11 受け持ちのあの子は転生者かもしれない
とある教師の記憶に残る、ちいさな物語。
私は、市立・青山第二小学校の教師、大村 良子。
個性らしい個性も無い。運動能力は普通、容姿も中の中(自己評価)。スタイルも普通、良くも悪くもない、若干の痩せ型。定期健康診断で保健医さんから注意コメントをもらわない事が、良い点と言えば良い点だ。
趣味はネット巡回と、素人投稿小説の読書と批評。好みはファンタジー系だ。最近のマイブームジャンルは、異世界転生もの。
まあ、そのくらい没個性な、小学校教師という事である。
大学を出て、なんとか教師の職にありつき、小学校教師として3年目を迎える。この青山第二小学校は私の母校でもある。教育実習の頃にもお世話になっていて、初年度は顔見知りの生徒がいるクラスを担当させてもらえた。去年からは初めてのクラス、ピカピカの1年生のクラスを担当、今年はそのまま持ち上がりの2年生を担当している。
毎年の教育カリキュラム変更に大変な思いをしている反面、子供の成長を肌で感じる事のできる職場は、とてもやりがいがある。
正直、勢い任せで教職を選んでしまった私だけれど、今では良い仕事を選んだと、そう思えるようになっている。これから苦労も多いのだろうけれど、頑張っていこう。そう思えるのだ。
しかし、子供の相手で大変なのは、一人ひとりに個性がある、という事だ。小学校教師は、ただ専門教科を教えていればいい、というものではない。教育実習でオルガン演奏の試験があるように、とりあえず一通りの教科の教育を、そしてカウンセラーとしての仕事も受け持たなくてはならないのだ。
一律の授業ではついて来れない生徒にどう対処するか、やんちゃで落ち着きのない子供をどうなだめすかして授業に向かわせ、クラスメイトと仲良くさせるか、そういう細々とした問題を解決する能力が要求される。これでモンスターペアレンツとか呼ばれる、電波思考の父兄が発生したら、教師がノイローゼになるのは無理もない、というものだ。
幸いにして、初年度に私の受け持った生徒には、常識的な話の通じない父兄もいなかったので、その点は幸運だった。
だが、去年はじめて受け持った、1年生のクラスで。注目せざるをえない子がいた。
山村 雪奈ちゃん。くすんだ金髪と青い目という目立つ容姿をした、ハーフの女の子だ。
正直、ハーフの女の子というだけで気が引けたし、親御さんとの話とかを思うと、こりゃ大変だ、と思わざるを得なかった。他は全員、当たり前のように両親が日本人の子供ばかりで、物珍しさからイジメとかのターゲットになったら目も当てられない。
よく見てあげなければいけないな、と思い、雪奈ちゃんの周囲には気を配るように気を付ける事にしようと、そう思った。それが初日のこと。
そしてその翌日、いきなり問題が起きた。
雪奈ちゃんのお姉さん(3年2組の春奈さん)が、「きむらって奴はどこだー!!」と、授業が終わって間もない教室に乱入してきたのだ。
まったく意味が分からなかったので、とりあえず捕まえた。新1年生を脅かしてどうするの、と理由を問い詰めたところ。雪奈ちゃんが『ガイジン』呼ばわりされたので、木村くんをシメておこうと思った、と白状した。
……正直、知らない問題が明るみで出たので、少しありがたく思ったりした。当事者であり、今回の問題の『被害者』である、雪奈ちゃんに話を聞いたところ。
「しょせんは、ようじのざれごとです。きにしていません。それより、あねがごめいわくを、おかけしました。まことにもうしわけ、ありません」
と。深々とした礼とともに、とても丁寧な返事が返って来た。
こちらも思わず、「いえ、こちらこそ至らずに申し訳ありません」とか受け答えてしまったけど。なぜかこういう会話が普通に成り立ってしまうのは不思議だった。おかしいな。この子まだ6歳か、7歳のはずなのに。あと、少し話をしてみて、赤ちゃんの頃に今の家に引き取られたとか、そのせいで見た目は白人寄りのハーフでも、文化的な中身は完全に日本人だとかの、ちょっとだけヘビーで貴重な話を聞けた。
とりあえず、木村くんには、やんわりと注意しておいた。大丈夫だろうか。
――そんな訳では、あくる日は木村くんの様子を注意して見なくてはならない、と思って。生徒に見つからないよう、ちょっと隠れて教室内の様子を見てみたのだけれど……
「おいデブ!!」
すさまじく語彙力の無い、子供らしいストレートな悪口で。雪奈ちゃんにさっそく絡んでいる木村くんを目撃してしまった。雪奈ちゃんは確かにぽっちゃり型だけど、動きの悪い肥満児というほどでもないのに。これで雪奈ちゃんが泣いたりしたら、帰りの会で学級裁判案件よ?!ああいう懲りない子は、どう指導すればいいのかな?!
