港街からの移動
「皆が揃ったことだし、そろそろ街を出ない?」
宿を取り直し、六人分の値段を払った後、貸し切った大部屋にて今後の動向について提案してみる。
「そうだな。隣国とはいえ一ヶ所に留まり続けていては王国の目に付いてもおかしくない」
朝食として出されたライ麦パンとクズ野菜(塩漬け肉入り)のスープに手を付けつつ、カールはこくりと頷いた。
「ミーナ様は何処に行きたいの?」
「みんなと一緒なら何処でも良いのだけれど、そうもいかないわよね」
大分慣れた手付きでパンを千切り、スープに浸して口に運ぶ。
もくもくと食事を進めていくわたしやヒルマ。
あれやこれやと行き先を出し合いながら淡々と食べ進めるファティとベルホルト。そしてディルク。
一方、どちらにも属さずに一人緩慢な動作で気だるげに食事をするカール。
「なあ、カール?」
「あ?」
朝食を食べ終えた頃、おおまかな行き先は絞れた。
後は話し合いに一切参加していないカールの意見を聞けば、更に行き先を絞れるだろう。
そう思ったディルクが隣で黙り込むカールを呼べば、漸く彼は顔を上げた。
「…………あー、聞いてなかった」
一人、自分の世界に入っていたらしいカールは周りを見て、自分以外の人間が食事を終えていることに気付き、素直に白状した。
「説明するから、早く朝食食べたら?」
だろうね、と言いたげな顔で食事を促すディルクに従い、カールは再び朝食の続きを始める。
彼が朝食を食べ終えた頃、タイミング良く食器を下げに来た従業員に礼を述べてから、わたし達は先程話していた話を続けた。
「とりあえず、この大陸を出たい」
多分王城から拝借してきたであろう精細な地図をテーブルを広げ、ディルクは現在わたし達がいる場所を指差す。
「このハシュートから船に乗れば、大体何処にでも行ける。けど、問題が一つ」
「わたしの身分証明書、ね?」
「そうだな」
目下の問題は他大陸に上陸する際に必要になるであろう身分証明書。
今までは、わたし達がいるアントフォーメン大陸は『過去の聖女の加護』があり治安が良いことから、何処の国も大体常時門が解放されていて勝手に出入り出来た。
逃げ出してきたミゼルバー王国も、隣国の皇子がいるハンブレッド皇国も、ハシュートやリライスを擁するエルフェメー王国も『聖女の加護』の名の許、統治されてきた国。
『聖女』が『国を治める』ことを条件に『聖女の加護』をこの大陸に掛けた。
三国にある『聖女の欠片』が大陸結界の役目を果たす。
そして『聖女の加護』は『浄化』に特化しているらしく、それは人間にも作用する。だから犯罪を犯す人間はとても少なくて、故に治安が良い。治安が良いから一応同盟を結んでいる三国を好きに往き来することが出来る。
曰く、これが他大陸の人間だと聖女の結界に弾かれて入国出来ないそう。入国するには専用の手続きが必要で、その費用も庶民にはとても払えるような額ではない。
アントフォーメン大陸から出国することは出来ても、他大陸からアントフォーメン大陸に入国することは出来ない。
だからこの大陸は、全国に不可侵条約を明言している。
「他大陸に行くには王都から身分証明書を発行してもらわなければならない。俺達はミーナを説得する為に追い掛けて来た、っていう建前になってるから問題ないものの、お前に関しては身分を証明するものも無ければ身元を保証してくれる親族も存在しない」
「つまり、身分証明書が必要のない国に行くか、自分の親族の伝を頼って身分証明書を発行してもらうか、労働を課す代わりに身分証明書を発行してくれるような場所に行くか、っていう話になってくるのよね」
おおまかな選択肢はこの三つになる。
1、身分証明書の必要ない国は全てが自己責任となる国に行く。世間知らずのわたしが行ったらカモになるのがオチでしょう。
2、労働を課す代わりに身分証明書を発行してくれる。しかし、最低でも数年はそこで働かなければならない。そんな時間はない。
となれば必然的にわたしに残されているのは、3の自分の親族を頼るという手段だけ。
「母方の親族であれば、もしかしたら助けれくれるかもしれないけれど……」
ヴェラクレイス帝国侯爵家の一人娘であったお母様が亡き後は一度も会っていないプリシュティー侯爵に助けを求めるというのも恥ずかしい話ではあるが、実際今取れる手段などそれくらいしかないのも事実で。
「私がプリシュティー侯爵に連絡を取ってみます。それでダメであれば、また違う手段を考えましょう?」
一番侯爵と親しいであろうヒルマが手紙を任せ、わたしはプリシュティー侯爵が受け入れてくれた時の場合と、そうでなかった時の場合を想定しておく。
片手で数えられるくらいしか会ったことのないお祖父様は、優しい人であったと記憶している。けれどそれはお母様が存命であったから、愛娘がいたからであろうの話であって。
暫く交流のない孫にどういう反応をするかは、おおよそわかっているつもりだ。
「良いお返事を貰えると良いのですが」
持っていた中でも一番美しい便箋を使い、ヒルマがさらさらと文字を書いていく。わたしはそれを少しだけ複雑な気持ちで見届けた。
