その裏側と接触
「ファティ、そちらの方はどうだったの?何だか途中、とても声が聞こえたけれど」
彼女の淹れてくれた紅茶で一息吐きながらヒルマが戻って来るのを待っている間、何やら途中騒がしかった気のする隣室の様子を尋ねればふっと気安い笑みが浮かぶ。
「……申し訳ありません、失礼致しました。その、昼際に旦那様が古株の者にどドレスを見繕わせると仰いましたでしょう?それを誰が担うのかで一悶着あった際の騒音だと思います。結局ダニエルに許可を得て装飾を含めたものを一人一つ選ぶということに落ち着き、皆満足した様子で仕事に戻って行きましたが」
珍しく表情の崩れたファティが恥ずかしそうに咳払いをし、謝罪の後に語られた言葉。
「お嬢様?」
そんなことにさえ未だ尾を引く感情が緩やかに浮遊して、押さえ付けてもしつこいそれに気付くファティに顔を覗き込まれ、わたしは口を開く。
「その……貴女達の言葉を疑う訳じゃないけれど、本当にお屋敷の方達はわたしを歓迎してくれているのよね?」
楽し気に語った彼女が、気を遣って嘘を吐いているようには見えない。しかし、どうにも少しだけ不安でカップを握り締めたまま見上げれば、ファティは膝を折ってわたしの手を取ってくれる。
「ええ、お嬢様。皆、貴女様にご挨拶出来る日を心待ちにしておりますよ。このファティが、保証致します」
あのとき向けられた意味の知らぬ眼が、今でも怖い。それを感じ取ったかのように優しく微笑む彼女の言葉に救われながら、けれども信じきれない自分が情けなくてそっと視線を落とした。
「……お嬢様、この後、ヒルマが戻った後に少しだけ移動出来ますか?」
「良いけれど……何処へ?」
「内緒です。怖いところではありませんから」
隠した眼を追うことはなく、ただ手を握ってくれるファティは逡巡した後何かを思い付いたようで、わたしを何処かに誘う。
彼女ならば危険のある場に連れて行くことはないだろうし、何よりも悪戯が浮かんだ子供のように言葉を弾ませる姿を見れば断る理由もない。
「只今戻りました」
「ヒルマ、丁度良いところへ」
「はい?何か用事でしたか?」
「あのですね……」
「ああ、成る程。それは良いですね、ちょっとダニエルに伝えてきます」
話を終えた直後、やり切ったような顔で戻って来たヒルマを呼び止めたファティはひそひそと何かを耳打ちする。
内緒話を共有した二人は何処か楽しそうで、一人事情を知れないわたしは何かを伝えに行くヒルマを見送った。
「お嬢様、少しお付き合いいただいても宜しいですか?」
「勿論」
まもなくして戻って来たヒルマと、声を弾ませるファティ。
こんな二人を見てしまえば断るなんて選択肢、最初からなかったと言えども更に興味を惹かれるから食い気味に頷く。
「何処へ行くの?」
「すぐにわかりますよ」
先導するファティに続き応接間を出て、吹き抜けの玄関ホールを抜け、屋敷の端っこへと移動し、滅多に足を踏み入れることのない領域へと進む。
「別棟に用があるの?」
「はい、もうすぐです」
本館とは別の、お屋敷に勤める使用人達が暮らす棟へとやって来たことに気付くわたしへ後ろを歩くヒルマが答える。
彼女達が前に住んでいたお部屋でも見せてくれるのだろうか、と二人の行動に当たりを付けつつ楽しみだなと頬を緩ませれば、段々と光の漏れる部屋から賑やかな声が聞こえて来た。
「ねえ、マリエットは何を選んだんだい?」
「私は髪飾りだよ。少し遠目に見ただけだけどさ、ミーナお嬢様はイリーナ様と同じ綺麗な銀髪だったからさ。昔イリーナ様が良く身に付けていた金細工の髪飾りに似たやつ」
「ああ、あれかい。確かに似ていたから気に入ってもらえると良いな」
「そういうオレリアは?」
「アタシは勿論ドレスだよ。あの戦争の末にドレスを選ぶ権利をもぎ取って、お嬢様に一番似合うドレスを選んださ」
「そんなこと言ってファティに駄目出しされてたじゃない、お嬢様にはもっと華やかなものが似合うって」
「うるさいよイネス!あんなに美人なんだからごてごて飾らなくたって良いんだよ。そういうアンタは何を選んだのさ?」
「私は勿論お化粧品よ。素のお嬢様のお顔も美しいけれど、私達はその魅力を更に高める人間でしょ?ちょっとはりきり過ぎてダニエルに怒られたけれど」
別棟に用意された最初の部屋。恐らく使用人のための団欒室であろうその部屋から漏れ聞こえる声に、足が止まった。
「ああ、早くお顔合わせをしたいね。あんなことがあってさ、旦那様には当分駄目だって言われちったけどさ」
「そうだね。あれが使用人達の総意だなんて思わないでいて下さると良いね、まあファティとヒルマが付いているからさ、気長に待とうね」
「でも、お嬢様のお披露目会の頃にはお会い出来たら嬉しいわ。早くあの買ったお化粧品達で彩ってみたいもの」
