行く末と
「お爺様、お待たせしてしまい申し訳ありません」
「構わないよ、女性は支度が大変だろうから」
湯浴み後、急いで支度を行ってから応接間の方へと移動したわたし達を迎えて下さったお爺様は、軽く笑みを浮かべてソファへと腰を下ろす。
「身体は大丈夫なのか?」
「はい、問題ありません」
「それは良かった」
促され、同じくソファに腰を据えたわたしを気遣ってくださるお爺様に何一つ不調がないことを伝えれば、傍らでお茶の支度をするヒルマを見遣ったお爺様。
それに一つ頷くヒルマを横目に、話が切り出される。
「……手紙の件だが」
「はい」
わたしの送った手紙だけが届いていなかったという件。ヒルマ曰くこちら側は控えも全て残してあり、それは今も王都へと戻れば確認出来るものだから恐らく原因は侯爵家の方にあるだろうと言外に告げていた。
それが実際のところどうなのだろうと固唾を呑んで次の言葉を待てばお爺様の目が臥せられて、次を放つ。
「ミーナの手紙は、確かにこの侯爵家に届いていた。定期的に国外から届き、それが当主の娘が嫁に行った王国の印章が捺されたものとあれば門番の者も良く覚えていて、受領の判を捺すために当主へ言付けるよう毎回メイドへと頼んでいたということも複数人から証言を得られた」
「そ、れは……」
お爺様から告げられた仔細に、わたしは息を呑む。
手紙が届いていないということの重要さを理解していながら、何処かで楽観視をしている自分がいた。
それが自分の書いた手紙であるから無頓着に考えずにいたのか、若しくはその届いていないという事実の裏に隠される真相の結末を知らず知らずのうちに想像した結果、見ないフリをしていたのか。
「……受領印を偽れた経緯に関しては未だ口を割らないが、意図的にミーナの手紙を破棄し続けていたことは認めたよ。そして手紙を捨てていたのは先程ミーナの部屋に押し掛けたメイドの母と、その娘だった」
「そう、ですか……」
視線を下げ、低い声音で訥々と伝えられる事実にわたしもまた俯く。
初対面であれ程敵意を向けてきたメイドの彼女が無関係であるとは思っていなかったけれど、それがまた更に見知らぬ彼女の母に嫌われていたという話が理解出来ないわたしは何と返して良いかわからずにただ黙り込んだ。
「……旦那様、お嬢様には話しておくべきではないでしょうか。知らぬ空白の出来事とはいえ、この手紙の件でお嬢様が傷付かれていたのは確かです。ならば何も知らずにこのまま曖昧にして忘れ去るよりも、この原因となった出来事を知りご自身で消化される方がまだ、良いと思うのです」
「ヒルマ……?」
そしてそれ以上を話したがらないように見えたお爺様へ何と言葉を掛けて良いのかわからないわたしの代わりに、ヒルマが何かを進言する。
「お嬢様、ご自身が関することで気になることは気になると口になさってください。……もう真綿で包まれるご令嬢では、ないのでしょう?」
ヒルマの進言に唸り、考える素振りを見せるお爺様を一瞥してからわたしへと優しい目を向けてくれる彼女と見つめ合う。
隠されることは、好きではない。
それがわたしのためとみんなが、言うのならば。
けれど、そうして偽った心根はついこの間限界を迎えたばかりで、みんなに余計に心配と迷惑を掛けさせてしまったばかりだ。
「……そう、ね」
ついこの間のように思える出来事を振り返り、わたしは意を決して頷く。
そう、ヒルマの言う通り、もう守られるだけの自分でいるのはやめようと決めた。
変わりたいと思って、わたしは窓から飛び降りたのだから。
「……お爺様、わたしは知りたいです」
「だそうですよ旦那様」
「ああ……」
わたしの答えに頷き、もう一度お爺様へと視線を向けるヒルマ。その視線を受けたお爺様は躊躇いながらもわたしを見つめて、小さく息を吐く。
「あまり気の良い話ではないぞ?」
「はい、それでもお聞かせ願いたいです」
「……わかった。ミーナがそこまで言うのなら、話そう」
