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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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40/63

行方と

「……元気だったか?」

「……はい、お爺様」

「そうか……良かった」


ソファに腰を下ろし、互いに沈黙を携えて暫く。


からっからに乾いて張り付く喉ではこちらを優し気に見つめ、自分を案じてくれる言葉を受け入れるのに時間が掛かってしまう。


それでも苛立つ素振りは一つなく、ただただわたしが落ち着くのを待ってくださるお爺様の表情はずっと柔らかい。そして向けられる視線も、口調も。


「船旅は大変だっただろう?」

「はい……最初は、慣れないことばかりでした」

「ああ、そうだろう。イリーナは船酔いに弱かったが、ミーナはどうなんだ?」

「私は、平気な方でした。一度も体調を崩すこともありませんでしたし、普通に生活を送れていたので」

「そうかそうか。その辺りはフィデリオ譲りだろう。奴は世界中を船で回っていたからな」


想像していた以上に歓迎されていることが理解出来るから、わたしは余計に現状を呑み込むのに必死で上手く場を繋げない。


でもお爺様は、そんなたどたどしいわたしの答えを咎めることも、叱ることもなく会話を続けてくださった。


「……無事で、良かった」


一通りのわたし達の状況を確認し終えたところで、お爺様はふとそんな言葉を零した。


それは上辺だけを取り繕うような、聞き慣れたような言葉ではなくて、ヒルマ達がわたしに向けてくれるものと同じ感情を宿す、あたたかいもの。


「……では、ないのですか?」

「うん?」


だから、わたしの口は勝手に心情を吐露してしまった。極度の緊張からか、想定とは異なる現状からか、不安と併さる期待からか。


いずれにせよ一度吐き出してしまった言葉は当然お爺様の耳に届き、続きを待つように藍の目がわたしを見つめるから、意を決して一度呑み込んだ言葉を放つ。


「……私のことを、嫌っていらっしゃるのではないのですか?」


余りにも直球な、貴族社会らしからぬ言い回し。


けれど、もうこのどちらにも決められない雰囲気の中で過ごすことは出来なくて、わたしは取り繕うことなくそう投げ掛ける。


いっそ、これが演技だと嗤ってくれるのならばそれがいい。わたしを嫌っているのだと、はっきりそう意思を伝えてくださるのならば。


諦めが、付くのだからと。


「……ミーナよ」


ぎゅ、と、下がった視線の先で握り締める手。お爺様の声のトーンが下がったのがわかって、反射的にドレスを掴んだ手で、やっぱり嫌われているのだと察する。


「何故、そう思った?」


でも、それならそれで良かったのだと自分に言い聞かせ、退室するために挨拶をしなければと視線を上げた先には何故、とそう問うお爺様がいた。


嫌悪、というよりも困惑の強いその表情に尾を引かれ、わたしは上げた腰をまた下ろしては固く結んだ手を解き目を伏せ、息を吸う。


「……いちども」


そうして掠れた出た声が、滲み溢れる感情そのままに言葉を紡ぐ。


「いちどたりとも、おじいさまはわたしに手紙を返してはくださらなかったではありませんか」


ヒルマやファティ、ベルホルトには返していたのに、と。


取り繕えないこの顔で、震える声で、わたしは俯きながら答えた。


「わかっております。わたしは既にこの家を離れ、他国の家に入った者の娘。嫌われることはあれど、好かれることなど絶対にないということ。でも、それならば何故ヒルマへ返す手紙にわたしのことを案ずる旨を書いてくださっていたのですか?何故、今この状況でわたしの後見人を引き受けてくださったのですか?」


一度堰を切った言葉は、涙と共に止まらない。


「それなのに何故、どうして、いちども……」


尋ねられていたことは一つなのに、それに付随する感情が勝手に溢れては暴れて行って、それを理解した頃にはもう全て吐き出した後。


はっと正気を取り戻したとしても落ちた言葉は取り戻すことは叶わず、わたしはただ蒼白になってお爺様を見つめることしか出来ない。


「……すまない、どうやら行き違いがあるようだ。詳しく聞かせてはくれないか?」


ああ、今度こそ叱られるとまた頭を下げたところに、久方振りの温もりが触れる。ぽんぽんと、まるで幼子をあやすかのように頭を撫でてくださるお爺様の声は先程のようにあたたかい。


戸惑うままに、お爺様の温もりに触れていればそれが何処か懐かしくて、わたしの目からまた涙が溢れた。


「少し、待っていてくれ」


感情が静まるまでの数分程、ずっと頭に置かれた手がが離れて行き、テーブルに置かれたベルが鳴らされる。


「旦那様、お久し振りで……お嬢様!?」


りんりんと、軽やかな音を立てたほんの一瞬の間にヒルマとダニエルさんが入室し、初めにお爺様へと挨拶をするヒルマと目が合った。


もう跡は残っていないだろうに、泣いてしまったわたしに聡く気付いたヒルマはすぐに傍に来て膝を付いて心配してくれる。


「何が……」


お爺様とはまた違う手付きで眦を、頬を押さえてくれて、ハンカチから香る慣れた匂いに冷静さを取り戻しながらふるふると首を振ってお爺様は悪くないと伝えれば、彼女の雰囲気が少しだけ和らいだ。


