凜音と龍麗
「もう、横着して」
そんな事を言いながらも、私はソファの上で寝息も立てずに眠るナナにそっと布団をかけてあげる。
配信が終わったのが夜の9時過ぎ。昼食とおやつタイムで2度ほど配信を休憩しつつ、今日はちょうど12時間ほどダンジョンに潜ることになった。
どうしてナナがまたソファで寝てるのかといえば、夕食を食べてシャワーを浴びて、ドライヤーをかけてあげている間に寝てしまったのだ。
今は割とだらしない顔で気持ちよさそうに眠っている。
最近は寝苦しそうにしていたのもあって、起こす気にはなれなかった。後で部屋に運んであげればいいだろう。
「何とか地図は集めきれたわね……」
想像通りに20個……ではなく、最終的に交換で集まった地図の数は21個。
迷宮階層が20個と最初に訪れた平原階層の分を1個合わせた数だ。
交換出来る全ての地図は私の頭の中にインプットし、地図ごとに最速で抜けるためのルートは完成した。
また、ジュエリーボックスのような美味しいモンスターの場所も見つけた限りは記憶している。
「……倒せたボスはまだ5種類、セイレーンの騎士の情報は未だに断片だけ。9人の騎士全員分のセリフを統合しても、分からないことだらけ……ね」
自分の頭の中を整理するように、タブレットへ今日集めた情報を書き込んでいく。
私ひとりが全てを覚えていればいいのならこんな事をする必要は無いけれど、情報とは共有して初めて意味がある。
ナナに見せるためだけでなく、必要に駆られた時に他のプレイヤーへと見せる為にも記憶はデータとして書き出しておいて損はない。
今、イベントで一番話題に上がっているのは「セイレーンとは何か」という謎だ。
ミラージやハッシュを含む9人の騎士達は、結局自分たちが「セイレーン」に仕える騎士であるという以上の情報は残してくれなかった。
強いて挙げるなら、ナナのおかげで創造神と敵対する存在であるということが分かったくらい。
いくつもの考察が挙げられているものの、核心に至っていると思わせるようなものはない。
ぼんやりと分かるのは、どうやら今回のイベントはただのアイテム集めイベントではないという事。
正確に言えば、プレイヤーにとってはただの素材集めだけど、NPCにとってはそうではないらしいという事だ。
帰還せず延々と周回をしていた私達とは違い、街に帰還してNPCと会話を交わしたプレイヤーはそれなりに多くいる。
そのプレイヤーが聞いた話では、今回のイベントのような「門」はWLOの世界では不定期に発生していて、NPCにとっては一種の厄災のようなものらしい。
「門」の中に入って敵を討つ必要があり、そうしなければ一週間の刻限の後、門の中からモンスターが溢れかえる。
今私達がやっているような周回を「命が有限な」NPCがやらなければならないから、それはもう地獄のようだったとか。
そんな訳で、とりあえずプレイヤーが門の中でモンスターを倒せば万々歳。イベントはハッピーエンド待ったナシだそうだ。
「なんて、そんな簡単に行くわけないわよね」
間違いなく「何か」がある。
それも恐らく、イベントの最終盤に何かが起こる。
根拠はないけれど、多くのゲームをプレイしてきた私の勘がそう告げていた。
その為にできる準備があるのかは分からないけれど、周回を重ねていれば何が起きても不利には働かないだろう。
どの道、今日一日中ナナがご機嫌だったおかげで、星屑の迷宮を効率よく周回するための準備は整えられた。
逆に、今のナナがこうして寝てしまったのも、普段ならありえないほどのハイテンションをキープし続けていたからなのだろう。
覚えた情報を精査し、洗練させるのは明日以降でいい。
イベントは7日間あるのだから。
「私も寝ようかしら……ん?」
ナナを寝室に運ぼうかと思った瞬間に、スマホから着信音が鳴り響く。
夜も10時を回ったこの時間に電話をかけてくるとなると、余程親しい間柄か謎の営業電話かだけど。
画面に表示されたのは《ロン姉》の文字。それを認識した瞬間、私は反射的に通話のボタンを押した。
『いよーうリン、元気してっかー?』
「ええ、ロン姉は元気そうね」
耳元で響く元気な声に、変わらなさを感じて少し安心する。
ロン姉、こと鷹匠龍麗。誰よりも自由で誰よりも頼りになる、私たちの従姉の名前だ。
「それにしても、突然どうしたの? 電話なんて珍しいじゃない」
『可愛い妹分の声が聞きたかった、なんて理由じゃダメか?』
「ばーか、それならナナに電話するのが筋でしょう」
『何言ってんだ、リンもアタシの大切な妹だよ』
その優しげな声音に嘘がないことは知っているけれど、ロン姉が可愛がっていたのは私よりナナだったのも事実だ。
いや、別にナナへの嫉妬ではない。むしろ私は「私の方がナナを可愛がってる」という方向でロン姉と張り合っていたのだから。
『ま、じゃれるためにわざわざ連絡した訳じゃねぇしな。……なあリン、ナナは今眠ってんだろ?』
「そうね。ぐっすり眠ってるわ」
すやすやともぐうぐうとも寝息を立てている訳ではないけれど、今日のナナはここ数日の苦しそうな寝顔に比べればずっと気持ちよさそうに眠っている。
