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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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33/63

リュペンの厄介事

「戻った」

「おかえりなさい」


全員の身を清め終えた頃。傾ぐ扉の音と共に聞き慣れた声が部屋に響いた。


「カール、アズールは?」

「船員達と過ごすように言って置いてきた」

「あら……」


扉から現れたのはカールとディルクの二人だけで、当の本人は何処へ行ってしまったのかと尋ねればさらりとした返事が返ってくる。


「もういても邪魔だしな」


そういうことに気を遣うのは昔から変わらないのかと懐かしく思っていれば、まるで思考を見透かしたかのように説明を挟んでくれたカールに頷き、わたしは追及を止めた。


「それで、大丈夫だったのですか?」

「ああ、多少の無理は金で解決してもらうことにした」

「良かった」


そして本題へとヒルマが触れ、船頭との交渉は上手く行ったことを知る。夜が明けたら皆で市場の食料をそれなりに買い揃え、充分な備蓄を整えてからの出港となる故に昼頃にはなりそうとのことではあったけれど。


「という訳で、俺達は向こうの部屋に戻る。なんかあったら叫んでくれ」

「ええ、おやすみなさい」


これ以上、話していても何も進みはしない。それならば少しでも多く休息を取るのが良いだろうと、女性と男性の部屋割りで別れたわたし達は早めの睡眠を取った。



「おはようございます、お嬢様」

「おはようヒルマ、ファティ」


明くる日、早々に眠ったわたし達は日の出と共に起きだして活動を始める。


「もう少し陽が昇れば店も開くと思いますので」

「ええ、大丈夫よ」


身支度を整え、すっかり空いてしまったお腹を擦ればそれに気付いたファティが申し訳なさそうに窓の外を見る。


それ程減っている訳ではないのだと、付け加える。ただ、最近はきちんと食事を取るようにしていたからどうにも違和感があるだけだとも。


「どうされます?市場を歩くにしてもそれこそまだ店は開きませんから、結構外にいることになってしまいますが」

「不服ですが店が開くまではここにいましょう。歩き回って、何かを見つけてはたまりません」

「……ひ、ヒルマ?」


朝陽と共に目覚めたのは良いが、如何せんやることも出来ることもない。しかし、店が開くまで歩き回るのも疲れてしまうから暫し待とうと方向を決めたヒルマ。その際にちくりと何やら釘を刺されたような気がするのは気のせいだろうか。


「ふふ、冗談ですよ」

「ヒルマ……」

「ふふふ」


前科がある故に何も言えないわたしを珍しくからかって遊ぶヒルマを見つめるものの、柔らかい笑い声に流されてしまう。


とはいえ再度突っ込んでもわたしが不利になる未来しか見えず、ディルクと言い争いをしたときのような脱力感を覚えながら誤魔化すように荷物を纏めた。


「起きてるか?」

「はい、起きていますよ」

「何もなかったか?」

「ええ。特には」


一通り荷物を纏め終えた頃、同じように起きていたカールがノックと共に現れ、何一つ変わらないわたし達の様子に安堵の息を吐いた。


「少々狭いですが、離れ離れになるよりは良いでしょう」


全員の支度を終えれば、一つの部屋に集まって時間を潰すことに。他愛のない会話をしつつ、それでも何処か張り詰める糸をみんなで隠しながら。


「ふむ、中々ありませんね」


早朝を過ぎ、続々と開いていく店を通り過ぎながらわたし達は飯処を探していた。が、どれも食材を取り扱う店か装飾店かで、中々飲食を提供する店が見つからない。


「アンタら、何か探してんのかい?」

「ええ、飯処を」


同じ通りを行ったり来たり、辺りを見渡したりしていたからか、一人の男性が近付いて声を掛けてくれた。好意に感謝しつつヒルマが要望を伝えれば、何故か男性の顔が曇る。


「……悪いことは言わねえ。店に入んのはやめな」


そしてより一歩距離を詰め、小さくか細い声でそう、教えてくれた。


「あっちの通りに屋台があっから、そっちも検討したらどうだ?」


しかしそれも一瞬ことで、ぱっと離れた男性はそれだけを告げてわたし達の前から去って行く。


「……厄介事の香りがしますね」

「とりあえず、助言の通り屋台の方へ参りましょう」


宿屋のことといい、どうにも何か問題が起こっているらしいこの街で、街人の言葉に逆らわない方が良いと判断したわたし達は店に入ることを諦め、男性の指差した通りへ向かうことにした。


