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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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絡まるもの4

『今日から貴女は公爵令嬢なんかではないわ』


思い出すのは、そう、いつかの最初の言葉。


焼け落ちた屋敷の跡地で、真っ新にただ広いだけの土地を眺めていたわたしに掛けられた、呪いの言葉。


『お父様が公爵家を継ぐ以上、正当な後継者はわたくしですもの』


扇に隠された表情は、当時悪意になど晒されたことのなかったわたしでさえわかる程に敵意に帯びていて。


『この土地も、爵位も、財産も、全てわたくしのもの』


まるで舞台で踊っているかのような悠長な手振り。宝石が鏤められたドレスの裾はいっそ下品なくらいに夕日を反射して、醜いその彼女の顔に良く似合った。


『公爵令嬢でない貴女に、何の価値もない』


父方の伯父の娘、ターニャとは、決して友好的な関係ではなかった。


次男であった父に爵位を継がせるという型破りな祖父のせいで全てが狂ったと言い張り、己の無能さにすら気が付かない彼に良く似ている従姉妹とは、当然合うはずもなかったのだ。


会う度に、二歳年上の彼女はわたしを目の敵にしていたのだと思う。けれど、そういった環境から守ってくれていた両親のお陰で、わたしは彼女達と交流をすることを避けられていた。


『やっと、お父様がこの土地を手に入れたのですもの。次期王妃はわたくしに決まっていますし、貴女は、わたくしの下で一生這っていればいいのよ』


だから当初は、何故こんな言葉を吐かれているのかさえ、理解出来なかった。


わたしが何をしたのだろうか、と、ぼうと見上げているその様がお気に召したようで、彼女は去って行く。


しかし、わたしは次第に気付き、覚えていく。


新たな公爵家が建つまでの数年間暮らした、彼女達のいる伯爵邸で。


下級の使用人でさえしないような暮らしの中で、蔑まれるだけの、空間で。


彼女の言葉は、きっと正しかったのだと。


公爵令嬢でなくなったわたしの傍には、誰も残りはしなかった。


カールも、ディルクも。


ファティも、ベルホルトも。


ヒルマ、でさえ。


今なら、その理由がわかる。わたしを孤立させるために、義両親が仕組んだことだと。


けれど、数年間毎日植え付けられた猜疑心は、ときたま顔を覗かせては、囁くのだ。


『公爵令嬢でない貴女の元には、誰も残らない』


違う、と頭を振って、みんながくれた手紙を抱えて、ただ楽しかっただけの過去を夢想する。


みんなだけは離れて行かないと、そう自分に言い聞かせた言葉は、いつしかそう願うだけの拠り所になる。


けれども確認する手段のない空想は、歯止めを知らない。


離れて行ってしまう、と、幼い自分が言う。


カールも、ディルクも、いつかわたしより大切な人が出来て。


ファティも、ベルホルトも、ヒルマも、いつかわたしを置いて夢であった田舎で仲良く暮らして行く。


ただの凡庸であるわたしに、それを繋ぐ術なんてないのだと。


傍にいるなんて、そんな言葉は、幾らでも飾れるんだよと。


実際、会いに来たのは次期王妃候補になってからでしょう、と。


違う、違う、そんなことないなんて、誰が言い切れるのだろう。


『僕が、必要としてあげる』


だから、唯一をくれたその存在に、縋っていた。


目に見えないものを信じるのは、出来なかった。それなら、ずっとずっと明確で、分かりやすい道具を必要としてくれた方が良かったのだ。


『貴様との婚約は破棄する!』


けれどそれも、必要なくなって。


『わたし、旅に出てみたいの』


みんなにそう願ったのは、何一つ価値もないわたしから離れて行けるように。


心優しいヒルマに生きる術を乞えば、彼女はわたしに教えてくれる。そして、わたしは一人で生きて行ける。


彼女は心置きなく、懐かしいと目を細め、語っていた過去と同じように過ごして行くのだろう。


きっと国王補佐としての監視の役目が、彼らにはあるから。


無害を演じて、役に立たないと証左させれば、彼らは城に戻って、国王補佐として再び地位を得ることが出来るだろう。


互いを支え合う、理想とする夫婦像を見せてくれたファティとベルホルトも、わたしが一人で生きて行けると知れば、両親への負い目を感じることもなく長閑な土地で静かに暮らして行けるだろう。


