21 知らないおじさんと雪奈
良い子はけっしてマネしないでください。
「キャァ――!!ダレカ!!ダレカタスケテェ――!!」
「こ、このガキぃ!!」
雪奈がタブレットを抱えて、叫び声を上げて駆けてゆく。そして、それを追いかける、どこの誰かも知らないおじさん。
「コロサレル――!!ダレカ――!!オマワリサ――ン!!」
「こ、このガキ!!だまれ!!」
庭を、道へと走っていく雪奈。鬼の形相で追う知らないおじさん。そんな二人の様子を、僕と春奈は茫然として見ていた。
なぜなら――――雪奈に気を取られて、知らないおじさんは気づいていないみたい、だったが。30メートルも離れていないところから――お巡りさんが二人、走ってきているところだったからだ。このぶんだと、知らないおじさんが雪奈を捕まえるかどうか、というタイミングで、お巡りさんが……
「コラぁ!!」「何やっとるか!!」
近づいたお巡りさんが叫んだけど、雪奈に気をとられている、知らないおじさんは雪奈を追いかけるばかりだ。頭に血が上って耳に入っていないのかもしれない。視線も雪奈を追っているので地面に近い低い場所しか見ていないのかも。そして次の瞬間。
「不審者!!」「御用だ!!」
「ぐえっ!!」
お巡りさん二人の、体当たりを受けて。雪奈を追いかけていた知らないおじさんは、お巡りさんといっしょに地面に転がった。そのままバタバタともつれ合う。手錠をかけられるのも時間の問題だろう。
「――ふっ。ざまを、見ろ。と、そう言う場面ですねぇ」
ひっひっひっ。と笑いそうな……何か邪悪さを感じる笑みを浮かべながら息を整える、雪奈の姿がそこにあった。
「くっ……くそっ、このクソガキ!!」
「おいコラ!!」「おとなしくしろ!!」
知らないおじさんが、お巡りさんに押さえつけられながらも、鬼の形相で雪奈を睨んでいる。お巡りさんが上に乗っているので、まともに動く事はできなさそうだ。
「ワタシがクソガキなら、アナタは犯罪者ですね。『住居不法しんにゅう』、ならびに『ふじょ暴行』『強盗』未遂の現行犯です。ブタ箱がお似合いですよ、この犯罪者め!!」
「――くっ、クソガキ!!ころすぞ!!」
お巡りさんに押さえつけられているおじさんが、目を血走らせて暴れる。お巡りさんが力を強くして、腕をひねり上げたように見えた。
「はーい、『ころす』いただきましたー。これで『サツジン未遂』と『公務しっこう妨害』の追加でーす。メンタンピンドラドラのマンガンです!!アメリカなみに量刑累積なら、ちょうえき12年くらいはもらえますね!!ちなみにアナタの言葉は、すべて録音しています!!言い逃れはききませんよ!!」
「ぐぎぃぃぃぃ――ッ!!ちくしょおお!!」
「ちょっとそこのキミ!!その子を離して!!」
「被疑者が興奮するから!!」
あ、はい。すみません。
と、お巡りさんに謝りながら、雪奈の手を引いて離れる。
……なぜこのような状況が発生したのか。
それを誰かに、ちゃんと説明するためには。だいたい1時間くらい前から説明する必要があるだろう。
※※※※※※※※※※※※
夏休み。おやつ前の時間帯。
父さんと母さんは揃って出かけていて、今は僕達三人だけで留守番をしている。残っている宿題はほとんど無いし、午前中に今日の分は済ませているから、今は食休みを兼ねて、まったりと過ごしている時間だ。特別に何をやるという事もないので、少しばかりヒマを持て余しているとも言える。テレビも奥様向けのワイドショーとか、つまんないのしかやってない時間だし、何か無いかなぁ……と、そう思っていた時。
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。宅配かな。それともご近所さんの誰かだろうか。そう思いながら玄関カメラのモニターを見ると、知らないおじさんが立っていた。白いワイシャツにスーツズボンの、痩せ型で特に特徴の無いような、どこにでもいそうな、ごく普通の知らないおじさんだった。
「はい、なんでしょうか」
『すいません、ちょっとよろしいですか。直接手渡したいものがあるのですが』