「さかなあ!」


言う通り、もう一本先の通りは開けていて、真ん中にあるベンチを囲むように屋台がぽつぽつ並んでいた。しかしどれも魚串がメインで、魚介類の得意ではないディルクは不服そうに魚を齧る。


「あ、ディルク。あっちの方にお肉があるわよ」

「買ってくる。みんなも食べるでしょ?」

「そうですね、お願い出来ますか?」

「りょーかい」


入ってきた通りから見た奥、他の屋台に隠れて見えなかったその場所にはお肉の串が並んでいるのが見える。それを指差しディルクへと教えて上げれば、彼は颯爽とそちらへ駆けていった。


「ただいま」

「おかえり……なさい」


程なくして、両の手一杯のお肉の串を抱えて戻ってきたディルクがとても嬉しそうだったのは余談。



「私達は積み込みを手伝って来ますので、お嬢様達はお先に中へ」

「わかったわ」


屋台で朝食を済ませた後、市場で食材等を仕入れていた船員と合流し、手伝いを申し出たヒルマ達と別れて一足先に船へと乗った。


続々と積み込まれる木箱を尻目に、どうにも様子のおかしいリュペンの街をデッキから眺める。


「……ねえカール、この街で何が起こっているのかしら?」

「さあ。少なくとも良いことが起こってる訳じゃないのは確かだろうが」


潮風を浴びながら、背後に立ってわたしに付き合ってくれているカールを振り返ればいつも通り不機嫌そうな顔が入ってくる。


「例え何か起こっていたとしても、今の俺達にはどうすることも出来ない」

「……ええ」


そして、極めて正論で全うな現実を、口に出した。


「わかってんなら中に入れよ」

「……うん」


叱る訳ではない、ただ事実を述べたカールから目を反らして口先だけで返事をしたわたしは、出船するまでただずっとリュペンを眺めていた。


何も出来ない、何の力も今は持っていないことに、無力感を覚えながら。


「……」


反対側にいたアズールの寂しそうな目も、忘れられずに。



リュペンを発って早数日。


順調に航路を進む船は、月明かりだけが眩い闇夜の中を進んでいた。


最近夏の日中は暑くて暑くて苦しいけれど夜の風は少しだけ冷えていて心地が良いから、わたしは波の穏やかな日はデッキに出て夜風を浴びるという時間を作っていた。


「お身体だけは冷やさないようになさってくださいね」


という、ヒルマ達の言葉も最近は羽織りを渡してくれて行ってらっしゃいませと送り出されるものに変わるくらいには夜、デッキで過ごす時間が増えていた。


「アズール」


しかしそんな最中、決して一人で過ごす時間だけかと問われればそうではない。


「……またいるの?」

「だめかしら?」

「そうじゃないけど」


夜の中、もっと浅く浮かび上がるように輝く白縹の髪を揺らしてデッキへと上がってきたのは、本日の仕事を終えたであろうアズール。


リュペンを発ったその日、こうしてデッキで過ごしていたら丁度アズールと会い、そのまま何を話す訳でもないが少し距離を開けて共に過ごすという、不思議な時間が続いている。


「最近はちゃんと羽織り掛けてるんだ」

「ええ、ヒルマが欠かさず渡してくれるから」


いつだったか。薄手で過ごしていたわたしにキルトを貸してくれたアズールが、それを掘り起こして表情を崩す。こうして一つ二つの会話を交わすのは悪い気分ではなくて、斜向かいに腰を下ろしたアズールに答えた。


「あの、さ」

「うん?」


暫しの沈黙。波の音だけが耳を撫でるその空間で、ふと呼び掛けられる。何処か躊躇いがちなアズールの声に反応して首を傾げれば、声音と同様に少し気まずそうな表情がわたしに向けられていた。


