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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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侯爵領、ロスパロットへ

慣れた旅路。船旅の何一つとして景色の替わらない海の上、娯楽の少なかった船の中に比べればこのプリシュティー侯爵が用意してくれた馬車移動というのは快適なもので、わたしは移り行く景色を眺めていた。


ここから休憩を挟みつつも一週間程進めば皇族直轄地から侯爵領へと移り変わり、その最初の領地に屋敷はある。


他愛のない話をして、夜になればみんなで野宿の支度をしてから休んで、朝になればまた馬車に乗って移動する。


そんな道中は異様に短く感じた。



お母様の育った街、ロスパロット。


プリシュティー侯爵が治める帝国内でも有数の繁栄地で、帝都へ抜けていくにはこのロスパロットを経由していかなければならない関係で商人や旅人、観光客が非常に多く、また学園があることから常に人が出ては入り続ける街。


「すごい、ひとね」


これまで見てきた街とは比べ物にならない程に大きな通り、流れる人波、喧騒、活気。


そんな熱が門の外からでも伝わってきて、わたしは息を呑んでぽつりと呟いた。


「これでもまだ、少ない方ですよ。今は昼時ですからこんなものですけれど、市場の始まる朝方や夕市、お祭り時等は本当に歩けないくらいに人が集まりますから」

「これで少ない方なの?……想像が出来ないわ」


検閲待ちの間、こんなにも人が大勢いるというのにそれでも少ない方だと言うヒルマの言葉にただただ驚いて、街をじっと見つめる。


勿論、ミゼルバー王国にも祭りは存在した。初代聖女を奉る聖誕祭や建国祭、国王の誕生祭。


けれど、そのどれにわたしは参加したことがなくて、祭りの雰囲気というものを知らないから人がもっと大勢いるということの想像が出来ない。


パーティ会場みたいなものだろうか。


そうヒルマに尋ねれば、似たようなものですと微笑んでくれる。


「お嬢様、私達は先に街へ降りて用事を済ませて参ります。ヒルマ、頼みますね」

「ええ、行ってらっしゃい。気を付けて」


検閲のための長い列。ゆったりながらも進んでいるそれをただ待っていると、わたしもヒルマを除いた五人が軽く身支度を整えて立ち上がる。


「ヘンリー、私達は暫しここを離れます。お嬢様達が屋敷へ赴かれる頃に私達も合流しますので」

「ああ、わかった。旦那様には伝えておく」


馬車から出ていき、御者台の方で街へ先に入る旨を伝えたファティ達が身一つで旅をしているであろう者達が集まる門の方へ移動していく。


荷台を検閲しなければならないこちらの列よりも、身分証と目的だけを提示出来れば中へと入れるそちらの方に並ぶみんなの姿はあっという間に街の中へと紛れていった。


何の用だろう、という疑問はあるものの、それよりもこの後の方に気が取られてしまうわたしはまた考えてもしかたないこの先を空想する。


どれだけ考えても変わらないし、意味はないというのにまるで期待するように擦り切れる思考。


そうして長く、じっ、と待っていれば馬車は漸く門を通り抜けて街中へと入っていく。


「……綺麗な街ね」

「ええ、変わりませんね、この辺りは」


馬車が二台擦れ違っても余裕のある道幅。左右に並ぶ様々な店に集まる人々の身形は豊かで、この街がどれだけ領民を大切にしているかがわかる。


王都からいくつもの街、景色を見てきたけれどその中でもここはとても穏やかであたたかい、そんな気配を強く感じられた。


一本、門から屋敷まで繋がるその道を暫く進み、街中に存在するもう一つの門へと辿り着く。ここから先は許可がなければ立ち入れない、領主の屋敷へと繋がる門だそう。


外から見えるだけでも美しく手入れのされた庭は生前お母様が好まれていた花々も植えられていて、わたしの胸はぎゅっと詰まる。


懐かしい。


かつてのダルスサラム公爵邸に存在した景色。


天気の良い日にはみんなで集まってお茶会して、遊んで、そんな何でもないような日々をわたしは、過ごしていた。


「……お嬢様?」


胸を占めるのは回想、空想、妄想。


もう二度と知ることは出来ない過去はとても甘美で、だからこそ失ってしまった今がとても寂しい。


寂寥が胸を満たすように、じんわりと目に溜まる雫を拭えばヒルマは心配そうにわたしを見てはそっと隣に座ってくれる。


「覚えておられますか?昔、良く中庭でお茶会をしていたこと」

「ええ……勿論よ」

「そのときのお嬢様といえばもう手が付けられないくらいにお転婆でしたから、カールやディルクと庭を駆け回ってドレスを汚してはイリーナ様に叱られていましたね」

「ええ、お母様ったら怖いのよ。いつもは凄くお優しいのに、叱るときはその何倍も怖いの」

「ふふ、そうですね。お嬢様は一体、何度叱られたでしょうか?」


泥遊びをしてドレスを汚したとき、公爵邸の中庭に迷い込んでしまった子猫をこっそり馬小屋で飼っていたとき、カールとディルクと三人でこっそり街に下りてすぐに見つかったとき、お祭りの日だからと屋敷に仕えてくれていた方達に悪戯をしたとき……。


