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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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船旅と昔話3

どれ程ぼんやりと月を見上げていたのかわからないけれど、すっかり冷え切った身体が大分長く外にいたことを告げていた。


「お嬢さん?」


戻らなきゃな、と思いながらくるりと海面に背を向ければ、ロビーへと繋がる通路から上がって来たアズールと目が合った。


「何してんだよ、風邪引くぞ」


夜風に揺れる髪を煩わしく思えはせども一向に動き出さないわたしに痺れを切らしたアズールが近付いてきて、冷えた腕を掴む。


「……お嬢さん?」


ぐい、と遠慮がちに引かれた腕だけが伸びて、抵抗の掛かる腕を不審がるアズール。何かを話すのも億劫なくらいに沈み込んだ感情は、出来ることならみんなに知られたくない。それが前面に出ている無言の主張でも付き合いの浅い彼は察してくれたようで、だらりとした腕を離して再び階段の下へと消えていく。


「せめて羽織ってよ」


また変なところを見せてしまったなと思いつつも彼の背を見送ったが、それ程間を置かずしてアズールは1枚のキルトを抱えてデッキへと戻って来た。


「……ありがとう」


渡されたキルトを羽織り、次第に温もりを帯びていく身体。その間、アズールは隣にはいてくれるものの一言も喋ることはなく、ただ波の音だけが響く。


「戻らないのか?」

「アズールこそ。風邪引いちゃうよ?」


デッキの柵に凭れ掛かり、一人分のスペースを空けたわたし達は一言二言と言葉を交わしていく。


「俺はいい。お嬢さんは箱入りなんだから、もっと気を遣えよ」

「ふふ、充分色々なことに気を遣ってきたもの。少しくらい雑にしたって問題ないわよ」

「そういうことじゃないと思うんだが」

「そうかしら?」


行って戻ってくる単語は取るに足らない、くだらないことばかり。部屋に戻らない訳を聞くこともなければ、強制的に戻そうともしないアズールの会話のテンポが心地よくて、先程まで固く閉ざしていたとは思えない口が軽くなる。


「ねえ、わたし達が最初に会ったとき、奴隷商がいる方の道を示したって」

「あれは……その、なんというか」

「どうして逃げていたの?」

「頭の密売取引を持ち出そうとして見つかった」

「わたしのせいで、痛い目に遭わせてしまったわね」

「望んだことだ。どうせ死ぬなら兄貴達に迷惑を掛けて死ぬより、せめて兄貴が俺にしてくれたみたいなことをやりたかった」

「あの青年がとても大切なのね」

「俺を拾って育ててくれた人だからな。顔も声も知らない家族なんてモノより、よっぽど大切だ」

「そう、そうね、わたしもそうよ」

「……お貴族様ってのは、大変なんだな」

「わたしの周りが特にそういった傾向が強かっただけよ。権力と比例して、関係は拗れていくものだとは思うけれど」

「関わりたくねえ」

「賢明。近付かないことが一番の自衛よ」

「ああ、でも、確かに兄貴もいつもお貴族様と会った後は機嫌悪そうだ」

「あの飄々とした態度が崩れるの?」

「いや?いや、うん、纏う空気が変わるな」

「へえ、意外。わたしの前ではいつもあの軽薄そうな顔をしていたから」

「軽薄……まあ、お嬢さんがお貴族様らしくないっていうのもあるだろうけど」


冷静になるために、冷めた感情。ぽんぽん交わされる言葉に付き合って、大きくリアクションを取ることもないアズールとはとても話しやすい。


上辺をなぞるようなさわりだけ触れるような会話でも、他意なく行き来する言葉は不快ではなくて、いくつも話題を広げていた。


そして、不意に途切れた言葉の合間を縫ってアズールを見ていたら、はらりと白縹の前髪を海風が浚った。太陽の下では白にも輝く彼の髪も勿論綺麗な色をしているけれど、その名を冠するに相応しい彼の青い瞳は殊更綺麗で。


「なに?」

「ずっと思っているけれど、アズールの眼はきれいだなあって」

「はあ?」


白い肌にいくつも残る折檻の跡。彼は気にするなというけれど、わたしのせいで余計に増えてしまった傷を指でなぞれば、吐いた言葉と相俟って困惑するアズールがいる。


「……女が、気安く他人に触れるなよ」


しかしそんなアズールも一瞬のことで、すぐさまその手は柔く払われた。ぱちぱちと瞬きを繰り返すわたしを鬱陶しそうに見下ろした後、彼は大きな溜息を降らした。


「ホント、同情するわ」

「え?」

「マジで、他の人間にそれやるなよ」

「……ええ、気を付けるわね?」


何も考えずに取ってしまった行動ではあったが、それもアズールの言う通り気安く行って良いものではなかっただろう。他人に触れられるというのは余り気分良くないだろうし、許可も得ずに勝手に触れるなんて以前のわたしでは絶対にあり得なかったこと。そんなことさえ忘れてしまう程緩んでいる意識を引き締め、再度アズールに謝った。


