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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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過去と

ダニエルさんが淹れてくれた紅茶を一口、含む。


広がる香り、温度、後味。そのどれもが普段から慣れ親しんでいるものと同じで、わたしは目を瞬かせる。


「同じ味がするわ」

「ふふ、やはりお分かりになりますか?私はダニエルに付人としての仕事を教わりましたから」


ぱちぱちと驚くわたしに、悪戯が成功したように微笑むヒルマの表情は普段より幼く見える。


「あの頃の貴女には随分手を焼かされましたねえ」

「だ、ダニエル……」

「ヒルマ、に?」

「ええ、ミーナお嬢様。今でこそ他者を導く立場となっていますがね、昔は……」

「ダニエル!」


そんな風に笑うヒルマを見て懐かしそうに目を細めるダニエルさん。


若干慌てる素振りのヒルマが物珍しくて続きをねだる言葉と共に視線を向ければ、それに応えるようにこやかにダニエルさんは口を開いてくれるけれどそれはもちろんヒルマに止められる。


「この話はまた後に致しましょうか、ヒルマがいないときにでも」

「やめてくださいダニエル」

「ふふふ」


からかって笑うダニエルさんと、眉を下げて困るヒルマ。こんな些細なやりとりからでも二人の交遊が深いことを窺えて、わたしも楽しくなってくる。


「ヒルマは冒険者をやめてお屋敷に勤め始めたのでしょう?」

「ええ、お嬢様。ほとほと稼業に嫌気が差していたときに旦那様と偶然お会いする機会がありましてね、その際に拾っていただいたのです」

「懐かしいですね。ある日旦那様がいきなり貴女を連れてお帰りになったときは本当に驚きましたよ」

「突然でしたからね、私も驚きながら移動してしましたし」


わたしの言葉を皮切りに、ダニエルさんと会話するヒルマの横顔を眺める。


彼女は、あまり昔の話をしない。だからわたし自身深く聞くことはなかったし、彼女がどうしてお母様に仕えることになったのかも知らなかった。


けれどこうして欠片を聞いていればそれが愉快な理由なのではないと察せるから、わたしはそれ以上を聞かずに昔の話をあれこれ掘り出す二人を見つめて聞くに徹する。


「と、すみませんお嬢様、置き去りにしてしまいましたね」

「ううん、良いの」


ヒルマがお屋敷勤めを始めた日の話、まだ見習いだったファティと夜更かしをして翌日に寝坊をした話、ダニエルさんに地下へ閉じ込められた話に人違いで叱られた話。


そんな昔話を静かに聞いていれば、ヒルマが申し訳なさそうにわたしを見たから何も問題ないと返す。


わたしにとっては母のような彼女が気安く笑って話をしている姿はとても新鮮で、そんな姿を知れるのは嬉しいと告げればヒルマは照れるように笑い返してくれた。


「……旦那様がお戻りになるのにまだ暫く掛かるでしょうから、屋敷の中でも案内致しましょうか」

「良いの?それなら是非お願いしたいわ」

「承知しました、ミーナお嬢様」


話が途切れ、間が開く前にダニエルさんが懐中時計で時間を確認して一つ提案してくれたことに頷き立ち上がる。


お爺様が戻られるのにどれくらい掛かるのかわからないけれど、こうしてお茶を飲み続けてじっと待っていると何だか不安になってくるからお屋敷の中を見ていいという言葉は凄くありがたかった。


「そうですね……では、最初にこちらへ」


客室を出てホールへと戻り、一度立ち止まったダニエルさんは緩やかな螺旋を描く二階へと上がるための階段へと進む。お屋敷の造り的に一階が来客のための階ならば、この二階というのは完全に私用のスペース。


何処へ向かうのだろうと、廊下も壁も飾り気の薄い通路を歩いていく。


「……ダニエル」


ここに勤めていたヒルマは何処へ行くのか見当が付いたようで少しだけ眉を寄せる。それが困惑であるのか、それとも怒りであるのかはわからないけれど、彼女の足取りは一気に重くなった気がした。


「こちらです、ミーナお嬢様。鍵は開いておりますのでそのままお入りください」


通路の行き止まり。即ち一番奥の部屋の前でダニエルさんが立ち止まり、わたしを扉の前へ促す。寂しそうな、悲しそうな二人に薄々この部屋の主を察しながら、わたしはネームプレートの掛からないその扉を開いた。


