罠、回帰する鬼人
「リンちゃん、次の部屋何もないよ」
2日目初回のダンジョン攻略中、前で露払いをしながら走っていたナナは、急に立ち止まってそう言った。
探知スキルと聴覚把握の合わせ技。既に道を覚え始めているせいか、ナナの索敵はどんどんと正確になりつつある。
「どういう事?」
「これまではモンスターがいたりとかアイテム落ちてたりしたでしょ? 次の部屋、多分罠もないねぇ」
表情は相変わらずふにゃっとしているけれど、昨日に比べるとしっかりとした口調でナナはそう言った。
星屑の迷宮はローグライクのダンジョンではない。
マップはランダム生成ではなく21あるフロアをランダムに10個配置しているだけだし、階段は部屋の中にはなく、そもそも部屋と呼ばれるような場所自体が少ない単純な洞窟型のダンジョンだ。
地図上で大きめな空洞を私たちが便宜上「部屋」と呼んでいるだけだ。
とは言え実際に「部屋」に行けばモンスターがいたりアイテムが落ちてたりとちゃんとそれらしい感じにはなっていたから、やはり通路に比べれば特別な場所のはずだった。
そこに何もないという事に、ナナはこの先に何かしらの危険を感じ取っているのだろう。
「みんなはどう思う?」
『どうとは』
『罠だと思うなぁ』
『ワンチャンレアモンス』
『ワイもレアモンス』
『罠』
『罠』
『ちくわ大明神』
『罠に決まってら』
『おい今なんか変なコメが』
確かに私も、予めそれを把握できていれば何かあるのではないかと警戒する。
例えばリスナーの多くが挙げているように、罠。一応このダンジョンには罠も仕掛けられているものの、これまではナナが引っかかってから回避してるから気にしていなかった。
その引っ掛かりまくったナナが罠が無さそうというのであれば、少なくとも物理的な罠がある可能性は低いのだろう。
脳内マップに浮かぶ情報から考えるに、次に入る部屋は非常に広い。一応この部屋を通らなくとも階段へと向かうルートは別にあるので、少し引き返して別ルートを使うのもありだ。
あるいはレアな強モンスターの出現。そういう場合も往々にしてあるので、その場合はむしろ進むのが正解だろう。
ここで仮に何かしらの罠であった場合に回避を選ぶか、万が一のレアモンスターの可能性を取るか。
どちらを取るかは悩ましいけれど、私とナナなら何があっても怖くない。
「進みましょ。最悪やり直せばいいわよ」
「ん、わかったー。じゃあ私が先行するね」
そして私は、この判断を後悔する事になる。
ナナが一歩部屋へと足を踏み入れた瞬間に、何もない部屋の中に大量のモンスターたちがワープによって現れた。
広い広い部屋の中に、モンスターが留まることなく湧いていく。その数はゆうに50を超え、100にさえ届かんとする膨大さだ。
ダンジョンの部屋内に足を踏み入れた瞬間に、モンスターが溢れかえるこの現象を。
ローグライクゲームでは、《モンスターハウス》と呼ぶ。
モンスターハウスを見て、引くか進むかというほんの少しの逡巡が、致命的な時間のロスを生んだ。
ガコッ、という音と共に何かが作動した気配を察知する。
その正体を私が看破する前に、ナナが私の事を後ろに突き飛ばした。
「ナナ!!」
「リンちゃん、ちょっと待っててねぇ」
ナナがそう言って柔らかな笑みを浮かべた瞬間、ダンジョンの地形が変わり、部屋への通路が閉じる。
そうか、今の音は、逃げ場を封じるための罠。
ナナは音を聞いて何が起こるか理解したから、私を守るために後ろへと突き飛ばしたのだ。
厄介な事に、このモンスターハウスはきっちりと逃げ場を塞ぐタイプだったらしい。
「どう、しよ……」
混乱する。思考が定まらない。
モンスターが出現するタイミングに関しては、部屋の中にアラートを示すトラップがない以上は足を踏み入れた瞬間になるのはおかしなことではない。
けれど、退路を塞ぐタイミングを考えれば、私が悩んでいた時間がなければ2人で脱出するのも不可能ではなかったはず。
これは完全な私のミスだ。ナナだけを死地に送り込んでしまった、致命的なミス。
ナナを助けに行きたいけれど、ダンジョンの内壁は魔法でもアイテムでも破壊はできない。
反対側の入口は閉じてる? 望み薄だけど、もしかしたら開いているかもしれない。
「……っ! やれる事をやるのよリンネ、無駄だったとしても」
パン! と両手で頬を叩いて喝を入れる。
私は部屋の反対側の入口を目指すために、来た道を急いで引き返すのだった。
☆
「あぁ……」
スクナは今、とても安心していた。
それは、リンネを守れたから。
大切な人を死地から抜け出させることができたから。
目の前には100を超えるモンスターの群れ。
