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公爵令嬢は、全てを失う

「レオン、様……」

「ミナ」


靡く。


彼の肩口まで鮮やかに色を落とすその金の髪も、彼女の光さえ呑み込んでしまいそうな程黒く塗り潰したようなその黒髪も。


二つの影が重なりあって、一つになって、揺れる。


庭園の、青々と茂る木々も、鼻孔を擽る嗅ぎ慣れた花の香りも、全てが、彼女の為に整えられたもの。



わたしのためになんて、ぜんぶ、うそ。



……でも、わかってたかもしれない。知っていた、かもしれない。


だって、貴方が彼女を見る眼差しは熱に浮かされたような色をしていることにはずっと、気付いていたのだから。


ずっとずっと傍にいたわたしには見せない感情を、彼女には見せていたことも、わかっていたから。


でも頭の中で理解しているのと、いざこうやって抱き合う姿を目にするのでは、受けるショックが違う。


だからただ、呆然とその二人を眺めていた。


彼女と抱き合っていた彼の表情はわからない。けれど去り際、わたしに気付いていた彼女が、にこりと嗤った。


聖女なんて囃し立てられてる人間の顔とは思えないくらいの、どす黒さで。


「ああ、そう、なのね」


その表情、その笑みで、わたしは漸く気付く。当初彼女と挨拶を交わした時から感じていたその違和感に、その正体に。


彼女はとんでもない、女狐だったのだ。


しかも、他人のモノを取って喜ぶタイプ。


わたしがずっと想いを寄せて、彼の傍に立っても相応しくあるよう努力した過程を踏みにじって、隣に立つような。


そんな、人だったのだ。




「…………ミーナ嬢」


庭園で立ち竦むわたしの肩を叩く手。振り向けば、隣国の皇子であるユリウス様が立っていた。


「ユリウス様。……如何なさいました?」


一瞬で全てを取り繕う。


今まで滲み出ていた憎悪も、憤りも、やるせない気持ちも。


いつものわたしであるように、微笑んだ。


「お茶でもどうです?」


そんなわたしに気付いているだろうに、それでも触れずにここから連れ出す提案をしてくれるユリウス様。


わたしは二つ返事で頷き、彼の後を追った。



そうね、それが今日二つ目の失敗だったわ。



「ミーナ!!この私の婚約者でありながら他の男と同衾するとはどういう所存だ!?」


吐き気と頭痛のする身体を強制的に起こされたわたしの前には、語気を強めたレオン様がいた。


何を言っているのだろうと状況を把握するために辺りを見回せば、庭園にいたはずのわたしは客室であるその一室のベッドの上にいる。


そして軽くドレスが乱れた状態で。


これは、そう。完全にしてやられたと見ていいだろう。幸い脱がされているだけでそれ以上何かされたような形跡はないが、レオン様の後ろにいる彼女がほくそ笑んでいる辺り、犯人は彼女だろう。


全く、聖女様の仮面は分厚いわ。


「ミーナ!!」


ああ、誤解を解かなければと口を開き掛けたわたしの頬に、久方振りの痛みが走った。衿元を掴んでいたはずの手で全力で殴られたこの身体は簡単にベッドから飛んで、わたしは床にうずくまる。


久し振り過ぎて、殴られたと理解するのに数秒は要した。


「貴様との婚約は破棄させてもらう!」


けれど、理解して唖然としていたわたしへ追い討ちを掛けるその言葉を聞いて、漸くそれが彼女達の目的なのだと気付く。


そんなにわたしが邪魔なのだろうか。


政略結婚とはいえ、古くからの付き合いで、幼少の頃は仲の良い時期もあったというのに。


何故だろう。


数ヶ月前まではまともな王太子であったのに、どうしてこんな風になってしまったのだろうかと残念に思いながら、わたしは衣服を整えて立ち上がる。


「お好きにどうぞ」


腫れた頬のせいで喋りにくいけど、なんとか発声出来た。


わたしがすがり付くとでも思っていたのか、ぽかんと口を開けて間抜けな顔をしているレオン様を横目に退室すれば、勝ち誇るような笑みを浮かべる聖女様が扉の向こうへ消えた。




