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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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43/63

一人の少女と

物音一つしない、自分が身動ぐ音だけがやけに響く部屋でわたしは目を覚ます。


閉じられたカーテンの隙間から差す赤い陽で今は夕方頃だと悟り、お茶の合間で感じていた眠気にそのまま負けてしまったのだと理解してからベッドを下りた。


「ヒルマ……?」


サイドテーブルに置かれた水差しからコップへと注ぎ、からからに乾いて張張り付く喉を潤せば、いつもは傍にいてくれる彼女が今はいないことに気付く。


「失礼します」


何かあって席を外しているのか、それとも自分から客間の方へ下りた方が良いかと首を傾げているうちに聞き慣れない声と共に扉が開いた。


「お目覚めでいらっしゃいましたか」

「……ええ」


ヒルマではない、紺色の給仕服を纏い、新しい水差しとコップを持ったメイドが一人部屋へと入って来てはその冷めた目でわたしを見る。


「ヒルマは?」

「現在、旦那様と客間の方でお話をされています。お二人からお嬢様をお連れするようにと」


彼女から向けられる不愉快な視線に身を刺されながらもヒルマの行方を尋ねれば、そのメイドは急かすように足早にベッドの傍へとやって来てじっとわたしを見下ろす。


美しく手入れの行き届いた金色の髪は背後で一つに結ばれて尻尾のように揺れ、強い目力を感じる碧眼には確かな敵意が滲んでいる。


同い年、くらいだろうか。


恐らく17、8であろう彼女は初対面であるにも関わらずわたしにあからさまな敵意を抱いていて、その原因がわからないわたしは彼女の言葉に迷うことなく首を振った。


「ヒルマを呼んできて。お爺様にお会いするにしても、寝起きのこのままでは向かえないわ」

「そのままで構わないと、急ぎであると伺っております」

「いいから。呼んできて頂戴」


食い下がる彼女の要求を少し強めに、きつめに突っぱねる。


その言葉自体が嘘偽りなく真だとしたら後でお爺様にしつこいくらい謝罪をするけれど、わたしにはそうではないという確証があったから。


「……」


わたしがこんなにも我儘な人間だとは思わなかったのか、無言でこちらを睨む彼女をわたしも無言で見つめ返す。


そもそも、身支度を整える時間さえない程に緊急の用件ならば、ヒルマは絶対にわたしの知らない人を向けたりしない。


彼女本人が来るか、それが不可能であるのならばファティやベルホルト、カールやディルクに言付ける。それは、絶対だ。


「もう一度言うわ。ヒルマを呼んできて頂戴」


彼女の様子を見るためにあえて高圧的に指示を飛ばしても、彼女はその場に佇んだまま踵を返すことはない。


本当はこういう風に振る舞うのは苦手だし、好きじゃないけれど、彼女の真意が掴めない以上考えなしには従えない。


それに相手がどのような人間かを見極めるには、この手段は一番手っ取り早いのだ。


「……あたしの、場所だったのに」

「何かしら?」

「ここは!あたしの部屋だったのに!!」


唇を噛み、その隙間から漏れ出るような怨嗟の声を聞き返せば、彼女は声を荒げてわたしを睨み付け幼い叫びを上げる。


それと同時に彼女の持っていた水差しが盆から零れ落ちて、絨毯にシミを作った。


「あたしの部屋だったの!あたしの部屋になるって、()()()だって言ってたもん!」

「……」

「いずれあたし達のモノになるって言ってたのに、どうして、どうして!」


駄々っ子のようにそうただ叫び散らす彼女を険しいのまま見つめる。未だにあたしのモノだと主張しながら話し合いの出来そうにない彼女はかつての従姉妹に良く似ていて、話をする気になれない。


前にも似たようなことがあったなと既視感を覚えるのは、わたしが次期王妃候補として選ばれたときにこんな景色を見ていたからだろうか。


正式にダルスサラム公爵家の令嬢として認められたにも関わらず、何故前代の公爵の娘が婚約者に選ばれるのかとわたしの前でこんな感じに叫んでいた気がする。


「聞いているの!?」

「……」


全てに置いて、苦手だった。


こうしてヒステリックに耳を劈くような甲高い声、人のことなど気にせずに自分の我儘を押し通す傲慢さ。


「……貴女、何様のつもりなの?」

「は……!?」


苦手過ぎて関わりを持ちたくないから、今までであれば絶対に口に出さないようなことが何故か、口から零れ落ちていた。


「果ての果てまで譲歩して、客人である私の前で騒ぎ散らしているのは構わないわ。けれど、貴女のように分別の付けられない方がお母様とお婆様、そしてお爺様達が大切にしている部屋に踏み入れることはおろか、貴女のモノになるなんて到底許される訳ないわ」


大切に使われていたことがわかる、年季が入っていても尚毛足の美しい絨毯を汚すそれを見つめたまま、まるで台詞でも諳じているように、すらすらと出て来る彼女を批判する言葉。


