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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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船旅と散策

魔女と呼ばれる少女の存在を知った明くる日。


「山、ですか?」


船のメンテナンスで二日程伸びた出航日までの間、何をして過ごそうかと考えていたとき、宿の窓から見える高い山を指差して、あそこに行きたいと相談してみた。


「ええ、あのね……」


首を傾げ、ぽつぽつと理由を説明する。


公爵邸の裏庭で遊んだ記憶、ヒルマと共にハシュートを見下ろす際に通った藪を通った以外、山に入ったことがないから、と。それに、先日の買い出しの際に季節の山菜が取れるとテントのおばさまから聞いたから興味が湧いたのだとも。


「わかりました。特に立ち入りが禁止されている訳ではないので、きちんと対策をしてくださるのであれば参りましょうか」

「俺も行こう」

「カールが着いてきてくれるならば安心です」


ヒルマから許可を、カールから冷やかし交じりの視線をもらい、カールから借りた服に身を包む。長い袖で腕を隠し、足元まで隠れるズボンで足を覆い、更にマントを羽織ることで漸く外出許可が下りた。


「この季節は虫が多いですからね」

「ああ、耐性のないミーナが刺されたら面倒だ」


夏めく気候。もうそろそろ夏まっ最中を迎えるこのときに重装をするのは辛いけれど、視界の端にちらちら飛び交う虫を見てしまえば、何故こんな装備でも受け入れられる。


「あ、お嬢様。御髪を括りましょうか」

「ええ、そうね。お願い出来るかしら?」

「お任せください」


山に入るのに髪を下ろしていては鬱陶しくて仕方がない。なので昨日と同じように後ろで一つに纏め、購入したばかりの黒いレースで飾って、身支度は完了した。


「いってらっしゃい、ミーナ様」

「お気を付けて」


宿に残るというディルク、ファティ、ベルホルト達に一声掛けてから送り出しの挨拶を背に受けてわたし達は港街の奥に聳える山を目指して歩き出す。


数十分程歩き、順調に山へと足を踏み入れた中腹辺り。開けた場所でヒルマが籠を置いて、手本としていくつか集めてくれた山菜達をヒルマが広げた。


「食せるものとそうでないものを覚えてくださいませ」

「わかった」

「ええ」


手に取り、食せるもの、毒があるからダメなもの、毒はあるけれど調理によっては食せるもの。各個説明をヒルマから一通り受けたところで、付近を散策しながら山菜採りに勤しむ。


「採れたものはこちらに持って来てくださいね」

「わかったわ」


自分で採取したものを籠に詰め、沢山になったらヒルマの元へ行って仕分けをしてもらう。それを何度か繰り返していればそのうちあっても困らない、という理由から途中は山菜だけではなく薬草類も採取していたけれど、意外にも楽しくて黙々と籠に詰めて行った。


「カール、もう少しあちらに行ってみましょう?」

「わかった。ヒルマ、俺達は向こうに行ってみる」

「ええ、わかりました。私はここで仕分けをしているので、余り遅くならないように戻ってきてくださいね」

「ええ!」


陽が少し傾き始めた頃。開けた部分にある山菜を粗方積み、もう少し奥へ行きたいとヒルマに告げてからカールと共に少しだけ奥に入った。


けれど、決して適当に歩く訳ではない。


こういった場所はきちんと通り道があって、その通りは人が歩いているということだから、闇雲に歩くよりも良い採取スポットを見つけやすい。


「ミーナ、こっち」


草の踏み潰されている場所、不自然に木が開けている場所、足跡が残っている場所。散策するときも、遭難したときも、それらを探して歩くことが大切だと過去に教わった。その教えの通りにそれらしき場所を進んで行けば、一気に開けた場所に出る。


「あら?こんなところに小屋?」


鬱蒼と茂る木々の中、ぽつりと立つその小屋は、古びていながらもきちんと手入れがしてあって、明らかに誰かが住む気配があるが今は不在のようで物音ひとつしない。


「少し離れた所で摘もう」

「ええ」


あんまりにも近い場所にいてはなんとなく気まずいので、幾らか離れた場所で摘みすぎない程度に籠を埋めていく。


夏頃とだけあって、旬の山菜は多く存在する。根を痛めないように茎と葉を狩り、籠がこんもりとしてきたときに一度上を見上げると、ぽつりと一滴、頬に落ちた。


「降って来てしまったわね」


山に入るまでは晴れ晴れとしていた空は、一部分だけ灰に染まる。通り雨的なものだろうけれど、一気に降ってきそうな空模様を見つめる。


「あっちに移動しよう」


マントを被ればとりあえずの小雨は防げるとはいえ、土砂降りになってしまえばマントだけで凌ぐのは厳しい。なので、カールの言う通りひとまずここから動くことにする。


幸い雨宿り出来そうな小屋が近くにあるのでちょっとだけ軒下にお邪魔させてもらい、くるりとマントを羽織り込んでカールへと振り向く。


「ヒルマを呼んでくる。ミーナはここにいてくれ」

「……ええ、わかったわ」


ヒルマを呼びに行かなくては、と言い出す前に吐かれた言葉。わたしも一緒に、と思ったものの、慣れない道をわたしがいては邪魔だろうと判断してその背中を見送ることにした。


