聖女の目覚め
※聖女視点です。
「なんでよ……っ!!」
胸底に沈む感情を全て圧縮して、吐き出したような言葉が、聖堂に響く。
白い空間。嵌められたステンドグラス。彼女が寝そべっていた、祭壇。
王都に存在する大聖堂。自分が一番最初に目を覚ました場所で聖女、ミナは、地団駄を踏んでいた。
「なんでこうなるのよ!!」
美しい黒髪の上で光っていた銀細工の髪飾りを強引にむしり取り、カーペットに投げ付ける。
王都随一の職人が手作りで作ったそれを踏みつけて、踏みつけて、踏みつけて、忌々しい少女に見立てた。
泥に汚れて、少し変形してしまったそれを少女の銀髪と思えば、多少気が紛れるような気がしたミナ。
「なんなのよ……」
ベンチへ凭れ掛かり、高く、白い天井を見上げれば、嫌な感覚が身を刺す。
彼女を追い出して、漸く自分の場所が確保出来たと思えば、今まで自分を散々聖女だと持て囃していた人間が離れていった。
自分だけを愛していると言ったレオンも、最近は何故か苛立っていてまともに会話もない状態。
極め付きに自分より格下であるはずの使用人にさえ素っ気ない態度をされるしで、彼女がいなくなれば上手く行くはずだった環境は、全てが悪化している。
ぜんぶ、彼女のせいだ。
ミナは目を閉じる。最初に自分の価値を示した『聖女』という言葉を、『立場』を、思い出す為に。
『神の恩恵だ……!!』
うるさい。
『この容姿、服装。彼女が聖女に違いない!!』
うるさいなあ。
人の部屋で騒ぐ奴等に文句を言ってやろうと目を開けた時、あたしの視界は真っ白だった。
「聖女が目を覚ましたぞ!」
それがなんだか胡散臭い神父みたいな格好をした人間の服だったことを理解したのは、彼等が一歩引いてあたしを見ていた時。
「おお、神よ!!」
何故かあたしに対してひざまづき、手を組む彼等。
聖女、やら、異界の女神、やら、なんだか良く分からないけれどあたしが崇められているのはなんとなく理解出来た。
「聖女、ねえ」
祭壇からベンチへ移動し、彼等が崇める存在を知る。
『聖女』とは、即ち神の遣い。『魔法』というモノが衰退したこの世界を『繁栄』させ、『導く』存在。
「ふうん……偉いの?」
『聖女』が何であるのかなんて興味ない。興味があるのは、『聖女』という『存在』が持つ、『価値』。
それを尋ねれば、神父……いや、大司教と名乗ったお爺さんが頷く。
「聖女の価値は何物にも代えがたい」
脚を組み、腕を組むあたしを見ても、大司教という偉い人はあたしに対して敬意を払っていた。つまり、大司教の言葉に嘘はないのだろう。
「そなたが黒髪であること。異国の衣服を身に纏っていること。それが、そなたが聖女である証明。今は力を持たなくとも、いずれ覚醒するであろう」
そう。あたしには、未だ聖女の力というモノがなかった。本来であればここへ来た際に覚醒するらしいのだが、そういった片鱗は見られないらしい。
まあ、覚醒に一月要した過去もあったらしいし、別に気にしなくてもいいそうだ。
「聖女の存在は王に知らせなければならぬ。そしてそなたも、王城で保護されることとなる」
「へえ、良いわね」
お城での暮らし。幼い頃誰もが夢を見る話が、目の前に転がっているという。それを素直に喜べば大司教は少し顔を曇らせたが、あたしは見なかったことにした。
「では早速だが、そなたには準備してもらわねばならぬ」
大司教がそう言えば、周りの修道女があたしを囲み、何処かへと促される。
内部が十字になっているこの聖堂。入口から見て右側の廊へ進む修道女を追い、長い道をひたすら進む。
サイドにあったいくつかの扉を越え、漸く辿り着いた突き当たり。
ここの一角だけ装飾が違うけど、特に興味もないので鍵を取り出して最奥の扉を開ける修道女を眺めていた。
「聖女の間です。貴女だけが、ここに入れます」
かちゃりと、そんな安っぽい音を立てて、扉は開く。
