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全てを失った公爵令嬢は旅に出る  作者: 高槻いつ


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絡まるもの2

「さて、もう一度目的を確認しようか」


揺れる室内で、視線の置き場に困って丸窓の外を覗いていたわたしに彼が言う。


「……わたし達が競売に掛けられている間に、貴方達が乱入する。それに乗じて、あの子を外に連れ出せば良いのよね?」


何故か半裸で同じ客室内にいる彼に今後のわたしの行動目的を告げれば、視界の端で縦に動いた頭が見えた。


「そう。多分、アンタが奴隷商の商品に加われば、手元に残しておくリスクが高いが故にアイツらは比較的早く市を始める。数日か、一週間か。その間はアンタにも他の商品達と同じ生活をしてもらうことになるが、まあ、一応商品だから。それ程酷い扱いにはならないだろう」


軋むバネもない、ただの木の板に横になってこともなげにそう言い放つ彼。予め自分の価値はわかっていたものの、きちんとその中で生活が出来るのかという不安が過る。


狭い、この客室とも言えぬような粗雑な部屋に。埃っぽくて、少し鼻を衝く懐かしいとさえ思う空気に。わたしは、目を瞑る。



「港街って、綺麗な海だけではないのね」


ぽつりと、口から零れたそんな言葉は。自分でも、何が言いたいのかわからぬ声だった。


「アンタが見た海は、さぞ美しかった?」


けれど、そんな曖昧な言葉を意外にも拾ってくれた彼に、わたしはこくりと頷く。


「綺麗だって、思ったわ。崖から見た海も、港街も。見たことのない、知識でしか知らない景色は、とても」


透き通った明度の高い海に、活気の溢れる市場。美味しい食事と、清潔な部屋。それが、わたしの見た港街だった。


「何も、盛んなのは綺麗な面だけじゃない。()()()()()民間船に市民を連れ込んで奴隷商に売り払ったり、合法では手に入らないモノを運んだり。交流が盛んな市場であればある程、後ろ暗いモノだって当然活発になる。陸路程監視が厳しい訳じゃないから、尚更な」


