決意と錯綜
穏やかな目覚め。
睡魔に引き摺られることも感情に乱されることもなく目覚めたわたしは、サイドテーブルの上に置いてある鈴を鳴らした。
「おはようございますお嬢様。まだお時間には余裕がありますけれど、御支度になられますか?」
「ええ、お願い」
「かしこまりました」
天蓋の外から聞こえるファティの声、頷けばするりと幕は上がり、水差しとカップを運ぶ彼女が目の前に立つ。
一度喉を潤し、その間に開かれたカーテンから現れた陽は高くて、もう昼頃を迎えていた。
「昼食はどうなさいましょう?軽食でも用意致しましょうか」
「そうね、軽めにお願い出来るかしら?この後いくつかドレスを試着するのであれば食べなくても食べ過ぎても良くないから」
「はい、お嬢様」
外から人を呼ぶため部屋に備え付けられる大きなベル、厨房や休憩所のような人が集まる場所へ繋がっているはずのそれを鳴らしたファティ。
「おはようございますお嬢様、お待たせしてしまい申し訳ありません」
そうしてまもなくやって来たヒルマは軽食とティーセットが乗ったワゴンを押してそれらをテーブルの上に移動させ、目覚めの一杯を淹れてくれる。
柔く白いパンに包まれる燻製肉、葉野菜、酸味の効いたソースから成るサンドイッチを食し、カップを満たす紅茶を飲み干した。
わたしの食事中、視界の端で進められていた身支度の準備のおかげで待ち時間なくそのまま着替え、姿を整えた。
「……どうかしたの?ファティ」
今朝と変わらず鏡に映る自分の背後にはヒルマ共にドレスを着せてくれたファティがいて、その視線に問い掛ける。
「失礼致しました。少々、感慨に耽っておりました」
「懐かしい?」
「はい、とても」
ゆったりと閉じられた瞳、お母様のことを思い出しているであろうファティは再度の投げ掛けに首肯する。
「お部屋に佇むお嬢様の姿が、お母君であるイリーナ様と重なる程に」
静かな声と瞬きされた眼には、測りきれない複雑な感情が揺れている。
そんな彼女の真意を測りたくなって振り向こうとしたけれど、その際に髪を梳っていたヒルマと鏡越しに目が合う。
「お話し中申し訳ありませんお嬢様、先程旦那様が呼んでいらっしゃったことをお伝えし忘れておりました」
「……あ、朝食の際にお昼頃お会いする約束をしていたものね。ごめんなさい、行きましょうか」
「はい」
話に水を差すヒルマは珍しく、それが少し気に掛かりながらもわたしはドレッサーから立ち上がり、お爺様がいらっしゃるであろう執務室へと向かうことに。
「おおミーナ、おはよう。良く眠れたかい?」
「はいお爺様、お待たせしてしまい申し訳ございません」
来訪を告げ、招かれた先には政務を執り行うお爺様がいらっしゃって、わたしが訪れると態々手を止めてソファへと共に腰掛けた。
「……ミーナ。無理はしていないか?」
対面に腰を据え、暫し無言で向き合っていた最中、唐突に掛けられた言葉に一瞬、惑う。
それが何のことを指すのかを察すまで数秒、ヒルマとファティ、お爺様の付き合いを思い出して理解した意図。
「はい。ファティに話した通り、プリシュティー侯爵家の一員として生きて行くことを決めたのはわたしの意思です」
「そうか、なら良いんだがな。もしかしたら私があんな言葉を掛けてしまったからそのせいで決めたのではないかと心配でな」
ファティが何処までを共有したのかはわからないけれど、眠る前と変わらない答えにお爺様は少し目を細めてわたしを見る。
「本当に良いのか?」
問われた、決意がどれ程のものなのかを推し量るような眼差しと声に、今度こそわたしは迷うことなく首肯した。
「そうか」
もう揺れない天秤がお爺様も見えているかのようにそれっきりこの話は終わり、沈黙の中で静かにカップが並べられる。
「……ドレスは、どんなものがよろしいでしょうかね。ミーナお嬢様はお美しいから、どのようなものでもお似合いになるとは思いますが」
「ああ……そうだな。いっそ商会の持ってくるドレスやらアクセサリやらを全て買い取って、浮き足立っている古株のメイド達が気の済むように見繕わせてやるのも良いかもしれんな」
気まずい訳ではない、しかし心地の好い沈黙でもない空気を破るのは静かにこれからのことを語るダニエルさん。
彼の相談にお爺様は緩く口元を引きながらおかしそうに笑って、話の展開へ付いて行けないわたしへ視線を移す。
「この屋敷に勤めているのメイド達はイリーナの幼少期を知る者が多くてな、此度その娘であるミーナと面会出来るのを楽しみにしている者が沢山いるんだよ」
「ええ、ヒルマとファティの同期もおりますし、私と年の近い者もおります。しかし等しく皆、ミーナお嬢様とお会い出来ることを望んでいるのですよ」
立ち上る芳ばしい香りの向こう、微笑みながらそう教えてくれたお二方の言葉。
あの日以来、廊下で擦れ違ったりすることはあれど基本的にはお屋敷の使用人達と接触をしていないわたしは不安と期待半々に微笑む。
「後日紹介させておくれ。皆、良い者達だから」
「ええ」
そんな躊躇いの感情を見抜いたかのようにお爺様は再度寄り添った言葉を掛けてくださり、ダニエルさんもそれに続いた。
「それはともかくとして、ひとまずミーナのドレス選びか」
