直轄地のお茶会
翌朝。
重たい瞼を開け、眠れなかった原因に思いを馳せる。
「お嬢様。お目覚めでいらっしゃいますか?」
「……たった今、起きたところよ」
ずっと巡らされていた思考の中、本当にこれで良かったのかという不安だけが確かな中で、天蓋の外から掛けられた言葉に答えた。
「お支度させていただきますね。まずはご入浴からしましょうか」
ぱっと差し込む眩い日差し。いつもなら心地よい朝方の清涼な風も、今は寝不足の身体を刺すように染みる。
恐らく酷い顔をしているであろうわたしには触れず、淡々と着飾る支度をしてくれるヒルマとファティに感謝しながら朝を費やしなんとか体裁を整えた。
「おはようございますお嬢様、寝不足でいらっしゃいますね」
「緊張で少しだけ、ね」
「あらあら」
先日の予定通り仕立ての確認へと来てくれていたアメリーとも挨拶を交わし、レステルへの旅については無事お爺様の了承を取れたこと、人と資金を用意出来ることを伝えれば、新緑の眼が太陽よりも輝いた。
「そうですか、そうですか!必ず見つけてお嬢様へ総レースのドレスを仕立てさせていただきます!!」
話しながらも、決して手は止めることなくドレスを着付けてくれるアメリーと阿吽の呼吸で髪や顔を整えてくれる二人。
そうして陽の上りから始まった支度は朝食頃に終わり、軽食を経て玄関ホールへと移動。
「今日は一段と美しいなミーナ」
「ありがとうございます。お爺様も、素敵です」
いつもより少し華美に装ったお爺様に迎えられ、とうとう当日を迎えた皇帝陛下との顔合わせの日。
お爺様曰く、場は皇后陛下直轄地にある庭園が指定だそうで、今回ご参加されない皇妃様が歓迎の意を表してその場所を選んでくださったそう。
「あそこは中々良い場所なんだ。珍しい花々が咲いていてね、ミーナの目も楽しませてくれるだろう」
侯爵家からおよそ半日の場所にあるという皇后陛下直轄地の庭園。
皇后陛下もまた学園の同期であり、そして元々はお爺様の遠戚、マクシュティー侯爵家の一人娘でいらっしゃった。
古くは幼馴染みとしての付き合いもあったそうで、隣接する土地柄良くその庭園には遊びに行ったものだとお爺様が笑う。
「もう遠い話だがね。彼女が留学へ出たときにそれまでの交友は絶たれてしまったし、戻ってきてからというものすぐ皇太子妃となり後宮入りしてね。第一皇子の披露目と共に久々に会ったとき、それはもうああこんなにも時間が経ったんだなと実感したよ」
少し寂しそうに微笑み、だから、と目元を緩める。
「今回、庭園でお茶会をと手紙が来たときは嬉しかった。同席は出来ずとも、歓迎はしている。近いうちにまた皆で席を設けたいと言ってくれたときは」
そうしてほんの少し声が弾むお爺様の昔話を聞いたり、移ろう景色を眺めたりしているうちにプリシュティー侯爵領を出た。
道中何事もなく和気藹々と過ごすこと半日。
プリシュティー侯爵家と隣接する、元マクシュティー侯爵領、現皇后陛下直轄地のミランへと馬車は辿り着いた。
街の入口である大きな門を馬車のまま抜け、一本大きな道をひたすらに進んでいく。
静かな街だと思った。
道の左右にはまばらに店が並ぶが、人の往来はそれほど多くはない。
商人や旅人といった風体の人よりも市井の人々が大多数を占め、それ故か活気が薄いようにも見えた。
「……昔はもっと、栄えていたのだけれどね」
わたしが窓の外をじっと見つめていたためか、ただの独り言か。判別つかないくらい小さな声が馬車の中に落ちた。
怒りのような、後悔のような。
そんな言葉。
わたしはそれ以上を問うことも見聞きしなかったことも出来ず、無感情に街並みを眺めるお爺様を見つめる。
きっと、それは独り言だったのだろう。
懐旧した先にある、日々の。
「どうした、ミーナ?」
「いいえ。少し、ぼうっとしておりました」
冷え冷えとしたお爺様の雰囲気は本当に一瞬のことだった。
だからわたしも思考を切り替えて微笑む。
自然か不自然かなんて、突っ込んだりはしない。
お爺様が話そうとなされないのなら、わたしが聞き出すことではないのだから。
「……すまないね」
バツが悪そうなお爺様。なんのことですか、と小首を傾げれば、控えめな笑みが返ってきた。
「やあ」
「もっと普通な挨拶が出来ないのか貴様は」
なんとなく気まずかったあの馬車内が掠れる程、皇帝陛下の挨拶は気軽に終わった。
「いやはやすまない、堅苦しいのは好みではないんだ」
「どの口がほざくんだ」
