再会と反抗
「お嬢様」
ファティがそっと肩を押して、ヒルマがゆるりと腕を引いてくれる。
二人に動かされるままわたしがのろのろ動き出せば、少しだけほっとしたように笑うベルホルト。
「…………いつだって、みんなはわたしに隠し事をする」
口の中で溶けてしまいそうな程に柔いその言葉は、すぐ隣にいるカールに聞こえただろうか。
何を指しているかなんて火を見るよりも明らかで、嫌みったらしくなったその記憶。誰も教えてくれることのないわたしの知らない記憶。
遠い日に置いてきてしまった、両親の記憶。
当時を何も覚えておらず、ただただぼうっとしていたわたしを、真綿で包んでくれたのはこの四人だ。だから今回のことだって、みんな知っているはずなのに。
「今日はもうおやすみになられてください、お嬢様」
ざわざわする心臓を抱えたまま、ヒルマ達はわたしを部屋に入れる。先程の沈黙なんてなかったかのように、いつも通り微笑んで。
「おやすみなさい」
ぱたりと静かに閉じられた扉で区切られた境界が、酷く冷たい。
優しく突き放されるようなこの感覚は、子供のとき以来だろうか。
何を聞いてもはぐらかされて、何をしてもすぐに捕まえられて、何かを知ろうとすれば緩やかに行動は阻まれる。
聞いてはいけないことだと、わかっている。それを問い詰めてはいけないのだって、とうの昔に知っている。
それでも、自分のせいで起こっている何かを看過して良いのかが、わたしにはわからないのだ。
ずっと彼らに守ってもらえば良いのだろうか。彼らが望む通りに何も知らないフリをして、この旅を続けて行けば、良いのか。
わからない。わからないけど、このままでは嫌だと思ってしまうのは、どうしようだって出来ない。
だから、ふかふかのベッドの中で悶々と考える。でも、考えれば考えるだけ言いたいことだけ増えては、歯の奥で噛み殺す。
そうやって何の進展もないまま、夜は更けていく。
「…………」
しかし部屋に閉じ込められたとて、考え事が重なるだけで眠れる訳もない。
下に下りればヒルマ達がいるかもしれないが、今この状態で彼女達と顔を合わせてもまともな会話が出来る気もしない。
例え出来たとしても、社交界で行うような上部を滑るような会話だけだ。
だからわたしは、窓を開けてぼんやりと夜風に当たる。
考えて、考え尽くした結果、何の答えも見つからない。波立つ心を静める術もわからなくて、微妙な距離感を探るような場所にもいたくない。
「…………聞かなければ、良かったかしら」
ぽつりと溢れてしまった感情は、落とし処の見つからなかった思考。
聞いても、聞かなくても、きっとわたしが考えてしまうことは避けられない。だからわたしは問い掛けることを選んだ。
でも、みんなにあんな顔をさせてしまうのなら、やっぱり我慢して聞かない方が良かったのかもしれない。
「どうするのが、正解だったの?」
靄が掛かって正常に働かない頭で言葉を吐く。
「聞いたって、聞かなくたって、わたし、」
でも、潤む視界が、掠れていく声が、締め付けられる喉が。
「きっと、笑えない」
みんなの言葉を、否定する。
「わらえるわけ、ないの」
みんなに隠し事をさせて、何かを抱えさせて、何も知らないわたしを包む役目をさせているのに。
「うしろめたいよ。だって、それは、対等じゃない」
良い機会だと思った。レオン様からの婚約破棄は、王城からの追放は、生家からの勘当は。
いつだって裏で守ろうとしてくれる彼らの手から、一人立ちする為の。
だけど結局、あの場所を出たところでわたしの場所は変わりはしないのか。
「…………情けない」
出来ることが少しずつ増えた。タオルを絞ることも、カトラリーを使わずに食事をすることも、言葉遣いも、立ち振舞いも。
ごく普通に見えるように、なってきたはずなのに。
「わたしは何処まで頑張れば、一人で立てるの?」
あと何を頑張れば良いのだろう。何をすれば、彼らと対等な場所で話が出来るのだろう。どうすれば、努力すればするだけ距離が開くようなことをせずに生きていけるの。
「…………庇護すべきお嬢様で、いたい訳じゃないのに」
ヒルマをこの旅に誘ったのは、わたしがこれから先一人で生きていく為の知恵を身に付ける為であって、決して侍女の役目を担わせたいからではない。
「実の両親を亡くして、挙げ句の果てに婚約破棄までされた可哀想な幼馴染みでもない」
わたしが当時の記憶を思い出さないように一切昔話をしないのも、婚約破棄後にわたしが生きていけるようにこっそり二人で小さな屋敷を用意していたのも、望んでなんかいない。