「……カラーの指定やドレスの形のルールはどのようなものなのでしょう?」
払拭された沈黙の後、戻る話題に少し前のことを思い出しつつ尋ねる。
高貴な方の茶会へ参加する際は、細かい指定が決まっていることが多い。
主催の方とドレスの色や形が被らないようにしなければならなかったり、宝飾品一つとっても必要以上に目立ち過ぎないことが求められたり、髪型等で噂ーの餌食になったりもする。
だけど色々な方が参列される茶会、パーティというのはそれだけ様々な情報が集まるから、顔を出さない訳には行かなかった。
「今回は私とあいつの私的な茶会だからそんなこと気にしなくて良い。好きなドレスを……ミーナ?」
婚約者同伴であったはずのパーティで一人行くことになっても、表面上好ましい反応をしていた人間が裏で率先して自分を叩いていたと知ることになっても、次期王妃としての立場を守るためには出席しなければならなかった。
「お嬢様」
「あ……申し訳ありませんお爺様」
「どうした?」
遥か彼方へと飛んでいた思考はヒルマに肩を叩かれて漸く返ってくる。
心配そうにこちらを見つめ、気遣いの言葉に応えてもお爺様達の様子は変わらない。
「……少し、王国での出来事を思い出していました」
今まで通りなんでもないと誤魔化すことも出来たけれど、この国ではみんなの支えと共に社交界を生きて行くと告げている。
素直に考えていたことを口に出して、先程の考えを浚った。
「そうか……そのようなことが」
「はい。決して、あのようなことばかりがあった訳ではありませんが、私にとって社交というものはそういった覚えが多くて。久方振りに思い出してしまいました」
苦く残る後味のように、いつまで経っても消えない過去。しかし思えば、まだ一年も経っていない出来事も多い。
印象が深いせいで今も鮮明にそれを感じられるだけでいつか、思い出さなくなる日は来るのだろう。
「……ミーナよ。陛下と顔合わせた後、いずれは披露目を行わなければならない」
「はい、存じております」
「だがその後のことは、無理しなくて良い」
心情を吐き出したわたしを見つめ、これからのことへ耽るように目を閉じたお爺様はいずれ開かれるパーティ、即ちミーナ・プリシュティーという人間を紹介する場のことに触れる。
名家の一員となる以上それは想定通りで、きちんとこの場所でも貴族らしく生きて行くことを決めている以上、社交界へ繰り出すことも覚悟している。
けれどお爺様は、それがわたしの望むことでないと知っているみたいにそう優しい言葉を掛けてくださった。
「侯爵家の一員として最低限の付き合いは必要だろう、それがミーナのように令嬢であるのならより一層に。しかし、無理はしないで欲しい。口さがない連中、そんな奴等がいるような場所へは行かなくていいし、自分を害すると思う付き合いは切り捨てていいんだからな。これまで社交界へは出ずにずっと侯爵家を維持して来て、それを不都合に思ったこともないのだから」
決してわたしの考えを否定せず、だけれど身を案じてくださっているのがわかる口調と眼差しでお爺様は寄り添ってくださる。
「……はい。ありがとうございます」
向けられる柔らかであたたかい感情が何処かくすぐったいのは、家族からこのような気遣いを受けたことがないからだろうか。
嬉しいのに、何故か気恥ずかしくなるような不思議な感覚。
「ふう。真面目な話をすると疲れてしまうな」
慣れない照れくささを抱えたまま首肯して感謝を伝えれば、鷹揚に背凭れに寄り掛かりわざとらしく溜め息を吐いて場を崩すお爺様。
そんな主人をくすりと笑ったダニエルさんは再度、場を整えるように口を開く。
「旦那様、話を戻しますがミーナお嬢様のドレス、如何致しましょうか」
「ああ、そうだったな。とはいえ、我々が意見を出すよりもやはり女性陣の意見を取り入れた方が良いか?今ミーナの部屋に用意しているドレスは間に合わせのものだったが、ヒルマとファティに色が合わないものが多いと叱られたしな」
紅茶を飲んで一呼吸入れつつ、知らない話を耳にしたわたしは傍に佇む二人を見上げた。
「はい、旦那様のお気遣いは大変有り難かったのですが如何せんお嬢様の肌の色に合わないドレスも多く……少々、意見させていただきました」
「ええ、形や装飾が好みでないなどは解いて仕立て直せば良いのですが、布地が合わないとなるとやはり気になってしまって」
初めてこのお屋敷でドレスを身に纏ったとき、違和感がなかったのは二人の選別があったからなのだと知るわたし。
違和感がなさすぎて今まで気にもしていなかったけれど、思えばお屋敷にはお爺様しか主人がいらっしゃらないのだから、ドレスなんてものがある訳がないのだ。
「気付くのが遅くなってしまい申し訳ありません。ご用意、ありがとうございます」
「いや、良いんだよ。そんなこと態々言うことでもないし、孫を迎え入れるのだから当然の支度だろう。それにヒルマ達から礼ももらっているしね」
厚い好意を鼻に掛けることもなく、わたしが気付かなくてもそれを咎めることもなく、ただ泰然とそう語るお爺様。
そんな懐の広い方のご友人とは一体どのようなお方なのだろうとこれからお会いすることとなる皇帝陛下のことを考えながら、暫し商会の到着を待つのだった。