年を重ねていらっしゃるからか、少しだけくすむ金色の髪。深い藍色の眼差しと相まって全体的に退廃的な雰囲気をされているのに、言葉はまるで鳥の羽のように軽い。
けれどその瞳の奥、為政者としての威圧感はしっかりとあって、見定めるその眼と軽快な口上にわたしはマナーに則った挨拶をすることしか出来なかった。
「いやはや。この落ち着きよう、教養の高さ、見目麗しさ。ミーナ嬢は綺麗にエトラとイリーナ、フィデリオの良いところを継いだな。コーエンなんぞに似なくて良かった」
「はっ」
軽口を叩き合っていても、所作の美しさは崩れないお二人。
昔からこうして過ごしていらっしゃったのだろうかと思うと、不意に笑みが溢れてしまった。
「わかっただろう、ミーナ。こんなやつだから敬意なんてそこそこに払っておけばいい」
ほらほら座りなさい、と皇帝陛下に許可を得、お爺様の少し後に着席。
陛下の侍従が茶菓子の用意を手早く済ませ、皆で舌鼓を打ちつつ談笑は弾む。
「……それにしても本当に、イリーナとフィデリオに良く似ているな」
「ああ、面差しは本当にフィデリオに似ているな。けれど銀の髪はイリーナや私のところの血が濃く出たみたいだから、二人の子供なのだと一目でわかる」
それは昔から言われてきた言葉だった。
両親に良く似ている。二人の子供だねと。
かつてはそれがとても誇らしくて嬉しくてたまらなかったはずなのに、事故のことで朧気にしか二人のことを覚えていない今はもう、後ろめたさが強くて。
「……?」
「ミーナ、どうした?」
「ミーナ嬢?」
ずき、と胸が一瞬痛む。それは両親のことを忘れてしまった罪悪感かと思ったけれど、段々と鈍く頭痛が疼き始めて蟀谷を押さえてしまう。
「大丈夫か?」
お爺様の声が聞こえる。だけれど視界が霞んでいく。頭が痛い。割れそうで、心配してくれるお爺様と陛下の声でさえ、なんだか劈くように感じて。
「ヒルマ!ファティ!」
ついには座っていられなくなって体勢を崩してしまったわたしを、お爺様が支えてくださる。
ああ、本当に申し訳ない。こんな無様な姿をお二人に見せてしまうなんて。
「もうしわけ、ありません」
「良い、早く客間で休ませなさい」
「悪いな」
なんとか口に出来た謝罪は、受け取ってもらえただろうか。
お爺様に、陛下に、もっときちんと謝罪しなければ。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
生きていて、わたしが生き残ってしまって、二人を死なせてしまって。
わたしがあのときお願いしなければ。
わたしがあのときちゃんと約束を守っていれば。
わたしが、もっと、あの子を止めていたら……
頬が冷たい。
みんなが、わたしを心配しているのがわかる。
鐘を打つような頭痛の中、薄闇に意識が沈む。
とぷりと沈み込む冷たさにまた、何かを思い出す。
『本当に瓜二つね』
美しい金の髪が靡いていた。
大きな日傘が顔を隠していて表情はわからなかったけれど、一瞬だけ風に煽られた傘から覗いた眦は鋭くこちらを睨んでいて、その敵意にわたしは後退る。
『お嬢様、行こ』
隣に立っていた女の子に手を引かれ、屋敷の中へ駆け込むわたし達。
『おや二人共。どうしたんだい?』
そこへ丁度通りかかったお父様が、息を切らしながら玄関に立つわたし達を見つけ首を傾げる。
『変な人、いた。庭に』
『変な人?』
『お嬢様のこと、睨んでた』
『おや』
俯きながらその話を聞いていたわたしのことをそっと撫で、通りすがりのメイドにヒルマを呼ぶよう伝えるお父様。
『ミーナ、怖かったね。傍にいなくてごめんね。すぐにお母様とお部屋に行くから、先にヒルマと待っててくれるかい?』
『うん』
ぎゅっと抱き締めてくれたそのぬくもりが、初めて向けられた感情、覚えた恐怖を少しずつ溶かしてくれる。
『さっきの話、詳しく教えてくれる?』
『うん。あのね……』
『お嬢様、行きましょうか?』
程なくして迎えに来てくれたヒルマに手を引かれて、わたしは自室へと戻っていく。
玄関ホール。左右に位置する大きなカーブ階段。
登りながら、ばいばいとここまで連れてきてくれた女の子に手を振るわたし。
同じように、気付いて手を振り返してくれる同い年くらいの女の子。
お父様と並んで玄関から出て行ったその黒髪の女の子を見送ったわたしもまた、ヒルマと共にその場を後にした。
見覚えのないその子は、何処かで見たことがあるような気もして。
だけれどそのときのわたしは特に何も違和感を覚えることもないまま、お父様とお母様に存分に甘えて恐怖を紛らわしているのだった。




