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港町の

どうしよう、だった。


その少年を一目見て、思ったことは。



「だれ……」


人の気配に敏感なのか、呻きながらも辛そうにその腫れた目を開く少年。


「…………」


ちらりとわたしを一瞥し、すぐに興味を失くしたように視線をまた地面へ落とす。


少ししか覗かない少年の真っ青な瞳に宿る感情に、わたしは咄嗟に言葉が滑り落ちた。



「……………逃げているの?」


自分がさっき抱いた感情なんて忘れて、ただ何も考えずに出たその手と言葉。自分でさえ戸惑いを覚える程に何も考えなかった。


けれど、出してしまった言葉と手は引くに引けなくて、顔を彩る錆びた赤に持っていたハンカチを当てる。


どこもかしこも切り傷だったり、殴打された痕だったりがあって、迂闊に触れれば余計に痛くしてしまうと思ったから。



「あんたには関係ないだろ」


怠そうに腕を上げて、わたしの手を柔く払う少年。ハンカチを握ったままの手は行き場を失って、ただ宙を彷徨った。



「………人助けがしたいとか、そんな安っぽい理由なら、早くこの場を離れた方がいい」


手を空に止めたまま動かないわたしを気遣って、少年はまだ声変わりしたばかりか、もしくはしている最中であろうその声で、優しく拒絶する。


そして、大通りまでの行き方を教えてくれた。


「別に行ったって恨みはしないよ。そういうモンだろ」


それでも一向に立ち去ろうとしないわたしを鬱陶しそうに手で追いやり、わたしが気になってしまったその深い諦めを携えた目で、彼はわたしを見る。


「早く」

「でも………」


少年の言う通り、何も見なかったことにして立ち去ってしまえばそれでいい。ヒルマに、風で飛ばされてしまった帽子は見つからなかったのだと告げればいいこと。


ただ、それだけのことなのに。


「立って」

「は?」

「宿で手当てするわ」


それでも、わたしはそれが出来なかった。この先、少年をずっと助けられる保障も自信もない。最後まで責任を持てないのなら、こんなことをするべきではないと分かっている。


にも関わらず、目先の楽さをわたしは取った。


「いいから、」

「大通りまで案内してくれるでしょう?」


偽善的な選択をした自分を隠して笑い掛け、少年の手を無理矢理引く。


最早彼の意見など聞かず、わたしは羽織っていた上着を少年に被せて先程彼が指した方へと進もうとする。


「こっちの方が安全」


とした所で、彼がわたしの腕を引っ張ってそれを阻止し、真反対へと歩き出した。




「ここまでだろ?」

「折角だからお礼に治療させて」


無事に大通りまで出て、そそくさと上着を脱ぎ去ろうとする少年の手を掴み、にっこりと微笑む。この行為を笑顔で圧を掛けるとも言う。


「おじょ……………ミーナ様!」


見事少年を黙らせることに成功した頃。聞き慣れた、けれども聞き慣れぬ呼び方をする声がした方へ振り向く。


「どちらに行かれてたんですか!」

「ご、ごめんなさいヒルマ。風に帽子を煽られて、追い掛けていたらいつの間にか路地に………」

「あの場所から離れないでくださいと言ったのに、お嬢様は相も変わらず………!」


と、昔王城の中庭で迷子になった話まで引き合いに出してきたヒルマを止めるために、わたしは強引に話を反らすことにする。


「あ、あのねヒルマ!」

「全く、お嬢様一人で路地裏から帰って来れたなんて幸いなことなんですからね」


しかし、それはお説教を始めたヒルマの一言で終わる。


「ひとり?」


何を言っているのかと、わたしはヒルマを見た。横にはここまで案内してくれた少年がいるというのに。


「どうされました?」


ふと横を見ても、そこには誰もいなかった。


「あれ、お嬢様。羽織はどちらへ?」


少年に羽織らせていた上着ごと、彼はこの場からいなくなっていた。


「………わからないわ。何処かに置いてきてしまったのかも」


肩を竦めて言い訳をするわたしに、ヒルマがそれ以上追及することはなかった。だからわたしも、それ以上を話すこともなかった。




「あ、お疲れ様です」


昨日泊まった宿へと無事に戻ってきた。先日出迎えてくれた方とは違う男性が入口に立ち、部屋の鍵を渡してくれる。


「お食事のご用意は?」

「お願いするわ」


変わらずヒルマが応対し、わたしはヒルマの横に立っているだけ。軽く会釈をして男性の横を通り過ぎれば、一瞬だけ目が合う。


人の良さそうな微笑みと下がった目尻。けれどほんの僅かな時間、尾を引いた違和感。


気になってもう一度振り返った時にはその違和感は跡形もなく霧散していて、逸らすタイミングを失ったわたしと男性は暫し見つめ合うこととなった。



「お嬢様?」


と、ヒルマがわたしを呼ぶ。それ幸いとわたしは彼に軽く会釈をしてから駆け足で彼女の元に走り、隣に並んだ。


そしてお昼までいた部屋に戻って、わたしはベッドに座り一呼吸吐く。


「あの男性には……」


そして一息吐いたわたしへ、部屋の入口に佇んだままのヒルマが何かを言い掛けた。


喉に少し引っ掛かかったようなその言い方にわたしは首を傾げ、

珍しく言葉に詰まるヒルマが新鮮で顔を覗き込もうと腰を浮かせれば、彼女はふいっと背を向ける。


「ひる……」

「失礼します」


そして彼女の名を再び呼ぼうとした時、タイミング良く先程の男性がノックを携えて現れた。


「あら、どうしたの?」


