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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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船旅と昔話

「お嬢様」


何故か朝目覚めたときから異様に張り切り、その後見事に撃沈したお嬢様の肩を叩く。


「違うの、違うのよヒルマ」


釣り目勝ちな紫の瞳を少しだけ歪ませて、潤んだ眦で飄々としたカールの背を睨むお嬢様。


「勝つ予定だったの」


眼前に広がるのは朝からこの昼頃までずっとテーブルに並べ続けられたカード達。先日迄カールと遊ぶことさえ避けていたというのに、今日は行ける気がするのと意気込んで二人を誘って遊んでいたお嬢様は、当然行ける訳もなく大敗を喫していた。


次は勝てる、次こそはとまるで下町で賭け事をする酔漢のように繰り返したお嬢様の数刻後の姿がこう肩を落とした今の姿である。



「勝てる気がしたのに……」

「ふん」


澄ましたようにお嬢様から距離を取るカールが、それを恨めし気に見つめるお嬢様が、過去の情景を思い出させた。


『次は絶対に勝つから!』

『あらあら、ミーナは負けず嫌いねえ』

『ふふ、誰に似たんだろうね』

『何かしら、言いたいことがありそうね?』


子供達が一カ所に集まって再びお喋りを始めた姿を楽しそうに眺める二人を、いっそ空目する程に。


「ミーナ様は素直すぎるよ。社交界を思い出して?」

「……あの世界は、特殊でしょう。友人とはそんな距離を取れないわ」

「真面目だなあ」

「二人の切り替えが立派すぎるの」


ぱちぱちと懐かしい景色を払うような瞬きを繰り返せば、そこには間を取りなすディルクがからかうように笑っている。


「ふう」


そして、お嬢様も気分を払拭させるように一息吐いた。そうすると、変わりつつある空気を察知してカールがお嬢様の元へ再び近付く。


「もう一戦やるか?」

「もうやらないわ」


次に目を逸らしたのはお嬢様の方で。


「残念」

「……!」


肩を竦めて煽るカールに態々釣られてしまう可愛らしいお嬢様。勝気で、お転婆で、闊達なその姿が戻りつつあることを嬉しく思う。


けれどその反面、カールが危惧する感情も理解出来た。




「ヒルマ、ごめんなさい」


気絶していたお嬢様の身支度をしようとカールの出て行った扉を開ければ、そう告げられた謝罪に首を振った。


「足のことならお気になさらないでください。ファティが治療してくれて、数日あれば落ち着くでしょうから」


未だ鈍く痛みを訴える足を気取られないようにくるくると回して見せる。多少痛みが強くなったものの、薬師の心得があるファティに適切な処置をしてもらったのだから問題などない。けれど、当のお嬢様は一切納得していないようで、包帯の巻かれた足から視線を外さない。


「……少しだけ、思い出したの」


じっと私を見るお嬢様の眼が揺れる。長い睫毛が透けるような目元に影を落として、私は息を呑んだ。


「昔、カールがお母様の花瓶を落としたことがあったでしょう?」


裸足の足を地に着け、ベッドに座るお嬢様が陽の昇る空を仰ぬ姿を追えば、つい先程までそこに飾られていた花瓶がなくなっていることに気が付く。


入れ違いになるようにカールが部屋から出て来た際、何かを持っているのは見えたが足早に下へと降りてしまった為に詳細まではわからなかったが、話の流れからして窓際に飾られていた花瓶は割れてしまったのだろう。


そして、それを片すためにカールが部屋から出ていったのだろうと察する。



「カールと二人でお母様に謝ったなって、そういえばいつも二人で怒られてたなって、そんなことも思い出したわ」

「……ええ、ありましたね、そんなことも」


イリーナ様が毎日手ずから花を手折り、活けていた花瓶。綺麗に直って、再び食堂の入口に飾られていた日々。懐かしい感情と共に込み上げる寂寥を押し殺してお嬢様を見上げれば、彼女は少しだけ嬉しそうに口元を緩めていた。


「いつも、ヒルマだったなって」

「はい?」

「隠れるわたしを見つけて、わたしのためにいつも服を汚して迎えに来てくれたなあって、思ったの」

「お嬢様を見つけるのは私の十八番でしたからね」


細められた目に安堵して、柔らかい口調に気を抜いた途端、お嬢様の目が陰る。


「だから、どうして疑ってしまったんだろうって、思うの」


再び窓へ向けられたその目は、叱られた子供のように歪んだ。


「信じていなかった訳じゃない。でも、貴方達がわたしのためと行動してくれる度にそれがいつも隠されてしまうから、ずっとみんなのことがわからなくて」


そして、ありがとうと囁いていたその裏に隠された本音を、そのとき初めて知った。


「そんなことないって、わかっているわ。貴女達が、わたしを()()()()()見る訳ないって、()()()()()()傍にいてくれている訳じゃないって。でも、でもね。みんなことがわからないから、いつだって不安だった。()()()()()が言っていたようなことが起きてしまったら、どうしようって……」


