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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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絡まるもの8

ふらりとメインストリートへ出ればそこには活気溢れる港街の景色が映る。


行き交う人、客を寄せるために声を張る商人、それに釣られてもの珍し気に露店を散策する黒髪の女性。


「あ」


と、つい先日見掛けたばかりの姿を見つけた俺はその影に近寄り横に立つ。


何か、とこちらを振り返ったその顔に浮かぶのはただの無垢。どす黒いことを平気でこなしている人間とは思えないくらいに澄んだ眼に一瞬呆気に取られて、俺はその目を見返した。


「こういうところに来るのは初めてでさ、何をしたらいいのか分からないのよね」


ふっと目は逸らされて、今日は逃げる気がないのか、彼女が見つめるその先に視線を送る。


「欲しいなら買えばいいだろ?」


白い布の上に並べられているのは木箱に入ったお世辞にもランクが良いとは言えない安物の宝石。といより、綺麗な色をした石に近しい宝石もどき。


何を悩むことがある、と彼女を見れば、彼女はフードからこの世界で最も珍しい黒髪を一房零して言った。


「お金を持っていないし、そもそも使い方がわからない」


淡々と返されたそんな言葉の意味がわからない。


そんな感情が諸に出ていたのだろう、彼女は少し悲しそうな顔をしてぽつりと呟いた。


「必要なかったし、そんな時間もなかった」


俯き、その朱色の唇から落ちた言葉で、俺は彼女の生を悟った。


諜報活動は、何も一人でやる訳じゃない。予め適正を調べて、その人間に最もあった仕事が振り分けられる。


その名の通り、()()を主にしている人間なら当然こういった市井の生活にも溶け込めるように訓練されているから彼女のように物知らずということもない。


けれど、諜報活動のその先。得た情報を元に対象の行動が害だと判断されたとき、その先を担うのが彼女だから。


()()()()()


彼女は、それだけのために存在する。


ありとあらゆる場所に忍び込んで血の一滴すら残さない完璧な暗殺者として育てられた彼女に確かに市井の過ごし方なんて必要ないし、自分が生き残るため術を覚えるので精一杯だっただろうから、そんな時間もなかったというのも理解出来る。


「すまない」


とすれば、自分が安易に放った先程の言葉は失礼極まりない。故に、そう謝罪を口にした。


「いい。自分があの世界以外では生きていけないって、自分が一番良く知ってるから」


ふるふると首を振る彼女の仕草は、先程から思っていたが全てにおいて幼い。そんな面ですら、仕事の影響なのだろうか。


「おうおう兄ちゃん、何があったかはわからねえが、お嬢さんを悲しませちまったのなら何か買ってあげたらどうだ」


最初から気安い空気ではなかったが、更に重くなった空気を察した商人が並ぶ俺達にそんな提案を持ち掛けた。


「え、いいよ」


上手く商売をする人間の口車に乗るのは癪ではあるが、彼女を悲しませたのは事実だろう。こんなことで機嫌を取ろうとするのは愚策かもしれないが、何もしないよりはマシだろうと、彼女がずっと見つめていた一つの宝石を手に取った。


「これでいいのか?」


ミーナの眼より少し浅いが、彩度の高い薄紫の宝石を彼女に見せる。


恐らく俺が引く気がないと察した彼女は、こくりと頷いた。


宝石の値段はやはり石ころ価格の小型銀貨五枚。そもそも大貴族でもない限り身に付けるようないこともないサイズの宝石がこんなところで手に入る訳がないからただの石ころなんだろうが、これがいいという彼女の言葉に従ってそれを購入する。