交互に聞こえる仲の良い会話。顔も名前も知らない彼女達なのに、その渦中にいるのは、待ち望まれているのは確かにわたしの存在で、じりじりと足は光の方へ吸い込まれていた。
「……お嬢様。これで少しは信じられますでしょうか?」
引き摺る不安を和らげる二人の気遣いに小さく頷く。
これが態々、仕込んだこととは思えなかった。
それに彼女達はそのような偽りをわたしに見せるような人達ではないし、光から溢れて来る声を懐かしそうに見つめる眼差しを知ればそこに古い付き合いがあるとも察せたから。
「声の一番大きい、砕けた口調をした彼女はお嬢様のドレスを選んだオレリアと申します。同期と話すときはあんな感じですが、仕事には人一倍真面目で丁寧に作業するんですよ」
「オレリア」
開かれる扉から少し身を乗り出し、こちらに背を向けて話している彼女達に気付かれないように密かにファティが教えてくれる。
「はい、そしてオレリアをからかうようにして会話に混ざるのはイネス。彼女はとても手先が器用で、イリーナ様のお化粧係も務めていました。他にも裁縫なんかが得意です」
「イネス」
「ええ、最後の一人はマリエット。あの三人衆の中では一番まともな人間でして、昔は良く言い争いをするオレリアとイネスの仲裁役をしたりする苦労人でもありました。流石に今は二人共良い年したご婦人ですから、そのようなことも少なく……ないようですね」
並ぶ三人の影を眺めながら、一人一人の名前と軽い紹介を伴う説明を頭に入れる。
ドレスを選んでくれたオレリアは綺麗な金色の髪を後ろで一つに纏めるご婦人で、その彼女と今しがた言い合いをしている括られた赤茶の髪を持つ方がお化粧係であったイネス。
その二人を仲裁しつつ溜め息を吐く、三つ編みの茶色い髪を背に流した姿がマリエット。
皆こちらに背を向けて話しているから顔はわからないけれど、未だにお母様の話とわたしの話をする三人からは敵意なんてものはものはなく、それよりもずっと深い親愛を感じる言葉達は如何にお母様が愛されていたのかを実感する。
だからそのままぼうっと、繰り返される知らない話を密かに聞き続けていれば不意に会話が途切れた。
「って、もう寝ないと。皆部屋に戻ってどれくらい経った?」
「わからないけれど、明日寝坊しないように気を付けないと」
「戻るか」
席を立ち、部屋の蝋燭を消し始めた三人に顔を見合わせるわたし達。
「あれファティ、そんなとこに突っ立って何してるんだい?というかヒルマ、も……?」
「何してるのオレリア、邪魔よ……?」
「二人共入口でまた何よ?幽霊でも見たっていう、の……?」
灯りの消された室内の外、等間隔で蝋燭の揺らめく様が見渡せる一本道であるこの廊下に、隠れるところなんてない。
外で佇んでいたわたし達を彼女らが見つけるのは当然のことで、ばっちりと眼が合った。
「え、あ、お、お嬢様?何でこんなところに」
混乱と困惑が入り混じる中、初めにわたしを捉えたオレリアが瞬きを繰り返し戸惑いを並べる。
「ごめんなさい、驚かせる気はなかったの。でもその、貴女達がとても楽しそうに話をしていたからつい、耳を傾けてしまっていたらこう、鉢合わせてしまって」
話を盗み聞いていた上、困らせてしまっていることを申し訳なく思いつつ本心を述べればオレリアの眼が更に瞬く。
そうしてぱっと、弧を描いた。
「……はは、悪戯がバレた後の姿もイリーナお嬢様そっくりだ」
それまでの空気と一転して、からりと笑う姿に今度はわたしが見つめる立場になる。
「大丈夫ですよお嬢様。彼女達はこのようなことで怒る人間ではないですし、寧ろ誤解が解けて嬉しいと語る者達ですから」
「違いないね、誰の目にも晒されないはずの場所で話したことが何かお嬢様の力になるのならいくらでもしてくださいな。そうして、アタシ達を信じてくれると嬉しいですよ」
からからと音が聞こえてきそうな闊達さを見せるオレリアに続いて首肯した、マリエットとイネス。
「っとあれですね、本当はもっとお嬢様とお話したいけれど旦那様から接触は禁じられているのです。名残惜しいのですが、戻らなければ」
「ま、待って」
わたしが彼女達に話し掛ける前、はっと気付いて距離を置く三人を考えもなく引き留めてどうしようと悩む。
呼び掛けに止まってくれた三人、わたしを歓迎してくれている三人へどのような感謝を告げれば良いのだろうと思考すれば、言葉は滑り落ちた。
「わたし、ミーナ。ミーナ・プリシュティー。近いうちに絶対貴女達を呼ぶから、そうしたら、皆のことを教えてくれる?」
正式な顔合わせを望んでくれていた三人。そんな彼女達のことをわたしも知りたいと、もっと仲良くなりたいのだと告げればにこやかに微笑みを返してくれる。
「勿論でございますミーナお嬢様。その日を、心待ちにしておりますね」
そしてそんな風に揃う言葉で、わたし達を見送ってくれるのだった。




