船旅と出立と日常茶飯
「起きたか?」
ふと目覚め、詰まって苦しくなっていた呼吸を整えるように息を吐けば、聞き慣れた声が頭上から掛けられた。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、結局もう一度寝てしまったことを理解したわたしは起き上がる。
「……もう、夕方?」
「ああ。間もなく陽が落ちるよ」
乾いて張り付く喉を咳払いで強制的に動かし、少し掠れた声で記憶にある最後の景色より大分暗くなってきた空を見上げる。ベッドサイドで椅子に座るカールから水の入ったコップを受け取り喉を潤せば、一日を無為に過ごしてしまったような気がして少しだけ後悔が襲う。
「パン、買ってきたけど食うか?」
「そうね。そろそろ夕飯だけど、少しくらいなら怒られないよね?」
「構わないだろ、食ってるなら」
「ふふ……そうよね」
水差しと共にテーブルに置かれていた籠を覗き、カールのおすすめだというパンを齧る。美食に、飽食に慣れてしまった自分からすればそれは絶品という訳ではない。
けれど、スープに浸さなければ食べられないような黒いパンを、誰でも手に入れられるような手頃な価格でそれなりの味で、手軽に食べられるサンドのような形で出しているということが、この世界でどれくらい素晴らしいものかをわたしは知っている。
「塩漬け肉に、葉野菜。それにこのソースがまた美味しいわね」
「ああ、だろ?」
おすすめというだけあって、一般的にただ硬くて日持ちを優先しただけのパンより圧倒的に美味しいサンドは、あっさりと手の中から消えてしまう。
「……」
正直、一日何も食していないが故にお腹は減っている。しかし、空腹とはいえ一つ丸々食べきれるかと問われると悩むところで、わたしは籠と睨めっこしながらまだいくつか残るサンドを見つめた。
「食いきれないならもらうが?」
「いい、の?」
「構わない。半分?もっと?」
「それくらいで大丈夫。ありがとう」
一向に見つめるばかりで籠に手を伸ばさないわたしの意図を察し、さらりと手助けの案を出してくれるカール。護身用として身に付けるナイフを腰から取り出し、軽く払ったテーブルの上にサンドを置いて半分と少しで切り分けて渡してくれる。
「カール、お嬢様は……あ、お目覚めでしたか」
「ええ、おはよう」
「ふふふ、はい。おはようございます」
未だサンドの半ばさえも辿り着いていないわたしと、既に食し終えて汚れたナイフを拭き取って手入れを終えているカール。急ぐ訳でもないから、そのままもぐもぐと普通にサンドを頬張っていれば、ヒルマが部屋に訪れた。
「お加減は……うん、食事を取れているのなら問題はなさそうですね」
サンドを齧るわたしへ手を伸ばし、額に触れるあたたかい手。心地よい温もりは寝入る前の重たい気持ちを少しだけ和らげてくれて、わたしはほっと一息吐いた。
「明日出航出来るようなので、今日は体調を整えるためにも念のためゆっくりなされてください」
「ええ、わかったわ」
漸くサンドを食べ終え、わたしの代わりに荷物を纏めてくれているヒルマに礼を告げながらわたしは残りの時間もベッドから降りられないことを察する。
多少のマナーレッスン、演技の復習くらいならば許されそうだが、がっつりとのめり込むことは許可されそうになかったので、この日はベッドの上で動きを想像して補完するに留めた。
「さ、参りましょうか」
そうして安静に迎えた翌日。
ファティからも何も問題ないという診断を得たわたしは、無事に宿を出発することが出来た。
「ん、おはようさん」
「おはよう、アズール」
船の横で多少残っている食料や水などを積み込むアズールと挨拶を交わしてから船に乗り込んで出航を待つ。
「まだまだ長いわね」
「まだ折り返しにも辿り着いてないからな」
「カール達はいつもこんな風に移動していたのね。聞いていただけではここまで大変だなんて、わからなかったわ」
「ふふ、まだまだこんなの可愛いものだよ、ミーナ様」
再び海上を進むことになるけれど、今回も何事もなく次の街へ行ければ良いなと思いながら、わたしはロビーでカール達と談笑に花を咲かせる。
「出港だ!」
と、そんな風に穏やかに過ごしていれば船は動き出した。
「ミーナ様、ミーナ様。後でまた、レッスンしようね」
「……ええ」
さあ、次の街はどんなところだろう、と想像を膨らませたのも束の間で、前日の遅れを取り戻すようにわたしはカールと共にディルクのスパルタレッスンを受けたのだった。
レッスン、読書、演奏、食事、お昼寝、レッスン、演奏、食事、読書、睡眠、と、果たして乱れているのか正しいのかわからないような日々を過ごすこと早数日。
船は順調に、というより少し早いペースで次の港を目指しているようで、早ければ後三日から四日程で寄港先に寄れるらしい。
船の中というのは本当に出来ることが限られているから余りにもこの退屈な時間が多くて気が滅入りそうになるけど、目的地が近付いていると聞けると少しだけ嬉しくなる。
「お嬢様、入ってもよろしいですか?」
「ヒルマ?良いわよ」
ごろごろと、次の街では何して過ごそうかと思案しながらベッドの上に寝そべっていれば、ヒルマが部屋にやってきた。
「どうしたの?」
昼食は終えたばかりだし、ディルクとレッスンをするのは今日は夕方頃と事前に決めてある。とすれば個人的な用件だと思うけれど、何かあったかしら、と首を傾げて少し呆れているように見えるヒルマを見つめた。
「その……お嬢様がお部屋に戻られた後、カールとディルクがいつものようにカードで遊び始めまして」
「ええ、まあ、いつものことね?」
「大体二人は交互ずつ勝つものですが、今日に限ってディルクが常勝しておりまして」