そう、これは全て、わたしが一人で生きて行くための旅。


ちょっと予定は早まってしまったけれど、少年を逃がした後は一人で生きて行かなければならないのだ。


みんなの元に戻ったら、きっとみんなわたしに愛想が尽きてしまっているだろうから。


みんなの好意を踏み躙って、自ら危険に飛び込むような愚かさを持ったわたしになど着いて行けないと。


「知りたかった、な」


もう知る手段のない失われた記憶。思い出せなどしないけど、考えるだけで温かさを覚える心臓には、きっと刻まれているのだろう。


緩やかに微睡む。


見せた美しい景色は、きっと望んだだけの、ただの空想。




「明日だって」


黒くてぱさぱさしたパンと、すごく薄まった辛うじて味のするスープにも慣れた頃。


いつものように食事を運んできてくれた少年が、端的にそう言った。


「……っ」


その一言が何を差しているのかなんて、ここにいるわたしと青い目の少年は理解している。


けれど、本来の作戦を知らない少年の動揺は分かりやすい程に目が瞠られて、わたしを見やる目には明らかな困惑が滲む。


「ボスが帰って来なくて良かったよ。商品が、汚れるからね」


理解出来ない言葉を残して、少年は楽しそうに笑いながら踵を返して行った。


「逃げる策が、あったんじゃないのかよ」


噛み締められたそんな言葉に、わたしは眉を下げて無言の返答を行った。


「なんで」


逃げられるかどうかなんて、それは分からない。あの青年の言ったこと全て嘘で、実際にわたしは何処かに売られてしまうかもしれない。


けれど、そうではない可能性に賭けて、わたしはここに来て、話を聞いた。自分が行った行為がどうなるのかを、見届けなければいけないから。


「ここから逃がすって行ったら、逃げてくれる?」


諦めたように、そう力なく笑う少年に首を振って否定する。


「そうだよね」


分かり切っているその答えに、始めから知っていたと目を逸らした少年。


明日に、全てが分かる。


青年がしたいことも、わたしが取った行動の結末も。



「出て」


ある意味心待ちにしたその瞬間は、思った以上に早かった。


久方振りに出る地下牢。以前は目隠しされて見せられなかった光景も、今は手枷足枷をされているだけだから、良く見える。


ここに再び戻って来なければならないわたしは、道程を覚えるために頭に地図を描いていく。


そのために目隠しを取ったのかなんて、今は聞けない。


ここに連れてきてくれた少年の他に、何人もの人間がわたしを囲むようにして立っているから。


恐らく地下であろうこの場所を、少年は迷いなく進んでいく。


「良い値が付くといいな」


曲がりくねって、そろそろ頭も限界になってきたとき。


真っ暗な場所で先も良く見えないけれど、なんとか扉であることが視認出来るその場所で、漸く彼は足を止めた。


「貴族のお嬢さんてのは、良く肝が据わってんすねえ」


ここまで、何一つの抵抗なく付いてきたわたしの存在が稀有なのだろう。後ろに立っていた人間がわたしの顔を覗き、にたりと笑う。


「どうせ足掻いたって、変わりはしないもの」


スレたお嬢様を演じるように、わたしは吐き捨てた。


これからを知っているわたしは、こうして振舞うことが出来る。けれど、そうではない人間がどれ程の恐怖かなんて、想像すら出来ない。


そうして想像した皆の結末を案じて強張った声は、ただの虚勢として取られたようだった。


一瞬興味を無くしたように逸らされたその視線が少年に向けられ、溜め息を吐いた少年。


「無駄話してないで早く上に連れてってくれる?」

「はいはい」


少年が自分より幾つも上の人間に指図するという光景を見納めて、わたしは茶化してきた男性に引き摺られるようにしてその扉を潜り、薄暗い階段を上って行く。


「ああ、売っちまうなんて、勿体ないよな」


数十段上って、振り向いた顔に浮かぶ下卑た笑み。


明らかに安全ではないそんな言葉に咄嗟に腕を振り払おうとするも、それ以上の力でその行動は阻止される。


「連れ去っちまうか、そうしよう」


今までよりも強くわたしの腕を掴み、引き摺って階段を上がるその背中。歪むわたしの顔がお気に召したのか、振り返って何度もわたしを眺めていた彼は、後ろに現れたその影に気が付かなかった。


「随分楽しそうだな?」


暗いこの景色の中でも昏く輝く金の眼。闇に溶けた藍色の髪はさらりと流れて、変わらない軽快な口調は、鈍く痛みを訴える私の腕を解放させる。


「だ、代理じゃないですか。何故貴方が上に?」


打って変わり、引き攣った顔が張り付けられたその顔。


どもったその声の持ち主と、痛みに顔を歪めていたわたしを交互に見ては、その端整な顔には似付かわしくない軽薄な笑みを浮かべ、嗤う。


「俺がここにいたらおかしいか?今日は特に大切な商品が売れる日だ。管理するのは当たり前だろ?」

「お、仰る通りで」

「間もなく始まる。上に届けておけよ」


下へ下へ出るその背。どの世界でも上の人間には逆らえないのだなと無駄な知識を手に入れたところで、すれ違うようにして下へ下りていく青年の背を、視線が追った。


「見つかっちゃあ仕方ねえ」


当然合うはずもないその視線は、背中は、遠ざかって闇に消えて行った。


「行くぞ」


先程よりは幾分か丁寧に腕を引かれ、わたしは再び階段を上る。


「大人しくしてろよ」


次に現れた扉を抜けたとき。視界から入ってきた情報が、わたしの顔をまた歪ませた。


放り込まれたその男女関係なく詰められた鉄格子の檻。地下牢で見たその光景よりも遥かに感情を削る現実に、立ち竦んだ。


年端も行かない二人の少年と少女が、身を寄せ合って檻の隅で膝を抱えている。


泣き崩れ、誰かの名をずっと口にしている綺麗な顔をした女性。


寝そべる女性を庇うようにして座る短髪の男性。


誰もが嘆き、怯えているその空間。


「……」


けれどそんな中で唯一、美しい黒の髪をした女性は、諦観したようにその様を眺めていた。


「……座ったら?」


そして良く通る、少し低い声がわたしに掛けられる。躊躇いながらも、彼女と少し距離を置きながら冷たい地に腰を下ろした。


「珍しい」

「めずらしい?」


首を傾げながら、漆黒の眼でわたしを観察するようにそう呟いた彼女の言葉に聞き返せば、彼女は囚われているとは思えないくらいに余裕のあるその口振りの方がずっと理解出来ないわたしも、彼女を見つめた。


「だって」

「出ろ!」


何かを言い掛けた彼女の言葉は、被さるようにして強引に牢を開けた行動に遮られる。


始まった競売に、これから起こるシナリオに気を取られたわたしは、彼女の続けた言葉を聞き取れなかった。


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