いくら広い部屋だと言っても、流石この数のモンスターがいれば手狭にも感じるものだ。
などと、普段のスクナならばそんな他愛のない事を考えていたのだろう。
ゆらりゆらりと揺れるスクナに、モンスターの群れから飛び出したキラビットが襲いかかる。
それを見ることさえせずに影縫で天井に打ち上げたスクナは、天井にぶつかりひしゃげて落ちてきたキラビットを打ち払うように消し飛ばした。
その光景が、今にも襲いかからんと前のめりになっていたモンスター達の気勢を削ぐ。
「あは、うふふ、えへへへへ」
笑う。笑う。蕩けるような笑みを浮かべる。
「私ね、リンちゃんと遊べるのが楽しかったの」
誰に語る訳でもない。しかしスクナの声は朗々と大部屋の中に響き、警戒を露わにするモンスターたちを撫でていく。
そう。今のスクナは酷く感情が揺らいでいた。
リンネと遊べる幸せな時間を奪われた、言葉にしてみればたったそれだけの事。
しかしそれはスクナにとっては世界で唯一心から楽しめる時間を奪われたのに等しい事でもある。
スクナが笑っているのは、彼女が覚えている感情がそれしかないから。
上機嫌であれ不機嫌であれ、スクナは笑う以外にどうやってこの揺らぐ感情を消化すればいいのかわからないからだ。
「ねぇ……壊される覚悟は出来てるんだよねぇ?」
抑えきれない破壊衝動をそのままに、スクナはモンスターの群れへと突っ込んでいく。
プレイヤーを陥れるための罠に、枷の外れかけた化け物が牙を剥いた。
スクナの持つ影縫は、存分に振るうことさえできれば第5の街より先でも充分に通用する性能を秘めている。
オーバーヘビーメタル自体、それを精製できる鍛冶師さえいれば、フィーアス時点で入手できる金属としては最上級のものだ。
フィーアス時点での武器の要求筋力値の平均値がおよそ50に満たない程度である中、片手武器でさえ200を超える膨大な要求筋力値。
それさえ満たせていれば、オーバーヘビーメタルの武器は使い手に相応の結果をもたらしてくれる。
影縫の持つ火力はもはやフィーアスレベルのダンジョンにおいては暴力の塊でしかなく、そしてずば抜けた耐久値のおかげで壊れる事もほとんどありえない。
故にスクナの取る戦法は。
武器パワーに任せた、徹底的な蹂躙である。
手始めに、接敵して10秒の間に7体のモンスターを行動不能にした。
頭を砕く。
腕を潰す。
脚を折る。
目を潰す。
武器を奪う。
そして、あえて殺しはしない。
機動力を奪い、思考力を奪い、手札を奪う。
殺すために振るう一手がもったいないから、スクナは魔法を使用するモンスター以外を無理に殺すことはしなかった。
少し前に琥珀に救ってもらった魔の森での大発生と違う所は、こちらのモンスターはあちらと違って魔法使いのモンスターだけではないということ。
前の時は囲んで銃を撃ちまくるような一方的な暴力に晒されていたが故に、スクナは延々と動き回る事を強いられ、万一にもダメージを負えない状況に追い込まれていた。
スクナにとって魔法は致命。最弱の魔法ですら2発もあれば消し飛ぶほどに、スクナの魔防ステータスは詰んでいる。
しかし今回は、魔法のような遠距離攻撃を持ったモンスターが少ないおかげで、スクナは相手の攻撃すべてを躱す必要はない。
自ら距離を詰めて近接戦闘に持ち込んでくれるのであれば、スクナはいくらでも捌ききれる自信があった。
戦場となった大部屋に、殴打の音色が響き渡る。
ゴッ、ガッ、グシャッというシンプルな打撃音が鳴る度に、モンスターの悲鳴が響き渡る。
「あはっ、気持ちいいっ……!」
スクナはこの地獄のような戦いに心地よささえ覚えていて、その表情から恍惚の色が褪せることは無い。
戦いが始まってまだ3分と経っていない。
しかし既に10を超えるモンスターがその命を散らし、20近いモンスターは身体を破壊されて身動きが取れずにいた。
こんな状況でも、いやこんな状況だからこそ、スクナは面白半分で色々なことを試していた。
飛びかかってくるキラビットを投げナイフに突き刺すように受け止め、キラビットごと投擲してみたり。
メタルベアの四肢を砕いて盾として使ってみたり。
不意打ちをしかけてきたつもりのジュエリーボックスの口にホブゴブリンを放り込んでみたり。
久しぶりに出会ったバタフライ・マギの羽をもいで、地面に叩き落としてみたり。
あえて投げナイフ自体を近接戦闘で使ってみて、3振りで壊れるのを見て笑ったり。
幼い子供の持つ無知であるが故の残虐性。
それに近い行動を重ねては、スクナはただただ爽快な気分を味わっていた。
まるで本来の自分に戻っていくような感覚。
抑えつけていた衝動を解放する感覚を、スクナは心の底から楽しんでいた。