「ええ、それで」
「余りにもディルクが勝つので、恐らくその仕掛けに気が付いたカールが詰め寄ったところ、ディルク曰くカールのそれはイカサマだから僕もイカサマして何が悪いと、開き直りまして」
「そう……なるほどね」
ヒルマが何故そんな顔をしているのだろうという疑問は、彼女の口から語られた思った以上に日常茶飯事の二人の喧嘩みたいなものから来ていると知る。
ともあれ、カールが強い理由を知っているわたしからすればディルクの言い分は理解出来る。天然ものとはいえ、他の人間が何も対処なく勝てる理由が見当たらないから。
とはいえ、だからディルクがあからさまなイカサマをして良いのかという点も引っ掛かるといえば引っ掛かる。それとこれとは、また違う話であるだろうから。
「それで、ですね、イカサマだイカサマじゃないだの水掛け論が始まりまして、ならば第三者に話を聞こうという流れになりまして、お嬢様の下を訪ねた訳でございます」
「なるほど。今行くわ」
確か、公正な判断を下せるファティとベルホルトは船内の手伝いをしていたし、ヒルマ一人では意見が足りないということだろう。
役に立てるかどうかはわからないものの、わたしは一応ヒルマの背を追ってロビーへと向かった。
「あ、ミーナ様!やっぱりカールのやつイカサマだったじゃん!」
「イカサマじゃない。お前と一緒にするな」
既に騒がしいロビーへと踏み入れれば、わたしの姿を捉えた瞬間にディルクが主張を始める。それに反論し、不機嫌そうなカールはちらりとわたしを見てはテーブルの上に並べられるカードへ視線を移した。
「ディルクは、カールがやたらと強い理由に気が付いたのね?」
「うん、あんなのズルいよ。ミーナ様だってそう思うでしょ?」
「言い分はわかるわ、勿論。でも、カールとしては自分の才能を使っているだけだから、イカサマなんかじゃないと言いたいのよね?」
「ああ。ディルクみたいにせこい真似はしてない」
二人に近付き、並ぶカードを手に取りながら意見を聞いていく。
ヒルマから聞いた通り、遊ぶ上で欠かせないルールへの認識が食い違っている状況を打開するのにはどうすれば良いだろう、と首を傾げつつ案を探っていれば、ふと触れていない部分に気が付く。
「ディルクは、どんな手を使ってカールに勝ったの?」
「え?それは勿論、自分が有利になるように予め仕込んだ役が揃うように配ったりとか、まあカールが視線を逸らした隙に用意しておいたカードにすり替えるとか、そんな定番なことだよ」
なんて、事も無げにディルクの語る手口は思っていた以上にイカサマなイカサマだった。わたし達の中でも特に手先が器用なことは知っていたけれど、まさかそんなスキルを身に付けていたと知らなかったわたしは押し黙ってしまう。
こう、もう少し、可愛らしいものだと思っていたのだ。それがギャンブルで生計を立てるような人間と同じスキルを持って遊んでいたとは知らず、わたしはカールの方を向く。
「な?一緒じゃないだろ?」
まだ判断を下せない以上、カールの言葉に頷くことは出来ないけれど、内心は同意したい。カールが勝つために使っているのは、自分の記憶力一つ。だから引きが悪ければ降りるから負けないだけであって、勝率が高い訳ではないのだ。
一方、ディルクは相手のカードも自分のカードも好きなように配れるから勝てるという手段。当然、カールの手を弱くすることも出来てしまう。つまり、相手に干渉出来てしまう時点でカールとディルクは既に公平なルールで戦えない、ということになってしまうだろう。
「うーん……正直、少しディルクが強すぎてしまう気がするわ」
「ええ、そうかなあ?」
「ほら見ろ」
「でも、普通にゲームをしたらカールが強すぎるっていう意見もわかる」
「ほら!」
「……チッ」
という結論を出したところで、このままでは平行線のまま何一つ解決しない。
より良いバランスを保ちつつ、遊べるルール。
ひとまず、ディルクからディーラーを取り上げる。でも、そうするとまた今度は全て見えるカールが強過ぎる。
カールをある程度弱く出来て、ディルクを少しだけ有利に出来るような手はないかと考える。考える。
「もう、お互い一度カードを配り終えた段階で手札を一度見せ合えば良いんじゃない?若しくは、最初から表向きで配るとか」
カールの視覚的有利を共有することで強みを消しつつ、ディルクの潔白証明も行う。後は誰かが立ち会ってそれぞれ何のカードを交換したのかが分からないように進めれば、本来のゲームバランスに近付くのではないだろうか。
「ふむ」
「なるほど」
と、以上を説明してみれば、意外と納得してくれた二人。
「じゃあミーナ様、お願いね」
「ええ」
試しに一戦、とカードの山をディルクから受け取り、何山かに分けたカードを最近手慣れてきた手付きでカールに見えないようテーブル下で切る。
そして一行動減らすために表向きでカードを配って、二人が互いのカードを確認し終えたところで個別に何か交換するのか、そのままなのかを対応し終えればわたしの仕事は終わり。
「それじゃあ、行くわよ?」
「おっけー、ミーナ様」
「ああ」
せーの、という掛け声で開かれた手札は、同じ役。つまり引き分け、であった。
「うん……これなら、納得出来るかも」
「カールがイカサマしないなら何でもいい」
という、無事に新たなゲームルールが生まれ、後により勝敗の付き難くなったこのバランスのお陰で二人がゲーム遊びをしている時間が増えたのは言うまでもない。
「……カールとディルク、一日中やってない?」
「ふふふ……二人共、負けず嫌いですものね」
なんて会話をヒルマ達と交わすようになるのはそう遠くない翌日の夜だった。