「海の向こうですから速鳥を使っても一週間は掛かるでしょうね。となると、もう二週間程はこの辺りで過ごすか、若しくは馬で行ける範囲で遠出をするか……」
便箋に詰めた手紙は一番値の張る、けれども一番早く届く空の便、速鳥で出すことは一致した。けれども返事を待つ間、何処で何をして過ごすかが決まらない。
「まあ、ミーナ達は二週間以上ここにいるからな。今更何かすることもないだろうな」
「かといってずっとここにいるのもね。近くに軽く行って帰って来れるような場所があると良いんだけどね」
「意見しても?」
カールとディルクさえも行き先を決めあぐねている中、ずっと沈黙を守っていたファティが口を開く。
「皆様はここからそう遠くない、馬で行ける場所が宜しいのですか?」
「そうだね。船に乗るのは身分証が必要だから」
「であれば、身分証が必要のない船であれば、船で少し移動するという選択肢を入れても?」
「そうだね、そんな手があるのなら」
お手上げ、といった風にディルクが手を上に向ければ、ファティはぽつりとこう言った。
「ありますよ」
「何がさ?」
「身分証無しで乗れる、船です」
ファティの、今までの悩み全てを打ち消してくれるその話に、皆が食い付く。ファティが語ってくれた話は、貴族だからこそ出なかった、話であった。
「成る程、民間船」
今までわたし達、というか貴族は、大手の会社が運営する船舶を選ぶのが普通であった。大手であるが故に高価で身分が必要となっていたが、これらの船は庶民が乗れるような価格ではない。
そんな問題を解決するのが民間船。大手の船舶会社よりも安価である分乗り心地や客の質は劣るが、近場であれば身分証無しでも乗船出来る。
今のわたし達が必要としているものが、あった。
「存在は知ってたけど、それは浮かばなかったな」
「お嬢様が乗る船、ということで自然とその選択肢は除外されていましたね……最初は覚えていたのに……」
ディルクとヒルマが少し項垂れているのをファティが窘める。
落ち着いた二人を交えて、わたし達は近場の行き先を決めることに。
「小さな島国がありましたよね?確か観光地として有名だった思うのですが」
ヒルマ、ファティ、ベルホルトの三人が主に場所を出し合って、わたし、カール、ディルクは頭の中だけにある情報で参戦する。
そんなことを何回か繰り返して、次の行き先が決まった。
「島国、モードディッシュ。ここでプリシュティー侯爵の返事を待ちましょう」
ハシュートの港から二日程。比較的近場である場所に移動し、返事を待つ。と決まれば皆の動きは早いもので、その日の夕方にはモードディッシュへ向かう準備が出来ていた。
「大きいわねえ」
ずっと港に泊まっていた船を眺めていたけれど、こうやって前に立つと更に大きく感じる。
「ミーナ様。今日はそっちじゃないですよ」
「わかってるわよ、ディルク」
わたし達は大きな船を素通りし、波に巻き込まれない程度に距離の離れた小型船舶に乗り込む。
「本当に、身分証明とかがないのね」
予約のチケットであっさり入れて、取った部屋に移動する。
「まあ、今の私達には有り難いですけどね」
そう言いつつヒルマが指定の部屋の扉を開けた。
窓付き、鍵付き、食事付き。一応この船で一番高い部屋を取っただけあって、船室は比較的綺麗に保たれているようだった。
「悪くはないと思います。評判の悪いところだと、本当に汚いですから」
というヒルマのお言葉も頂き、わたしは船室に備え付けられているベッドに腰掛けた。
「二日、だそうです。暫くは退屈かもしれませんが、ヴェラクレイス帝国へ行く練習には丁度良いかもしれませんね」
船旅というのがどんなものか知れれば、それで良いのだとヒルマが笑う。彼女の言葉の意味を知るのはまだ先ではあったが、この時のわたしは初めての船旅にわくわくしていて、彼女の言葉を聞いていなかった。
「…………」
「…………」
「…………だいじょうぶ?」
真っ青な空の下で、ディルクとカールが仲良く船酔いをしていた。
「まあ、夜中より……」
「そうだね、外の空気を吸えるから……」
デッキに上がり、柵に肘を掛けて遠くを見つめる二人は今にも吐き出しそうな顔で言う。
「普段、僕達が乗ってた船はとても揺れの少ないものだったんだね」
「そうだな」
客室が比較的揺れの少ない船の中央部分とはいえ、小型船舶である以上大型船舶よりは揺れやすい。
わたしよりは船に乗った経験が多い二人は体調がとても悪そうだが、対して初めて船に乗るわたしはとても元気。
そんなわたしを恨めしげに見る二人の視線に気まずくなって、わたしはデッキから逃げ出した。
「っと、ごめんなさい」
デッキから部屋に戻る途中、一人の男性とぶつかってしまう。わたしが急いで謝ると共にその人は軽く頭を下げてデッキへと出ていった。
「お嬢様、お昼ご飯は?」
「いただくわ」
男性と入れ違うようにして、ヒルマが正面から歩いてくる。彼女の言葉にもうそんな時間かと思いつつも、頷いて答えた。
以前取っていた宿程ではないものの、船での料理もそんなに悪くはない。
だからヒルマにカールとディルクの船酔いを報告しながら、わたし達は食堂へと向かうのだった。