そして雪奈ちゃんは、まるで反応せず、次の時間の教科書を読んでいる。まじめだ。先生はね、木村くんには雪奈ちゃんを少し見習って欲しいと思うのよ。
「おいデブ!!むしすんな!!」
「……もしかして、ワタシをよんでいたのですか??」
雪奈ちゃんが、ようやく顔を上げて木村くんの方を見る。
「おまえだよ、デブ!!」
「……きむらくん、でしたね。ワタシの『なまえ』を、よんでもらえませんか?」
雪奈ちゃんが、とても落ち着いた様子で木村くんに問いかけた。二人の様子を見ている周りの子たちも、心配そうにしている。
「デブはデブだろ!!」
「……ふうむ」
雪奈ちゃんは、とても落ち着いている。悪口を強い口調で言われて、困ったり、泣きそうになったりする様子が無い。木村くんを観察するように、じろじろと見て。
「きむらくん。もしかして『ワタシのなまえを、おもいだせない』のですか??」
「えっ」
木村くんがビックリしている。
「それはしかたありません。きのうのきょうですし、まだぜんぜんはなしもしていません。なまえをおぼえていないのも、しかたのないことです。でも、おんなのこに『デブ』とかいうと、きらわれますよ?それどころか、つまはじきにされますよ?いごは、きをつけたほうがいいですね。それにほら、なふだをよくみてください。『やまむら・ゆきな』ってかいてありますよね?おぼえていなくても、なふだをよめばいいのです。まだ、ていがくねんようの、ひらがなのなふだです。はい、ちゃんとみてくださいね」
「…………」
雪奈ちゃんが立て板に水、と表現すべきかのような言葉を、木村くんに投げかけた。でも、木村くんは唖然として、返事をする事ができないでいた。これだけの情報量の言葉を受け止める事ができなかったのだろうか。少なくとも、予想はしていなかったと思う。
「……もしかして、ひらがな、まだよめませんか」
「……えっ?!」
雪奈ちゃん、スッと目をそらし、木村くんから微妙に視点をずらした場所を見ながら。
「これは、もうしわけないことを。ああいえ、まだ、にゅうがくしたて、ですものね。よめないこも、いますよねえ。ごめんなさいね、きむらくん」
「……な、なん、なんだと!!なふだくらい、よめらあ!!」
木村くんが、少し時間をかけて反論の声を上げる。
「……むりしなくても、いいんですよ」
雪奈ちゃんが、何やら優しい視線と表情で木村くんを見る。
「ねえユキちゃん、きむらってバカなの??」
「なふだよめないの??バカだな、きむら!!」
雪奈ちゃんの友達が、口々に木村くんをバカにしながら寄って来た。確か、洋子ちゃんと、美由紀ちゃんだ。
「な、な、なんだと!!」
「これこれ。いけませんよ、あなたたち。きむらくんはまだ、ちいさいのです。ひらがなだって、よめるのとよめないのがあるのです。まだ、『やまむら』『ゆきな』がよめないのですよ。ただ、それだけなのです」
「バカじゃん!!」
「バーカ、バーカ、バカきむら!!」
およしなさい。可哀相ですよ。と、友達をなだめにかかる雪奈ちゃん。
「ほら、きむらくん。なまえのほうを、よみましょうか。これが『ゆ』『き』『な』です。むずかしかったら、とりあえず『ゆき』ちゃん、とよんでいいですから」
「それはダメだよ!!ユキちゃんてよぶのはともだちだけ!!」
「きむらはともだちじゃないもん!!」
雪奈ちゃんの友達は、わりと容赦ないなあ。いや、子供ってこういうものだっけ。
「じゃあ、『やま』ちゃん、でもいいですよ。はい、きむらくん。こえにだしてみましょうか。『や』『ま』『ちゃん』。はい、どうぞ」
「……デブ!!デブ!!デブ!!」
木村くんが、カンシャクを起こしたのか、『デブ』を連呼し始めた。
とりあえず勢いで押し切って優位に立つつもりのようだ。いや、特に考えなしにやっているのかな。
「やめてよ!!バカ!!」