無視すれば良いだけなのに、さっさと追い出してしまえば良いだけなのに、それが出来なくなる程に彼女の言葉は、態度はカンに障った。


「この……!」


端から見たら本当に高圧的なご令嬢だろうななんて頭の隅で関係のないことを考えていたら、腕を振り上げる彼女に対応が一歩遅れる。


避けることは出来ない、ならば一発くらいもらって良いかと冷めた思考で振り下ろされる手の行く末を眺めていても、その手がわたしに届くことはなかった。


代わりに、至極呆れた声が頭上から振ってきた。


「あのさあミーナ、なんでお前本当に他人にことになるとそんなに下手くそになる訳?」


わたしの背後から伸びる手は振り下ろされそうだった腕を掴み、もう片方は何故かわたしの頭の上に置かれている。


「本当に治らないな、それ」

「……カール」


ぽんぽんと片手間に頭を叩いた後、メイドの腕を捻ったままわたしの横に並び立つカールを見上げれば、心外だとでも言いたそうに口から不満げな声が彼の名前を呼んでいた。


「放しなさいよ!!」

「あーはいはい」


お礼と非難、どちらを先にしようか一度口を閉じた矢先、振り解こうとしてもびくともしない腕を上下に振り続けるメイドはカールに喰って掛かる。


「そんなにしなくても……」

「念のためだよ」


暴れるメイドを無力化するために首元を締めていた細紐を解いて腕を手早く拘束し、罵倒を吐き続ける口にはポケットから取り出したハンカチを突っ込んで強制的に黙らせたカール。


やり過ぎではないかと声を掛けるわたしの意見を一蹴し、全く意に介すことなく彼は窓の外へと視線を一度向けて戻す。


「ところでミーナ、お前寝すぎじゃないか?」

「……まだ夕方でしょう?」


カールに釣られて見た窓の外は変わらず赤い。


だから寝過ぎ、というのは些か言い過ぎなような気がする。わたしが眠りに落ちてしまったのは昼頃のことだろうから、まだ数時間程しか経っていないはず。


それなのにそれを寝過ぎというなんて、という意思を込めた視線をカールに送れば、彼はそれを察してか溜息を吐いた。


「ミーナ、お前……」

「お嬢様?失礼しますね」


呆れ、の他に何故か心配そうな色が見える翡翠が眇められて、その訳を話そうとしたカールの言葉を部屋に入って来たヒルマが遮る。


「良かった、お目覚めになられたのですね……ってカール、何故そちらの方の腕を捻り上げているのですか?」


桶とタオルを片手に持ち、質の良さそうな、ささやかではあるものの刺繍や飾りの装飾がされた紺色の給仕服を着たヒルマが呻き声を上げているメイドの説明を求めた。


「知らん。ミーナを殴ろうとしたから拘束してるだけ」

「お嬢様を?」


雑にカールに扱われたメイドを放してあげてと声を掛けていたヒルマも、その事情を聴いた瞬間、即座に鋭い眼を彼女に向ける。


「……」


刺すような二人からの視線を向けられても尚褪せることのないわたしへの敵意が滲むその顔に、やはり覚えはない。それに物心付いて以来この場所に訪れていないのだから、当然心当たりなんてあるはずもない。


「そもそも何があったのですか?」

「ああ、ヒルマが外に出た少し後にミーナが起きて、声を掛けるタイミングを見計らってたらそいつが来てミーナに難癖付けて急に怒り出して殴ろうとしたから拘束した」


そんな彼女を一瞥し、状況を把握するためにカールへと問うたヒルマ。


概ね間違ってはいないと思うけれど何か思うところのある説明を聞いたヒルマは成程、と頷いては彼女へと一歩近付き、地面に散らばる金色の髪を見下ろした。


「貴女……そう、何も変わっていなかったということね」


じっと静かに彼女を観察し、思考の果てに彼女が誰であるのか見当が付いたらしいヒルマは溜息交じりにそう冷たい声音で呟く。


「知り合い?」

「いや……いえ、ある意味知り合いとも言えるのかしら?」


尖った声のまま何処か哀れみが込められた眼を外してヒルマはカールの言葉に首を振るが、意味深長な返答にカールは何かを察したようでそれ以上は問い詰めずに彼女の傍に立った。


「とりあえず、旦那様に付き出せば良い感じか?」

「そうですね。後の裁量は旦那様にお任せしましょう」


彼女の仔細を詰めることなく話を変えたカールは、ヒルマの首肯と共に今はもう大人しい彼女を担ぎ上げて旦那様に届けて来ると、部屋を出て行く。


「お目覚めのところ慌ただしくしてしまいましたね、申し訳ありません」

「いえ、良いのよ。後で教えてくれるのでしょう?」

「はい。……お手紙の件と一緒に、お話出来るかと」


立ち去ったカールの背を見送り、くるりとわたしに振り返ったヒルマ。眠っている間にもう真相が掴めたのかと驚いていれば、それを悟ったヒルマが心配そうにわたしの頬に触れて驚愕の事実を口にする。


「お嬢様、丸一日以上眠っていらしたのですよ。ファティに診てもらっても異常はなく、ただ疲れているだろうとのことでしたが」

「……それは確かに、寝過ぎと言われても仕方ないわね」


通りで起きた際に異様に喉が渇いていて、何故カールにあんなことを言われたのかを理解したわたしは言葉を呑み込んだ。


「執務室で旦那様がお待ちですが、お目覚めであるのなら先にお食事とご入浴を、との許可もいただいております。先にどちらに致しましょう?」

「汗を流したいわ。そうしたらそのままお会いしたい」

「かしこまりました。ではそう致しましょう」


お爺様をお待たせするのは心苦しいとはいえ、寝起きのままでお会いするのはもっと気恥ずかしいわたしはお爺様のご厚意に甘えて湯浴みをすることを選択し、ヒルマと共にお部屋を後にした。


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