「お父様とお母様に仕えていた貴方達だって、わたしに付き従う必要だってない」
実のお父様とお母様の幼馴染みであった二人は、その馴染みで今でもわたしに良くしてくれるけれど、本当なら昔言っていたように仲良く田舎で静かに暮らしていていいのに。
「わたし、もう、公爵令嬢ではないのよ」
だから、みんながわたしを守る必要なんて、ないのに。
「…………重度だな、こりゃ」
一通り心情を吐き出して、夜明け前の薄明かりで空が滲む頃。
背後から投げ掛けられたなんだか失礼な声に振り向いた。
「貴方は……」
何処か見覚えのある柔和な笑顔と、その眼差し。
「覚えておいでですか、お嬢様?」
こつこつとわたしとの距離を縮める彼に、咄嗟に後退る。けれども窓際にいるわたしの行き場はそれ以上なくて、長いとは言えなかった距離はすぐに埋められた。
「…………」
あからさまに警戒するわたしと、変わらぬ微笑みを湛える彼の視線は一直線に交わされて、空白が満ちる。
「アンタが知りたがってること、教えてやろうか」
鳥が朝を知らせて鳴くのと同時に、彼は言った。
「え?」
その言葉を一瞬理解出来なかったわたしは、彼が起こした行動に反応が一拍遅れる。
「教えてやるから、黙って着いてこい」
その一拍の間に彼はわたしを抱き上げ、軽やかな足取りで窓の枠を蹴った。
「!!!!」
わたし達が泊まっていた部屋は二階だ。しかし彼はそれを物ともせず飛んだ。
一瞬にも永遠にも感じられる滞空に辛うじて叫ばないように歯を噛み締められたくらいで、心の準備は宿に置いてきた。
「あの……!」
「舌噛むぞ」
そうではないと否定したいのに、言葉の用意をしている間に宿は遠ざかっていく。
「まあ、もう大人しく着いてこいよ」
人一人抱えているとは思えないくらいの速さで彼は駆ける。
市井が活動し始めるぎりぎりの時間は、まだ人通りがない。大通りを駆けているはずなのに、昨日と同じ場所を通っているはずなのに、今はこの場所が違う場所に感じられる。
「…………ヒルマ達、心配するわ」
もごもごと舌を噛まぬように呟いた声を彼は嘲笑う。
「すぐに逃げようとしなかったくせに何を言う」
ぐうの音も出ない正論に口を禁む。確かに、彼が飛び降りた直後であればわたしはこの腕から逃げ出すことが出来ただろう。
それでも、その可能性に気が付きながらも大人しくこの場所にいるということは、先程の言葉はただの言い訳でしかない。
「…………だって、誰も教えてくれないもの」
一人は嫌だと、置いてけぼりは寂しいのだと駄々を捏ねたって教えてくれない。
それでも、わたしは包まれているのは嫌だと叫ぶ。
叫んだその声に彼が気付いてくれたとしても、それにすがってしまうのはきっといけないこと。
けれど、この機会を逃せば一生真実を知る機会を失うと思った。
わたしはこの先一生彼らに後ろめたい感情を持ったまま、その隣には並べない。
だから。
「知って、いたいの」
例え真実を知って彼らが嫌な顔をしようとも、彼らを否定することになろうとも、対等ではない今の関係よりずっと良いと、信じて。
わたしに芽生えた小さな反骨精神。流されるままに生きていくのが正解であったあの場所ではないのだから。包まれることが息苦しくて、息を吸えば吸う程に息苦しくなるのなら、真綿なんて最初からなくていい。
守られているだけの公爵令嬢は、もう捨ててしまいたい。
「……ごめんなさい」
みんなの好意を裏切ること。それはとても心苦しい。でも、それよりもっと、彼らにわたしの為と隠し事をさせるのが苦しい。
きっとお互いにためにならず、ただ気まずくなってしまうのなら、そんなものはぶち壊してしまった方がいいと、信じて。
「ここ、は」
どんどん街中から離れ、外れの方までやって来てから彼は漸くわたしを下ろした。
すっかり明け方を過ぎて早朝が眩しいこの時間。高台となっているこの場所で腰を落ち着けて、わたしは彼を見上げる。
「すぐにアンタが見つかることはないから、安心しろ」
朝陽の輝きを吸い込むような漆黒の髪を揺らして、太陽というにはくすみきったその金色の目で、彼は嗤った。
安心しろ、なんてそんな気遣うセリフが似合わないその嘲った口調で、続ける。
「さあ、話をしよう」
そして大袈裟な手振りで、彼はわたしの望む話を始めた。
ある意味、予想通りで。ある意味、想像通りの。
わたしが愚かだったと語る、その話を。
明日も18時頃に更新予定ですが、明日の分は話が進みません。ちょっとした昔話を掲載予定です。
月曜からまた話が進む予定です。よろしくどうぞです。