一言一言を噛み締めるように己の腕を握り締めたお嬢様が辿々しく言葉を発し、釣られて私も唇を噛む。


そんな目、そんな理由、あの人達。


その言葉の裏に存在する背景が空白の数年間だと理解して、そこから出来てしまった溝を埋めたかったがために私達は行動してきた。


過剰な保護は相手が見えていない証拠であると、重々理解していたはずだった。けれど、何一つ理解出来ていなかったと、今回の騒動で漸く今、知る。


「申し訳ございませんでした」

「ヒルマが、謝ることではないわ。わたしがただ、弱いだけ。みんなに弱音を吐くことも、傍にいてくれる理由を疑うことも全てわたしが、弱いだけなの」


反射的に、幼い頃よりもずっと大きくなったはずなのに小さく感じるお嬢様の肩を抱いて遅過ぎる謝罪を口にする。


私の行動の少し驚く気配がありながらもそっと腕に手を添え、首を振り自分が弱いと責めるお嬢様。


彼女の乳母として、ずっと傍に付けるはずだった。


けれど、引き離されてしまった数年間の間に全てが変わってしまったお嬢様が余りにも見ていられなくて、私達は彼女を絶対に傷付けないと誓ったはずだった。


しかしそれだけでは膨らむお嬢様の不安を掻き消すことは出来ず、寧ろ弱音一つ吐けずに、本音を語れない環境を作り上げてしまっていた。


そんなお嬢様が自らきっかけを作ろうと動いたことを責めるなんて、出来やしない。


「……痛み分け、です」

「いたみわけ?」


貴女は悪くない、弱くないなんて免罪は、きっと望まれない。だから、せめてもの代わりになればいいと代案を出した。


「お嬢様も、私も、カールも、ディルクも、ファティも、ベルも、みんなで痛み分けということにしましょう。誰かが悪かったのではなく、みんなが少しずついけなかったのです」


輪を作ってしまった私達と、それに抗うことのなかったお嬢様とで痛み分け。みんながちょっとずつ見て見ぬふりをしたから、こうなってしまったのだと。


「そうでしょうファティ、ベル?」

「え?」


きょとんと私を見上げるお嬢様の瞳から視線を外して、背後の扉を振り返った。


「やはり気が付いていましたか」

「ええ、別に隠すつもりもなかったでしょう?」


きい、と軋んだ扉の向こうから現れたのは、少しだけバツの悪そうな顔をしたファティとベルホルト。私が部屋に入った辺りから話の展開を窺うようにして部屋前で待機していた二人は後ろ手で扉を閉め、お嬢様を見つめる。


「お嬢様、謝らないでくださいな」


そして、ベッドから腰を浮かせて謝罪の言葉を紡ごうとしたお嬢様を制止したファティはそのまま微笑んだ。


「私達も、ヒルマと同じ思いです。ですから、謝罪はもういりません」

「ファティ……」


二人と顔を見合せ、最後に一度小さくごめんなさいと呟いたお嬢様は立ち上がってワンピースの裾を払う。


「わたし、みんなが大好き。あとね、お父様とお母様のことも、大好きだったと思うの」


今は私と背の変わらないお嬢様は、私達を見つめて一つ言葉を吐いた。


「だから……もっと、きちんと向き合いたい。みんなとも、忘れてしまったお父様とお母様の、ことも。どんな人たちだったのか、どんな思い出があるのか、わたしに教えて。そしてみんなは、そんなに気を遣わないで」


記憶を失ってから今まで、彼女がその話題に触れたことはなかった。それは暗黙の了解のようなルールで、誰一人として話に挙げずにいたからだ。


それを察して、彼女も敢えてその過去に触れることもなかった。


「……ええ、私達の知るイリーナ様と旦那様のことをお話ししましょう」


けれど、知りたいと願うお嬢様の気持ちに私は頷いた。それはファティもベルホルトも同じで、横で同様に首を縦に振ったのが見えた。


「ありがとう」


先程よりは幾分も柔らかい声で頷くお嬢様。そんな中で蒸し返すのもどうなのだろうと思いながらも私は一つ、尋ねる。


「……お嬢様。()()()()()は今も、生きているのですか?」

「ヒルマ、それは」


抱擁を解き、お嬢様の反応が見れるようにと向かい合ったままそう確かめれば少しだけ表情が硬直し、それを見たファティに咎められる。


「大丈夫。……もう、いないって、言ったら嘘になる。今だってみんなのことを疑ってしまうような気持ちは本当に稀に出てくるから」


鋭くこちらを見るファティを制し、ぽつぽつと教えてくれるお嬢様に、私達は犯した罪の重さを再度知る。


「でもね、そんなときは、みんながあのひと達と一緒な訳ないって思うようにしたの」

「はい、私達はあんな奴等とは違います。みんなお嬢様のことが大好きですから」

「……ふふ、ええ。わたしもよ」


重ねた感情に、何処か一瞬寂しそうな顔を見せた気がした。


「ねえ、お父様とお母様のお話、聞かせてね」


しかしその後、ごく自然に微笑まれてファティと談笑するお嬢様の様子に変わりはなくて、ファティとベルホルトが気にしている素振りさえないということはただの錯覚だったのだろうかと首を傾げたまま、再び買い出しに出たファティとベルホルトを見送る。


