船旅と昔話4
「お嬢様、こちらへ」
翌の日。ぱちりとした目覚めでロビーに立ち入れば、既にわたし以外のみんながテーブルを囲んでいた。寝坊したかしらと一瞬その場に固まると、笑みを湛えたヒルマが椅子へと誘う。
「ごめんなさい、待たせてしまったかしら?」
「いえいえ、お嬢様の起床時刻はいつもとお変わりありませんよ」
「良かった。でも、カールが朝いるなんて珍しいわね?」
用意されてい朝食のスープはまだ温かい。朝、起きてこないことの方が多いカールがロビーにいるから寝過ごしたかと思ったけれど、そういう訳ではないらしい。
「ああ、寝てない」
と思っていたら、普通に前日から寝ていないだけだと平然として語ったカール。
「……何か大切な話?」
朝集まるために睡眠を省いたカールがこの場にいるくらい何か大切な話なのかと身構えるが、みんなの雰囲気からはそんな感じしないので余計に謎が深まる。
「そんなに身構えないでよ、ミーナ様」
「ああ、単純に寝てないだけだ」
「……もう、何よ?」
無言ながらも、今すぐに笑いだしそうなヒルマ達と既に笑っているカール。二人の口振りからしても深刻そうな話ではないと理解したわたしは緊張を解き、対面に座る二人を見つめる。
「イリーナ様とフィデリオ卿の思い出話をするんでしょう?ヒルマから聞いたよ」
「ええ、ヒルマとファティが教えてくれると」
「勿論、昔から仕えていた二人の話も楽しいと思うけど、ミーナ様に近い目線で接してくださっていた僕達の話も聞いて欲しくて、集まってもらったんだよ」
「朝食後に時間を作ったので、お話を聞いていただければと」
そんな僅かな口振りだけで、みんなに慕われていたのだと感じる両親の存在。朝食のスープを食し、みんなが語り始めた知らない両親の姿は、とても懐かしくも感じた。
「どんなひと達だった?」
器を下げてもらい、初めに一番気になっていた二人のことを漠然と尋ねた。
「そうですね……お二方共とてもお優しい方でした。使用人に対して一線をきちんと弁えながらも礼儀正しいお姿や、細かい配慮等、良くしていただきました」
「うん、僕達に対してもそうだったよ。他人の子供なんて可愛くないだろうに、お屋敷に遊びに行く度に歓迎してくださって、けれど悪いことをしようものなら拳骨を食らわせるようなひとだったな、二人共」
「ああ……あったな、そんなことも。人として良く出来た方達で、その分敵も多い人たちだったけど、慕う人間の方が多かった」
「ふふ、そうだね。実は僕とカールが最初に指示を仰いだのはフィデリオ卿なんだよ。すっごいスパルタで、本当にタメになったことが多いけどもう二度と受けたくはないな」
「そうですね、旦那様は勉学に関することとなると本当に厳しくいらっしゃって、特にお二人は覚えも早かったので殊更熱が入っていらっしゃりましたから。私達使用人にもお優しくはありましたが、その前提に仕事をきちんとしている、ということが組み込まれていて、そうでない者には容赦ありませんでした」
四人の口から語られるのは、記憶にあるようでない、けれども何処か懐かしさを感じるような思い出。
ふわふわと揺れる綿毛のように軽やかなそれは、ふとした瞬間で手に掴める。
「覚えていらっしゃらないでしょうか?お嬢様も昔、旦那様にこっぴどく叱られていらっしゃるんですよ」
「え」
「あ、あれでしょ?ミーナ様があんまりにもお転婆過ぎてフィデリオ卿がマナーレッスンにも参加しなさいって叱ったら、そんなものいらないって怒りだしたミーナ様がフィデリオ卿の書斎で積み重なっていた書類を崩したときのこと」
ヒルマが持ち出した骨に、肉付きをするディルク。どんなことだったっけ、と想像したとき、確かに記憶の片隅に一人の男性に叱られて泣きじゃくる幼女の姿が見えた気がした。
「お嬢様の言い分としては……」
「……そんなものを覚えたって、お父様みたいに貴族になって遊べなくなるだけだから、やりたくない?」
わんわん声を上げて泣くその銀の髪をした女の子は、そこまで泣くと思っていなかった黒髪の男性の前で、そう言っていた。一緒に遊んでくれないことが寂しくて、男性と同じようにマナーを身に付けたらもっと遊べなくなると、そう主張していた。
貴族らしくなることで大好きなみんなと遊べなくなるのなら、貴族になんかなりたくないと。
「覚えていらっしゃるのですね」
「ううん、覚えている、というより、聞いたらその景色を思い出したというか……」
目を見開き、わたしが覚えていないと思っていたヒルマとファティの驚嘆が伝わってくる。
二人に告げた通り、この話は今まで一度も思い返すことのない記憶だった。けれど、こうしてみんなで語りながら両親のことを考えると、確かに自分の中に二人の姿があるのだ。普段は見えない、触れることの出来ないところにあるそれは、何かの弾みで浮遊してきて過去を再生する。
「今の話だけでもわかるの。……わたし、二人が大好きだったんだなって」
