19 夕暮れの幼女
初心に戻って日常系とは何かを見つめ直してみました
夏場なので、午後6時程度の時間では、まだまだ明るい。
けれど時刻としては夕暮れ時。仕事帰りの会社員などが家路に向かい、あるいは飲み屋で一杯やろうとする時間だった。
そして時間帯の切り替わりに合わせて、駅前のスペースにも変化が出てきた。日中の露店などが減り、夏休みの夜時間に遊びに出かけようとする学生などが、少しずつ増えてこようとする時間でもある。もう少しして周りが薄暗い時間帯にでもなれば、夜遊びする連中がこの一帯を歩き回る事になるだろう。
そんな駅前の壁際で。一人の大学生くらいの男が、中央出入口から離れた場所に自分のスペースを確保していた。ギターケースを空け、自分のギターを取り出して抱え持つ。ストリートミュージシャン、というやつだろう。弦の状態を確認し終わると、曲を弾き始める。歌はなく、曲のみだ。オリジナルの曲なのか、それとも流行りの曲ではないのか、通行人も少しだけ顔を向けるだけで、すぐに興味を失って歩き去る。
男はそれでも、曲を弾き続けた。
※※※※※※※※※※※※
――男の演奏に、誰も足を止める者はいない。目の前に置かれたギターケースの中に、硬貨を投げ入れる人間は一人もいない。男は曲を弾き終わると、空のギターケースを、じっと見つめる。
「……おや、終わり、ですか??」
男がふと顔を上げると。一人の、サングラスをかけた少女……いや、幼女といっていい年頃の女の子が、自分の方へと歩み寄ってくる所が見えた。夏らしく薄手の涼しそうなシャツとショートパンツ。頭には黒いテンガロンハット??を乗せている。女の子の後ろからは、小走りに男の子が近づいてきていた。
「雪奈。一人で離れちゃダメだよ」
「すみません、お兄ちゃん」
どうやら兄妹のようだった。色白の、金髪の女の子だった。男の子は黒髪だから、きっと親の趣味で染めているのだろう。少しずつ薄暗くなってきた夕暮れ時にも目立つ髪色だった。
「ギターのお兄さん、シロウトですか??」
「……ぐっ」
いきなり言葉の刃で切り付けてくるような言葉を投げかける幼女だった。ギターを抱えた若い男の顔が、わずかに歪む。
「ああいえ、曲がヘタだとか、そういう意味ではなく」
幼女は空のギターケースを指さす。
「コインが一枚も、入っていませんから」
「ぐっ」
再び、男が声を詰まらせる。
「……雪奈」
「ちがいますよ、お兄ちゃん。このギターのお兄さん、多分わかってないのです」
幼女はギターケースを迂回して、ギターを抱えて座る男の脇に来た。
「ギターのお兄さん、160円ほど貸してください」
そう言いつつ、可愛い手を出してくる幼女。そんな幼女に、男はポケットを探り、取り出した小銭入れから硬貨を3枚取り出して、幼女の手に乗せた。
「ありがとうございます。……ギターのお兄さん、相手が子供だからといって、ゆだんしすぎです。ワタシがすんしゃくサギをはたらこうとしていたら、どうするんですか。お人よしですか??だからこういう事も、知らないんですかねぇ」
そう言いながら、幼女は借りた160円を、ギターケースの中に投げ入れる。
「この手の大道芸人なら、おひねり箱にコインを入れておくのは、じょうしきですよ??お客が、おひねりを入れやすくするための心理的なさくせんです。だからワタシはギターのお兄さんを『シロウトですか??』と言ったのです。まあ、ほかにもいろいろ、ツッコミどころはありますけどね」
そう言うと、ギターケースの向こう側の、兄と呼んでいた男の子の脇へと戻る幼女。
「で、大道芸人のジョーシキも知らないギターのお兄さん、学生さんですか??どうしてこんな事を??どきょうだめしですか、それともバツゲームですか??」
「……キミ、ホントに言う事がスゴイなぁ」
感心しつつも、苦笑いを浮かべる男。
「ちょっと、雪奈」
「もんだいありませんよ、お兄ちゃん。このギターのお兄さんもストリートでやっている以上、通りの客にちょっかいをかけられる事くらいはカクゴしているはずです。でなけりゃ、どんな人間が通りかかるか分からないところで芸をひろうすべきでは、ありません。この人はタダで自分の曲を聞いてもらえる権利をえる対価として、それに見合うリスクをせおっているのです。それがストリートというもの、ですよ。ネットで発信するのも基本てきには同じです。キズつきたくなければ、表に出なければいいのですから」
男はまた、苦笑いを浮かべる。
「確かに、その通りだ。……キミ、いくつなんだい??」
「4月生まれの、8歳です。小学2年生ですよ!!」