「ヒルマ」

「お、お嬢様!?」


腫れる頬のせいで人目を引きながらも、わたしは王城内に存在する自室へと戻ってきた。


そうすれば、部屋の支度をしていた侍女のヒルマが目を見開きながら駆け寄って来る。


「どうさなれたのですか!」


一向に痛みの引かない頬。触れては痛いだろうと慮ってくれているから患部に触れることはないものの、添えるようにしてわたしを窺うヒルマの目が驚きと怒りに濡れているのを見て、わたしは自嘲の笑みを浮かべる。


「レオン様に、殴られちゃったわ。迂闊なわたしがいけなかったけれど、婚約破棄だって」

「そんな……」

「いいの、わたしが悪かったのよ」


新緑の瞳に雫を湛えるヒルマへ、上手いこと説明することが出来なかった。過程を大分省いたというのに、おおよそ察してくれている彼女は絶句してただ、俯いた。


「……やっと、幸せになられると思ったのに」


そしてぽつりと、言葉を溢す。


「ええ、そうね。折角、あの場所から逃げ出したのにね。駄目だったみたい」


ヒルマに深く混じる憎しみの声音へ、わたしは大したことではないというように軽く返す。


実際、大した話ではない。こんな汚い貴族社会では良くあるような、ありふれた話。


生前、わたしの父はダルスサラム公爵であった。しかし、不慮の事故でお母様と共に亡くなり、次に公爵の座に就いたのは弟に爵位を取られた兄。


即ち伯父に当たるその方ではあるものの、父を毛嫌いしていた義父は当然その娘が気に入るはずもなく、わたしの生活は一転した。


思い起こせば今でも褪せることなく暗い感情を呼ぶその数年間。しかし、そんな扱いをされていたわたしも一応公爵令嬢であり、王太子であるレオン・ミゼルバー殿下の婚約者候補、次期王妃候補として選ばれた。


そして次期王妃候補の最中、わたしはダルスサラム公爵家から追い出されるように王城へとやって来た。


その際に義両親が引き離して会うことさえ許されなかった、実の両親へと仕えていた者達をレオン様が宛がって下さったり等の恩もある。


だからこそ段々おかしくなっていくレオン様を支えようと政務を肩代わりしたり、陰口を叩かれようとも一人で夜会に出席して交遊を保ったりもしていたのだが、結局は、幸せになることは叶わなかった。


いや、そもそも、異国から来たと言う黒髪の聖女様がレオン様の王妃に収まるのだと聞いたとき、そのときに、わたしが幸せになる道は既に途絶えていたのだろう。


元々は、わたしとレオン様はわたしが18になった年、成人した後に婚姻を行う予定だった。


けれど、異国の聖女様が18で、レオン様も現在18という巡り合わせ、そして聖女様をこの国に繋ぎ止めておきたいという理由から、彼女は王妃になることが決まった。


ただ髪の色が珍しいという理由で、目の色が珍しいという理由で、肌の色が珍しいという理由で。


『聖女』だから、という理由で。


そしてわたしがこれまで過ごしてきた過去など何一つ意味為さないと云わんばかりに、皆が『彼女』の報せに喜ぶ。


思えば、わたしの居場所は全て、『彼女』に奪われてしまった。


何の因果だろう。


同じ名前をした、『ミナ』という少女がわたしと居場所を変わるようにして立つのは。


「……どうでもいいことね」

「お嬢様……」


レオン様に捨てられ、生家である公爵家にも居場所はないわたしにはもうどうでもよいことかと思考を放棄する。どのみち考えたとしても、もうこの場所で過ごすことはないのだからと。