『お前がナナを引っ張り出したのはランから聞いた。くっそ久々に会ったけど、出る話題のほとんどがリンの事ばっかだぜ。ランのやつも変わんねぇよなぁ』
「ラン兄に会ったの? 忙しいからって私とは会ってくれないのよ」
『そりゃお前が日本にいるからだろ。アタシも会ったのはアメリカでの話だぜ。忙しいのは嘘じゃねえさ。アタシが無理やり時間作らせただけだからな』
「ロン姉らしいわね」
一秒で数百万稼ぐ男と呼ばれるあのラン兄に時間を「作らせる」という時点で上下関係がハッキリしている。
まあ、年功序列の関係でロン姉が強権を振るっているだけなんだけど。
それに、ロン姉自身もコレで世界的に影響力を持った人だ。要はロン姉とラン兄はビジネスパートナーでもあるってこと。
まあ、ロン姉自身はもう何もしてないはずだけどね。世界の煩わしさから抜け出した完全なる自由人だもの。
『今日の配信見てたぜ。相変わらず仲がいいみたいで安心した。ナナのやつもあん時に比べりゃ元気になったもんじゃねぇか』
「ええ。あの時ロン姉がケアしてくれたおかげでね」
ナナが涙を流した日。あの子の両親が亡くなった日。
茫然と徘徊するあの子を捕まえて預けたのは、他ならぬロン姉の所だった。
私と一緒にいてしまうと、すっぽりと抜けてしまった心の穴を埋める為に、取り返しがつかないほどに依存してしまうと思ったから。
一番あの子が苦しんでいる時に私がそばにいられないのは本当に苦しい事だった。
でも、そのおかげで今のナナがある。私だけに依存していたナナが、普通に人と会話を出来るくらいにコミュニケーションを取るようになってくれた。
その点について、ロン姉にはとても感謝している。
まあ、ロン姉曰く「アタシは何もしてねぇよ」ってことらしいけど。
ナナは自分で立ち直ったのだとロン姉は言い張っていた。
『つってもアイツ、元気にゃあなってるが根本的なとこじゃあなんも変わってねぇぞ。一途で真っ直ぐで狭い世界に相も変わらずぽつんとしてやがる』
ハァ、と溜息をつきながら吐き捨てたロン姉は、一拍置いてから言葉の続きを口にする。
『……本質は変わっちゃいねぇが、それでも今日みたいなナナは見た事ねぇ。昔に近いが、それも違いそうだしな』
「分かってる。だから私が一緒にいるんだもの」
『ならいいさ。別に責めるつもりで電話した訳じゃねぇ。久々にリンの声が聞きたかったのもホントの話だ。ま、でもホントに気ぃつけろよ。今のナナは昔に近づいてる分普段以上にバケモンじみてると思うが、同時に不安定でもある筈だ。お前の立ち回り次第じゃ立ち直れなくなる可能性だってある。無理だけはさせるなよ』
「ええ、ありがと」
要するにロン姉は心配なのだ。ナナも、私も。2人して潰れてしまうのではないかと心配している。
私達が後悔したあの涙の日。あの時のような苦しみを再びナナに味わって欲しくなくて、私はナナと距離を置いた。
思い出してしまえば必ずナナの心はひび割れる。
だけど、多分、もうその事態は避けられない。
ナナは必ずあの時の事を思い出してしまうし、ひた隠しにしてきた心の傷は切り開かれてしまうだろう。
細心の注意を払って、慎重に事を進める。
この世界でナナの心の支えになれるのは、一切の誇張なく私だけしかいないのだから。
『ああ、そうだ。近いうちにアタシも日本に帰っからさ。お前らのやってるその……WLOだっけ? アタシの分用意しといてくんね?』
私が決意を新たにしていると、ロン姉から全く別の話題が飛んできた。
しかし、その内容はわざわざ私がやる必要性を微塵も感じられないものだった。
「なんで私に頼むの? ロン姉なら伝手でいくらでも手に入るでしょ?」
『それがさぁ、今の時点じゃ海外からは買えねぇみてぇなんだよ。日本にいる奴に頼みゃあいいんだけど、そうなると一番手っ取り早いのはリンだろ? 従姉妹のよしみで頼むぜ』
「ふーん、そうなの」
VRMMOは従来のMMOと違って、チャットだけで会話が済むことは少ない。
自然と口頭での会話になるが、そうすると言語の違いという致命的な齟齬が生まれる。
それを回避するために、VRMMOというものは基本的に国毎にサーバーを分けている場合が多い。
まあ、現実世界では既に高精度の翻訳機械が出来ているのだ。VRに似たような機能が追加されるのも時間の問題だとは思うけど。
とにかくロン姉がWLOを買えない理由は理解できた。
「別にいいけど……来る前にちゃんと連絡入れてよね。あとお風呂はちゃんと入ってきて」
『いつもちゃんと身だしなみ整えて行ってんだろー?』
煽るようにいうこの従姉は、わざわざ忠告してあげた理由が分かっていないらしい。
「ナナに臭いって言われても知らないからね」
『うぐっ』
「ふふ、じゃあこっち来る時は連絡してね」
ナナは目も耳も良いけれど、嗅覚も鋭い。
その事を思い出したからか、はたまたその光景を想像してしまったからか言葉を詰まらせたロン姉を残して、私は通話を切るのだった。
ロン姉、実はナナより背が低いんです。