商会と仕立て屋
正午と日暮れの間、小腹が空いてくる頃のおやつ時の今、わたし達は商会と仕立て屋が到着したとの報せを聞き応接間へと向かっていた。
残念なことにお爺様とダニエルさんは丁度直前に急用が入ってしまい立ち会えないとのことで、今は三人で廊下を歩いている。
先程お爺様から聞いたことによると今日やって来るのは以前帝国内で流行を作った仕立て屋の方、お爺様が長年付き合いを続けている商会の方だそう。
そして前者の方に関してはヒルマとファティがその仕立て屋の名前を知っているらしく、二人の機嫌がいつも以上に良い。
「そんなに有名な方なの?」
「はい、お嬢様」
こうも表に感情を出す二人が物珍しくて、だけどその理由がわからずに尋ねてみればヒルマが答えて続ける。
「仕立て屋アメリーと言えば遠方の田舎町から出て来て、始め小さな下町の工房からお針子になったかと思えば一年経たずとして帝国内屈指の仕立て屋、ラ・フランへと引き抜かれた仕立ての鬼才です。それから数年経つ今となっては皇族の方の刺繍を担当される程で。王国内へ彼女の話が届く頃にはもう人気のお針子過ぎて呼ぶことも出来ず、ファティと二人で歯噛みをしたことも」
「ええ、ありましたね。ドレス作製の依頼を出そうかとも思いましたが、仮に仕立ててもらえたとしても委細の打ち合わせが出来ないことがどうにも難点であったのと当時はお嬢様の背が伸び始めていたこともあり、作成から輸送、到着の段階で丈が合わなくなることも鑑みるとどうにも、と二人で顔を見合わせていたらあっという間に依頼さえ出来なくなってしまったのです」
駆け足気味に語られた仕立て屋アメリーの話、それに同意するファティの二人が当時のことを思い出してか歯痒そうに言葉を連ねるから、至極当然の疑問を抱く。
「そのような方に仕立てていただけるなんて光栄だけれど、良く予定を押さえられたわね」
これまでの経験上、市場で人気のお針子さんというのは大概一年以上は予定が詰まっていて、何なら依頼したら数年後とかになるとこもザラにあるのだ。
何せ一着作製するのに数ヵ月は掛かるのが当たり前で、幾ら分担で作業したって限界はあるしその間にも依頼は入ってくるのだから。
社交シーズンで新しいドレスを下ろすのなら時期が終わって直ぐに来年のために仕立てを始めなければならないと言われるくらいである、人気のお針子というのは。
とはいえ以前は次期王妃という立場であったが故に、その話は他のご令嬢から聞いたものなのだけれど。
それより前は、そもそもお下がりのものが多かったから。
「……お嬢様が、こちらへ来ると聞いてから急ぎで商会の方に話を通したみたいですよ、ラチェッタ商会は仕立て屋アメリーの最初の出資者ですから。それで多少融通を利いていただけたのかと」
逸れた思考に若干の憂鬱を思い出し、聡く感じ取ったファティが背後で疑問に答えてくれた。
恐らく詰まっていた予定を無理矢理空けてもらったことを申し訳なく思いながらも、そんな方に仕立ててもらえるのは心が踊るという背反。
「気の合う方だと良いですね」
「ええ」
応接間が目の前に迫り、緩む気を引き締めて背筋を伸ばせば気負いすぎないようにとヒルマが声を掛けてくれる。
それを後押しに、私は室内へと踏み入れた。
「どうぞ、楽になさって。お名前を伺っても良いかしら?」
言葉なく取られた正式な挨拶の礼を懐かしく思いながら、過去の自分を引っ張り出してきては貴族令嬢に見えるように振る舞う。
「お嬢様。御拝顔賜り光栄にございます、ラチェッタ商会のイヴォンと申します」
「お初にお目に掛かりますお嬢様、ラ・フランから参りました仕立て屋のアメリーと申します」
「イヴォンに、アメリー。今日はよろしくお願いするわね」
二人の自己紹介を受け、軽い挨拶の姿勢と共に障りない口上を紡ぐ。
船上でディルクと貴族令嬢のおさらいをしていたからか、そもそもこれが骨身に染みているからか、滞りなく行えた挨拶に安堵しながら着席を促した。
「まずは採寸を済ませた方が良いかしら?」
「そうですね、可能であれば先にお嬢様の採寸をさせていただき、お身体の美しさを全面に生かすデザインを考えてさせていただければと」
「そう、ではそうしましょう。……ええ、お願い」
基本的な流れ通り採寸から行い、その間ファティが別室で普段用のドレス類を商会から購入してくるとのことで、そちらは完全に任せて用意されている衝立の中に移動する。
「ありがとうございます、もう大丈夫です」
「もう良いのかしら?」
「はい、大丈夫です」
今までされたどの採寸よりも早く終わる彼女の仕事ぶりに既に驚きつつ、この間一度もメモを取っていないことを不思議に思って台に置かれた白紙を眺めれば、それに気付くアメリーが微笑む。
「大丈夫ですお嬢様、寸法は全て頭の中に入っていますから」
「そう、なの?……凄いわね」
「恐れ入ります」
深い森を思い起こさせる緑色の眼が眇められ一切の後れがない返答は、それだけで彼女がこの仕事にどれだけの誇りを持っているのかが伝わって来る。
それと同時にまた、貴族令嬢受けしない人だともこの少ない時間で察せる仕事の仕方だった。
「……お嬢様、何か顔に付いていますか?」