当の本人が現れたからか、ヒルマはいつも通りの外行きの微笑みを浮かべて彼に問い掛け、話を始めた。


「こちらはお嬢様のものですか?」


そして手に持っていた見覚えのある羽織を差し出した男性にヒルマではなく、わたしが驚く。


「その羽織は確かにお嬢様のものですが……」


何故?と言いたげな眼差しをわたしと男性交互に向けてヒルマは首を傾げた。


当のわたしはもう戻って来ないだろうと思っていたものが戻ってきて嬉しい反面、どうしてあの少年がわたしのいる宿を知っているのかという疑問に辿り着いてしまう。


「ああ、それは良かった。先程見知らぬ少年が下のハシュートで見掛けたお嬢様のものだと思う、と届けに来てくれたんですよ」

「そうでしたか。その方にもお礼を申し上げないと」

「少年は急ぎの用があるから、と立ち去ってしまいました。もしまた会うことがあれば、私が代わりに礼を言っておきましょう」

「あら、じゃあお願いね」


そんなやり取りの後男性は部屋を去って、いつも通りのヒルマがわたしに微笑み掛ける。


「明日買いに出ることにならなくて良かったですね、お嬢様」


受け取ったばかりの羽織りをわたしに掛けてくれるヒルマに頷く。


もしあの少年に羽織を貸したままであったのなら、明日通りに出て新しいものを買わなければならないところだった。無駄な出費とまでは言わないけれど、なるべくなら出費は抑えたい。


「あれ、お嬢様。何処かお怪我を?」

「え?」


とんとん、と皺を払っていたヒルマの手が羽織の裾で止まり、裾の部分を摘まみ上げてわたしに見せる。


「何処かで汚してしまったのかしら?」


くすんだ赤い色。見覚えのあるそれに、心当たりしかない原因にわたしは蓋をし、素知らぬ顔で首を傾げた。


「うーん………やっぱり、新しい羽織を買われませんか?」

「でもまだ着られるじゃない?」

「それはそうですが………」


主と従者としては正反対の会話をしつつわたしはそそくさとヒルマの手から逃れてベッドに座った。


「まあ、もうお店に行く時間でもないし、明日以降考えましょう?」


そして話を誤魔化すことに成功した。




「ね、ヒルマ。ハシュートの次は何処に行こうか?」


夕食を取り終え、就寝までの短い時間を今後の行動計画に当てる。最初の予定では数日この街に留まり、港から船で次の街に出掛けるという予定だった。


「………もうすぐ、夏が終わりますね」


ふとベッドの脇の椅子に腰掛けているヒルマがそんなことを言い出す。


「そうね。………聖女様が来てから、まだ一つの季節しか越していないのね」


きっと彼女が言いたかったことはこれではないだろうけれど、咄嗟に出た話題はそれだった。


「冬の季節に現れしは春をもたらす聖なる祈り。黒髪の巫女は盛衰を司る。即ち神の御遣い、聖女なり………まさか、生きているうちにお目に掛かることになるとはね」


王城を離れて、何を話すかを全て頭の中で考えなくていい環境に慣れてしまったからか、自分が放った言葉には随分トゲがあったことに気が付いたのはヒルマの表情を見てからだった。


「お嬢様………」


そう、これではまるで、彼女が現れたからわたしは全てを失ったと言っているようなもの。そんな発言など一切したことのないわたしの心情を唐突に伝えられては、ヒルマも言葉を失うだろう。


「ごめんなさい。そんなつもりではなかったの」


ヒルマにそんな悲しそうな顔をさせたい訳でもなかった。


昼間に出会った少年のことが引っ掛かっているから、こんな話をしてしまったのだろうか。


もし、公爵令嬢であった頃にあの少年を知っていれば、わたしは彼を連れて帰ることも出来た。そんなことを思ってしまっていたから、彼女のことを妬むような言葉を放ってしまったのかもしれない。



「ね、お嬢様。少し遠くはありますけれど、ロスパロットへ行ってみませんか?」


少し落ち込んだわたしを察して、ヒルマは明るい口調で行き先を提案してくれた。知っているけど知らない、わたしが行きたかった場所を。


「お母様のいた国に?」


生母である母がいた国。恵まれた気候と大地によって様々な商業が発展している国で、わたしが逃げてきた王国と同等か、もしくはそれ以上に繁栄している国だ。


「でも、遠すぎないかしら?」


一枚の紙にこの世界の地図を書くのなら、まず紙の中心で十字を描き、四つの窓を作る。四つの窓の中にはいくつか大陸があって、私達がいる大陸は上の窓の右側でかつ窓の中の中央辺りに位置している。


対して、ロスパロットはそもそも左側の窓にある大陸。いくら中心の十字部分に近い大陸とはいえ、そもそも国が違うとかそんな可愛いレベルではない程に遠い。


「一月………いえ、二月くらい掛かるんじゃないかしら?」


順調に行ったとしても、恐らくそれくらいは船上で生活することになる気がする。


「そうですね………確か、母君であるイリーナ様と共に船で移動した時は、その時の最新船でさえ一月は掛かっていましたからね。民間船であれば二月は掛かるかもしれません」

「船かあ………」


生まれてこの方乗ったことがない。それなのにいきなり長時間乗って大丈夫だろうか。


「海賊などの出没も余り多くはない地域ですし、お嬢様の気が向いて……準備が揃えば、行きましょうか」


わたしの不安などお見通しのヒルマがそう締め括って、今日の話は終わった。



わたし達がこの街を出るには、もう少し時間が必要なようだ。




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