「ねえ、ヒルマ」


諦めて吐いた一言に、ぽたりと頬を濡らしてくれる彼女の、ずっとわたしを守ってくれていた手を取って、視線を交わす。


「わたし、ずっとこの国から出てみたかったの」


そして、ずっとずっと言えなかった思いの丈を、吐き出した。


「幼い頃に次期王妃候補に選ばれて、レオン様の婚約者であることが決まって、王妃教育に忙しくて、わたしはこの国から出たことがないでしょう?」


とても驚いているのか、彼女の涙は何処かに引っ込んでしまったようだ。それ幸いと、わたしは続ける。


「昔読んでいた冒険譚のように、大切な仲間と助け合って……といってもヒルマしかいないか。ヒルマと、二人で。そうね、旅に出たいわ」


お嬢様、と、震えた唇が、次の瞬間にはきゅっと結ばれた。


「……いいですね。私、こう見えても昔は結構やんちゃしてたんです。お手本になりますよ」


そして、いつも通りの笑顔を浮かべたヒルマが、お茶目にそう言う。


「頼もしいわ」


彼女に釣られて、わたしも自然と口角が上がる。頬が痛くて余り笑えないけれど、それでも、今度は上手く笑えた。


「そうと決まったら、ぜーんぶ愚か者達に投げて今のうちに逃げてしまいましょう」


袖口で目尻を拭い、わざとらしく大きな声を出して雰囲気を切り替えてくれたヒルマが、これからの予定を立ててくれる。


まず初めにわたしに仕事を押し付けていた当事者二人の仕事を投げ捨て、実家から流されていた公爵家の仕事も投げ捨てる。


だってどうせ王太子の婚約者でなくなったわたしに価値なんてないし、この婚約破棄の報せを聞いた彼等はこれ幸いとミーナ・ダルスサラムを公爵家から追放するだろうから。


ならば、先に捨てましょうというのがヒルマの意見であった。


「お嬢様を慕っていた者達には事情を説明しておきました。ご実家の方にも、勘当の意を承知した手紙が一週間後に届くようにしておきましたのでもう二度と会うことはないかと」

「ありがとう、ヒルマ。あの人達、仕事は遅いけれどこういう時は早いからね、丁度良いと思うわ」


夜逃げの支度で半日程費やせば、外はもうすっかり暗い。


「私のお古で申し訳ありませんが、これを」


わたしが今着てるのは、一目で高価だと分かるドレス。この格好で外に出る訳には行かないので、ヒルマが気を利かせて普通の、少し仕立てが良いワンピースを用意してくれていた。


「外に出たら冒険服っぽいものを用意しましょう」

「ええ、楽しみ」


少し硬い感触の衣服が、新鮮だった。足を守る、革のブーツも。


「一応、わたしのお給金を持ってきたのだけれど、これで足りるかしら?」


出発の前。持ち物の確認をしているヒルマへ、これまで貯めていたお給金を渡す。


「…………はい、充分過ぎる程です」


少し重たい麻袋。中には金貨が数十枚。宿などに宿泊したことのないわたしは、どれだけあれば足りるのかを知らない。


しかし、ひきつったように笑うヒルマを見る限りは、足りているのだと思う。


「いいですか、お嬢様。麻袋は人前に出してはなりません。肌身から離れないよう、バッグの中にしまって、バッグはアウターの下に」


というが早いか否か、何処からともなく薄手のカーディガンを出してわたしに持たせ、ヒルマが作ってくれた革のバッグに麻袋を詰める。


そしてバッグを肩に掛けさせ、カーディガンを羽織らせ、バッグがカーディガンから出ないように、肩紐を調節してくれるヒルマ。


「ありがとう」


ヒルマのお陰でなんとなくその辺にいる少女くらいには見える気がする。



そして再度持ち物を確認したわたし達は、王城から脱出を図った。


わたし達の痕跡は何処にも存在しない。何処にも残さないよう、ヒルマ達が手伝ってくれたから。


この国が、わたし達を蔑ろにするのなら、わたし達がこの国を捨ててやる。


その一心で、わたし達は旅に出たのだ。





「…………ミーナがいない?」


ミーナとヒルマが逃避行を図った一週間後のことである。


何故か執務室の書類が減らないことに違和感を覚えたレオンが、ミーナを叱る為に呼び出そうとした時のこと。


「どういうことだ!?」


レオンの傍に控えるミナがびくりと震える。しかし、それに構っていられない程取り乱した様子のレオンは、彼女が視界に入らなかった。


「先程申し上げた通りにございます。ミーナ様は、この城からいなくなってしまわれたようで」


恭しく腰を折り、レオンへそう伝えるのはミーナを慕っていた使用人の一人。


古くから城に仕え、レオンも幼少の頃は世話になっていたのにも関わらずある日聖女に夢中になっていたレオンを叱っただけで、老骨などいらんと世話役を外されてしまった彼。


レオンの世話役であるということは婚約者であるミーナとも親しい訳で、その騒動を知ったミーナが自分の傍に引き入れていたことを知らないレオンは、何故か消えたミーナの存在を隠す彼へ声を荒げる。