ニコニコと笑う知らないおじさん。知らない人だけど、町内の人かな。新しく越してきた人かも知れない。町内会の連絡チラシかもしれないなー、と。そう思いながら、玄関のドアを開ける僕。ドアを開けると、白いワイシャツの知らないおじさんが。ニコニコ笑いながら、玄関へと入ってきた。
それが、今日の事件の始まりだった。
※※※※※※※※※※※※
「――それでね、この世界の苦しみから救われるためには、■■■■様の教えを実践するのが一番でね。ウチはキリスト教の一派で、けっして怪しいところじゃなくて」
「はあ」
「ところで、お父さん、お母さんは??」
「今はちょっと買い物に出かけていて」
「いつもそうなの??それとも今日はたまたま??僕、一人でお留守番??偉いねぇ」
「あ、いえ、妹が二人いるので」
「そうなんだ!!あ、ちなみにコレ、ウチの教会でやってる定期集会のチラシね。どうぞ」
「はあ」
宗教の勧誘、というやつみたいだった。初めて見た。
うちは仏教だし。キリスト教の一派とか言われても全然よく分からないし、そもそも宗教の勧誘ってなんなの、何かいい事あるの、仕事なの、お給料は出るのかな、と。本当によく分からない。確か社会の授業に先生の雑談で、キリスト教が昔どこかで大規模な戦争やってたとか聞いた覚えがあるような。ちょっと聞き流してたけど。もっとちゃんと聞いておけば良かったなあ、とか考えていると。
「お父さん、お母さん、何時くらいならいるの??お父さん達にちゃんと説明したいなあ。居ない時間は??あ、居ない時間には来ないからね。ちゃんとご説明しないとね」
「ええと……」
何か新しい話題になっていたみたいだった。質問には答えなきゃな、と。僕が少し考えていると。
「――ちょっと、よろしいですか??」
リビングのドアの陰から、雪奈がスッと姿を現していた。春奈はドアの陰から、覗き見るようにしてこちらを見ている。
「知らないおじさん。アナタ、いったい何をしに来たのです??」
「ええと……このお嬢ちゃんは??」
「僕の妹です」
宗教のおじさんの質問に答える僕。雪奈は僕の手を引いて引き寄せると、僕の前に出る。
「ここからはワタシが応対いたしましょう。知らないおじさん」
雪奈が何やら少し低い声を出して、知らないおじさんと僕の間に立っていた。なんだろう。少し頼もしいような、それでいて少し不穏な空気というか雰囲気を感じる。
「……お嬢ちゃん、いくつかな??」
「4月生まれの、8歳です!!」
雪奈が元気よく、可愛らしく答える。ある意味で反射的な反応だった。
「……まあ、ワタシが何歳かなどと、そんな事はどうでもいいのですよ、どこの誰とも知らない、可哀相なおじさん」
「……なんだと」
おじさんの顔色が変わった。ちょっと怖い感じ。この人、こういう表情をするんだ……
「アナタ、いったい『何を』しに来たのです??子どもにもよく分かるように、ちゃんと説明してもらえませんか??説明するだけの内容があれば、ですが」
「……本当の幸せを、伝えに来たんだよ」
「あはははははは!!幸せ!!シアワセですか!!アナタが?!しんこう宗教の『修行』とやらで、布教という名の迷惑家庭訪問をしている、可哀相なアナタが?!シアワセですってぇ?!ヘソで茶が沸きますね!!」
「……どういう事かな」
何やら、宗教のおじさんと雪奈の間に、剣呑な空気が漂い始めていた。僕が前に出ようとすると、いつの間にか後ろに立っていた春奈が、僕の袖を引いていた。春奈が、僕の耳に口を近づけて、小声で言う。
「……お兄ちゃん。静かに」
「……どうしたの」
春奈が、リビングのドアの辺りまで僕を引いていく。
「……大声ださないでね」
「うん」
「雪ちゃんが警察を呼んだから。たぶんあと10分くらいで来ると思う」
「――え?!」
思わず大きな声を出しそうになる僕。春奈が『しーっ』と、静かにしろ、というゼスチャーをしていた。
「よくわかんないけど、『責任は自分が取る』って言ってた」
「何をするつもりなの、雪奈は」
とんでもない情報を聞いてしまった僕は、目を見開きつつも、宗教のおじさんと雪奈のやり取りを見守るしかなかった。