その後、あのお嬢様と行動を共にしていた青年がやって来て、夕食を取って、としているうちに尋ねるタイミングを逃し、お二人のことをお伝えする機会も作れずに出立を迎えた。




「ヒルマ?」

「……ふふ、いえ、微笑ましいなと」

「負けてばかりでやっぱり楽しくなかったわ」


過去に引き摺られた意識はお嬢様の声に引き戻される。今夜辺り、少し昔の話を切り出してみようと決意し、お嬢様にお話する内容は何にしようかと考えを詰めていく。


カールが花瓶を割ったことを思い出されたのなら、その近辺にあった物事を話していくのが良いだろうか。それとも、実は過去にお嬢様は帝国へ行ったことがあるということをお話した方が良いだろうか。


覚えていなくても当たり前である乳幼児のこと。イリーナ様の父君である侯爵に抱えられて泣きじゃくり、お爺様に当たる方を大層困らせていたことはきっと話題に挙げられるだろうから、やはりお伝えしておいた方が良いかもしれない。


「ふふふ」

「楽しそうですね、ヒルマ?」

「いえ、以前お嬢様が奥様と旦那様と共に侯爵邸へ参られたときのことを思い出しまして」

「懐かしいですね。ミーナ様が珍しく大泣きをされて皆で慌てたものです」


カードをテーブルに並べ、一枚一枚念入りに眺めていくお嬢様の姿を不思議に思いながらつい零れ出た感情を拾ったファティといくつか言葉を交わす。


「ミーナ様がまだ乳飲み子であった頃ですから、もう十五年程前のことになりますか」

「早いですね。以来、中々都合が合わずに成長されたお嬢様の姿をお見せすることは叶いませんでしたが、今回は本当に色よいお返事をいただけて良かったです」

「ええ、本当に」


イリーナ様と旦那様が亡くなり、季節の折り目に手紙を交わす等のやり取りしかしていなかったにも拘わらず昔の縁で招いてくださった旦那様には感謝してもしきれない。


「……お変わりになられてないでしょうか」

「お手紙から察する上では、恐らく」


旦那様とは、長い付き合いであった。冒険者として活動し、それなりに名を馳せていたものの、あるきっかけから引退した私の居場所を作ってくださったのは、旦那様だからだ。


他人にも自分にも厳しい方ではあるが、人としての人情を持ち、そうでありながら貴族としての冷酷さも持ち合わせる方。あの方程優れた領主は中々おられないだろう。


しかしそれは、過去の話。そして過去の、関係。


孫娘とはいえ、十五年も離れていたお嬢様を、イリーナ様もいらっしゃらない状況で受け入れてくださるかは別の話だ。


「当人がいらっしゃらない場で考えることではありませんが」

「ええ、理解してはいるんですけれどね」


顔を見合わせ、くすりと笑い合う。


お嬢様を猫可愛がりして欲しい訳ではないが、お嬢様の義父と義母のように拒絶もしないで欲しい。そんなことをされる方ではないと知っていても、どうしても隔てていた時間のせいで心配になってしまう。


「……お嬢様に、イリーナ様達の昔話をと考えているのです。何か良い思い出はありますか?」


結局また集まって三人で過ごすお嬢様達を、何処か遠く見通すように目を細めたファティへ問う。ほぼ同じ時を過ごし、私よりもイリーナ様や旦那様と交流のあったファティならではの種があると踏んで。


「そうですねえ。ミーナ様は、()()()に良く似ていらっしゃりましたからねえ」


イリーナ様の幼少期から専属メイドとして過ごしてきたファティは、きっと私でさえ知らないイリーナ様の過去を存じているだろう。


「ふふ。負けず嫌いで、お転婆で、それでいて誰にでも隔てなくお優しい方でしたから、そういったことをお伝え差し上げたいですね」


お嬢様、カール、ディルクと同じように、イリーナ様、ファティ、ベルホルトで過ごした日々は、彼女にとってかけがえのないものなのであると、普段よりも緩む口元から察する。


「ミーナ様にお話をするときは、私達も呼んでくださいね?」

「ええ、必ず」


今後の約束を交わし合い、ファティは厨房で食事の支度をしているであろうベルホルトの元へ去っていく。



「…………良く似ていらっしゃるから、こんなにも心配なのでしょうか」


うつくしいものの命は短い。


「もう二度とやらないってば!」


カールとディルクに囲まれ、中心で花を咲かせるお嬢様の笑顔がもう綻ばないことを願って、私もファティを追い掛けてロビーを後にした。



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