようにも、オオタカはすぐ近くまで迫っている事だろう。とても身を隠す穴を掘る時間など無い。
――オオタカが、ウサギの背後から高速で飛来する。
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「あぁぁ――」
絶望感の漂うシーンに、大村先生は悲し気な声を漏らす。
次のページからは、徐々にオオタカの姿が大きくなって迫りくるシーンが、映画のワンシーンのように描かれている。徐々に、徐々にと迫りくるオオタカ。ウサギの命は風前の灯だ。
そして、ウサギの最期に覚悟を決めて。次のページをめくる。
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『――こっちだ小僧!!ここまで来い!!』
あのカメが、カメのセリフが、ページいっぱいに書かれていた。
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「カメぇ―――――――――!!!!」
どう見てもヒーロー見参、というシーンだった。
急いでページをめくる大村先生。
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必死に駆けるウサギ。ぞくりとする気配に、必死に方向を変えると。次の瞬間、オオタカのカギ爪がウサギの毛をむしり取っていた。宙にウサギの毛が舞い散る。
だがオオタカは羽ばたき、方向を変えると、ウサギをなおも追う。ウサギは必死に駆けた。ウサギのこれまでの生涯の中で、最も速く駆けた。
そして――――ウサギは、カメの手前にある、地面のくぼみへと飛び込んだ。
『――よし、よくやった』
ウサギが飛び込んだ地面のくぼみの上に、カメが素早く滑り込む。カメの甲羅がウサギのくぼみに蓋をして、ウサギの姿は完全に地上から消えた。カメは手足を引っ込めると、体の下のウサギに語り掛ける。
『息をするだけの小さな穴を掘れ。そしてこのまま、ワシの体の下に隠れていろ。鷹は獲物を簡単には諦めぬ。暗くなるまで隠れておるのだ。心配はいらん。鷹の爪は鋭いが、カメの甲羅を貫くほどではない。ワシほどの大きなカメを持ち上げる事もできんし、地面に穴を掘るような事もしない。暗くなれば逃げられる。今は休んでおけ』
バクバクと鳴る心臓、そしてブルブルと震える体を必死になだめつつ、ウサギはカメに言われた通り、カメと地面の隙間に息継ぎのための小さな穴を掘り開けると、できるだけ体を小さくするように縮こまり――いつしか、眠っていました。
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「ふう……。助かった……ホント、危機一髪だったわ」
安堵のため息をつく、大村先生。
なんとか九死に一生を得たウサギ。もちろんウサギの俊足がその身を助けたのだけれど、カメの助けがなければウサギはオオタカの餌食になっていた。
そして物語は、最後のシーンを迎える。
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薄暗くなった景色の中、ウサギとカメは、並んでゆっくり山を下っていた。ウサギは充分に休んでいたから、その気になれば走って下り下りる事もできただろう。しかし、オオタカに狙われた恐怖がぬぐえないのか、カメの脇から離れる気持ちになれなかったのだ。
『……ひとつ、確認しておくが。小僧、お前、母親と話をしたのか??』
『…………いいや。話はしていない。すぐに眠ってしまった』
『そんな事だろうと思ったわ。お前が母親と話をしていたら、勝負をしようなどと考える可能性は低かっただろうからな。お前の母親ならば、この山の、この時期の危険は知っているはずだ』
『……もしかして、俺の母親を知っているのか』
『たぶんな。何年か前、今日のお前と同じように、雌のウサギをオオタカから助けた事がある』
『……そう、だったのか』
『お前は確かに強いウサギだ。しかし、経験が足りぬ。おのれ自身を知る事もできておらぬ。もっと経験を積む事だ。それも、用心深くな』
『………………』
『そして、人の話はよく聞き、考える事だ。気に入らぬ相手の話す事でも、ためになる事は含まれているものだぞ』
『……よく、覚えておく』
そしてウサギは水辺でカメと別れ、自宅へと帰っていきました。その後、少しだけ思慮深くなり、ウサギとしてひとまわり大きく成長した若いウサギは、自分の後に続く若いウサギをたしなめ、導くベテランウサギとなったという事です。
また、そのウサギとカメは、その後は仲の良い御近所友達として、争う事なく平和に暮らしたという事でした。
めでたし、めでたし。
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「……ふぅ――」
安堵の息をつく、新人教師・大村 良子だった。
今日はよく眠れそうだ。そう思いつつ、布団にもぐり込み、そして、安らかな眠りにつく。彼女のその日の夢に、イケメンのカメが現れたかどうかは、彼女だけが知る真実だったろう。
その後。
難しい漢字にルビが振られ、難しい熟語には注釈がつけられた『 ウサギとカメ 外伝 』計2巻は、しばらくの間、夏休みの工作展示エリアの隅に展示された後、著作権利者の山村 雪奈ちゃんの許可を得て、2年2組の学級図書に追加される事となり、学級生徒に長く好評を博したという。
なお、山村 雪奈ちゃんの、その年の自由工作の評価点は、問題なく満点だったという話だった。
とっぴんぱらりのぷう。
昔話のしめくくりは、地方によって違いが少しずつあるようで。
その中でも印象深く残るのが「とっぴんぱらりのぷう」ですよねー。
人によっては馴染みがあるだけ、なのでしょうけれど。
当作品は今後も特に計算高さとは無縁な、お気楽な芸風で続けて行こうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。めでたしめでたし。