「探せ!!」


そしてただ、激昂する。自分に断りもなく仕事をしなくなったミーナに対して、いなくなったミーナに対して、命令を聞かぬ世話役に対して。


自分がしたことの仕打ちなど全て棚に上げて、怒鳴り散らす。


「お言葉ですが、王太子殿下。ミーナ様がここから去られてから、既に一週間は経っておられるかと」


しかしそんなレオンなど意に介す様子もなく、老獪な使用人は手を揉んで微笑む。


「聞いたところによると、ミーナ様らしきお嬢様が馬に乗って厩舎から出ていったかもしれない、と、厩務員が」

「何故そのときに止めぬ!?」

「さあ……。何やら馬の出産が重なり、更にミーナお嬢様がドレス姿で馬など乗るはずないと思われたからではないでしょうか」

「役立たずが!」


最早、声を荒げることでさえも怒りを収められない。今度は調度品を蹴り、今すぐにミーナを連れてくるようにと指示を飛ばすが、レオンの世話役であった彼はゆったりと笑みを浮かべて口を開く。


「申し訳ありません、王太子殿下。わたくしはミーナ様の使用人であって、貴方様の使用人ではございません。そういったことは、ご自分の使用人に任せれば宜しいかと。こんな老いぼれではなく」


そうしてほっほっほっ、とわざとらしいくらいな老人を演じてから、世話役はレオンの元を立ち去った。


「誰でもいい!ミーナを探せ!!」


命令を遂行しない世話役のせいですっかり頭に血が上ったレオンの怒号が迸る。


普段であれば立派な王太子から自堕落で愚かな王太子に変わったお陰で丸っと入れ替わった足元でゴマをすることを厭わない使用人も、今回ばかりは動かない。いや、動けないために、部屋の隅で縮こまっていた。


「何をしている!?」


一向に動き出そうとしない使用人達へ近寄り、美しい金の髪が逆立ちそうな程怒り狂うレオンへ、一人の使用人が勇気を振り絞って声を発する。


「お、お、お言葉ですが、王太子殿下!わたくし達は、直属の上司、筆頭メイド長及び筆頭執事長から、この件には携わるなとの、命令が出ております!故に、その指示には従えません!申し訳ありません!!」


早口に内容を連ね、ぴしぃっと綺麗な敬礼をしてから、勇気を振り絞った使用人は足早に出ていく。


「……どういうことだ!?」


そしてその一人を皮切りに、10人程いた使用人達は一斉に出ていき、残ったのはレオンと、異国の聖女、ミナだけ。


「この私に従わないとはどういうことだ!!」


そこかしこのモノを投げ散らかし、踏みつける。格下だと思っていたはずのミーナ、何をしても自分を許したはずのミーナによって、何一つ上手く行かなくなっていることに腹が立つレオン。


しかし、ミーナの置き土産、もといヒルマと筆頭メイド長及び筆頭執事長の置き土産はこんなものではないということを知るのは、その数時間後。



「レオン!!ミーナ嬢がいなくなったとはどういうことだ!?」


書類やクッションや綿が散乱する執務室へ、レオンの父、現国王がやって来た。


「あれほどミーナ嬢の手綱は握っておけと、言っただろう!!」


肥えた身体をぷるぷるさせ、レオンを怒鳴り付ける国王。彼が国王補佐から既に見切られているという話は有能な人間の間では有名な話ではあるが、最近本人も見限られつつあるレオンはそんな内情知らない。