「……」


視界を埋めるのは良く見慣れていた景色。


ブラウンと深いグリーンの家具を基調にしつつも、暗くなり過ぎないように明るめの色を取り入れた壁と床。陽当たりの良い出窓の傍に置かれるテーブルと二脚の椅子。


実際は逆なのだろうけれど、かつてのダルスサラム公爵邸の一室を、王城のとある一室をそのまま再現したかのような既視感にわたしの足は自然とその中へ赴いた。


「お母様の、お部屋ね……そして、お婆様のお部屋」

「ご存じでおりましたか」

「ええ」


陽によって褪せるテーブルを指でなぞり、ぽつりと呟く。


母は、女性に良く好まれる明るい色合いの調度よりもこうした落ち着きを持つ深い色合いを好みとしていて、それは焼け落ちる前の公爵邸にも取り入れられていた。


この場に立ち、知って、わたしはこことそっくりな母の部屋を訪れては窓際で小さなお茶会を開いていたときに聞いたことを思い出す。


『おかあさま。おかあさまはこのいろがすきなの?』


まだ幼く、舌もろくに回らない、何も知らないわたしはただ不思議に思ったことを聞いただけだった。


わたしに与えられていた部屋の彩りは子供らしい明るく淡い色が基調なのに、お母様の部屋はお父様の部屋のようだとそう思ったから聞いただけ。


『ええ、そうよ。……私の母、貴女のおばあちゃんがね、好きだった色でもあるのよ』

『おばあちゃん?』

『ええ』


首を傾げ、知らない存在をわたしは聞き返す。そして母は、教えてくれた。


『お母様はね、私が小さい頃に亡くなったのよ。元々身体が弱く、周りの制止を振り切って私を生んだと聞いたわ。産後の肥立ちも良くなくて寝込むことも多かったそうだけれど、私が物心付いて部屋を訪れる頃には寝台から起き上がって一緒に中庭を歩けるくらいには回復していたわ』


窓の外へと視線を向け、静かに中庭の方へと落とす。その目には確かなあたたかい色が見えて、幼いわたしも釣られるように中庭を見る。


『けれどね、今のように向かい合ってお茶をする時間も、手を繋いで中庭を歩む時間も、私が成長すると共に減って行ってしまったわ』


柔らかい、あたたかな目の色は一瞬で翳る。それが意味することを理解したわたしは椅子を下りてお母様の近くに寄り、ぎゅっと膝に縋り付いた。


『ふふ、ありがとう。大丈夫よ』


いいこ、と、頭を撫でてくれる温もり。それに安堵して視線を上げればいつものように微笑むお母様がいて、続きを紡ぐ。


『六つの頃、お母様は春の訪れに包まれて眠ったの。とても、安らかな最期だったと思う』


絨毯に膝を付けるわたしを抱き、膝へと乗せてくれるお母様の声に悲しみは宿らない。静かに、あったことを教えてくれる。


『強くて優しいお母様が、大好きだったわ。だからね、きっと時間と共に薄れてしまうお母様のことを少しでも覚えていられるように、あの部屋で過ごしたときを忘れないように、生家にいた頃はお母様の部屋を譲り受けて、今は実家の部屋を模した内装にしているのよ』


そう微笑むお母様を最後に、わたしは瞼を下ろす。


「……忘れてしまっても、覚えているものなのかしら」

「お嬢様……」


呟いた言葉の意味は、きっとヒルマにしか伝わらない。あの城で長く共に過ごし、わたしの模様替えを間近で見て来た、ヒルマにしか。


今、この瞬間まで、わたしはお母様と交わした会話の一切を忘れていた。


けれど、わたしが貴族令嬢らしい生活を送っていたあの王城の一室は、確かにこれに近しい色合いで全てを選んでいた。


レオン様に、こんな色が好きなのかと首を傾げられたのを思い出す。当時のわたしは気に入ったものがこの色合いだったのだと答えていたけど、そうではなかったのかもしれない。


「……」


もしもあの部屋を、無意識に、過去に見立てていたのなら。


幸せな記憶。あたたかい記憶。与えられていた愛情。


そんなもの達が詰められていたを場所を知らぬうちに望んでいたのだと気が付けば、忘れてしまっても尚強く残る両親の欠片を見つけられたようで心はまた満たされて行く。


わたしは、愛されていたのだと。


そしてわたしも、同じように二人を大切に思っていたのだと。


「……ミーナお嬢様は、イリーナ様とフィデリオ卿のことをあまり覚えていらっしゃらないとお伺いしておりました。身勝手な思いではありますが、どちらの方のことも覚えていないというのは寂しいことだろうと、何か一つでもきっかけになればとの思いでこの場所にお連れしました。勝手な判断を、お許しください」


ぽたりと、頬を伝う温い感触。それを見たからか、ダニエルさんはわたしに謝罪の言葉を吐く。


「いいえ。ここに来られて、良かったです。ありがとうございました」


手にそっと渡されるハンカチで目元を押さえ、わたしは感謝の言葉を返す。本来ならきちんと目を見てお礼を言いたいのだが、生憎止まらない涙を抱えてはそれも出来ない。


ああ、ここに来てから泣いてばかりだなんて考えながらも、交る感情を落ち着かせるのには少し時間が必要だとその場に立ち尽くした。


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