思い出せる記憶の端々に、満ちる感情がある。柔らかくて、温かい、二人の手。その手に撫でられるのが大好きだった。仕事が忙しい父を見て、遊んでくれないと拗ねられる程に甘やかされていたことも、仕方ないわねと溜め息を吐きながらも代わりに甘やかしてくれる母も。
失っていた記憶を少し取り戻すだけで、こんなにも胸が苦しくなるくらいに、わたしは愛されていた。
だから、もっと知りたいと思う。今はなきその感情、なくしてしまったもの、すべて。けれど、以前カールにも吐露したように、知るのが怖い。知ったその先に、何があるのかがわからないから。幼少の自分が記憶を封じる程の何かがあったであろうことは、間違いないのだから。
「ミーナ様」
口元を引き締め、いらぬ方向へ飛んだ意識を戻す。
いつの間にか下げていた視線をディルクの方へ向ければ、彼は変わらず何を考えているかわからない笑みを浮かべている。
「大丈夫だよ」
ふわりとはにかんで、そう珍しく微笑むディルク。
「……ええ」
それもそうか、と、一人納得した。
例え何かの弾みで失った記憶を全て取り戻したとしても、何かがあったとしても、わたしにはみんながいてくれるのだから。
「ごめんなさい、もっと聞かせてくれる?」
「はい、勿論」
中断させてしまった話を咲き直させる。どれもわたしが知らない二人の姿でありながら、どれもわたしの知っている二人の姿。
結局、話は昼前まで長引き、それでも尽きない話題はまた後日となった。
「あら、いけない。もうこんな時間だわ」
一人劇の暗唱をしていた頃。自室の小窓から見える景色が闇に包まれているのを見て、わたしは休息としてベッドに座る。
「みんなとご飯食べられるかしら」
間もなく夕飯の頃合いだろう。いつもであればロビーに出てみんなとテーブルを囲む一時であるけれど、午前の時間を思い出話に割いてしまったヒルマ達保護者組は、午後から慌ただしく動いていた。寄港が近くなって、船内の荷物の整理と片付けに追われているからである。
元来、わたし達は客の立場であるが故にそういった雑事はしなくても良いのけれど、それが仕事として身に付いている三人は動かない方が気持ち悪いらしく、良く感謝を告げられながら動いている。
それは昼から日が落ち、夕食の時間に差し迫っても変わらないようで。
「お嬢様、先に召し上がっていてくださいな」
案の定、忙しない三人は厨房の方で船員と共に軽く済ませる程度で終わらせたらしく、ロビーにはわたしとカールとディルク、それに珍しくアズールが混じっての夕食となった。
「あ、そういえばアズール。借りたキルト、返すわね?ありがとう」
慣れない五人組だからか、特に会話が盛り上がることも廃ることもない貴族の会食のようになった雰囲気の中、先日借りたままのキルトをアズールに返す。
そう、彼が夕食に参加すると聞いて、夕食前に自室から持ってきたのである。
「……ああ」
可愛らしい花の刺繍が入ったキルト。年季が入っているのか、所々補修した跡が見える。本当は洗ってから返すのが良いかと思ったのだけれど、当然船内の真水は貴重で、しかも厳重に保管されている。かといって海水で洗濯するのもどうなのだろうと言うことと、大切なものであると察せるそれを勝手に洗うのもと秤に掛けた結果、そのまま返すことにしたのだ。
しかし、キルトを受け取ったアズールの顔色はよろしくないように見える。やはり洗って返した方が良かったか、ともう一度キルトを預かり直そうと手を伸ばす。
「なんだ?」
「……いえ、洗って返した方が良かったかしらと」
「構わない」
という割に一度もこちらを見ようとしないアズール。何か気に障ることをしてしまったのかもしれない、と素直に身体を椅子へ戻し、行き場のない手を膝の上に置いた。
「本当に同情する」
そして、昨日と同じようにそう言葉を残していったアズールは、わたし達より随分早く食事を切り上げて厨房の方へ消えて行った。
「……同情」
何に対してだろう、と昨日から考えているものの、一向に答えは見出せそうにないから、わたしはカールとディルクに会話を振る。
「何に対してなのだと思う?」
「そういうことに対してだと思うよ、ミーナ様」
「気付いていないってこと?」
「ふふふ」
どうやらわたし以外の二人はアズールの言葉の意味が悟れるようで、わたしは余計に首を傾げることに。
「二人が気が付いていて、わたしが気付いていないこと……」
「まあ、自分のことは存外気が付かないっていうしね。ねえカール?」
「うるせえ」
悩むわたしに、終始楽しそうなディルクと、機嫌が悪いカール。そんないつも通りの二人と共に食事を終え、わたしは自室に、二人はロビーに残るというので、おやすみの挨拶を交わして別れた。
「……うん、本当に、カールには同情するよ」
「うるせえ」
そうおかしそうに笑ったディルクと、誤魔化すように顔を背けた二人をロビーに残して。