「どうしたの?」


先程の、茶化すような雰囲気ではない彼の目をじっと見つめて問う。


「……お嬢さんにとって、あの人達はどんな存在なの?」


そうすれば、間を開けたアズールが結ばれた唇を解いて静かに、そう尋ねてきた。


「どんな……?ううん、そうね、大切な存在よ。幼馴染みとしてずっと傍にいてくれるカールとディルク、保護者としていつも見守りながら導いてくれるヒルマ、ファティ、ベルホルト。みんな大切な人」

「……そうなんだ」


アズールの真意はわからないながらも常日頃思っていることを口に出して説明すれば、何故か寂しそうに頷く姿がある。


「じゃあ、もしその人達に裏切られたら、どうする?」


どうしてそんな表情をするのだろうと眺めていたら、不意に重なった質問に戸惑う。


「……そうね。わたしは、生きていないかもしれないわね」


けれど、何かしらの意味があるのだろうと噛み砕いたわたしは、ただそう答えた。


みんながいてくれたからこそ、わたしは公爵家でも王城でも生きていけたと言っても過言ではない。もしそれが始めから一人だったのならば、仮に同じように王妃候補に選ばれ、聖女様が現れて婚約を破棄されたそのときに、生きる道を選ばないだろうから。


あのとき、持っていたもの全てを失ってもそういった道を選ばなかったのは、みんながいてくれてわたしの手を引っ張ってくれたから。


だから、きっと今も、みんながいなくなってしまってはわたしは生きる道を選ばないだろうと、そんな結論をアズールに告げた。


「……そうなんだ。なんか意外かも」

「ふふ、どうして?」

「そんな風に考えてる一面、見たことないから」


心の奥底に眠る本心を語ったからか、目を瞬いてアズールはわたしを見る。


確かに、こんな心根は誰にも話したことはない。みんなには勿論、知られたくないこの一面はずっと隠して来たから、アズールにそう言われてしまっても無理はないだろうと苦笑いを浮かべる。


「ひとりきりで生きて行ける程、強くないもの」


そして誤魔化すように、呟いた。


そもそも、誰か(レオン様)に生きる道を示してもらわなければ、生きて来れなかった人間なのだ。


そんな人間が、地位も名誉も家族に近しい存在さえも失ったのならば、這い上がろうなどと思いやしないだろう。


それならいっそ、一思いに逝ってしまおうとだけ思うだけで。


「……アンタは、ここにはいないレオン様とやらが憎いのか?裏切られたんだろ?」


唐突に出される聞きなれた名前に、何処までわたしのことを知っているのだろうと目を瞬かせる。少なくとも、ヴォルフに知られていることはアズールにも共有されているのだろうかと首を傾げつつ、彼の言葉を考える。


「憎い。とは、違うかもしれないわ。どちらかというとそれは……いえ、なんでもないの。そう、ええと、レオン様といて、救われた部分があるのは確かなのよ。あそこ(公爵家)から連れ出してくださって、ヒルマやファティ、ベルホルトを傍に置くことを許してくださったから」


簡易的に過去を振り返る。聖女様がいらっしゃる前までは、そんな感情微塵も覚えたことがないくらいに感謝しかなかったと思う。それこそ、家族同然のみんなと再びいれるようになったのは、レオン様のおかげなのだから。


「だから、憎いというよりも、あの瞬間はただ残念だったかしら。そして……寂しかった、かしらね」


暴力を奮われて、婚約破棄を突き付けられたその瞬間。そのときは、彼に怒りを覚えるよりも聖女様と共に過ごすようになって決定的に変わってしまったレオン様に、ただ失望した。


そしてただ、もう慕った彼はいないのだと、寂しさを覚えた。


「……やっぱ、男と女性じゃ違うのか」

「アズール?」

「いや、なんでもない。変なこと聞いて悪かった」


そう告げれば、アズールは夜風に浚われて聞こえない何かを呟いて立ち上がり、謝罪を残してデッキから去っていく。


「戻りましょう」


程なくしてわたしもアズールを追うようにデッキを下りた。


ついつい緩くなってしまった口元を、しっかり締めて。


この辺りは後に回収します。

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