軽く思い出しても指が簡単に折れる程度には存在する記憶には、大概泣いているわたしがいる。


「でも……お嬢様が何をしても、してしまったとしても、()()()は貴女様を愛しておられましたね」

「……ええ」


ヒルマの目元が、口元がふわりと緩む。


愛おしいものに触れるように囁くその声は、冷える感情をゆっくりと包み込んでは溶かしてく。


「とても」


思い出す記憶の欠片には、必ず愛されていた自分がいる。


そのことをもう一度だけ強く思い込めば、満たす感情はあたたかいものへと変わりゆくことを、わたしは覚えているから。


「大丈夫」


続く美しい庭。それが終わりを迎える頃に呟いた言葉にヒルマはこくりと頷いて、馬車を降りた。


差し出される手を取り、眩い外の光に目を細めて馬車を降りたわたしの視界に映るのは、初老の男性。


「プリシュティー侯爵領へようこそ、ミーナお嬢様。お待ちしておりました」


人生の豊かさを刻む目元の皺、真っ白に染まる後ろへと撫で付けられた髪、洗練された所作と柔らかい物腰が彼の人柄を窺わせる。


「……そしてヒルマも。久し振りですね」

「ええ、ダニエル。元気そうね」


わたしに優しい視線を投げ掛けて微笑んでくれた後、横に立つヒルマを見遣るその眼には懐古の色が滲んでいて、二人の間柄が察せた。


「どうぞ、中へ。主人が……貴女様のお爺様が、待っております」

「……はい」


彼がわたしに向ける感情に、懸念していたモノは見られない。ただ親戚の子供が久し振りに遊びに来て、それを歓迎しているだけのように映る。


だからこそ、少しだけ怖くなった。この友好的な挨拶の裏に、何が待っているのかが。


「お嬢様、参りましょう?」


返事だけを返して、それでも動けないわたしの腕を引っ張ってくれるヒルマ。大丈夫と、優しい翠の瞳に浮かぶ言葉。それに頷いて一歩を踏み出すと、見慣れない屋敷、雰囲気がわたしを迎える。


「こちらでございます。ヒルマ、貴女は……」


扉の奥、ホールを抜けた先にある一つの扉。下品になり過ぎない程度に美しく飾られた調度品など目に入らないくらいに余裕のないわたしが案内されたのは、恐らく応接間。


先程の言葉なんてなかったかのようにばくばくと跳ねる心臓を押し殺して平静を装うわたしを余所に、何かを含めるようにしてヒルマを見るダニエルさん。


「……わかりました。ただ、こちらで待っていても良いでしょう?」

「それならば」


彼の真意は、わたしだけを応接間に通したい。理由はわからずともそうこの館の主に望まれればそうせざるを得ないわたし達は、一度視線を交わして了承の意を伝える。


「ではミーナお嬢様、中へ」


うるさい心臓を抱えて、開かれた扉の先に足を踏み入れる。こつこつと懐かしい床の感触を踏み締めてその背の先へと向かえば、懐かしい記憶が蘇った。


「久しいな、ミーナよ。元気であったか?」


お母様と同じ、銀の髪。鋭く吊り上がるような目元をしているのにこちらを見つめる藍の色は優しく、低くしゃがれた声には温もりが宿る。


「……はい、お爺様。お久し振り、です」


その方を、許可なくそう呼ぼうとは思っていなかった。その呼び方一つで嫌われてしまうより、距離を取って様子を窺った方が良いと思っていたから。


けれど、そんな心配を塗り替えるくらいにわたしを見る目が、掛ける声が優しいから、わたしの口は何の考えもなくそう呼んでしまっていた。


「ああ。こっちにおいで。話をしよう」


聞きたい話が、したい話が沢山あると、お爺様はわたしを自分の対面へと呼んでくれる。


ここから先、どんな話になるのかもわからないのに何処か縋るようにおずおずとお爺様の前のソファへと腰掛ければ、そこにはとても懐かしそうに微笑む姿があった。


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