そしてそれに付随する言葉程の価値も感じられない室内へ、あたしだけが入る。
「お部屋の中央に飾られている衣服へとお着替えください」
きょろきょろ見回すあたしへそう言い放ち、扉は閉められた。
「なんだか随分な対応」
『聖女』という割には余りにも杜撰な対応な気がするけれど、あたしは心が広いので許してあげる。
そして言われた通り、中央に掛けられていた白い衣服を身に纏う。
「なんか……可愛くない…………」
白い布。一言で言えば、それに尽きる。
素肌を覆う一枚の布と、レースが付いた白いベール。
膨らみも何もない、単純に白い布を身体に巻いている感じ。一応腕は動くけど、それでも腕を落とせば胴体と一体化してただの布。
「巫女服とか……そういうのが良かったなあ」
はあ、と溜め息を吐いて、ベールを被る。一応着ていた制服も持って最低な気分で部屋から出れば、先程から発言する無愛想な修道女が立っていた。
「お疲れ様です。そのまま王城へ向かいますので、こちらへ」
ちらりとあたしを一瞥してすぐに頭を下げ、踵を返す修道女。お世辞の一つも言えないとは使えないにも程がある。流石のあたしも少し怒りそうだ。
「王城までこちらの修道女が付き従います。身の回りの世話は彼女へ」
イライラしながら聖堂の出入り口まで歩けば、彼女はそんな嬉しいことを言ってくれる。
彼女の代わりとして前に出てきたのは、茶色い髪をした少女。
「ハンナです。よろしくお願いします」
ペコリ、と、可愛らしく頭を下げる中学生くらいに見える子。
「よろしく」
自分より下であると認識したあたしは素っ気なくそう返し、聖堂から出る。そんなあたしを追い掛けてくるハンナ。少しだけ、気分が良くなった。
「ああ、聖女様。こちらへ」
外で待機していた馬車。その近くに立つ一人の男性があたしの手を取り、馬車の中へエスコートしてくれる。
初めて馬車に乗ったけど、存外乗り心地も悪くない。
「出発します」
そんな言葉の後、馬車は動き出した。
「ねえ、お城まではどれくらい掛かるの?」
動き始めてから数分。既に飽きたあたしがハンナへそう問い掛ければ、ハンナはにこりと笑って答える。
「そうですね……お昼頃には着くかと」
「ふうん、わかった」
今は10時頃らしいから、あと2時間は馬車の中ということになるのか。
ただ暇だと思う時間を持て余すまま、過ごした。
たまーにハンナへ話し掛ければ、変わらず愛想の良い笑顔が返ってくるだけで会話が弾む訳じゃないから、話し掛けるのをやめた。
そうやって過ごして2時間余り。漸く王城に着いたらしい。
「聖女様。こちらへ」
ハンナと、お城の騎士に連れられて王様に会いに行く。
「なんだ?この騒ぎは?」
途中、何かに足止めを食らったみたいだけど、騎士に囲まれているあたしは状況が全く理解出来なかった。けれど暫くしたら何事もなかったように進み出したから、大したことではなかったのだろう。
ながーい途中を経て、漸く謁見場?に着いたらしい。既に歩き疲れたから休みたいとごねてみたけどダメだった。
諦めてあたしが謁見場?に入れば、目の前にはなんか偉そうな太ったオッサンが座ってた。
「ようこそ。異国の聖女よ」
その一言から始まって何かを言ってたけど、ほぼ聞いてなかったあたしは何も覚えてない。
仕方ないよね、だって建国の歴史がうんたらかんたらとか言ってただけだもん。
「そなたの世話は倅に任せる。不都合があれば言いたまえ」
やっと終わったらしい話の後、その言葉を最後に、あたしは謁見場?から追い出された。
「父上から呼び出されるから何かと思えば……」
そしてそんなあたしを出迎えるのは、先程聞いた声。
「第一王子のレオンだ。何かあれば言え」
憎たらしい程艶やかな金髪と透き通るような碧眼。背も高く、顔付きは男らしい。『王子』というよりは、『騎士』と言われても信じる。そんな、青年がいた。
「レオンさま?」
こてり、と小首を傾げ、無垢な眼差しで見上げる。