「マジで同情する」


しかし、どうやらそういう訳でもないらしいが他に理由が思い付かないわたしは首を傾げる。その様を見て更に深い溜息を落としたアズールが立ち上がり、わたしを見下ろす。


「……本当に、箱の中にいた方が良かったんじゃないか?というか、もう箱の中にしまっておいてくれよ」


月光を浴びて、きらきら光る髪に隠れた青い眼。感情の読み取れない言葉を残してデッキから去っていったアズールの背を見届けても、彼の言う言葉は理解不能。


まさか、と思うような想像はしても、それを自分に当て嵌めることは出来ないから。


「あ、キルト」


アズールの持ってきてくれたキルトはわたしの肩に掛けられており、すっかり返すのを忘れていた。


「お嬢様」


後で返そう、と再び端と端を合わせて羽織り込んで立ち上がると、アズールと入れ替えになるようにヒルマがわたしを迎えに来てくれる。


「ああもう、こんなに冷えて……」

「ごめんなさい」

「戻りますよ、ただでさえお嬢様は余りお身体が強くないのですから」


アズールと同じようにわたしの手を引いてくれたヒルマ。今度はこの身体が駄々を捏ねることなく素直になったのは、話に付き合ってくれたアズールのお陰だろう。


既に地下で変な姿を見せてしまったからか、やけに饒舌に語った舌はこのしょげた心根を多少回復させてくれたみたいで、デッキに根が生えて動けなかった少し前までと違ってロビーへと戻ることが出来た。


「船員はこれから食事だと思うので、少しスープを頂いてきましょう」

「ええ、ありがとう」


温い空気がじんと沁みる程冷えた頬に手を添え、厨房へと賭けていったヒルマ。


波の穏やかなこの海域は船上で火を熾すことが許され、基本的に温かい食事を取れることが多い。長期の航海や波の荒い海域を通らなくてはならないときの食事事情はかなり過酷であると聞いているが、今回は途中で幾つも港を経由出来ること、波が荒れることが少ない海域を通るからかなり恵まれた食事を取ることが出来ている。


「お嬢様、こちらを」


ソファに座り、借りたキルトを羽織りながらヒルマからスープを受け取った。


夕食時には手を付けられなかったスープを啜れば、じわりと身体が温まっていくのがわかる。


「……大丈夫ですか?」


ちびちびとスープを口に運ぶわたしの前に立ち、不安そうな顔で尋ねる事柄は演技のレッスンのこと。懐かしく思えるくらいに色々な感情が混ざるのに、実際はまだ数年しか経っていない、こと。


十一の頃に、従姉妹であるターニャ、他のご令嬢達と共に次期王妃候補選定期間として王城で過ごすことになった。一年余りの選考期間を経て次期王妃へ内定し、十二の頃に三年間の飛び級を果たしたカールとディルクと王城で再会する。そして当時一四であったレオン王太子殿下共に前国王補佐であるベルホルトに指示を仰ぐ。様々な教育を受け、次期王妃に相応しくあろうと奔走していた十六の頃に、聖女様が現れた。


「……大丈夫。ただ、色々なことを思い出してしまって」


脳内を駆け巡るのは、今日までの記憶。


「でも、みんながいてくれるもの」


王城で暮らすことを許されてから、楽しいことだけではなかったものの再び幼少期と同じようにヒルマ達がいつも傍にいてくれていた。それがどれ程心強く、嬉しいことであったか。


「はい。いつでも、私達を頼ってくださいね」


空になった器をテーブルに置いてそう答えれば、ヒルマは迷子の子供を労るように背中に手を回してくれる。彼女の腕に触れ、幼いときに良くねだった抱擁を交わせば、昔と同じように変わらない温もりに、香りに、わたしは小さく張り詰めた息を吐き出すことが出来た。



「さっき、ファティと何を話していたの?」


緩んだ感情のまま自室に移動し、ベッドサイドでわたしを見守るヒルマへ問う。


「ああ……以前、旦那様とイリーナ様のお話を聞きたいと、仰りましたでしょう?なので、私よりも付き合いの長いファティに、何かお嬢様へお話出来る楽しいお話しがないかと尋ねていたのです」


わたしの明日の支度をしてしまうヒルマが手を止め、教えてくれる。どうやらハシュートでお願いしていたことを叶えてくれようとしていたみたいで、微睡んでいた意識がふっと覚醒した。


「……ファティを呼んできましょうか」


好奇心に溢れているであろう目からドアへ視線を移したヒルマ。もう遅いから、と行かせてしまうきっかけを作ろうとした自分が言い出せば、彼女の目元が下がる。


「ふふ、いえ、なんだか昔のことを思い出してしまって」


ヒルマが懐かしそうにわたしを見ているのは、きっとわたしが過去に寝かし付け役であるヒルマへ何度も何度も彼女の冒険譚を話してとねだったからであろう。


流石に四つや五つの頃のわたしと、十年余り過ぎたわたしとでは違うに決まっている、と異を申し立てれば、ヒルマは申し訳ありませんと言いながらもくすくすと笑っている。


「明日、皆で集まって思い出話を致しましょう」


ヒルマとファティ、ベルホルト。カールとディルクも共に。そう告げられた楽しい計画に、わたしは頷く。


「おやすみなさい、お嬢様。良い夢を」

「ええ、ヒルマも。おやすみなさい」


そう閉じられた約束事に胸を弾ませれば、何で悩んでいたのかなど忘れ去るくらいに、静かな眠りと心地よい夢を得た。


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