むふん。と得意げに胸を張る幼女だった。
「……今どきの小学2年生、か……」
「ギターのお兄さんは、おいくつですか??」
「僕は19歳。大学2年生だよ」
おやまあ、と幼女は声を上げる。
「やっぱり若いんですね。19歳という事は、げんえき合格ですか。で、このギター演奏はしゅみですか??それとも……プロになりたいなあ、とか思っていたり??」
「若いって……キミの倍は生きてるんだけどな……。ギターは趣味、かな。でも、真剣にやってると……思う。自分が何をどこまでできるか、試してみたいというか。それで、駅前で演奏をしてみようと思ったんだ」
「言ってる事も、ホント若いですよねぇ……まあ、ギターのお兄さんの人生です。ごじゆうにすれば、いいでしょう。ですが、真剣にやりさえすれば、本人が『真剣にやってる』と、『思ってさえいれば』それだけで、のぞむ結果がついて来るワケではないのが人生、というものです。このギターケースの中身が、それを証明しています。せっかく受かった学校です。学業をおろそかにするような事がないよう、気をつける事ですね」
「……キミは本当に、小学生なのか……」
「どこにでもいる、こましゃくれた子供ですよ」
男は目の前にいる幼女が、何か妙な生き物のような気がしてきていた。夕暮れ時に現れた、この世とは違う世界から迷い込んだ存在、のような何かではないか……と。少なくとも、こんな小学2年生がどこにでもいる、とは思えなかった。
「ギターのお兄さんは、学校の先生にでも聞いて、マーケティングせんりゃくとか、せんでんのギジュツ、みたいなものを学んだ方がいいかもしれませんね。ちなみに、ワタシの感性では、お兄さんのウデマエはそんなに悪くありません。ですが、プロとして通用するレベルでもありませんが……ストリートでしゅぎょうをするにしても、もう少しお客を集める努力をして、集まったお客を逃がさないようなしゅぎょうをしてみては??ギターのウデマエと同時に、パフォーマーのワザもしゅぎょうしては??」
「うーん……」
男はただ、うなるばかりだった。言い返すような信念も、ギターの腕もない。そう思うがゆえに、うなる他なかった。
「ギターのお兄さん、歌は歌わないんですか??」
「いや……僕は、歌う方は、あまり」
「だったら、相棒を探すべきかも、知れませんね。歌うのが少しくらい苦手でも、相棒がいれば歌うのもマシになりますし、芸のはばも広がります。そして、曲を弾くにしても、ちょっとおとなしくしすぎです。あまりうるさくすると注意を受けるでしょうが、人目を引くために、しゅんかん的にインパクトの強い音やフレーズを使うとか、もう少しくふうをこらすべきでしょう。芸を売る人間としての努力が足りません。これで真剣などと、かたはらいたい、というもの」
「本当に容赦が無いな、キミは」
子供は遠慮がないものですよ、と胸を張って言う幼女だった。
「あと、おうよう力とか、アドリブがきくか、という事が気になりますね。そういうところをしゅぎょうするには、ストリートは良いところかも知れませんが。……ギターのお兄さん、耳コピでそっきょう演奏とか、できますか??」
「まあ、ある程度は」
「ではちょっと、やってみましょうか」
そう言うと、その幼女は再びギターケースを回り込んで男の隣まで来る。――と。
「Hey Hey Hey!! どいつが!!なんといったって――――」
突如として大きな声で歌い出し、男の方をチラリと見る幼女。
そして幼女の歌声に、決して少なくない数の通行人が、幼女と男の方を振り向く。瞬間、ギターの男はもう逃げられない、という事を悟った。慌てて幼女の歌声の後から、無難なメロディーでついていく。歌う幼女、ギターを弾く男。少しずつ集まってくる観客。
男の、ストリートで初めての、囲まれるほどの客を相手にしての演奏は。こうして始まったのだった。
※※※※※※※※※※※※
「ありがとうございまーす」
幼女が逆さにした帽子を手に、観客を回っていく。硬貨がチャリン、チャリンと入っていく。
「お嬢ちゃん、いつもここでやってるの??」
「いえザンネンながら、このお兄さんとは今日だけのコンビです」
チャリン。
「そりゃ残念だなー」
「ねえねえ、写真とってもいい??」
「コンビですからね。ギターのお兄さんといっしょなら、いいですよ」
チャリン。チャリン。
「さっきのはオリジナル??お嬢ちゃんが作ったの??」
「いえ、ナイショですけどカヴァーです。ナイショですよ」
チャリン。
――今日のところはこれまで。ありがとうございました!!