ヒルマならばいくつもの足跡が残るカールが選んだ道とほぼ同じ道を辿るだろうし、二人が合流したのならカールは地図がなく再びこの場所に戻って来れるだろう。即ち、わたしはただの足手まといでしかないのである。


「雨、か」


こういったときにお荷物である自分が出来ることといえば早く雨が上がるように祈るだけ。そうして空を見上げれば、ふと木の上でこちらを見つめる一匹の猫と視線が合った。


「……」


ここの家主の飼い猫だろうか。入口の前に屈むわたしを見つめるその金の眼光は心なしか鋭い気がして、なんだか居心地が悪い。


「ごめんなさい。その……少し、雨宿りをさせてもらえるかしら?」


まるで言い訳をするようにそう言葉を吐き出した口。なんてことを言っても仕方ないというのに、まるでその言葉を理解したかのようにを黒猫は軽やかにとん、と木上から降りて来て、わたしの足元に寄る。


「濡れてしまうわ」


水を纏うマントに触れないよう、そっと黒猫を退ける。それでも繰り返しこちらに寄って来ようとするので、わたしは試しにそのしなやかな身体を抱き上げてマントの中へ入れ、胸元に抱えてみた。


「……あたたかい」


想像以上に身体が冷えていたのか、人の体温よりも高いとされる黒猫の温もりが冷えた手にじんわりと広がっていく。逃げも鳴きもせず、ただただ胸元に静かに抱かれる黒猫が心地よくて、滑らかな毛艶を滑るこの手が、段々と緩慢になってしまう。


「いけない、あなたが気持ち良くて寝てしまうわ」

「にゃあ」


一瞬、落ち掛けた意識を保つようにそう話し掛ければ、本当に言葉を理解しているのではないかと思う程タイミング良く鳴く猫。しっかりしろ、と言わんばかりに柔らかな肉球で頬を叩く前脚を握り締め、ぼうっと空を見上げることにした。


意識を飛ばさないためには、何かしらを考える必要がある。何か有意義なことを考えられれば良いけれど、思考を巡るのはとてもくだらぬ、他愛のないことばかりで。


「……雨の日はね、好きではないの」


一向に降りやまぬ、曇天の空。灰が覆うそれを見上げて、溜め息交じりにそんな言葉が零れる。俯いた頬に、さらりと黒いレースが垂れて擽っても、顔は上げられない。


「びしょ濡れになっても終わらない雑用に、熱を出して重たい体。向けられる悪意に、ひたすら冷たくて暗い部屋。そんな昔のことばかり思い出してしまって、少しだけ息苦しいの」


身体が冷えて、一人っきりだからか。こんなときに思い出してしまうのは、公爵家での過去ばかり。


態々新たに言い付けられた外の雑用を終わらせるまで部屋に戻ることは許されず、言うことを聞かない体を引き摺って漸く自室として与えられていた倉庫に戻れば、冷え切った空気が身を包む、過去。


「……たのしいことも、あったはずなのにね」


雨の日は、何もあそこだけで過ごした訳ではない。わたしを愛してくれる両親と共に、温かい雨天を過ごしたこともあったはずだ。けれど、とうの昔に擦り切れてしまった幸せな思い出は、消えない感情と共に影を強める過去に呑まれてしまって、欠片すらも見つけられない。


「慰めてくれるの?ありがとう」


湿っぽい話をしたからか、するりと頭を身体に押し付けてくれる黒猫。つい流暢になってしまった口を噤んで毛並みを整えるように背を撫でると、じっとこちらを見つめる眼に一言だけ呟く。


「大丈夫よ」


光を湛える金の眼がこちらを見つめ返せば、何故だか少しだけ心が楽になる。夜明けのように静謐で、厳かな静けさを持つその眼は、まるでわたしを心配しているように見えたから、今の嘘偽りない言葉を吐いた。


「あなたに会えたことも、良い思い出になるものね」


するりと手に馴染む黒毛。嫌な過去を塗り潰せる程、良い思い出を重ねればいいだけだと、もう知っているから、と。


「今は、もう。大丈夫」


決意するようにそうやってもう一度重ねれば、黒猫は一度こちらを見つめて、すっと手元から抜けて行く。


「お嬢様!」

「ヒルマ。ごめんなさい、また探させてしまったわね。カールも、ありがとう」


森の奥へ消えていく黒猫を見送れば、その場所から草木を掻き分けたヒルマとカールが現れた。はぐれたことに再度謝罪を重ねていれば、先程の曇天が嘘のように晴れ渡った青空の下、ヒルマ達と共に街へと下りる。


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「……ええ、大丈夫よ。ありがとう」


道中、わたしが雨の日は苦手だと知っているヒルマは、カールの視線が先へずれた際にそう気遣ってくれた。あの黒猫のお陰で深く沈み込んでいないというのもあるが、あの場所から離れたことが大きな救いとなっていて、服が少し冷たいだけで寒いと感じる以外、今は特に変化はない。


「そうですか」


良かった、と心を砕いて一息吐いてくれたヒルマに笑い掛けて再度大丈夫だと告げる。今回、山菜採りは充分であるが故に再びあの場所へ行くことはないけれど、もしまた来れたのならばあの黒猫にもう一度お礼を言いたいところ。動物に礼なんて、と笑われてしまうから二人には内緒だけど、また会えたら良いなと思いながらわたしは二人と山を後にした。


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