わたしが見てきたモノ全てに、わたしの知らない景色がある。みんなが隠そうとした、そんな綺麗じゃない景色が。


「……何も、知らなかったわ」


文献で、言伝で、いくら詰め込んだとしても、現状ではあまり役に立たなかった。ただ知っているだけではダメなのだと、殊更強く実感する。


「寝ろよ、お嬢さん。まだ船旅は長いぞ」


漸く服を着た彼がわたしに羽織をくれる。それを受け取って同じように壁に背を預けれど、到底眠れるはずもない。


「箱入りのお嬢様にはキツいか」


肯定する気も否定する気にもなれないわたしはそうやってからかう彼からは視線を外し、変わらず黒い海を眺めた。


ゆらゆらと揺れる視界と、座り心地の悪いベッド。耳障りな音しかしないこんな空間で考えることは、ただ暗い。


うだうだぐだぐだあることないこと考えて、結局また一から振り出しに戻って。


そうしてまた、同じことを繰り返す。


彼と何かしらの会話をしていれば気が紛れるのかもしれないけれど、わたしと彼はそんな易しい関係ではない。


目的はおろか、彼の名前すら知らないのだから。


だから、また無意味で無価値な思考を辿る。



「…………おかあさま」


そうして何故か、そんな言葉が口を滑った。


何の関係性もない、覚えてもいないはずの、存在の名が。


「…………」


ゆらゆらと、微睡むような意識の隙間に微かに見えた誰かの記憶は、わたしのものだったのだろうか。


「家族が好きか?」


自分でさえ戸惑う呟きに彼が反応したのは、きっと気紛れに近いものだろう。


でも、わたしと同じように壁に背を預け、閉じていた目を開き、ゆったりと首をもたげる彼の目は心なしか冷たい。


そんな彼の真意は図りかねねど、わたしの答えは一つしかない。


「…………家族は、もういないわ」


ただ一言、問いに肯否はせず、そもそも残っていないことを告げた。


ダルスサラム公爵家に今残っている人達は、家族なんてものではないから。


きっとわたしを愛してくれていたであろう父と母は、とうに記憶と炎と共に焼け落ちて、存在しないから。


「いない?」


再度尋ねて来た彼に言葉にすることなく肯定し、ぽつぽつ身の上を軽く説明する。


幼少の頃、死んでしまったこと。そのときに、家族の記憶全て失ったこと。新しく出来た形だけの家族は、わたしを疎んでいたこと。


何一つ持っていなかったわたしを支えてくれたのが、みんなだったということ。


例え共にいなくとも、わたしを気遣う手紙を毎月送ってくれて、わたしが傷付かないよう過保護なくらい庇護してくれていた、ことも。


何故か、他人には教えたことのないそんな身上を、彼に告げていた。


こんな環境だからか、いや、そもそも心情を一度聞かれているからか。


明確な理由がなくとも、今さらりと話したことは全てあんな世界ではありふれていることだから。


わたしは口元を緩めた。


「何故笑う?」


そう問われて、わたしは首を傾げた。


忌々しそうに目尻を歪める彼の顔が不思議でそのまま見つめていれば、彼はもう一度、同じことを問うた。


「…………だって、こんなこと、良くあることだもの」


幼少期から散々言い聞かされたそんな台詞。よもや自分が言うことになるとは思わなかったけれど、わたしは極自然に、それが当たり前であるという風に、笑う。


「両親が亡くなって引き取られた先で疎まれるなんて、育ててもらっているだけ感謝しろって、どんな暴言を吐かれたって、詰られたって…………良くあること、だもの」


少し、表情が固くなるのがわかった。上手く笑えなくて、口元が引き吊る感覚が懐かしい。


ああ、みんなと旅に出る前なら、こんな言葉、いくらでも言えたのに。


じわじわと圧迫されるような息苦しさを、今は簡単に流すことが出来ないから。


わたしは譫言のように、良くあること、って繰り返す。



「…………良くある、こと?」


けれど、本当に?と、問い掛けてくる彼の言葉が思いの外優しくて。ぐっと握り締めた手に潰した、滲んで膿んで消えない記憶が、強制的に戻ってくる。



『あら、貴女の分の食事はこれで充分でしょう?』


皆が食した残りの食べ滓とも言えるような食事を。


『本当に邪魔ね、貴女』


ただ歩いているだけで後ろから物を投げられ、転ばされる情景を。


『惨めな格好』


ドレス一つ与えてもらえず、継ぎ接ぎの布で過ごした日々を。


『感謝してよね』


へつらわなければ、生きてさえいけないような日々を。


良くあることだって、笑えなければならない。


辛かったと、寂しかったのだと、そんな風にすがったって、わたしの傍には誰もいない。


弱味を見せれば見せる程に追い詰められるのなら、そんな言葉は持たない方が良いから。



()()でありたいって、飾りか?」


俯き、沈黙を保つわたしに降ってくるそんな声。


「確かに、アンタが思うように、アンタの周りにいる人間は過保護であると思う。でもそれ、アンタにも原因があるように思うがな」

「…………わたし、に?」


彼の言っている意味が一言も理解出来ていないわたしは、ただ呆然と彼を見上げた。



心配掛けないよう、みんなにすがったことはなかった。


助けて、なんて言葉は、とうの昔に葬った。


だから、わたしがみんなから独り立ちしようと思えば思う程にわたしを守ろうとしてくれるみんなの言葉を振り切ってきた。


それの何が、いけなかったのだろう。


「アンタ、目の前にいる人間が明らかに倒れそうになってんのに、大丈夫だって手を振り払われたからってそれを見捨てるか?ただの他人ならそれもあるだろう。でもそれが、家族よりも親しい人間だったら?愛しくてたまらない恋人だったら?」