見た目にそぐわぬ筋力を駆使してメタルベアの首を捻ったスクナは、HPを全損して消えていくメタルベアを後ろから飛んできた魔法の盾として放り投げる。
完全な不意打ちのつもりで魔法を撃った《ホブゴブリン・メイジ》はそのような方法で防がれる事など思いもよらず、一瞬戸惑いを見せる。
その間に、既にポリゴンへと還りつつあるメタルベアの陰に隠れて距離を詰めていたスクナは、ホブゴブリン・メイジの頭を素手で掴んで地面に叩きつけた。
「脆い脆い」
魔法職のモンスターは物理耐久が低い。影縫を突き立てて喉を潰すと、後ろから迫っていた《プチゴーレム》を振り向きざまの回し蹴りで吹き飛ばす。
「これで30と41っと」
殺した数と戦闘不能にした数を正確に把握しながら、だいぶ広々とした大部屋の中でスクナは目をギラつかせる。
魔法職を優先的に潰しつつ、殴り壊しやすいモンスターはなるべく壊しながら戦ってきた。
これまでちょくちょく周回の中で戦ってきたモンスターの中でも、今蹴り飛ばしたプチゴーレムは案外に難敵だ。
なんと言ってもシンプルにタフなHP量を持っている。
動きは鈍重なものの一撃は重く、当然ながら防御力も高め。先程までの混戦では最も注意して距離をとっていた相手だ。
「ま、それもこれだけ広くなれば関係ないけどねぇ」
半数を超えるモンスターがものの10分で戦闘不能にされ、流石のモンスター達もスクナを前に迂闊に近寄れないでいる。
既に遠距離攻撃持ちがほとんど壊滅し、残っているものも目を潰されたり喉をやられたりと、魔法や矢を打てる状態にはない。
数的有利は常にモンスター側にあるはずなのに、複数で襲いかかってもそれ自体がスクナの利として働いてしまうこの矛盾。
「ねぇ、来ないの?」
短期間で多くのモンスターを倒し続けた結果か、ダメージエフェクトやデスを表す赤いポリゴンが漂う大部屋で、スクナは全てのモンスターを睨めつけるように見渡す。
迂闊に攻めてもこれまで散っていったモンスターの二の舞だ。簡易とはいえ下手に思考する知能を持つが故に、暴虐の記憶がモンスター共の足を止めてしまう。
スクナは一度首をコキッと鳴らすと、地面に倒れているモンスターの一体に影縫を振り下ろす。
シンプルに四肢を折る、あるいは目や喉を潰すことで動きのみを封じてはあるが、未だ40近いモンスターが地面に転がったままだ。
処理できる時に処理しておかなければ、思わぬところで足をすくわれる可能性も否定しきれない。
どの道モンスターたちが足踏みしている今、暇つぶしがてらに処理しておくに越したことはなかった。
そんなゴミ処理のような行為をやや無防備に行うスクナの背を、虎視眈々と狙う影がひとつ。
《ホブゴブリン・ハイアーチャー》。このモンスターハウスの中では最上位の、フィールドでもグリフィスより先に出現する強モンスター。
彼は己の同胞が無慈悲に葬られ、盾として使われる屈辱を必死に耐え、多くのモンスターの陰に隠れて、たった一度でもスクナが油断するであろうチャンスを狙っていた。
ゴブリンアーチャーの比ではない強力な大弓を引き絞り、モンスターたちの隙間を縫う熟練の一射を放とうとしたその時。
一瞬だけ通ったその射線を、僅かに早く銀色の凶器が貫いた。
ホブゴブリン・ハイアーチャーは唐突に右半分の視界が奪われた事に驚き、思わず構えていた矢をあらぬ方向へと放ち、その矢は味方のホブゴブリンを後頭部から脳天を撃ち抜いた。
「最初からずっと君を警戒してたんだよねぇ」
彼を守るように立っていたモンスターの群れをすり抜けて、スクナは混乱するホブゴブリン・ハイアーチャーの左目を抉りとる。
何も見えない真っ暗闇の中、ホブゴブリン・ハイアーチャーは無念にも彼の同胞と同じ末路を辿る事になった。
「51と28。うん、流石に減ってきたね」
ハイアーチャーを倒して周囲を見渡したスクナは、再び寄ってきたプチゴーレムの足を払って倒してから頭を地面に埋め込むように踏みつける。
四肢をじたばたさせるプチゴーレムを笑顔で見つめながら、影縫を数回振るってHPを削り取った。
「さて、もういいかなぁ」
もはや戦意を感じ取れないモンスターの群れを見て、スクナはぐっと伸びをした。
そのHPゲージは僅かに3割程度しか減っておらず、111という大量のモンスターを相手したとは思えない消耗具合だった。
唯一の勝機であった一射を予め潰されて、戦いの最中にレベルを上げたスクナにもはや勝てる道理はなく。
「うん、まあ楽しかったかなぁ」
最後に残ったメタルベアを《叩きつけ》で倒したスクナは、戦い始める前に比べればずっとスッキリした笑顔でそう言った。
合計戦闘時間、25分。たったそれだけの時間で、スクナはモンスターハウスを殲滅しきるのだった。
ナナ「魔法職足りてないよ」