※※※※※※※※※※※※
「アナタ、可哀相な人ですねえ」
「……なぜ、そう思うのかな」
「ダマされているからですよ」
「……なんだと」
「なぜ、しんこう宗教が『修行』と称して、坊主でもない『信者』に布教活動をさせるのか??アナタ、考えた事ありますか??」
「…………」
「それはね、『にくしみを受けさせ、社会から孤立させるため』ですよ。ハッキリ言って、突然のお宅訪問なんて、布教でなくとも誰もがメイワクに思います。そしてメイワクそうな目を向けられ、時にはばりぞうごんを投げかけられ、『修行をしてきた信者の心をキズつけるのが第一の目的』なのです」
「…………」
「その上で!!帰って来た信者に、『キミはよくやった!!』『ぼくらはキミのがんばりを理解しているよ!!』『これでキミはレベルアップした!!』と、やさしい声をかけるのです。……人は誰でも、自分を認めてくれる人を信じたいと思うし、その場に居たいと思います。そうやってカルト教団は『囲い込み』をするのです。ま、よくある洗脳の手法ですね。気づかない人は本当に可哀相ですが」
「…………」
雪奈の言葉は、もうかなり攻撃的な雰囲気だった。
「で??アナタ、何のお仕事をしているんですか??」
「……はぁ??それが今の話と、何の関係があるんだ」
「マトモな仕事してませんよね。定職についてるんですか??」
「何ぃ?!」
宗教のおじさん、だいぶ乱雑な言葉になっている。こっちが素なのだろうか。もう笑顔も無い。
「仕事は??どこにお勤めで??それとも無職ですか??」
「……お嬢ちゃんに言う必要は無いね」
「……つまり、『言う事ができない』と。怪しいですねぇ」
「はぁ??どこがだ!!」
雪奈は今の今まで抱えていたタブレットを手に取ると、カメラを起動して写真を撮り始めた。
「何してるんだ!!」
おじさんの顔色が変わった。
「アナタを撮ってるんですよ。怪しい不審者ですもの。警察に証拠品として提出します」
「ふざけるな!!」
「こうやって訪問セールスの振りをして、空き巣の下見をする犯罪者も多いと聞きます。ちゃんとした宗教法人の支部から来た人なら、特に気にする必要もないでしょう。もう、名刺を置いて帰ってもらえませんかね??身元を確認しますので」
「写真を消せ!!」
「なんでですか??やっぱり犯罪者ですか??それとも身元を保証してくれる人が居ないんですか??しんこう宗教だったら新入りの使い捨てですか??つかいっパシリですかそれとも社会のゴミですかそうですか。もう消えてくれませんかね、ついでにこの世からも」
「――わたせ!!このガキ!!」
あぶない!!
宗教のおじさんが雪奈につかみかかろうとした瞬間、雪奈は飛びすさり、そのまま走って隣の部屋の窓から――どうやら、事前に開けていたようだ――グリーンカーテンのキュウリの脇を抜けて、裸足のまま庭に飛び出した。
『キャ――――!!だれかあ!!ごうとうよ――!!ケーサツにでんわしてぇ!!』
庭の方から雪奈の叫び声が聞こえてきた。足を止めて叫んでいるようだった。
「くそガキ!!だまれ!!」
宗教のおじさんが、ドアを壊すような勢いで開けて、玄関から飛び出して行く。
――そして、現在へとつながるのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
パトカーが宗教のおじさんを連れて行って、1時間ほど経って。
「雪奈。何か言う事はあるかな??」
リビングの床の上で正座する雪奈に、帰宅して事情を聞いた父さんが雪奈を見下ろしながら静かに語り掛けていた。ちなみに母さんは夕食の下ごしらえをしているため、今はキッチンにいる。まだ雪奈にベタベタに甘い父さんだけで良かったと思う。母さんがいっしょだったら、もう少し厳しくなるはずだ。時間の問題かもしれないけれど。
「ついカッとなってやりました。今では反省しています」
雪奈がどこかで聞いた事があるような答えを返していた。
「どうしてここまでやってしまったのか、何か理由があるなら言いなさい」
「……じつは、これはネットで読んだ、とある人の手記なのですが……」