幼女と男が、並んで深く礼をすると、観客から拍手が飛んだ。そして集まってきた時と同じように、思い思いの方向へと観客は去っていった。後には幼女と男、幼女の兄と思われる少年だけが残った。
「やはり子供の芸は強いですね。ま、あんまり何度も通じない手でしょうけど……では、山分けといきましょうか。細かいあまりは、お兄さんの分という事で」
幼女はそう言いながら、ギターケースの中で帽子に集めたコインを仕分けていく。ちゅうちゅうたこかいな、ちゅうちゅうたこかいな。
「キミたち、どこ小??今の小学校の音楽教育ってかなり進化してるの??あとこの子ホントに8歳の2年生なの??背が低いだけの6年生とかじゃないわけ??」
「音楽は普通だと思いますよ。ウチの妹は本当に2年生です。ちょっと頭が良くて度胸があるだけで……」
男の質問に答える男の子。だが、反射的に『ちょっとじゃないだろう』と思う男だった。見るところ幼女の兄は普通に思えたので、夕暮れ時の妖怪や妖精の類でないとすれば、単にこの幼女が普通ではない度胸と知性の持ち主という事なのだろうか。いや、この幼女を『ちょっと』と言うのなら、この少年も普通ではないのかもしれないが。
「それではギターのお兄さん。もう会う事はないかも知れませんが、お元気で」
そう言って、小銭でふくれたポーチを肩に下げ、立ち去る幼女とその兄。
次第に暗さを増していく夕暮れ時に、兄妹は消えて行った――――
「……歌と、相棒、か」
幼女に言われた言葉を思い出し、口に出す男。
ギタリストとしての、この男の。
転機となる日の――不思議な出来事だった。
※※※※※※※※※※※※
ちゃりちゃり、と。ポーチの硬貨を鳴らして歩く雪奈。
「やりましたよ!!労せずしてあぶく銭を得られました!!おうちの近くのスーパーで、お高いアイスを買って帰りましょう!!お姉ちゃんもよろこびます!!」
「僕は冷や汗かきっぱなしだったよ……」
ギターのお兄さんに失礼な言動を取っている時からずっとだったけど、観客に囲まれた後はずっと冷や汗が止まらなかったよ、と言う僕だった。
「これであのギターのお兄さんがしょうらい有名人になったら、『ヤツはワシが育てた』とか言ってドヤれますね!!」
「ええー」
「それは冗談としても。子供と動物の映画はハズレない、と。昔は映画業界でよく言われていましたし。子供だったら、つたない芸でもおひねりがもらえる、というのは大道芸のじょうとう手段です。ここは『うまくいったわい。がはは』と笑うところでしょう」
「あのお兄さん、次からどうするの??」
「そんな事しったこっちゃありませんよ」
「ええー」
「ギターのお兄さんには、『お客に囲まれる』というけいけんを、させてあげたのです。これはそのギャラというものですよ。ワタシもいい仕事をした、と思っております。次からは自分のチカラだけで、がんばってもらいましょう」
「雪奈は……ミュージシャンとかに興味はないの??」
「やめてくださいよ、お兄ちゃん。ワタシなんぞ子供時代をすぎたら、おひねりの一つももらえませんよ。そういう苦労は、カクゴのある人だけがやればいいのです」
「うーん……雪奈は、平凡な人生で、いいの??」
ピタリ、と。雪奈は足を止めてサングラスを下にずらし、少しだけ冷たさを感じる視線を僕の方へ向ける。青い瞳が、冷たい光を放っているような気がする。
「お兄ちゃん……『平凡』というものの価値を、もっと知るべきですよ」
「ごめんなさい」
何か重みがありすぎる言葉に、この日いちばんの冷や汗をかきながら……僕はそれだけしか言えなかった。帰りは二人で高いアイスとその次に高いアイスを買い込んで、ときどき小走りで家に帰った。
※※※※※※※※※※※※
――その頃の僕らは、知る由もない事だったけど。
あのギターのお兄さんは、あの日のすぐ後に、学校で音楽趣味の相棒を見つけてコンビを組み、二人組のストリートミュージシャンとして少しずつ有名になっていく。地元のライブハウス等の活動を経て地方ラジオ番組にも出るようになり、フォークシンガーのコンビとしてメジャーデビューする事になり、テレビにも出演するようになるのだが――
「やっぱり、期間限定のブルーベリーが至高です」
「あたしはやっぱりイチゴかなー」
「僕はチョコチップのバニラ」
家のリビングで、ちょっと高いカップアイスを食べている小学生の僕らには、そんな事はわりとどうでもいい事だったと思う。今日も家でアイスがうまい。やっぱりこれが最高かな。僕はそう思ったのだった――平凡な幸せというものを、かみしめて。
日常系らしい、どこにでもある光景を描いてみようかと少し思って書いたものを衝動的に投稿してみる実験的な何か。当作品はこのように気分次第で、ゆるーくやっております。日常的な小事件やどうでもいい感じの生活感を、まったりとお楽しみください。
最近どうもネタに走りすぎな気がして「おかしいな」と少し思っていたので。自制が必要なのではないか、と。
……歌に関してはあまり気にしなくてもいいかなー、という程度に。どうしても気になってしまった方は、感想欄の方へどうぞ。ヒマつぶし程度に、ゆるーくお楽しみください。