仕立て屋の夢と髪飾り2
「どうしたんだい?」
一月程前と比べて大分時間にゆとりを持てるようになっていたお爺様の元へ直接赴けば、優しい微笑みが出迎えてくださる。
以前だったら事前にご予定を聞かなければと憚っていたけれど、少し落ち着いている今は直接おいでというお言葉に甘えてお邪魔させていただいていることが増え、一緒にお茶を嗜む頻度も高い。
「そうか、仕立て屋の……わかった、そういうことなら連れて行きなさい。ヒルマにファティ、他の女性陣も敵に回したくはないからな」
「ありがとうございますお爺様」
「恐れ入ります旦那様」
事情を説明し、お力添えをいただけないかと尋ねてみたところ、じっと自分を見つめていたヒルマの真剣な表情に口元を緩めながら許可を出してくださる。
少しお茶でも、というご提案に首肯してからソファへと腰掛ければ、お爺様も執務を行っていたテーブルから離れてわたしの対面へと移動なさった。
「調子はどうだい」
「滞りありません、万全の状態で臨めると思います」
「そんなに気負わなくて大丈夫さ。あいつはただミーナに会えるのを楽しみにしているだけなんだから」
ダニエルさんとヒルマがそれぞれお茶の支度をしてくれている中、控える謁見の話に移る。お爺様は全然固くならなくて良いと言ってくださるけれど、わたしの行動所作一つでご迷惑を掛ける自体にはしたくない。
ただでさえ王国の出自で、聡く耳の良い人間であれば点と点を繋げてそれを悪い方向へ吹聴出来るような段階を経てここまで来た。
ある程度社交界で地位を固めてからならばまだしも、何も活動をしていない、何の力も持たない現状では、多くのことを長所にしておきたい。
「何かあったとしても、ミーナやその周りの者達を守るくらいの力は私が持っているんだ。だから、そんなに気負った顔をするんじゃないよ」
そんな気遣いの言葉と共に頭を撫でてくださるお爺様。まだ少しその温もりをくすぐったいと感じるけれど、心遣いは充分に伝わってきて笑みが零れる。
「ミーナは明日も早いだろう?私は今日夕食を摂るのが遅くなるから、先に食べて早めに休みなさい」
「わかりました」
「ああ、それじゃあまた明日」
「はい、また明日」
他愛のない雑談を終え、明日のわたしを気遣ってくださるお爺様に頷きながら部屋を出る。
謁見に備えて帝国のマナー復習も見直し、ファティにもチェックしてもらったり等色々な最終チェックをしていたらすっかり夕食の時間。
お爺様はいらっしゃらないけれどディルクは食堂にいると二人に聞き、気分転換にと提案してくれた二人と向かう。
「や、ミーナ様。緊張してる?」
「それはもう」
「だよね、僕がミーナ様の立場だったら絶対するもん……カール?」
一足早く食事に手を付けていたディルクと軽口を叩き合いながら着席し、次第に運ばれてきた食事に手を付けようとした最中、久しく顔を見ていなかったカールがやって来た。
「ああ、ミーナもいるのか。丁度良かった」
乱れた髪と目元を縁取る隈、急かす口調に若干の焦燥を滲ませて食堂へと足を踏み入れたカールは、続け様に一言。
「今日ここを発つ」
「カール!」
それはあまりにも唐突な決定で、あの日以来まともに顔を合わせていなかった気まずささえ忘れて呼び止める。
「どういうこと?詳細は話せなくても概要くらいは教えてくれてもいいんじゃないの?」
その戸惑いはディルクも同様であり、眉を顰めながら続きを促した。
「……リュペンの酒場、覚えてるだろ。アズールが入りたくないと言った」
「ああ、アズールが奴隷商と関係あるかもって言ってたところ」
つい一月程前の出来事。色褪せるにはまだ早い旅路に触れたカールは、ディルクの問いに顔を歪めながら手短にここを旅立つ理由を語った。
「あそこの酒場、やっぱりヴォルフ達帝国が摘発した奴隷商に関わりがあった。仕入れにあの酒場が使われていたらしい。俺達が泊まった宿屋の連中とも当然グルで、案内された通り食事を提供出来なくなったと理由を付けて酒場に誘導、旅人に薬を盛って昏倒させて船で出荷。酒場は表の顔、裏じゃ奴隷商から集めた違法奴隷で女性は娼婦にも劣る扱いを、男は適当に消費される命だったという。で今回、というかミーナが捕まってすぐに奴隷商から上玉が入るとの知らせが上がってた。多少傷付いても値崩れはしないくらいのモノが入ったと」
「……ミーナ様の情報が割れてるってことね。で、それが王国に届く前に奴隷商と酒場を潰してヴォルフ達に恩を売りつつ、ミーナ様の名誉を守られるようにプリシュティー侯爵令嬢として盤石の立場を築くまで王国を欺くと?」