「ありがとう」


店先を離れ、人波から外れたところでそれを渡す。最後まで少し気まずそうな彼女ではあったが、最終的にはそれを受け取った。


「きれい」


ただの石ころをじっと見つめてそう言う彼女。そんなものより価値が高くて美しいモノを対象者は身に付けていただろうに、何故か彼女は石ころを綺麗という。


「あ、そうだ。あの鳥さんがこっちに向かってきてるよ」


と不意にそんなことを言い出し、俺はそろそろ約束の時間であったことを思い出す。


「ありがとう。このお礼は、またいつかするよ」

「必要ない。それは謝罪の意味も込めたプレゼントだ」


特に別れの挨拶も必要ないだろうと背を向けた俺に掛けられた言葉を否定して、俺は宿へと戻った。


「……おとうさん」


去り際、何かを紡いだ音を聞き取ることはなかった。



「お戻りか?」


少しだけからっとした気分は、ミーナの横に立つ黒髪の男の存在でなかったことになる。


「そんなに身構えるなよ。さくっと話を聞いたら戻るから」


騎士の中のエリート中のエリートだというのに、滲み出るその軽薄さと飄々とした姿がどうも受け付けないからこいつは苦手だ。そしてそれを相手が理解してなおツボを押してくるものだから余計に苦手意識が拭えない。


「といっても、一番話を聞きたい人間がいないんだがな」


黒髪の青年が指す人物はつい先程まで自分といた人間のことだろうが、恐らく捕まえることも出来なければ簡単に口を割るとも思えないのでその辺りは諦めて欲しい。


「まさか、一緒に牢にいた女性が直轄の諜報員だったとは思ってもいなかったわ。助けてくれたお礼を言いたかったけれど、姿すら見えないものね」


意識を失っていたミーナは例の諜報員のことを知らない。それなのにまるで接触しているかのような口振りが気になって問い掛ければ、彼女はあっさりとそんな新情報をくれた。


「彼女程の人間が捕まるとは思えない。それなのに、なんで奴隷商なんかにいたんだ?」


何も考えることなく答えを導き出すなら、ミーナを監視するためだろう。けれど、船に潜り込んではふらりと軽く接触して、更には奴隷商では普通に会話を交わした仲だという。


「……ミーナをあの国に戻すために動いているのだとしたら、随分変だな」


国王から命を受けて行動していたのなら連れ去る機会など幾らでもあった。それなのに、わざと様子を窺うかのような行動が理解出来ないのだ。


「敵意、は、感じたりしなかったわ。どちらかというと、好奇の目で見られていたような」


ベットに座るまま空を見上げ、一つ一つ物事を思い出しているであろうミーナ。


「邪魔をする気がないのなら、いいんだが」


先程会話した限り、そんな素振りは一切見られなかった。何かしら目的があって動いているのは間違いないだろうが、ミーナを国に連れ戻すように動いていないのなら頭に入れておく程度でよいかと一度判断を下した。


「ところでお嬢さん、アンタ本物の貴族だったんだな?」


話が一区切りしたところで、新たな話題が転がり込んでくる。諜報員に話を聞くより、恐らくこちらが本命の題であることはミーナも察していたから、特に動揺することもなくただアンニュイな微笑みを浮かべていた。


「ミーナ・ダルスサラム。ミゼルバー王国公爵家前公爵の一人娘で、つい一月程前までミゼルバー王国の次期王妃候補だったが、現在は病気で療養中、と」


ミーナの名前が会場で出てから周りを調べ尽くしたであろう彼の言葉に逃れることなく、ミーナは黒髪の青年を見上げる。


「……家族はいない、ね」


紐で束ねられた羊皮紙捲り、恐らくミーナの来歴が書いてあるその文字を追って意味深にそう呟く。その呟きを拾ったミーナが少し気まずそうに視線を逸らしたことが気に掛ったものの、俺は気が掛かっていることを一つ問う。


「その情報、どうする?」


ミーナがモードディッシュにいたということは、遠からず国王達の耳に入るだろう。会場にいた貴族達から、あの日それを取り締まった騎士達から。人の噂とは何処からともなく広がるものだから。


それは仕方のないことだ。だが、彼がそれを正式に上に上げるのが遅れれば遅れる程、ミーナは少しでも遠くに逃げられる。


「そこのお嬢さんがこの街を出るまで、聞かれない限りは黙っててやるよ」


だから、口に戸を立てて欲しい。それを願う前に、青年は自らそれを買って出た。


「……何が望みだ?」


主の命に背くとまではいかないが、グレーなゾーンを引き受けることが無償な訳ない。まどろっこしいやり合いは彼には無駄だとこれまでの会話で理解している俺は、単刀直入に切り込む。