「やめろ!!バカきむら!!」
「およしなさい。すこしおちついて」
対抗して『バカ』を連呼しようとした二人を、雪奈ちゃんが止める。
しばらく『デブ』を連呼し続けた木村くんだったけど、疲れたのか、声が止んだ。
「……きむらくん。『やまちゃん』です。さ、いってごらんなさい」
「うるさい、デーブ!!」
「……いえない、のですか?」
「デーブ!!デーブ!!」
「……ふーむ」
「デブ!!デブ!!デーブ!!」
「……これは、せんせいにそうだん、しないとダメかもしれませんね」
「デ……えっ」
木村くんが声を詰まらせた。
「そーだそーだ!!」
「せんせいに、いいつけてやるから!!」
「いえ、そうではありません。『そうだん』ですよ」
雪奈ちゃんが友達二人をなだめる。
「……どう、ちがうの??」
「そうだん、って??」
「そうだん、というのはですね。『もんだいのかいけつほうほうを、きょうぎする』といういみで、つかわれることがあるのです。このばあいは、『きむらくんは、もしかすると、はったつしょうがいのかのうせいがある』というぎもんを、じょうほうとしてあげる、ということなのです」
いま何て言ったのかな、雪奈ちゃん。発達障害??1年生なのに、それ意味分かって言ってるの??
「それなに??」
「しらないことばだ」
「はったつしょうがい、というのはですね。うまれつき、とくていの『こうしょうごと』などが、ふとくいなひとのことをいう、ことばです。きむらくんは、ついさっききいた、おともだちのなまえがいえなかったり、なふだと、きいたことばを、れんどうしてかんがえることができない、そういうもんだいを、かかえているかのうせいがあります。これはかんたんに『バカ』とよんでいいものではありません。おいしゃさんにみてもらったほうが、いいこともあるのです」
……雪奈ちゃんは、わりとよく知っていた。というか、大体の事を理解しているんじゃないだろうか。あれ??雪奈ちゃんは入学したての、小学1年生だよね??
「きむら、びょうきなの?!」
「バカでびょうきだ!!バカのびょうき?!」
「あ、いえ。そういうものではなくて、ですね。なんとせつめいしてよいのやら」
後はもう、悲惨なものだった。
バカー!!きむら、びょうき!!こっちくんなー!!みたいな。もはや、いじめようとしていた側と、いじめられる側とが攻守逆転していて、われ関せず、と傍観していた周囲の子たちも、『なんかやだ』というくらいの気持ちで、木村くんが近づくと逃げるようになってしまい、混沌とした様相を呈していた。
※※※※※※※※※※※※
とりあえず、何とかなった。
何も知らない風を装って教室に入り、『何を騒いでいたのか』を聞いた上で、木村くんに『名札を読める?』と聞いて、ちゃんと雪奈ちゃんの名札を読ませた。雪奈ちゃんからすかさず笑顔をともなった拍手が出て、皆もつられて拍手して。どうにかこうにか形になったのだ。
とりあえず木村くんも、うかつに人をからかうとロクな事にならない、という事を学んでくれたのではないか、と思い。ひとまずその場は収まった。
木村くんはその後少しおとなしくなり、そのまま比較的平和な空気で、夏休みを迎えた。
――これが、入学式が始まってすぐの、去年の私のクラスで起きた、最初の事件だった。私の新人教師時代の記憶にハッキリと残る、雪奈ちゃん絡みの、いくつかの事件……最初の『木村くん事件』の顛末だ。小学1年生といえど、クラスの雰囲気はどのように動くか分かったものではない……可能であるならば、事件を未然に防ぎ、クラスの雰囲気が平和であるように、教師が少しだけでも気を配ってやらなくてはならないのだと、そう思った事件だった。
少し長くなった感があるので、強引に分割いたします。
今日中に「その2」を投稿予定です。適当な時間に投稿いたします。