淡々と説明される事柄に漸く理解が追い付いた頃、カールがこれから行おうとしているであろう行動を端的に纏めたディルクは大きな溜息を吐いた。
「あのさあ、それは流石に一人で抱え込み過ぎじゃないの?せめて王国側の情報操作には人手がないと」
「ああ、それはあの諜報員が担う」
「大丈夫なのそれ?ミーナ様に関わることだよ、それを得体の知れない諜報員と共有するって正気?」
「今更だろ。なら使えるものを使った方がいいに決まってる」
何を言われても頑として揺らがないカールだと悟ったディルクは再度大きな嘆息と共に目頭を押さえる。
「カール、あの」
「ミーナは何も気にしなくていい」
「わたしは大丈夫よ」
議論の余地さえない拒絶、しかしそれが自身のためにしてくれることだと理解している以上は引き下がることはしたくない。
カールが一人で自国に戻る。わたしを連れることもディルクを共にすることもなく一人で戻ったときに浴びせられる罵声は簡単に想像が付く。
そしてもしも意図的にわたしと王国を引き離したことが周知となったら、彼の立場どころかその命さえ危ういのだ。
王命でわたしを探しに出て、それに背き更には情報を秘匿。
帝国の侯爵令嬢となるわたしに手を出すことが出来なくとも、未だ王国の国王補佐であるカールとディルクはそうではない。けれど。
「というかカール、僕を連れて行かないってことは僕を国王補佐から外させるつもりだよね?それどころか僕の貴族籍辺りも抹消させて最悪自分一人で被ればいいとか思ってるよね?」
彼等の肩書き思い返して、ディルクと同じ結論に至ったわたしは口を結ぶ。
用意周到で聡明なカールのことである、万が一しくじった際には他に咎が向けられないよう整えてあることだろう。
王妃様は掴み所のないお方ではあるが、国を治める主は御し易い。いくら王妃様が口を酸っぱくしてカールの意見に反対したとて、結論を下す主を納得させてしまえばそれで終わりだから。
「失敗はしない」
これ以上話す気はないと悟らせる態度へ何度呼び掛けても一度たりとて視線は交じらないまま、彼は踵を返す。
「ミーナ様、ご飯食べてて。僕が行って来る」
大丈夫だから、と微笑んで食堂から出ようとするわたしを引き止め、代わりに足早でカールを追ったディルク。
「お嬢様。ひとまずお座りになってください」
控えていたそうヒルマとファティにも窘められ、何も出来ることがないと悟り静かに腰を下ろした。
「さあ、スープはいかがですか?謁見に備えるため、と料理長が下準備から張り切って作ってましたよ。メインも数日前から拵えていたみたいですし、いただきましょう?」
熱々だったはずの、まだ手を付けていないスープ。香ばしい香りが立ち上るメインの肉料理に美しく盛り付けられたサラダ。
何をどう気遣えばわたしが食事を摂るのか完全に理解している二人に促され、わたしは美味しくも寂しい食事を終えた。
「ミーナ様、ごめんいい?」
食後、寝支度が完了した頃。夜も深い時間にディルクは一人部屋を訪れた。
「ごめん。カール、止められなかった」
そしてそう、想像通りの結果を申し訳無さそうに知らせてくれた。
「いいのよ」
伏せられた眼を、何かを逡巡するように一瞬開かれた唇を見て見ぬふりは出来なくて、わたしは呟く。
「貴方も、行って」
ぱっと上げられた目とかち合えば惑いは憂いに、そして決意へと変わると知っているから。
「……ありがと、ミーナ様。必ず戻るよ」
暫しの沈黙を携えた後、予想通りに確かな声で出立を告げられて。
「ひとりにして、ごめんね」
一人じゃない。ヒルマもファティもお爺様もダニエルさんもいる。
それは彼もわかっているはずなのに、どうしてそんな顔をするのかと問う前に背を向けられ、足音は駆足に遠ざかって行った。
「お嬢様?どうかなさいましたか?」
「……なんか、寂しくなっちゃうなって」
「私共がおりますよ」
「うん、ありがとう」
一瞬だけ過った不安を否定して、支えてくれる二人に感謝を告げる。
けれど一抹の胸騒ぎは何かを見落としてしまったようで、それがとてつもなく大切なことのような気がしてしまう。
カールとディルクが揃って国へ帰る。
それはカール一人きりで帰してしまうよりもずっと安心出来ることのはずなのに、ディルクを止められなかったことが何故かすごく、引っ掛かる。
カールではなく、ディルクを止められなかったことが。
「……お嬢様、もうおやすみになってください。明日もお早いのですから」
薄暗い廊下をじっと見つめていたわたしを部屋に引き入れ、ベッドへと誘導する二人に従って目を閉じる。
明日のことさえ霞んでしまいそうな程に膨らむ憂慮が、杞憂であって欲しいと願いながら。