「いえ、ごめんなさい。真剣な横顔が綺麗だったからつい見入ってしまっただけ」
寡黙に淡々と、世辞もなく目の前の仕事に集中するアメリーの横顔をじっと見つめていたら少し煩わしそうにこちらを振り返る彼女。
だから素直にその仕事に打ち込む姿に見惚れていたと伝えれば深緑の眼が瞠られて、瞬きを繰り返す。
「まあ。私の対応に腹を立てるご令嬢は多いですが、そのように言われたのは初めてです」
「ふふ、そうなの?でもそうね、過度な世辞と賞賛も仕立て屋の仕事の内と考えている人も多いから」
決して愛想が悪い訳ではないが、貴族令嬢を相手に商売するには少々賛美の言葉が足りない。
腕が一流であるからこそ、自分の技術を自負しているからこそこの対応の仕方なのだろうけれど。
「美しいと思ったことにはきちんと伝えますよ」
「そう、安くなくて良いと思うわ」
くすくすと私が笑うからか、眉を下げて困ったように反論するアメリーに賛同する。
彼女達仕立て屋は、言葉で飾る方達ではないのだからと。
「……お嬢様の挨拶は、美しいと思いました」
「あら、ありがとう」
間を置いて、迷った末に告げられる賞賛を受け取る。
「お姿も、所作の一つも、声までお綺麗で驚きました」
「あ、アメリー?」
「先程言った通り、美しいと思ったことはきちんと伝えます」
最初の一つで終わるかと思えば、貴族令息のような言い回しで重ねていくアメリー。
商売口上のような気安いものならば遠慮なく受け取れるのに、彼女から発せられるそれがまた本心だと伝わってくるからつい恥ずかしくなって視線を逸らした。
「ええ、お嬢様はとてもお美しい方ですから。ですので、この美しさに見合うドレスをお願いしますね」
「お任せください」
そんな私を助けてくれたのはヒルマで、上手いこと話をずらしつつ本格的な打ち合わせへ入りやすくなる誘導に感謝した。
「どのようなデザインがお好みでしょうか。また好きな色や装飾の類もお伺いさせていただきたく」
「……任せるわ、ヒルマ」
「かしこまりました」
衝立を出てソファに戻り、テーブルに広げられた既存のデザインが描かれる紙を並べ尋ねるアメリー。その原画を視界に入れたヒルマが背後で目を輝かせているのがわかったから、打ち合わせを彼女に投げた。
私以上に私の趣向に詳しいヒルマに任せておけば何一つ心配ない。
それを裏付けるように既にあれやこれやとデザインについて話し合っているし、何故か時折意見が衝突して火花を散らしてはいるけれどちらりとびっしり絵が書かれる紙を見た限りでは好みのものだったからきっと何も問題ない。
「……以上で、如何でしょうか」
「ええ……とても良いものが出来上がったと思います。お嬢様、如何でしょう?」
当事者が参加しないという白熱した打ち合わせの末、清書されたデザイン案を受け取った。
「とても素敵。デザインもそうだけれど、細かい意匠も理想的だわ。後は商会で布地を選んで……」
「お嬢様?」
流行りの型でありながら細部を拘ることで一線を画すデザインが描かれた紙を手に、後は商会でドレスの布地と糸、装飾に使うレースやフリルの類を選ぼうと立ち上がったとき、何かが引っ掛かって立ち止まる。
「……ねえ、これ一月足らずで仕立てられるかしら?」
「あ」
「あ」
そもそも今日仕立てるドレスは、来月にある皇帝陛下とのお茶会で着る用のもの。
それを一から仕立て、しかももこのように細かい装飾の多いドレスが期日に間に合うのかと首を傾げれば、私と同じようにそのことを忘れていた二人が顔を見合わせた。
「いえ、商会の力と工房の力を総動員駆使すれば何とかなるかと」
「……ヒルマ、お爺様に相談しましょう」
「はい、少々お待ちください」
日暮れを越え、夜に突入しているこの時間帯であればお爺様のご用事も一段階したかもしれないから判断を仰ぐことにする。
私的な茶会で特別気を遣うことはないとは仰っていたけれど、流石に普段着のドレスでそのまま参加することは出来ない。
せめて質の高い布地、貧相に見えない装飾は絶対的であるだろうけど、それがどの程度のものを想定しているのかがわからない私達では決めようがないのだ。
超特急料金でこの渾身のデザイン案を通すのか、最低限の体裁だけを整えて仕立てるのか。
「ああ、良いデザインだな。いやすまない、別にこれ程までに凝ったものでなくて大丈夫だ。そもそも期間が一月もないのだから、多少のことには目を瞑ってもらう」
結果として、応接間に直接いらしたお爺様のその一言で今仕上がっている案は私のお披露目の際のドレスとなり、お茶会の衣装は体裁を保つ程度の仕上がりで良いとの許可が下りた。
「うん、それではこちらで」
「ええ、お願いしますね」
そうすると新たなデザインを考えることとなり、再び白熱する二人がいるのかと思いきや上手く意見を折衷し二人並んで隣の部屋へと移動していく。
「お疲れ様ですお嬢様」
「ありがとうファティ。でも私、殆ど何もしていないわ」
部屋を出て行く二人と擦れ違いにやって来たファティが苦笑いを浮かべながら労ってくれるけれど、ただ座って時折意見を出していただけだと告げれば更にその笑みは深くなった。