呆れた顔でわたしを見下ろす彼の目は、ぶっきらぼうな口調とは噛み合わない優しさを湛えていて、わたしは益々首を傾げる。


「…………わたしは、それには当てはまらないわ」


彼はきっと、みんなが過保護であるのはわたしがみんなを頼らないからだと言いたいのだろう。


でも、それは違う。


こうやって旅をしたいとヒルマに駄々を捏ね、王城での後始末をカールやディルク、ファティとベルホルト達に任せた。


自分でしなければならなかったことをみんなに任せている。それなのに、わたしはこれ以上、何を頼れば良いというのか。


()()()()()()()()義務を放り出したわたしが。


これ以上何を、頼れば良いというの。


「…………筋金入りだな、こりゃ」


やれやれ、とついに頭を抱えた彼がそれ以降何かを言うことはなかった。


もう一度壁に頭を預け、わたしは彼の言葉を反芻する。


「間違っていた、のかしら」


彼の言い分も理解出来ない訳ではない。それでも、いまいち自分の価値観と合わない彼の言葉を受け入れるのは少し難しくて、わたしはまたぐるぐると回る思考を繰り返す。




「着いたぞ」


初日以降、特に会話もなくわたし達は船に揺られ、ハシュートへと戻ってきた。


「アンタを知り合いの人間に託す。あとは上手くやってくれ」

「わかったわ」


バキバキになった身体を伸ばしながら頷き、深夜のハシュートを歩く。


「ひとひとり、いないのね」


王都と違って街灯がほぼないハシュートは、日が暮れれば相当暗い。


目先が少し見えるくらいで、ほぼ見えないに等しい。


「こんな夜更けに出歩くのは客を探す娼婦か人拐いくらいだよ」


かつん、と軽い音を立てて()()に立つのは見知らぬ少年。


顔はおろか、身体さえもすっぽりと覆い被す黒いぼろきれに等しいローブを身に纏って存在する少年は、闇に溶け込みそうな程に存在感が薄い。


声質、振る舞いから少年である可能性は高いものの、如何せん身体付きが一切わからないが故に、少年の性別を断定することは難しかった。


一応彼に代わって案内をしてくれると言うのなら敵ではないとは思うものの、こうやってすぐに素性を知りたがるのはきっと社交界仕込みの賜物だろう。


なんて、どうでも良いことを考えているうちに、一言二言軽口を交わし終えた二人はわたしに振り返った。


「コイツに着いて行けばいい。頼んだぞ」

「なに……っ」


じっと見つめられ、何かと尋ねようとするもののそれは叶わず、とんっと押された肩。


ぱっと振り返り、最早見慣れた姿を探してはみるが当然この暗闇で見つかる訳もなく、わたしは溜め息を吐いて一言申すことを諦めた。



「それじゃお姉さん、行こっか?」


一拍間を置き、大人しく少年へと向き直れば歩き出す背中。


まるで入り組んだ路地全て見えているかのように軽やかな足取りで暗い道を進む少年を必死で追う。



「嫌になるよね」

「え?」


暫し無言で歩いて、あとどの程度歩くのだろうと考えていたとき、突然立ち止まってわたしへ振り向く少年。


「アズールもさ、さっさと逃げれば良かったのに」


少年と同じように立ち止まり、充分な間を持って吐き出された言葉に滲み出る敵意に、一歩後退る。


「…………あの?」


どうするのが正解かわからない。逃げていいのか、このまま少年と共にいればいいのか。


だから、呼び掛ける声は曖昧に震える。



「はあ……」


暫し無言でわたしを見つめたあと、大きな溜め息を吐いてふるふると首を振る少年にただひたすら戸惑う。



「行くよ」


そうして数分、漸く顔を上げた少年はまた歩き出した。


少年が立ち止まり見せた表情の意味は理解出来ないまま、わたしは再びその小さな背に着いていく。



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