「ああ。貴様は?」
「ミナ」
にっこり微笑んで答えれば、彼は気分を良くしたのか鷹揚に頷き、あたしの手を取る。
「よろしく、ミナ」
手の甲に落とされる挨拶のキス。咄嗟に手を引けば、彼は少し困ったように笑って、ごめんと謝った。
「まずは部屋に案内させよう。その後、身近な者達を紹介する」
あたしが拒絶したからか、数歩下がって手を叩き使用人を呼ぶ。
彼が呼んだ使用人のうち、その中でも年配の女性があたしを案内してくれるようだった。
「センテという。貴様の身の回りの世話はこれから彼女が担当するから」
そそっと彼の後ろから出て来て、恭しくあたしへ頭を下げたセンテ。
「センテと申します。どうぞよろしくお願いいたしますね、聖女様」
ご年配とは思えないくらいにはっきりとした口調と伸びた背筋。そしてあたしを見定めるような、目。
「ええ、よろしく」
この場にレオン様がいなければこうやって声を掛けることもないけど、レオン様がいるから一応そう返した。
元々しわくちゃな顔が、更に皺を深く刻む。
「居住棟へ?」
「ああ、軽く案内しながら連れていってやってくれ」
「かしこまりました」
「よろしくな」
と、センテと会話を終えたレオン様が立ち去る。
くるりとあたしの方へ向くセンテが歩き出し、説明を交えながら進んでいく。
「王城には三つの棟が存在します。現在聖女様がいらっしゃる政務棟。ここが真ん中です。そしてこれから向かう居住棟は政務棟の右側に。左側にはわたくし達使用人が住む場所、厨房等が備えられている別棟があります。聖女様が足を踏み入れることはないと思いますが、一応覚えておいてくださいね」
それらにはメインとなる渡り廊下を通って移動する、など、興味のないことをセンテは言う。
「あら、ミーナ様」
「センテ。ご苦労様」
そしてそんな渡り廊下を通っていたとき。センテが立ち止まり、目の前から歩いてきた少女へ頭を下げた。
「聖女様。初めまして。レオン・ミゼルバー王太子殿下の婚約者、ミーナと申します」
それからその少女はあたしに向かって自己紹介をする。
靡く銀髪。少し釣り上がった紫の瞳。とても綺麗な顔立ちをしていて、何も知らないあたしでさえ、彼女の振る舞いは美しいと思った。
「こんにちは。聖女のミナです」
だからか。同じような名前をしていて、でもあたしとは違って何もかもを持っているような顔をしている彼女が、酷く憎たらしく思えた。
どうしてそう思ったのかはわからない。けれど、彼女の自信に溢れた姿を見ているだけで苛ついて仕方がないの。
「よろしくお願いしますね、ミーナさま」
過去一で綺麗に笑えた気がする。
でも、そんな風に込めた嫌みでさえ、彼女は素知らぬ顔をする。
「それでは」
彼女が立ち去ったその後ろ姿を、わざわざ振り返ってまで見送った。
歩に合わせて輝く銀髪でさえ、気品が漂っている気がした。
「…………ああ、羨ましいな」
彼女とすれ違う人が皆彼女を敬い、にこやかに挨拶を交わしている。
「…………………ね」
口の中で溶けた言葉。もう姿の見えない彼女へ送った宣戦布告の言葉。
聖女の、言葉。
「聖女様?」
いつまでもぼうっと後ろを眺めていたからか、前を歩くセンテに呼び掛けられた。
「ううん、なんでもないです」
くるりとセンテに向き直り、あたしは再び彼女に案内される。
「それでは聖女様。何かあればお申し付けください」
「うん。よろしくね、センテ」
居住棟の一角にある自室に着いた後。センテは一通り部屋の中を説明して、いなくなった。
「そうね。まずは、レオンさま。彼を奪ったら、彼女はどんな顔をするのかな」
ごろりと無駄に広いベッドに横になって、考える。
「ふふっ」
考えるだけでこんなに楽しいのなら、これを実行して、成功したのならもっと楽しいに違いない。
あの綺麗な顔が歪むと考えただけで、あたしの気は晴れていく。
「ねえ、ミーナさま。あたし、貴女になりたいの」