そうしてわたしを案じながらもお話をしてくださることとなり、ヒルマが用意してくれた茶菓子がテーブルへと並んだ頃にお話は始まった。
「とはいえ、何から話すべきかな」
「まず、全てのきっかけである彼女についてお話しては如何でしょうか?……イリーナお嬢様を裏切ったご令嬢のお話、そして婚約者殿のお話を」
「……そうだな」
ヒルマが淹れてくれた紅茶を手に取り、口付けはしないお爺様へヒルマが助言する。
端から明るい話だとは思っていなかったけれど、裏切った、婚約者、という単語に少しだけ身構えてしまった身体を表面上だけ取り繕って、わたしはお爺様のお話に耳を傾けた。
「イリーナには、八つの頃に決めた同年代の婚約者がいてな。伯爵の家格ではあったものの私がそこの当主と親しかったのもあり、まあ、当人達が望まないのならばいずれ解消しても構わないくらいの気安さで迎えた婚約者だった」
「お母様に、婚約者……」
そうして始めて聞くお話に、わたしはぽつりと呟く。
お父様との大恋愛の末に海を越えて王国へと来たと言う話は知っていたけれど、婚約者がいたという話は聞いたことがなかった。
貴族同士の婚約は、家と家の繋がり。
肥沃な土地を多く有する侯爵家であれば利益があるとはいえ新たな諍いの種を増やすような繋がりではなく信頼する者のところへただ嫁に出したいという考えも理解出来るけれど、それを行動に移すとは本当にお母様のことを大切にしていたのだと察したわたしを、お爺様は目元の皺を深めて見つめていた。
「……二人は、まだ赤ん坊の頃から良く遊ばせていたから特に仲が良くてね。ならば変な虫が寄って来る前に一応形だけでも婚約者という体にしておこうというそんな流れだったよ。実際二人が社交界デビューをしたときも仲は良く、お互いのことを認め合っていたからこのまま彼のところへ行くのだろうなと、思っていたよ」
と、そこで一度切られた言葉。
微かに滲んでいる怒りの感情を落ち着けるようにお爺様は紅茶を口に含み、一息吐いてから話を切り出す。
「イリーナが、十六の頃。そろそろ本格的に結婚へと本腰を入れようとしたところに一人の令嬢がやって来たんだ。彼女はイリーナと親しいご令嬢の一人でね、良く一緒にサロンへ出掛けたりブティックでお揃いのリボンを購入したりと親しい間柄だったから良く覚えていたよ。そうしていつものように二人でサロンへと出掛けて帰って来たとき、イリーナはただただ寂しそうに私の元へ来てこう言ったんだ。……彼女は、彼の子供を身籠ったみたいなの、とね」
「……え、」
一瞬、理解出来ない言葉に思考が止まる。
ただの驚きから零れ落ちた言葉には戸惑いしかなくて、そんなわたしと同じようにお爺様も苦々しい顔をしては吐き散らすように続ける。
「即座に婚約者であった彼をその場に呼び出して問い詰めた結果、彼は認めたよ。確かに、そのご令嬢とそういう関係を持ったことを。しかしそれは酒が入っただけの過ちだから許して欲しいとイリーナに縋り付く彼の父を呼び出して婚約破棄に同意させ、彼を伯爵家から追放すること、その上で元婚約者とご令嬢を一緒にすることとして、イリーナは二人を許した」
「……そう、だったのですか」
次々と綴られて行く過去に相槌を打ち、ここまでの話を自分の中で整理する。
お母様には、婚約者がいた。幼馴染みで、慕っていた、婚約者が。
けれどある日突然その婚約者が最も重い裏切りをしていたと知る。それも、自分と親しかった友人と。
どんな思いだったのだろうと、胸が痛くなる。
でも、大切な人達が自分を裏切っていたと知ったそのときの心情はきっと、婚約破棄をされただけのわたし以上に心苦しいものだということは容易に想像出来たから、わたしは重ねていた手を握り込んだ。
「大丈夫か?気分が悪いのならまたにしようか」
「……いえ、問題ありません。この続きを、お願いします」
「はは、そういうところはイリーナそっくりだな」