「そんなこと言ったって!!」


わんやわんやと始まる親子喧嘩のレベルは低い。国王を一応追い掛けて来た補佐も、死んだ目で流れを見守る。


「ああ、ファティ(筆頭メイド長)ベルホルト(筆頭執事長)がこの国を見限ったか」

「ミーナ様を逃がす為に、工作に走ってたって」

「ふーん、俺達もミーナを追い掛けるか」

「そうだね。なんかそれっぽい理由付けて追い掛けよっか。ミーナ様がいないなら、この国にいる理由もないしね」


こそこそと静かに、国王補佐の仮面を脱ぎ捨てて会話を交わすミーナの幼馴染み二人、国王補佐二人は、しれっと国を抜け出す計画を立てつつ親子喧嘩を眺めていた。



「さて、最後の掃除はこんなものかしら?」

「いいのではないですか」


所変わって王城のとある廊下。箒と雑巾を持つ二人の男女は、廊下をぴかぴかに仕上げてから持ち場を去ることにした。


一応この城が維持できるくらいのレベルに育てた使用人は放置し、自分達がいなくなってもなんとか回る程度にまでしてあげたのはミーナがそこまでは望んでいないからである。


こうして、筆頭メイド長と筆頭執事長も、ミーナの元へ向かう目処が立った。





「お嬢様、こちらも美味しいですよ」

「ん、本当ね!」


王城を経ってから一週間。わたしとヒルマは聖女様と手を組んで薬を盛った皇子、ユリウス様の国とは反対側の隣国で、のんびりデザートを頬張っていた。


デザート専門店だというお店の前にいくつか長椅子が並んでいて、わたし達はそこに腰を掛けながら、休憩している。


清潔な見た目の家。並ぶ商店。石畳の床。街行く人々を眺めながら頬張るデザートというのはとても美味しい、けれど。


「……お城が心配ですか?」


わたしの思考が少し曇ったのを察知したヒルマが、お皿を椅子に置いて顔を覗き込んでくる。


未だに少し腫れている頬のせいでフードを被ることになって、表情は見えにくいはずなのに、何故彼女にはバレてしまうのだろう。


「してないと言えば、嘘になるわ」


すっとヒルマから視線を外して、石畳の目地を追う。


メイド長から、わたしが無事公爵家から勘当されたという手紙が届いた。だから今のわたしは、ただのミーナだ。


国を背負う責務もなく、毎日の仕事に追われることもない、ただのミーナ。


そんなわたしには、なんの責任もない。


それでも。


「教え込まれてきたモノを放棄するのには、もうちょっと胆力が必要みたい」


俯いたまま、頬は緩んだ。


そんなわたしを、ヒルマは抱き締めてくれる。


「お嬢様は、責任感の強いお人ですから」


いいこ、いいこ、と、頭の形に沿って動くその手を、甘んじて受け入れるわたし。



仕事を押し付けられたことが嫌だった訳ではない。


ただ、わたしを認めてくれないまま、都合の良いように使っていた彼等が、嫌だったのだ。


せめて、レオン様が、わたしに対して少しでも思いやりを見せていてくれたのなら。


わたしはきっと、あの城でこの身を潰していただろう。



「お嬢様」


沈む思考を制止するように、ヒルマが残りのデザートをフォークに刺して渡してくれる。


「今は、この旅を楽しみましょう?」


そして目が合えば、にこりと微笑んでくれるヒルマがいる。


「そうね」


わたしの心情を抱えたまま、ヒルマは導いてくれる。


だから安心して、わたしは彼女に身を任せることが出来る。


「行きましょうか」


手を取り、歩を競い、並ぶ道程。


例え今は消化出来ない感情だとしても、もうあの日々に戻ることは出来ないのだから、と改めて思えば、歩も軽くなるというもの。


「ね、次は何処に行こうか?」

「お嬢様を海に連れていきたいですね」

「海!行ったことないわ!」


夕暮れ時。はしゃぐ声と、軽やかな足取りで、わたし達は先を急ぐ。


今はこの旅を楽しむだけだと開き直った。そうすれば、二人楽しく、笑える気がした。



これはそう、全てを失ったわたし(元公爵令嬢)の、ちょっとした旅の話。


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