いつものやつだった。
――雪奈の話によると、その人が休日にのんびりしていると、『ニチャア』という擬音が似合うような、気持ちの悪い笑顔を浮かべた老人が訪ねてきたのだという。とある宗教の使者というその老人は『あなたを幸せにするために来た』のだそうだが、何やかんやのやり取りの末、その人は老人に対して凄まじい殺意を抱くに至った。しかしその人はギリギリのところで殺意執行をガマンして、老人を追い出す事に成功した後、『おとといきやがれー!!』と塩を撒いたのだそうだ。しかしその人は数日間に渡って怒りの感情に支配され、非常に不快な日々を過ごしたのだという。
「その人は、『こんど家に来たら、家の中に引きずり込んで身動きできないようにした後、ガムテープとビニール袋で固めて、○○川と●●川の合流地点から河口に向けて放り込んで海に流してやる』と言っていたそうです。初対面の人にホンモノの殺意を抱かせて、何が『幸せにするために来た』でしょうか。運んできたのはまぎれもなく『不幸』ですよ!!神の使者どころか、悪魔の化身です!!マトモな宗教だったら訪問勧誘なんか今どきやりません!!ゼッタイ許せない社会の害悪です!!」
「うん。で、ああいう人が今度また家に来たら、雪奈はどうするんだい??」
雪奈は即座にこう答えた。
「『おととい来やがれ!!』と叫びつつ、ちょうかいしかかった塩のカタマリを顔面に投げつけてやります!!帰るまで何度でも、何度でも!!こんどスーパーで10キロ入りの精製塩を買ってきます!!」
「雪奈。手書きで反省文を3枚提出ね」
くっ。と小さくうめく雪奈だった。反省しているかどうか微妙な気がする。
「大樹は、もう少し用心深くしような」
「うん。気を付ける」
僕も反省した。
※※※※※※※※※※※※
後日。警察から電話がかかってきた。感謝状がもらえる事になったのだという。
「感謝状?!なんで感謝状??こないだの宗教の人の件でしょ??」
まったく意味が分からず、思わず驚きの声を上げる僕だった。
「それがなあ。どうも宗教の人じゃなくて、空き巣の下調べだったらしいんだ」
「ええええええ」
なんなのそれ。雪奈が適当に言ってた事が本当になってた?!
「本人が自己申告していた宗教法人は確かに存在しているらしいんだが、本人確認が取れなかったんで調べた結果、宗教とは全然関係ない、空き巣の常習犯だっていう事が分かったようでね。隣町でも何件かやってて、余罪が後から後から出てきたみたいなんだよ」
「うーわー。ひどい話」
「じゃあ、雪ちゃんは結果オーライって事だよね!!」
「……ちぇっ。宗教の人じゃなかったんですか」
皆がそれぞれに感想のようなものを口にしていると、それまで黙って聞いていた母さんが、雪奈をチラリと見て、こう言った。
「雪奈。分かってるわね??」
「ハイ。もうしません」
雰囲気だけど、今度こそ雪奈が反省したような気がした。
今回の件で改めて思ったのだけれど、やっぱり雪奈は余計な記憶(たぶん前世のやつだ)のせいで、無茶な行動をとる事が往々にしてある、ような気がする。というか確信した。江戸の仇を長崎でとる……どころじゃない、前世のウラミを今生の全然関係ない人にぶつける、みたいな事をする雪奈は、もう少し落ち着きが出てくるまで、よく見守ってやらなきゃならないと思う。
とりあえず、できるだけ雪奈には宗教関係者の応対を任せないようにしよう。あと、僕自身はイヤな事があったとしても、できるだけ早く忘れて心穏やかに生きていきたいなぁ、と。そう思った。
心の中も平和がいちばん。心底そう思った僕だった。
当作品はフィクションです。世のなかには『さかうらみ』というものがあるので、いくら相手が本当に悪い人であろうと、自分の正義を過激な方法で実行してはいけません。
くりかえしますが、フィクションです。いくら暴力で勝てる相手が物凄くムカついた行動をとったとしても、後先の事を考えて冷静に行動しましょう。訪問の宗教さんをガムテープでぐるぐる巻きにして車の荷台に積んで河口に運んでやろうとか本気で考えてはいけません。ぜったいですよ。筆者との約束ですよ!!