「アズールを連れて行って欲しい」


数秒の沈黙の後、青年は今までの雰囲気を全て払うくらいに真剣な声音でそう、言った。


「ほとぼりが冷めるまで預かってくれればいい」


曰く、今回の奴隷商検挙はまだ先送りにされた事案だった。そんな中でアズールが騎士団からのスパイであるということが漏れて逃げ出したところをミーナに見つかったという流れであるが、この事態はずっと期を狙っていた人間達からすればとんでもなく迷惑でしかないことだ。


今回はミーナというたまたま良い商品があったから早急にオークションが開かれ、運良く検挙出来たに過ぎない。これがもし何もなく普通程度の商品しかなければ奴隷商達は暫くなりを潜めて摘発が遅れただろう。


「まあ、俺が構わないと言えばそれに異を唱える人間はいない。だが、そうもいかないのが知っての通りの界隈なんでね」


思考が青年の思惑に追い付いた頃に彼は取引を持ち掛ける。


「アンタらがアズールを連れて行ってくれるなら、俺は国王から今回の件でお前達に触れられない限りは自分から話さない。悪い条件ではないと思うが?」


この場で何よりも優先すべきなのは、ミーナの情報の秘匿。それ以外にない選択肢は最初から縋るに限る。


「俺は構わない」

「わたしも、よ」


頷き、提案を受け入れる俺とミーナ。何か入れないようなところがあるのなら仲間内で面倒を見ればいいだけだし、一人増えたところで負担などたかが知れているから水面下でそんな取引が可決された。


「恩に着る。思うに、この国から出てそこのお嬢さんの母方の方に身を寄せるんだろう?俺が身分証代わりの保証を発行してやるから、今日中にこの街を出ろ」


ぺらりと羊皮紙を捲って、その一番下の書類を引き抜く。


「国王直轄騎士団所属一等騎士ヴォルフ・シュナイダー」


始めて知る彼の名前と、騎士爵を持っていることを知る家名と捺された判。やけに用意周到だが、そもそも提案を断る理由がないのだからこの手回しの良さも当然かと納得する。


「余程の阿呆でない限りその判と名前で大抵の場所は通れるだろう。船も手配してあるから」


どんだけ立ち回りが良いのかという横槍は入れないことにした。可能ならこの場所から去りたいのも事実だし、今朝ミーナの祖父、プリシュティー侯爵家から返事が来たとも報せがあった。だから、長々とこの場所にいる必要はないのだ。


「今夜、陽が沈んで以降ならいつでもいいから港に来い。そこで落ち合おう」

「ああ」


そんなこんなで話は纏まり、この港から出ていく手段が整った。


青年と入れ違いになるように買い出しに行っていたベルホルト達に先の提案を伝え、全員が了承したところで間もなく陽の落ちる夕方頃となった。



「…………改めて、みんなに迷惑を掛けて心配させてしまったこと、本当にごめんなさい」


早めの夕食を取ろうと、みんなで囲むテーブル。何事もなかったように談話を始めようとする前に、ミーナがみんなの顔を見回してそう謝罪を口にした。


「そうですね。今回は本当に胆が冷えました」

「ええ、これ程までに全力で街を探し回ったのはミーナ様がプリシュティー侯爵邸でかくれんぼをしようと言い出したときですよ」

「全く、お転婆がなりを潜めたかと思えば急にこんなことをなさるものだから、じいは腰が痛くてしょうがないですぞ」


薬師の心得があるファティによって大分足の良くなったヒルマと、当時初めて船旅で帝国へと赴き朝から晩までかくれんぼをし続けたことを引き合いに出すファティと、幼少の頃からミーナの教師を務めたベルホルトが順にそう茶化すように笑えば、ミーナも釣られて口元を緩めた。


「大丈夫ですよ、お嬢様」


けれど、自分のせいで足を怪我してしまったヒルマを見て、再び口を開こうとしたミーナを窘めるようにヒルマが首を振る。


「お嬢様に何も話さなかったこと、それで傷付いていたお嬢様の痛みに比べればこんなもの痛くありません」


俺が広場に出ているうちに俺を除いたみんなで話し合いをしていたのだろう。ミーナとみんなの間に流れる空気はいつものように柔らかい。


「でも、今度外出なさるときは私を呼んでくださいね」


そして、いつものように小言で締めたヒルマにミーナが首肯することで漸く食事が始まった。



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