わたしの顔色を窺い、気遣ってくださるお爺様に続きをねだれば懐かしそうに眼を細めるお姿があって、それは良くヒルマ達がわたしに見せるものと同じだなとふと思った。
「続き、だな。婚約破棄をしてからというもの、表向きには気にしていないように振舞うイリーナにも少し翳りがあった。それをどうにかしたくとも家族とはいえ異性である自分、幼少の頃から付き合いがあるからこそ話し難いであろうファティでは中々上手く行かなかった。妻がいれば、また違ったのだろうけどね」
寂しそうに、悔しそうに言葉を切ったお爺様。
身近な者に弱音を吐けない不器用さは自分にも思い当たる節があるからそっと視線を下げれば、ヒルマもお爺様も同じように微笑んでいる。
そんなわたし達を見て目を細めて間を置いたお爺様は努めて明るく、ヒルマを見やる。
「が、そんなときに縁がありヒルマがうちに来てな、ただの客として世話を見るだけの予定だったのだが外の世界を知るヒルマにイリーナは良く懐き次第に明るく笑うようになったから、彼女を侍女にしてしまえと皆で画策していたのがついこの間のようだな」
「……あれには驚きましたね、イリーナお嬢様がお茶を淹れて欲しいと仰るのでダニエルから教わっていたら何だか知らないうちに他の侍女の仕事も仕込まれていて、気が付いたときには完全に外堀が埋まっていたのですから」
不意に話を振られ、思わぬ形で聞いたヒルマがお屋敷に勤めることとなった理由に目を瞬かせていたら、お爺様が釈明を口にする。
「でもヒルマももう冒険者稼業には戻りたくないと言っていたから、結果的には良かっただろう?」
「結果的には、ですね、本当に」
「ははは」
お爺様の結果論に何処か不満そうに、けれど満足そうに微笑むヒルマ。
「……だから、私がイリーナお嬢様の傍に付くようになって一年程、ですか。あの女が子供を抱えてお嬢様の前に現れたのは」
「ああ」
でもそんな柔らかい表情は次に紡がれた言葉に消されて、お爺様の顔にも険しい色が宿る。
「婚約破棄をされてから二年余り。お嬢様の傷も癒えたように見えた頃に一人の女が乳飲み子を抱えてお嬢様の前に現れました。男に捨てられて行き場がない、何でもするから雇って欲しいと頭を下げていましたか」
「……そのご令嬢の、ご家族は?」
「男と同じように家から追放され、戻れないとほざ……言っていた気がしますね」
ヒルマから聞かされるご令嬢の行動にわたしは眉を寄せる。
何故、追い出されたとはいえ家族ではなくて裏切ったお母様を頼るのかと。
「お嬢様もまた、お優しい方でありました。彼女一人であれば掛ける情もなく切り捨てられたのでしょうが、真冬の中凍死しそうな布切れ一枚で包まれる赤子は見捨てられないと仰って、一番過酷と言われるランドリーメイドで良ければと彼女を受け入れました。ただ、彼女はわかっていたのでしょうね、無垢な赤子をお嬢様が見捨てられる訳ないと」
わたしの疑問を汲み取り、詳細を教えてくれるヒルマの言葉に更に顔を顰め、それを見たヒルマが一つ補足を入れた。
「そして彼女がまたお嬢様の慕う執事長ダニエルの親戚であったということも、関係していたでしょう」
「ダニエルさんの?」
「ああ、彼女の叔父に当たる。その関係で彼女が婚約者の子供を身籠ったときにそれはそれで一騒動あったのだが……まあこれは良いだろう、次回で」
次々と明かされていく複雑な関係性を消化して呑み込むわたし。
そこで更なる複雑さが重なろうとしたところでお爺様は一旦その話を置き、逸れてしまった道筋を戻す。
「ランドリーメイドであればイリーナと顔を合わせることもなく、またイリーナ自身の嘆願でもあったから私もそれを受け入れたよ。それに、そのときは丁度ミーナの父であるフィデリオとも出会っていて、彼女の心はもうそちらに傾いているのがわかっていたから」
「お父様、と……いえそれで、彼女は結局どうなったのでしょうか?」
とそこで出てきたお父様の名前。お母様とお父様の大恋愛の経過を聞きたい気持ちを堪えて、わたしは一番の要であるその方の行く末を尋ねた。