「何があったのですか?」

「それを今から確かめたい。座ってくれるか、ヒルマ?」


解かれた警戒にほっとしたのも束の間で、わたしの横に腰を据えたヒルマは真っ直ぐに鋭くお爺様を見返している。


「……ヒルマよ、ミーナがわたしに手紙を送り続けていたというのは真か?」


そんなヒルマの眼差しを受け、少しだけ目を細めたお爺様。けれどそれも一瞬のことで、すぐに表情を変えて話を切り出した。


「はい」


お爺様の問いを聞き、何故そんなことを、と逆に聞きたそうな顔を作るものの、ヒルマは迷いなく頷く。


「お嬢様が公爵邸にいらっしゃった頃はお預かり出来ませんでしたが、次期王妃として登城された以降は季節の折目、祭事の節に必ず私かファティが手紙を預かり、王族御用達の運び屋と直接やりとりを経て渡していたので間違いありません」


そして仔細を告げる。


深夜に抜け出し、密かに裏口の門番に頼んでヒルマ達の手紙を受け取っていたときとは違い、国外へ出る手紙には必ず正式な印章が必要。更にはその判を捺して手紙を出した暁には持ち主の方に手紙を受理したという証明が後から送られることになっている。


主に機密文書の漏洩、不正利用、その他国にとっての不利益を阻止するための制度ではあるけれど、それが理由でわたしは自由に手紙を送ることは出来な声った。


送れたとしても、受け取ること自体叶わなかっただろうけど。


「そうか……そう、であったか……」


ヒルマの説明を聞き、何かを納得したようにお爺様は息を吐く。その溜息の理由が何なのか理解出来ないわたしとヒルマは顔を見合わせ、首を傾げて続きを待った。


「こちらには、確かにヒルマ、ファティ、ベルホルトからの手紙は届いていたんだ。その中にはミーナの近況を報せる旨も示されていたから、そういうことかと勝手に解釈していた」

「はい」


歯切れ悪く、一度言葉を切ったお爺様。何かを察しているヒルマと違い、その先を想像出来ないわたしは黙って二人を見つめる。


「そうだ、ヒルマ。……私の元に、ミーナからの手紙は届いていないんだよ」

「……え?」


俯き、顔を上げてわたしを見つめるお爺様の目が、揺れる。そしてわたしの声も、戸惑いに振れる。


「ど、どういうことですか?」


認識の相違だと、行き違いだとお爺様は先程零した。けれどこのお爺様の言葉が本当ならば、それどころの話ではない。


「旦那様。私達は控えを保存しております」

「ああ、わかっている。こちらの不手際だろう」


只管に状況を、二人の会話を理解出来ないわたし。


「こちらで確認を取る。すまないが少し待ってくれ」

「承知しました、ただ……」


そんなわたしを置き去りにして、お爺様とヒルマは会話を進める。一人取り残され、何がどうなっているのか首を傾げるわたしに、ヒルマが視線をくれてお爺様がその意図を察した。


「ミーナ、すまなかった。この理由と落とし前はきっちりさせるから、少し待っていてもらえるか?」

「は、い……?」


ぽんぽんと、また頭を撫でてくださるお爺様が、藍の目を鋭くさせながらも優しくそうお声をくださって、わたしは曖昧に頷くことしか出来なかった。


「……嫌われている訳では、ないのですね?」

「ああ、勿論だ」


でも、何より確かめたかったことは、きちんと言葉にして帰って来た。


「わかりました。それだけで、充分です」


深く、息を吐く。


懸念していたことから解放される安堵、これまでの不安、これからの焦燥。全てを孕んだ吐息は思いの外重くて、それを見たお爺様はきつくわたしの手を一度握ってから客間を去っていった。


「良かったわ、ヒルマ。わたし、お爺様に嫌われていなかったって」

「……はい、お嬢様」


お爺様の代わりに手を取ってくれるヒルマに向き直り、笑みを浮かべる。けれどヒルマの表情は硬くて、わたしへの返答も何処かぎこちない。まだ何か心配事があるのだろうかと見つめていれば、何故か胸へと抱かれた。


「申し訳ありません」

「ヒルマ?」


そして本当に何故か、ヒルマはそう謝罪を口にする。


「私のせいでも、あるのでしょう」

「そんなことないわ。何があったとしても結果的にお爺様に嫌われていないということがわかったのだから、大丈夫よ」


口に出す言葉に、覚えはない。でも、何か負い目を感じているヒルマの背に腕を回して否定する。


この手紙の行き違いに何かしらの形でヒルマが関わってしまっていたのだとしても、それはもう過去のこと。今、お爺様から直接嫌っていないとお言葉をいただいたのだから、もう気にすることではないと。


「ヒルマ。何も説明せずに謝られてもミーナお嬢様がこまるだけでしょう?ほら、離れてお茶でも飲みなさいな」


お爺様が客室から去った後、入れ違いになるようにしてお茶の支度を始めていたダニエルさんがヒルマの肩を叩く。


「……申し訳ありません」

「大丈夫。ほら、ヒルマも飲んで?」


それに促され、離れていくヒルマに紅茶へと口付けるようにわたしもティーカップへと手を伸ばした。

今年もお付き合いいただきありがとうございました。


そろそろ本格的に恋愛へと移行していく予定ですので、これからもお付き合いくださると嬉しいです。


良いお年をお迎えください。


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